地域の散策のタグまとめ

地域の散策」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには地域の散策に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「地域の散策」タグの記事(35)

  1. 福島の野仏:松川の野仏 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    福島の野仏:松川の野仏

     今までの散策の中で、「馬頭観音」あるいは「馬頭観世音」という文字を刻んだ石塔は見ていたが、馬頭観音像を刻んだ石仏を見たのは初めてだと思う。 馬頭観音は、本来は観音菩薩の変化身の一つであって、必ずしも馬の守護神でないという。しかし、江戸時代以降は、農作業や運搬手段として馬が庶民の生活と強く結びつくようになり、庶民が馬の無病息災を祈願して馬頭観音を立てるようになったのだとか。 散策時に確認でき...

  2. 奥州街道:境川から八丁目村へ④ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    奥州街道:境川から八丁目村へ④

     ここから先、右手からの道と合流した地点で、直ぐに左手すると、左側に「奥洲八丁目天満宮」が見えてくる。 そこまで、街道は何の変哲もない田園地帯を通るのだが、自分としてはその左手の風景が懐かしい。 ここは、先に整理した「松川鉱山」の散策で、搗鉱場の地を推定するために歩き回った風景なのだ。 大正の始め、橋本組によって再開された松川鉱山では、良質鉱の一部を青金の段階まで自家製錬して売却したとのこと...

  3. 奥州街道:境川から八丁目村へ③ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    奥州街道:境川から八丁目村へ③

     「街道Web」の写真と照らし合わせると、「橋供養塔」が建っているところから道路を挟んだ次の電柱の手前やや右手に「信夫隠の碑」とその案内板が建っていたようだ。 実際の風景と照らし合わせると、この位置だと思う。 現在は、「信夫隠の碑」とその案内板も「橋供養塔」と共に、「立正院」の入り口に移されている。  信夫隠の碑 碑文 隠母日夜留    お(隠)もひやる 居巳露之意苦鳴  こころ(之)のおく...

  4. 奥州街道:境川から八丁目村へ② - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    奥州街道:境川から八丁目村へ②

     街道を散策する時にいつもお世話になっている「街道Web」によると、橋を渡って次の道筋と交わる左側に「橋供養塔」が建っていたようだ。 実際の風景と照らし合わせると、この位置に道路に面して建っていたのだと思う。  現在は、その「橋供養塔」は、この左手前の「立正院」の入り口に移されている。 その傍に建つ松川観光協会の案内板の解説によると、境川に架かる橋が石橋になるのは、この松川地域が二本松藩領に...

  5. 撮り溜めた写真から24~医王寺の石造供養塔群⑤ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から24~医王寺の石造供養塔群⑤

     こちらは、佐藤基治・乙和ご夫妻墓碑とされる。こちらも「医王寺の石造供養塔群」の一部という見え方もあれば、こちらがスポットライトを浴びせるメインの石塔という見え方もある。 医王寺のホームページでは、その視点から以下のように紹介されている。「 奥の院薬師堂の境内に見られる板碑群は、信夫荘司一族の墓域と伝えられ、中央に佐藤基治・乙和、右側に継信・忠信の墓碑といわれる石碑があり県指定重要文化財に指...

  6. 撮り溜めた写真から23~医王寺の石造供養塔群④ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から23~医王寺の石造供養塔群④

     この大型の長方形の板碑とその手前の板碑がセットで、父母の逆修碑とのことだ。 ただ、案内板の解説だけでは母の供養塔でもあるとする部分が読み取れないでいた。 「ふくしまの歴史(2中世)」の「医王寺の板碑」にそのヒントが記されているのに気がついた。 ここに「このうち正和2年(1313)の2基には、真言宗系の仏をたたえ、その教えを述べた文が記されているほか、それぞれ「慈父蓮仏逆修」「悲母逆修」とあ...

  7. 撮り溜めた写真から22~医王寺の石造供養塔群③ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から22~医王寺の石造供養塔群③

     案内によるとやや後ろにのけぞっているように建っている大型の長方形の板碑とその右側の石塔はセットで父母の逆修供養塔と解説していると読み取る。 解説の「なかに、松平楽翁の「集古十種」にのっているものが中央より左にあります。上部が欠けた正和2年の板碑」と大型の長方形の板碑とセットで父母の逆修供養塔だとする石塔が同じものなのだと解釈した。「国立国会図書館デジタルコレクション」で松平楽翁の「集古十種...

