地域の散策のタグまとめ

地域の散策」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには地域の散策に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「地域の散策」タグの記事(23)

  1. 撮り溜めた写真から⑰~医王寺薬師堂② - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から⑰~医王寺薬師堂②

     今回は、この寺の歴史的な背景にかかわる意識をできるだけ取り除いて、この寺の雰囲気を感じてみたいという思いがある。 そういう視点で「薬師堂」の案内板の写真を眺めていたら、医王寺に歴史上かかわりのある方も深く信仰なされた霊験あらたかな薬師如来であるとの解説の後の次の解説が気になった。 「声がたたねば鯖野の薬師 七日こもれば声がたつ等々と唱えられ」との部分だ。 今のところ確認できていないが、そう...

  2. 撮り溜めた写真から⑯~医王寺薬師堂 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から⑯~医王寺薬師堂

     「平野の伝承とくらし」では、「大鳥城記」で「奥の院薬師堂」と紹介される薬師堂を「鯖野薬師堂」と称している。 奥の院薬師堂にお祀りされる薬師如来が「鯖野の薬師様」と呼ばれるのは、この地域が小字鯖野だからだ。 「医王寺」のホームぺージでは、その地名が鯖野と呼称されるのは、福島市飯坂町に温泉を発見した鯖湖親王を祭るお宮があったからだとする。このことによって、鯖湖温泉の薬効や歴史のイメージが付加さ...

  3. 撮り溜めた写真から⑮~医王寺③ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から⑮~医王寺③

     今回の散策でよく見てきたかったのは「薬師堂」だ。その主たる理由は小笠原國太郎氏とのかかわりだが、医王寺の奥の院としての「薬師堂」の雰囲気を感じたかった。 その事ことについては、「亀岡邸の大工棟梁は小笠原國太郎⑧:福島の建築(12の2)」の中に記している。ただ、この記事の「薬師堂」の写真は、自分の撮った写真ではない。その写真を入れ替えたいということで、今回の散策の趣旨はこの時と変わらない。 ...

  4. 撮り溜めた写真から⑭~医王寺② - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から⑭~医王寺②

     寛文4年(1664)信夫郡と伊達郡が上杉領から天領となった時点で、後ろ盾が弱まったことが想像できる。 「奥の細道臨地研究資料(福島県教育センター)」では、芭蕉が訪れたという元禄2年(1689)には、医王寺はわびしい古寺でしかない景色になっていたのではないかと想像していることと符合する。 そんな中、「亀岡邸の大工棟梁は小笠原國太郎⑦:福島の建築(12の2)」で整理したように、この寺は何度も火...

  5. 撮り溜めた写真から⑬~医王寺 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から⑬~医王寺

     先に確認したように、今年になって散歩で医王寺へ出かけたのは2017/4/27のようだ。 地元の散策資料では「医王寺」についての確認をしているが、もうちょっと引いてwebで確認してみる。 ウィキペディアでは「真言宗の寺院で、山号は瑠璃光山。中性初期に信夫郡を支配した佐藤氏の菩提寺」と紹介され、地元の紹介と変わりない。その沿革についても、ほぼ地元の資料で確認できることだが、その中興にかかわる紹...

  6. 撮り溜めた写真から⑫~医王寺までの道筋 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から⑫~医王寺までの道筋

     現農業総合センター果樹研究所内となる福島県生活改善展示実験室は、小字下原で、その北面の道筋が、その小字下原と小字田下との字界道になっている。 その小字田下と小字北原と続く集落と接する小字下ノ壇、上ノ原、中原との字界道を進む。 その道筋が、小字道添との字界まで進むと、医王寺前から「医王寺が案内される小字道添と字界道に出て、ここから医王寺まではお馴染みの道筋を進むことになる。 この道筋は、先に...

  7. 撮り溜めた写真から⑪~福島県生活改善展示実験室 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から⑪~福島県生活改善展示実験室

     写真を確認したら、散歩で医王寺へ出かけたのは2017/4/27のようだ。 いつもなら飯坂古道を中心に散策をしながら医王寺を目指すのだが、この時はわざとその東側の道筋を進んでみた。何か別な見え方をするかもしれないという期待感だ。 この道筋、果樹試験場の裏側の道筋になるのだが、その角の建物の表札が「福島県生活改善展示実験室」となっている。家に戻って、その仰々しい「福島県生活改善展示実験室」なる...

