城跡のタグまとめ (35件)

城跡のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには城跡に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。
by 坂の上のサインボード

金剛山後編です。葛木神社境内の西側の参道に、「宝剣塔」という名称の宝篋印塔があります。 これは、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)とその第2皇子・大塔宮護良親王の追善供養のために建てられたもので、足利時代のものだそうです。 足利の誰の時代でしょうね? 後醍醐天皇も大塔宮も、最期は足利尊氏と敵対する立場で死んでいきますから、政敵からの追善供養ということですね。まあ、尊氏はほかにも京の嵐山...

by 坂の上のサインボード

上赤坂城跡から直線距離にして5kmほど南東にある、千早城跡を訪れました。数ある楠木正成の築いた城のなかで、たぶん、ここがいちばん有名なんじゃないでしょうか? 『太平記』によると、わずか1000人足らずで幕府軍100万と対峙した城として伝えられます。その兵数の真偽は別にしても、大軍に攻められながらも落城しなかった城として、後世に伝説的な存在となります。現在、日本100名城のひとつにも数えられて...

by 坂の上のサインボード

隠岐に流された後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)でしたが、それでも意気消沈することなく、隠岐から全国の反北条派の武士たちに檄を飛ばし、鎌倉幕府倒幕を呼びかけます。そんななか、元弘2年(1332年)11月、後醍醐天皇の皇子・大塔宮護良親王が吉野で挙兵。それに呼応するかたちで12月、楠木正成も挙兵します。 再挙兵した楠木正成は下赤坂城を奪回しますが、再び下赤坂城が落城すると、新たに築いた上...

by 963-7837

17:00を過ぎるとスタッフの方々が、ろうそくに火を灯し始めました。 ろうそくの灯って、雪の白さと対照的に映えて見えますね。

by 坂の上のサインボード

大阪府は南河内郡の千早赤阪村にある、下赤坂城跡にやってきました。元弘元年(1331年)、倒幕計画が発覚した後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)が逃亡先の笠置山で挙兵した際、楠木正成がこれに呼応してこの地で挙兵したと伝えられます。 別名「赤阪城」とも呼ばれる下赤坂城は(“阪”と“坂”の違いに注意)、城跡としての遺構は残っていませんが、現在、想定される千早赤坂村立中学校の丘の上に、石柱が建て...

by 963-7837

福島県立博物館を出て改めて鶴ヶ城に戻り、天守に登ってみました。 何周か廻って風景を撮影しました。もしかすると夕日が見えるかも?なんて期待したのですが、雪が舞っていたので無理だと気付き失意の中天守を後にしました。

by 963-7837

ラーメンを食べると直ぐに鶴ヶ城を撮影する為に徒歩で移動しました。 傘をさしながら鶴ヶ城全体を撮影できる場所をいうろうろしてみました。雪が降る中、白黒の世界から朱色の橋を見つけるとホッとしますね。

by 963-7837

このシリーズのラストです。 山形と言えば(多分)山形城跡ですよね?東大手門から入って、最上義光の騎馬像を撮影して公園内を暫くウロウロしてみました。

by 坂の上のサインボード

前編、中編の続きです。頂上近くまで登った東側に、「ゆるぎ石」と名付けられた石があります。 この場所は、元弘元年(1331年)9月に起きた「元弘の乱」における笠置山の戦いにおいて、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)が鎌倉幕府軍から奇襲を受けた場所だそうで、この「ゆるぎ石」は、奇襲に備えるための武器としてここに運ばれて来た石で、ここから石を落とす手筈だったようです。 ところが、奇襲が雨の降...

by 黒猫瓦版

少し寒さが和らぎました。気持ち良さそうに眠る猫。右眉あたりに変なヒゲがあります。このヒゲで耳を刺激して耳をピクピクさせています(*_*)湯たんぽはいいね~^^昨日のウォーキングで、探索失敗の城跡が見つかりました^^;ジャ~~~~~~ン!ここです!これだけです前回は「名誉医学博士奥田光記念館」(全くもって存じ上げません)に気を取られて素通りしたようです。その庭の一角に埋もれていました^^;「目...

