地獄極楽ウォーキングのタグまとめ

地獄極楽ウォーキング」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには地獄極楽ウォーキングに関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「地獄極楽ウォーキング」タグの記事(17)

  1. 下馬橋 - みとぶら

    下馬橋

    下馬橋。極楽橋の由来の伝説に由来する橋です。昔、香取稲荷を前にして殿様の馬が急に進まなくなってしまい下馬したというお話があるからです。そして歩いてきたところ、極楽橋のあたりで馬に乗ることが出来、「あ~,極楽,極楽」と言ったという話が極楽橋の由来に対しての下馬橋…。ちょっと後出しじゃんけんぽいネーミングです。まあ見てお通り、用水路に架けられた橋です。車で走っていると、橋の感じは一切ありません。...

  2. 香取稲荷神社(東大野) - みとぶら

    香取稲荷神社(東大野)

    東大野の端の森に位置するのが香取稲荷です。この香取稲荷は格式?があったようです。極楽橋の由来の言い伝えでは、昔,馬に乗っていた殿様の馬が神社を前に急に進まなくなってしまい下馬し歩いてきたところ、極楽橋あたりで馬に乗ることが出来、「あ~,極楽,極楽」と言ったとか…っていうことを記載しました。先日、地元の方からお話をいただきました。お殿様が乗馬していて、今回紹介する香取神社の敷地では下馬しなくて...

  3. 新川河口 - みとぶら

    新川河口

    極楽橋から新川を河口方向に進みます。水神さんを過ぎて、個人宅の船着き場でしょうか?桟橋に半分水没した船が係留されておりますが、なんだかとっても良い雰囲気です。そして那珂川の堤防と水門、そして船溜。船溜まりの雰囲気もこれまた素敵です。水戸にこんな場所があったのか!!というような風景が見られます。秋は鮭を採っているのは知っておりますが、他の季節は何か採っているのでしょうか?那珂川の河口から少し入...

  4. 極楽の水神さん - みとぶら

    極楽の水神さん

    ツアーで回った地獄極楽ウォーキングからは外れた内容になりますが、地元での極楽の由来の地までを追っていきます。極楽橋から新川の河口に向かって歩いていくと、橋から間もなくの場所に大きな木と鳥居があります。ちょうど見ていたら、犬の散歩をしている方がいたので声をかけてみました。この鳥居はどういうものなのか聞いてみると水神様を祀っているそうです。昔水害になって流されてきた子どもがこの木にしがみついて助...

  5. 地獄橋の次は極楽橋 - みとぶら

    地獄橋の次は極楽橋

    頭無~渋井町緑地(土壇場)、境橋(地獄橋)と新川(旧那珂川河川跡)を巡ってたどり着いところは極楽橋です。極楽橋については以前にも紹介しております。 現在の県道に架かる極楽橋横に石碑があることは前回記載しました。県道は古くからこのルートになっており、極楽橋は川に対して斜めに交差して直線的にわたっております。石碑に「跡」とわざわざあるくらいですので、今の橋とはおそらく違う場所にあったことでしょう...

  6. 吉沼磔場は本当にここなのか? - みとぶら

    吉沼磔場は本当にここなのか?

    吉沼磔場は本当にここなのか?と書いておきながら、そもそも磔場があったのかは知りません。「水府異聞」に書かれている言い伝えしか情報を得れるものがありません。水府異聞読んで、ああそうなんだ~、ここ磔場なのねって思っていて訪問したんですが、行ってみるとなんだか違和感・・・・わざわざ土壇場と呼ばれた「死者を埋める土地」があって、磔場があったならば、わざわざ橋を渡ってそのような施設を作るのかな?江戸時...

  7. 地獄橋と呼ばれていた 境橋 - みとぶら

    地獄橋と呼ばれていた 境橋

    渋井町緑地そばには境橋があります。手前側左が渋井町、見切れている道路の右側が西大野、対岸が吉沼町となってます。まさしく町堺!またまた「水府異聞」からになりますが、地獄橋と呼ばれた新川に架かる「境橋」とあります。「徳川時代、罪人の死者、および無籍の死者を葬りし所にて、葬り方が粗末なる故、時々露出し、犬の引きズリ出す等の事あり、惨状甚だしく、見る者戦慄して、地獄橋と名づくに至る。明治維新後は橋の...

  8. かつて「土壇場」と呼ばれていた渋井町緑地  - みとぶら

    かつて「土壇場」と呼ばれていた渋井町緑地 

    渋井町の末端部、新川沿いに整備された渋井町緑地です。碑があるのですが、その裏側に碑文があります。渋井町緑地碑この地は 渋井町の田園地帯の一角にあり自然環境が豊かに残されているところである年々歳々自然環境が失われているなか地域からこの自然環境を守り育てる意識のもとに 公園としての要望がありその熱意に応え水戸市が整備したものであるまた この地は 幕末における藩内の争乱の際に処刑された人々の遺骸が...