  8. 撮り溜めた写真から21~医王寺の石造供養塔群② - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から21~医王寺の石造供養塔群②

     やや後ろにのけぞっているように建っている大型の長方形の板碑について、次のような図解入りで解説されている。 説明では、梵字の部分については、「一字金輪仏の種子『ボローン』」と表現される。 知識が無いので確認する。 「一字金輪」は、密教で、大日如来が最高の境地に入って説いた真言である (梵bhrūṃで、勃嚕唵(ぼろん)と音写)の一字を人格化した仏頂尊。像は結跏趺坐(けっかふざ)して手に印を結ぶ...

  9. 撮り溜めた写真から⑳~医王寺の石造供養塔群 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から⑳~医王寺の石造供養塔群

     奥之院薬師堂の西側に「医王寺の石造供養塔群」の案内板が建っている。その案内によると、そばの荘司夫婦の墓塔と伝えられる石塔も、右端の佐藤継信・忠信の墓塔と伝えられる石塔も含めて「医王寺の石造供養塔群」ということのようだ。 前回ここを訪ねた時は、この墓塔と伝えられ石塔を確認しただけで、医王寺の石造供養塔群全体を見ていなかったような気がする。 若い頃、地層の観察の実地学習で、直ぐにその岩場に近づ...

  10. 撮り溜めた写真から⑲~除病安楽祈願 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から⑲~除病安楽祈願

     今回は、医王寺奥の院薬師堂を、この寺の歴史的な背景にかかわる意識をできるだけ取り除き、民間信仰の視点から整理してきた。 今回、除病安楽は薬師様の第7願として整理している事は、病気の苦しみを取り除いて心身の安楽を得られるようにお願するという意味では、先に「さいで地蔵」や「阿保原地蔵」で整理した祈願と共通することのように思う。 これ等を、若い頃は苦しい時の神頼みという事に目がいっていたのだが、...

  11. 撮り溜めた写真から⑱~医王寺薬師堂④ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から⑱~医王寺薬師堂④

     薬師堂の欄干に石が吊るされるのは、「7日本の民族『福島』(岩崎敏夫)【第一法規】」が紹介する伊達郡保原町の耳石の呪いのようなものなのだろうと想像する。 ただ、右側の欄干に吊るされる石に交じって、願い事を書いた絵馬も下がっていた。 また、この写真の左側の欄干に吊るされる石の中に、願い事としてここでの出会いを記されているものも見える。耳石からの転化だと思うが、これらも受け入れられているという事...

  12. 撮り溜めた写真から⑰~医王寺薬師堂③ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から⑰~医王寺薬師堂③

     薬師堂の欄干に石が吊るされている。 これが気になるところだが、「7日本の民族『福島』(岩崎敏夫)【第一法規】」の「8民族知識」の「3呪(まじな)い」の項に、いろいろな呪いの例が列記される。その本文には記述されないのだが、たくさんの石が吊り下げられている写真があって、その解説に「耳石 薬師様に耳の悪い人があげる(伊達郡保原町)」とある。 伊達郡保原町は現伊達市保原町で、近くの町村だ。この事と...

  13. 撮り溜めた写真から⑰~医王寺薬師堂② - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から⑰~医王寺薬師堂②

     今回は、この寺の歴史的な背景にかかわる意識をできるだけ取り除いて、この寺の雰囲気を感じてみたいという思いがある。 そういう視点で「薬師堂」の案内板の写真を眺めていたら、医王寺に歴史上かかわりのある方も深く信仰なされた霊験あらたかな薬師如来であるとの解説の後の次の解説が気になった。 「声がたたねば鯖野の薬師 七日こもれば声がたつ等々と唱えられ」との部分だ。 今のところ確認できていないが、そう...

