北魏のタグまとめ

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「北魏」タグの記事(20)

  1. 219 漢地佛衣の時空序列 - 日本じゃ無名?の取って置きの中国一人旅

    219 漢地佛衣の時空序列

    5-8世紀漢地佛像着衣法式第三節 漢地佛衣類型の時空序列 印度と漢地の佛衣は、三衣の層の分け方で上衣外覆類と中衣外露類の2系統に分かれる。上衣外覆類は、上衣の覆う形式で、通肩式、袒右式、覆肩袒右式、搭肘式と露胸通肩式の5種に分かれる。」;中衣外露類は又、上衣tp中衣の覆う形式で上衣搭肘式上衣重層式と中衣搭肘式の3種に別れる。1.通肩式佛衣 上衣が背中より両肩を覆い、右衣の角が頚の下を巻いて左...

  2. 218 北朝から唐代の佛衣変遷(2) - 日本じゃ無名?の取って置きの中国一人旅

    218 北朝から唐代の佛衣変遷(2)

    5-8世紀漢地佛像着衣法式二 雲崗、龍門、巩県、響堂山石窟の北朝佛衣の源流探求(一) 雲崗、龍門、巩県、響堂山石窟の北朝佛衣の来源1.通肩式佛衣 通肩式佛衣は印度を源とする。雲崗一期の通肩式佛衣の上には衣に襞状の突起と、相互に噛み合う匂聯紋がある(図6-2-1:1)、これは印度や中央アジアの佛像にはめったに見られない。この種の匂聯紋は、現在最早の紀年が持つのは太平真君四年(443)高陽(今の...

  3. 217 北朝から唐代の佛衣変遷(1) - 日本じゃ無名?の取って置きの中国一人旅

    217 北朝から唐代の佛衣変遷(1)

    5-8世紀漢地佛像着衣法式第二節 北朝から唐代の佛衣変遷の脈絡 雲崗、龍門、巩県、響堂山等の4ヶ所の石窟は、北魏から唐代までの政治文化の中心区域内で、前後が結びついて発展の脈絡がはっきりし、当時の社会政治文化の変遷の背景と一致する。系統がこの4ヶ所の石窟の佛衣類型を明らかにし、分裂時期の南北と東西間の影響と影響を被った関係、及び唐代統一国家中央が地方の形勢に与えた影響の認識を一歩すすめる助け...

  4. 216 南北朝早期佛衣の源流 - 日本じゃ無名?の取って置きの中国一人旅

    216 南北朝早期佛衣の源流

    5-8世紀漢地佛像着衣法式第六章 漢地佛衣の源流考第一節 南北朝早期の佛衣類型の探求   南北朝時期、北朝早期文化の中心は平城(今の大同)にあり、南朝の文化の中心は長江の下流建康(今の南京)が主で、この他長江の上流の蜀では四川省成都が重要な中心の一つであった。平城に在る最も重要な佛教遺跡は雲崗石窟で、建康は栖霞山石窟が主であり、成都地区は多くの出土石刻造像があり、本論文ではこの3ヶ所の文化中...

  5. 215 西安地区立佛の佛衣 - 日本じゃ無名?の取って置きの中国一人旅

    215 西安地区立佛の佛衣

    5-8世紀漢地佛像着衣法式第七節 西安地区単体石立佛の佛衣 20世紀50年代以来、西安地区から陸続として単体石製立佛造像が出土し、青石(注、石灰岩の俗称)と白石(注、石英)が主で、おおくは金箔を貼り、大型の立佛は2m、小型の立佛は30cm。筆者の実地調査と発行資料に拠れば、上述の単体石立佛造像の保存良好なものは40件、収蔵と出土情況は以下のようである。 西安碑林博物館蔵16件。その内旧蔵7件...

  6. 214 炳霊寺石窟の北魏佛衣 - 日本じゃ無名?の取って置きの中国一人旅

    214 炳霊寺石窟の北魏佛衣

    5-8世紀漢地佛像着衣法式第六節 炳霊寺石窟の北魏晩期佛像着衣  炳霊寺石窟は甘粛省永靖県の西南約35kmの黄河北岸の小積石山の山中にあり、石窟は、下寺、洞溝、上寺の3部分から成り、合計216個所の洞窟がある。大部分の窟龕は下寺のある大寺溝西側の崖壁上に開鑿され、北魏晩期の窟龕はここに集中し、126,128,132,140,146窟及び124,125龕等を含み、その中で、126窟の窟外上方に...

  7. 213 隴東地区の北魏晩期着衣 - 日本じゃ無名?の取って置きの中国一人旅

    213 隴東地区の北魏晩期着衣

    5-8世紀漢地佛像着衣法式第五節 隴東地区石窟寺の北魏晩期佛像の着衣隴東地区は、甘粛省隴山以東部分を指し、今日の平涼地区と慶陽地区を包括する(注、甘粛省東部全体)。北魏晩期の佛衣着衣の保存がかなり良好で、内容もかなり豊富な石窟寺として、主に南石窟寺、北石窟寺と石拱寺の3ヶ所がある。南石窟寺は泾川県の東7.5kmの泾河の北岸にあり、編号が5ヶの洞窟である。北石窟寺は慶陽市の西峰区西南25kmの...