  8. 撮り溜めた写真から⑩~才の神? - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から⑩~才の神?

     鎌倉権五郎影政と片目清水にかかわる伝承は、「信達一統志」も「信達郡村史」も、そして、「日本の伝説(柳田國男)」も南矢野目村あるいは南矢野目村邨として紹介される。しかし、今回は笹谷地区の伝承として整理してきた。 元々、このあたりは、南矢野目・笹谷・北沢又・南沢又地区の複雑な境界地域だが、地図上では、ここは笹谷になっている。 座学を中心に散策する人にとっては南矢野目の意識が強いと思うが、地図を...

  9. 撮り溜めた写真から⑧~鎌倉権五郎影政と片目清水② - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から⑧~鎌倉権五郎影政と片目清水②

     本当は、「鎌倉権五郎影政公のその後」の前に、福島の伝承と「日本の伝説(柳田國男)」が紹介する「片目清水」の微妙な違いを整理してみたかった。 順序が逆になったが、「鎌倉権五郎影政と片目清水②」として整理する。 片目清水に戻るのに、2006/3/26の片目清水の写真を張り付ける。 この時は、公園として整備している最中で、ここから清水に近づけないように柵で囲われていた。 さて、微妙な違いの一つは...

  10. 撮り溜めた写真から⑨~鎌倉権五郎影政公のその後 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から⑨~鎌倉権五郎影政公のその後

     「吾妻の里の自噴泉と伝説」を整理した時点で、この「ふくしま散歩(小林金次郎)」が紹介する鎌倉権五郎影政と家臣の墓の写真を手掛かりにここにたどりついてはいたのだが、そのままにしていたところだった。  「ふくしま散歩」では、片目清水の紹介の前に「現在、鳥川の成川に住む矢吹友右衛門氏といわれる」として、権五郎影政の子孫が紹介されていたのだ。 しかし、時系列に沿って整理してみると、片目清水の頃の鎌...

  11. 撮り溜めた写真から⑦~鎌倉権五郎影政伝説と片目清水 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から⑦~鎌倉権五郎影政伝説と片目清水

     この写真は、2013/1/13に撮った片目清水。 先にこの片目清水について「吾妻の里の自噴泉と伝説」で整理しているが、この時は地元の記念誌の片目清水伝説紹介を記した。http://kazenoshin.exblog.jp/4962802/ この言い伝えだと、八幡太郎義家の家臣鎌倉権現五郎景政が、後三年の役(1083~1087)で、敵の弓の名人鳥海弥三郎に矢を射られたのがこの地であるような印...

  12. 撮り溜めた写真から⑦~鎌倉権五郎影政と家臣の墓 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から⑦~鎌倉権五郎影政と家臣の墓

     2009/6/10に撮影したものだが、多分「ふくしま散歩(小林金次郎)」が紹介する「鎌倉権五郎影政と家臣の墓」だと思う。 この寺の前の通りが散歩でよく通る古くからある道筋だ。寺の境内が整備されてきているので、消滅していないかなと時々眺めてはいた。 それでも、今まで整理していない。その価値がよく分からなかったからだ。 今回確認してみようと思ったのは、「日本の伝説(柳田國男)」に中心的に取り扱...

  13. 撮り溜めた写真から⑥~弁財天堂の石塔群から「申塔」 (笹谷熊野神社境内) - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から⑥~弁財天堂の石塔群から「申塔」 (...

     「庚申塔」の後ろには、ずらりと「申塔」が並ぶ。 見慣れた石塔で、「庚申塔」とのかかわりかなと思いながら眺めていた。 今回、ちゃんと確かめておこうと思ったら、この石塔ちゃんと解説する資料がないことが分かった。 「野仏の見方(外山晴彦)」の「野仏見分け表」の「庚申塔」の欄には、文字として「庚申」「猿田彦」「青面金剛」が、彫像として三猿が紹介される。その注には、一猿・二猿も庚申塔の可能性があると...

  14. 撮り溜めた写真から⑥~弁財天堂の石塔群から「庚申塔」(笹谷熊野神社境内) - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から⑥~弁財天堂の石塔群から「庚申塔」(...