  14. 撮り溜めた写真から⑯~医王寺薬師堂 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から⑯~医王寺薬師堂

     「平野の伝承とくらし」では、「大鳥城記」で「奥の院薬師堂」と紹介される薬師堂を「鯖野薬師堂」と称している。 奥の院薬師堂にお祀りされる薬師如来が「鯖野の薬師様」と呼ばれるのは、この地域が小字鯖野だからだ。 「医王寺」のホームぺージでは、その地名が鯖野と呼称されるのは、福島市飯坂町に温泉を発見した鯖湖親王を祭るお宮があったからだとする。このことによって、鯖湖温泉の薬効や歴史のイメージが付加さ...

  15. 撮り溜めた写真から⑮~医王寺③ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から⑮~医王寺③

     今回の散策でよく見てきたかったのは「薬師堂」だ。その主たる理由は小笠原國太郎氏とのかかわりだが、医王寺の奥の院としての「薬師堂」の雰囲気を感じたかった。 その事ことについては、「亀岡邸の大工棟梁は小笠原國太郎⑧:福島の建築(12の2)」の中に記している。ただ、この記事の「薬師堂」の写真は、自分の撮った写真ではない。その写真を入れ替えたいということで、今回の散策の趣旨はこの時と変わらない。 ...

  16. 撮り溜めた写真から⑭~医王寺② - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から⑭~医王寺②

     寛文4年(1664)信夫郡と伊達郡が上杉領から天領となった時点で、後ろ盾が弱まったことが想像できる。 「奥の細道臨地研究資料(福島県教育センター)」では、芭蕉が訪れたという元禄2年(1689)には、医王寺はわびしい古寺でしかない景色になっていたのではないかと想像していることと符合する。 そんな中、「亀岡邸の大工棟梁は小笠原國太郎⑦:福島の建築(12の2)」で整理したように、この寺は何度も火...

  17. 撮り溜めた写真から⑬~医王寺 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から⑬~医王寺

     先に確認したように、今年になって散歩で医王寺へ出かけたのは2017/4/27のようだ。 地元の散策資料では「医王寺」についての確認をしているが、もうちょっと引いてwebで確認してみる。 ウィキペディアでは「真言宗の寺院で、山号は瑠璃光山。中性初期に信夫郡を支配した佐藤氏の菩提寺」と紹介され、地元の紹介と変わりない。その沿革についても、ほぼ地元の資料で確認できることだが、その中興にかかわる紹...

  18. 撮り溜めた写真から⑫~医王寺までの道筋 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から⑫~医王寺までの道筋

     現農業総合センター果樹研究所内となる福島県生活改善展示実験室は、小字下原で、その北面の道筋が、その小字下原と小字田下との字界道になっている。 その小字田下と小字北原と続く集落と接する小字下ノ壇、上ノ原、中原との字界道を進む。 その道筋が、小字道添との字界まで進むと、医王寺前から「医王寺が案内される小字道添と字界道に出て、ここから医王寺まではお馴染みの道筋を進むことになる。 この道筋は、先に...

  19. 撮り溜めた写真から⑪~福島県生活改善展示実験室 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から⑪~福島県生活改善展示実験室

     写真を確認したら、散歩で医王寺へ出かけたのは2017/4/27のようだ。 いつもなら飯坂古道を中心に散策をしながら医王寺を目指すのだが、この時はわざとその東側の道筋を進んでみた。何か別な見え方をするかもしれないという期待感だ。 この道筋、果樹試験場の裏側の道筋になるのだが、その角の建物の表札が「福島県生活改善展示実験室」となっている。家に戻って、その仰々しい「福島県生活改善展示実験室」なる...

  20. 撮り溜めた写真から⑩~才の神? - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から⑩~才の神?

     鎌倉権五郎影政と片目清水にかかわる伝承は、「信達一統志」も「信達郡村史」も、そして、「日本の伝説(柳田國男)」も南矢野目村あるいは南矢野目村邨として紹介される。しかし、今回は笹谷地区の伝承として整理してきた。 元々、このあたりは、南矢野目・笹谷・北沢又・南沢又地区の複雑な境界地域だが、地図上では、ここは笹谷になっている。 座学を中心に散策する人にとっては南矢野目の意識が強いと思うが、地図を...

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