  8. 212 須弥山石窟の北朝~唐の佛衣 - 日本じゃ無名?の取って置きの中国一人旅

    212 須弥山石窟の北朝~唐の佛衣

    5-8世紀漢地佛像着衣法式第四節 須弥山石窟の北朝から唐代の佛衣  須弥山石窟は、寧夏自治区南部の黄土高原の位置し、固原県城の西北約55kmに在る。現在関係の有る記載で最早は、明代嘉靖の《固原州志》;“須弥山は、州北九十里。古寺があり、松柏桃李がこんもりと茂り、古い石の関門の遺跡である”。 須弥山は六盤山の余脈に属し、海抜1800m、山体は紫紅色や橙黄色で、やや粗い粒砂状の構造で、岩質は粗い...

  9. 211 莫高窟北朝仏像の着衣(2) - 日本じゃ無名?の取って置きの中国一人旅

    211 莫高窟北朝仏像の着衣(2)

    5-8世紀漢地佛像着衣法式二 莫高窟北朝佛像着衣の時期区分1.佛像着衣の時期区分 以上30ヶ所の洞窟の佛衣類型を整理すると、組分けが帰納出来、表5-3-1のようになる。 表中で第268,259,254,257,251,263,260,435,437,431窟の正壁或は中心柱正壁は覆肩袒右式佛衣(A型)で、多くは匂聯紋を装飾する;その他の壁面は通肩式佛衣(B型)と搭肘式佛衣(C型)で、この内第...

  10. 210 莫高窟北朝仏像の着衣(1) - 日本じゃ無名?の取って置きの中国一人旅

    210 莫高窟北朝仏像の着衣(1)

    5-8世紀漢地佛像着衣法式第三節 莫高窟北朝佛像の着衣 莫高窟は甘粛省河西回廊の西端戈壁中に位置し、敦煌市東南約25kmの鳴沙山東麓、大泉河の西岸にある。隋代以前の早期洞窟は、現存36ヶ、その内泥塑佛像着衣の保存良好なものは30窟の多数に達する。本論文は考古類型学の方法を運用して、佛衣及び菩薩衣飾を分析整理し、佛像着衣の時期区分及びその反映する文化影響と洞窟年代等の問題に試論を提出する。一 ...

  11. 208 麦積山北朝窟龕(4) - 日本じゃ無名?の取って置きの中国一人旅

    208 麦積山北朝窟龕(4)

    5-8世紀漢地佛像着衣法式(4)第四期 麦積山第四期は、通肩式と露胸通肩式の2種の佛衣で、最早は5世紀末開鑿の栖霞山石窟で、例えば第19、22,24,18、26窟;この後成都地区でかなり流行し、中大通元年(529)造像の露胸通肩式佛衣(図5-1-21)、麦積山は成都地区とかなり密接な関係だったかも知れない。 麦積山第四期の中衣搭肘式佛衣は、東魏北斉の例えば北響堂北洞、南洞及び南響堂1、5、7...

  12. 207 麦積山北朝窟龕(3) - 日本じゃ無名?の取って置きの中国一人旅

    207 麦積山北朝窟龕(3)

    5-8世紀漢地佛像着衣法式2.各期窟龕の主要特徴 麦積山北朝五期窟龕の特徴理解に便利なように、表5-1-1を概括して列べると表5-1-2になる。3.各期年代の推断 麦積山北朝各期の窟龕の特徴は表5-1-2のようになる。但し、麦積山北朝窟龕の開鑿時期は、文献での明確な記載が少なく、参考となるような銘の記録も稀である。これにより各期の開鑿年代は、主要には紀年の有るものを基に考えるべきで、変化の脈...

  13. 206 麦積山北朝窟龕(2) - 日本じゃ無名?の取って置きの中国一人旅

    206 麦積山北朝窟龕(2)

    5-8世紀漢地佛像着衣法式3.題材配置 洞窟内主尊と脇侍造像の組合せ、更には壁面配置の内容に基づき、造像組合せと壁面の小龕を、影塑(※注1)併存の配置のものを、造像組合せ及び壁面配置(A型)と名付け、只主尊と脇侍造像の組合せだけで、壁面に小龕の無いものを、影塑配置を造像組合せ(B型)と名付ける。  (※注1)影塑; 雕塑の一つで、一般に膠、粘土、細砂と繊維(紙や綿花等)を混ぜて塑泥を作り、表...