  9. 鹿島神社(渋井町)と新川 - みとぶら

    鹿島神社(渋井町)と新川

    頭無地蔵尊、那珂川旧河道を見た後は、渋井の微高地を進みます。そして鹿島神社へ。その鹿島神社は新川沿いにあります。鳥居がありますが、震災で被災して新しい鳥居が建てられました。 元の鳥居は「井坂直幹」によって作られました。井坂直幹といってピンとくる水戸の人はどれだけいるのでしょうか?壊れた鳥居がオブジェのように並び、そこに井坂直幹の説明が載っております。このあたりの国道51位号線に近いところで生...

  10. 渋井町の地名考察 - みとぶら

    渋井町の地名考察

    国道6号線バイパス、茨城交通の浜田営業所そばの浜田十字路の東側、福徳弁財天の参道の東側は渋井町です。今回はこの「渋井」の地名について考えていきます。鎌倉期には渋江という名はあったようです。この時は信田尻村(信太尻村?)内の地名だそうです。佐竹時代には渋井村です。江を示すのは入江のことですね。海や湖が陸地に入り込んだ地形のことです。治水地形分類図2007~2014年版を見てみます。濃い青の横線...

  11. 那珂川旧河道 - みとぶら

    那珂川旧河道

    福徳弁財天の裏側、頭無地蔵尊前、大洗鹿島線下の道を進んでいくと、一段低地になります。車に乗ってしまうと、微妙な地形の変化にはにはかなり意識していないと気付かないですね。ここが、自然堤防と旧河道の境となります。段差の下から上の写真の左側を撮影したものです。水田になる前は、吉沼町の語源ともなったアシの生えた沼地だったのでしょう。いつぐらいに水田になったのでしょうか?新田開発は江戸時代なのでしょう...

  12. 頭無と首無 の地名考察 - みとぶら

    頭無と首無 の地名考察

    頭無は、渋井町の字名です。頭無は、「あたまなし」ではなく「かしらなし」です。1/5万 昭和22年5月30日発行「那珂湊」です。現在の地形図を見ても(国土地理院のページから見ることができます)頭無の字名は記載されております。ちなみに下道や、極楽は名前がなくなってます。「頭無」という地名がどのあたりかわかる人って少ないのではないでしょうか?。治水地形分類図2007~2014年版を見てみます。濃い...

  13. 頭無地蔵尊(首無地蔵尊) - みとぶら

    頭無地蔵尊(首無地蔵尊)

    最初に述べておきますが、頭無地蔵尊、首無地蔵尊と呼ばれている地蔵はここにある地蔵の頭首がないからそう呼ばれているわけではありません。網代茂著、水府異聞を読むと、赤沼牢屋屋敷で斬首された遺体の慰霊に首なし地蔵(地蔵に首がない理由の記述はないのですが)・・・とあり、赤沼の牢屋敷のから始まり、頭無(首無)、地獄橋、までのことが書かれております。そして、地獄橋の先にある極楽橋に至るまで、何かストーリ...

  14. 渋井町の墓地跡 - みとぶら

    渋井町の墓地跡

    福徳弁財天の裏側は、共同墓地が広がっておりましたが、昭和48年に大洗鹿島線建設によって消滅しました。弁財天裏の線路下の区画整理で余ったであろう三角形の土地に、その墓地の名残があります。(ここがもともと墓地であったかはわかりません)三角形の土地には、頭無(首無)地蔵の小さいお堂が建てられ、その周りに墓地にあった墓石が置かれております。次回は、この赤いお堂の頭無(首無)地蔵の話につづきます。水戸...

  15. 福徳弁財天 - みとぶら

    福徳弁財天

    湊街道(県道174号小泉水戸線)、茨城交通の浜田営業所横の国道6号線を越えた1本目の路地の突き当りに、福徳弁財天があります。福に徳がある弁天なんてものすごく縁起がいい名前ですよね!!。別名 地名から頭無(かしらなし)弁天 とも呼ばれてもいるようです。車では幾度となく入口前を走っているときには、気が付きませんでした。写真の道は弁財天までの参道です。昭和20年代は、この参道の両脇には桜が植わって...

  16. 赤沼牢屋敷跡 - みとぶら

    赤沼牢屋敷跡

    この碑が建っている辺りに、赤沼牢屋敷がありました。前出の旧桜川の河畔になります。佐竹の時代にこの地に造成したといわれており、明治2年に廃止されました。この地は、個人所有の土地で昭和13年に慰霊碑を建立し。昭和62年に「赤沼牢屋敷の由来記」が建てられました。由来碑は老朽化で平成9年に再建されております。幕末における水戸藩内の天狗、諸生の争いによって慶応元年(1865)天狗党の三木源八ほか19人...

  17. 赤沼牢屋敷付近の河川跡 (十軒町樋菅) - みとぶら

    赤沼牢屋敷付近の河川跡 (十軒町樋菅)

    桜川に面する十軒町樋菅と書かれた水門。ここと対面の樋菅の水門から続く樋菅は、かつての桜川の流れです。現在はそこに直角に交わっている形で河川改修が行われたのです。水門の後ろの地面を見ると、駐車している車もあったりするので、ハッキリとはわかりにくいかもしれませんが、河川を埋めて一部が暗渠として残った旧桜川(馬場川)の痕跡が判ります。土手(堤防)の上に樋菅の水門、そしてそこから延びるコンクリートの...

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