     「大国主大神」碑の後ろに並ぶのは、定番の「庚申塔」だ。 「大国主大神」碑を写した時に、端の「庚申塔」の建立年代が写りこんでいて、「大正〇10丑年12月吉日」が読める。この年の干支は丁丑のはずだが、そこまでははっきり読めない。  一般的に、「庚申塔」は、「庚申待」を3年18回続けた記念に建立されるという。 最後の「庚申塔」建立が大正10年で、その3年後に「大国主大神」碑が建立されているという...

  15. 撮り溜めた写真から⑤~弁財天堂の石塔群から(笹谷熊野神社境内)② - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から⑤~弁財天堂の石塔群から(笹谷熊野神...

     「大国主大神」碑が建立されたのは「大正13年甲子年」とある。 確かめてみると、大正13年は西暦1924年で、確かに千支は甲子のようだった。この年8月に西宮市に作られた野球場は、この年の干支から現甲子園球場である甲子園大運動場と命名されているという。 その左隅には、「磐城国小高町大江甲子山 松陽謙吉」の銘が刻まれている。 「磐城国小高町」や「大国神社」などをキーワードに検索していくと、「郷社...

  16. 撮り溜めた写真から⑤~弁財天堂の石塔群から(笹谷熊野神社境内) - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から⑤~弁財天堂の石塔群から(笹谷熊野神...

     弁財天堂裏の石塔群で気になったのが、この「大国主大神」碑だ。 「ウィキペディア」には、「大国主は、『古事記』『日本書紀』に登場する日本神話の神であるとある。「出雲大社」の祭神でもあり、天照大神が天津神の主宰神であるのに対して、この大国主は国津神の主宰神とされるとも解説される。 有名なのは因幡の白ウサギの伝承で、「古事記」では具体的な国造りを行った神様と紹介されるという。 国造りの神・農業神...

  17. 撮り溜めた写真から②―2~弁天堂後方の石塔「己需塔」④ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から②―2~弁天堂後方の石塔「己需塔」④

     弁財天にかかわる事を分析的に整理してきた。近代の教育を受けた者の性なのではないのかなと思っているのだが、とりあえずそうしないと内容がよく理解できないのだ。 昔の地域の方々は、感覚的にその本質を見極めてアバウトで統合的な思考法だったのではないのかなと思う。 しかし、近代的な思考をするように教育された我々は、一度分析的に整理して、それをもう一度統合し直してみるという作業的な思考を通さないと、ア...

  18. 撮り溜めた写真から④~弁財天(笹谷熊野神社境内) - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から④~弁財天(笹谷熊野神社境内)

     自分の弁財天のお姿のイメージは、琵琶を演奏する像だ。 しかし、確認していくと弁財天は蛇神と習合して、頭上に蛇体を抱いたり、御姿自体が蛇頭だったりすることもあるようなのだ。 その持ち物も、8つの手に武器を持っていたり、宝珠と鍵を持っていたりするとのことだ。 弁財天のお姿にこだわったのは、堂内を覗き見させていただいた像から、直ぐに元々のお姿を想像することができなかったからだ。 確認する中で、「...

  19. 撮り溜めた写真から③~弁財天堂(笹谷熊野神社境内) - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から③~弁財天堂(笹谷熊野神社境内)

     「己需塔」からこの地区に巳待講が存在することは推測できるのだが、この石塔は道標であり、他から移動されてきたものということになる。 そうすると、この弁財天堂と巳待講がかかわるのかどうかは曖昧になる。 「野仏の見方(外山晴彦)」によれば、弁財天は巳待とは限らないという。水神の主尊であることもあり、見極める必要があるということだ。 周辺の環境から水神かどうかはある程度推測できるとのことだ。 とい...

  20. 撮り溜めた写真から②~弁天堂後方の石塔「己需塔」③ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から②~弁天堂後方の石塔「己需塔」③

     「己需塔」が道標だと分かると、気になるのはどこに建っていたかということだ。 案内する道筋は、「飯坂路」と「福島路」だが、飯坂路の方は直ぐに確認できる。 「飯坂路の今昔(二)<佐藤静雄>」が紹介する笹木野村を起点とする飯坂路が、この辺りを通っている。 「飯坂古道」として赤線で示した道筋だ。 確実性が薄いのが「福島路」の方だ。 想像するのは、ここから福島を起点とする「飯坂路」を案内...

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