  14. 205 麦積山北朝窟龕(1) - 日本じゃ無名?の取って置きの中国一人旅

    205 麦積山北朝窟龕(1)

    5-8世紀漢地佛像着衣法式第五章 西部地区の佛像着衣第一節 麦積山石窟北朝佛像の着衣一 麦積山北朝窟龕の時期区分回顧麦積山は秦嶺山脈の西端北麓にあり、甘粛省天水市の東南、45kmに位置する。山は142m、窟龕群は垂直にそそり立つ絶壁南面上に開鑿されていて、洞窟の最も低い洞窟は地面から20mで、最も高い者は地面から80mにある。湿った雨が多く、度々の地震により、岩壁の中央部は崩壊が激しく、一般...

  15. 204 雲崗石窟3窟の着衣 - 日本じゃ無名?の取って置きの中国一人旅

    204 雲崗石窟3窟の着衣

    5-8世紀漢地佛像着衣法式第七節 雲崗石窟第3窟佛像の着衣  雲崗石窟第3窟は窟郡の東部に位置し、雲崗石窟最大の洞窟で、開鑿時期は第二期頃(471-494)、但、北魏一代では内部工程まで終わって未完成のままである。 第3窟は、前室と皇室に分かれ、平面は横長方形で、前室下層は東西幅50m、後室平面は凹形で東西幅43m、後室正壁西側とアーチ門に相対した所に一大龕が在り、内部に一椅坐佛二脇侍菩薩を...

  16. 203 響堂山石窟の北朝佛衣 - 日本じゃ無名?の取って置きの中国一人旅

    203 響堂山石窟の北朝佛衣

    5-8世紀漢地佛像着衣法式第六節 響堂山石窟の北魏佛衣 響堂山石窟は太行山東麓の華北平原に位置し、東魏北斉の都邺城(今の河北省邯鄲市臨漳県)の西30kmの鼓山にあり、滏陽河が鼓山の南面を流れ、邺城と東魏北斉のもう一つの都太原との交通線上にある。邺城は河北省の南端にあり、西には太行山脈が北から南に連綿と繋がって天険となり、南部は黄河が西から東に横切って隔て、地形は殊勝、“平原千里、舟は四通”。...

  17. 202 天龍山石窟の東魏佛衣 - 日本じゃ無名?の取って置きの中国一人旅

    202 天龍山石窟の東魏佛衣

    5-8世紀漢地佛像着衣法式第五節 天龍山石窟の東魏佛衣 天龍山石窟は太原市の西南36kmに位置し、洞窟の主要部は東西2つの峰の山腹の間に在り、編号の有る洞窟は前部で25。第2、3窟は東峰にあり、天龍山石窟で最早の双窟で、雕鑿の時期は北魏末から東魏武定(543-549)の中頃。 太原の古称は晋陽で、“左に恒山の険があり、右を大河で固める”、“最も天下の雄と言うべき町”と言われた。北魏永煕元年(...

  18. 201 巩県石窟の北魏佛衣 - 日本じゃ無名?の取って置きの中国一人旅

    201 巩県石窟の北魏佛衣

    5-8世紀漢地佛像着衣法式第四節 巩県石窟の北魏佛衣 巩県石窟は河南省巩県の東北7.5kmの洛水北岸の大力山南麓に位置し、漢魏洛陽故城の西44kmに在る。現存する北魏後期開鑿の洞窟は5座で、編号は西から東に1-5窟である。 その内、第1から第4は中心柱窟で、第5窟は3壁3龕窟である。第1、3,4窟は前壁に浮彫の礼佛図がある。第1窟は、正、左、右壁に各4つの龕を開龕し、右壁の外から第2龕は主尊...

  19. 198 雲崗石窟の匂聯紋(1) - 日本じゃ無名?の取って置きの中国一人旅

    198 雲崗石窟の匂聯紋(1)

    5-8世紀漢地佛像着衣法式第二節 雲崗石窟佛像着衣の匂聯紋 雲崗石窟に現存する7,8,17,19,20窟の主尊佛衣と主尊菩薩衣の装飾は一種の複雑華麗な紋様で、雲崗石窟近在と、例えば大同士西北約10kmの鹿野苑石窟6窟にもこの紋様が見られる。この種の衣紋は突起した2筋の曲線尾根が合流して1つになり、尾根の上ごとに陰刻した線を1本または2本彫り、同時に各尾根の間の谷筋に1本の線を陰刻し、その外観...

  20. 197 雲崗石窟の北魏佛衣 - 日本じゃ無名?の取って置きの中国一人旅

    197 雲崗石窟の北魏佛衣

    5-8世紀漢地佛像着衣法式第四章 中原地区佛像の佛衣第一節 雲崗石窟の北魏佛衣 雲崗石窟は山西省大同市の旧市街の西15kmの武州川北岸の山崖に在り、東西に連続して約1kmある。洞窟のほとんどの部分は北魏中後期に雕鑿され、一般に三期に分けられる:第1期(460-470)は曇曜が主に開鑿した5ヶ窟で、即ち石窟中部西側の第16~20窟:第2期(471-494)は、主要に石窟中部東側、第7・8双窟、...

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