by 坂の上のサインボード

津山城シリーズ最終稿です。本丸西側には、天守台石垣がそのままのかたちで残っています。残念ながら明治初期の廃城令によって天守は取り壊されていますが、かつてここに五層の立派な天守がありました。 津山城の天守は地上5階建で、破風を持たない質実な造りだったそうです。城の造りはその築城主の人間性を表しているようにも思いますので、森忠政という人は、きっと生真面目な人物だったのでしょうね。高さは天守台石垣...

by 坂の上のサインボード

60棟以上あったとされる津山城の櫓のなかで、現在ひとつだけ復元されているのが、本丸から南へ張り出した石垣上に建てられた「備中櫓」です。 高さ約13m、幅約24m、奥行き約8mで、延べ面積は約288㎡という津山城の櫓の中でも最大級の規模を誇り、その立地などから考えて、天守に次いで重要な櫓であり、象徴性の高い建物だったと考えられます。 津山城は美作国の城なのに、なんで“備中”櫓なんだ?・・・とい...

by 坂の上のサインボード

ようやく本丸まで登ってきました。3,496坪の本丸跡にも、多くの櫓跡が現存しています。そのいくつかを追っていきます。 まずは本丸東側の「矢切櫓跡」です。石垣がみごとですね。 その南側にある「包櫓跡」。「鐘撞堂」があります。 矢切櫓跡北側にある「月見櫓跡」。 さらにその北側にある「栗積櫓跡」です。 栗積櫓跡からみる津山城北面の眺望です。遠方の山の頂には、「神楽尾城跡」が見えます。 栗積櫓跡の西...

by 坂の上のサインボード

津山城二の丸に登ってきました。かつて二の丸には、12棟の櫓と大小7棟の門があったそうです。 現在二の丸広場となっているこの地には、かつて二の丸御殿があったと伝わり、津山藩3代藩主・森長武は、一時ここに移り住んだこともあったそうです。 その後、4代藩主・森長成のときに改易となった森家に代わって、越前松平家から松平宣富が藩主として津山城に入城しますが、間もなく、二の丸の殿舎は撤廃されたそうです。...

by 坂の上のサインボード

過日、岡山県津山市にある津山城跡を訪れました。津山城は、美作一国18万6,500石を領して入封した初代津山藩主・森忠政が、津山盆地のほぼ中心に位置する鶴山に築いた平山城で、別名・鶴山城とも呼ばれます。 現在は復元された備中櫓以外石垣しか残っていませんが、その豪壮な石垣群はみごとなもので、たいへん見ごたえがあります。 入口の側には、忠政の銅像があります。どう見ても、4頭身ほどの人間離れした銅像...

by 坂の上のサインボード

今年もあとわずかになりましたが、今年最も話題になったもの代表してひとつあげるとすれば、「ポケモンGO」ではないでしょうか?聞くところによれば、世界で5億ダウンロードに達したのだとか。世界中でスマホが何台使用されているのか知りませんが、5億っていうと、たぶん、かなりの確立ですよね。もはや社会現象などといった言葉では言い尽くせない、ひとつの歴史的事象になりつつあります。たかがゲーム、されどゲーム...

by みとぶら

これが今の水戸二中の正門となります。卒業生として、完成時に門を見たとき、卒業生として中学校にこれが必要なのか?と、背中が寒く感じたものですが、見慣れてしまいました(笑)聞くところによると、昔ながらの建築方法にこだわり建てられたとのことです。どういうことかといいますと、釘を一本も使っていないんだって。本当かな?という思いもありますが、え~、そこにこだわるか~と、その知識を得てからはなんだかモヤ...

by みとぶら

水戸市立第二中学校の一世代前の正門付近に平成24年、水戸城址二の丸展示館がオープンしました。水戸二中の改築工事の際に発掘調査された内容のパネルと、その際の出土品の展示が主です。ここには大日本史の編纂するために建てられた彰考館がありました。建物の痕跡は、水戸城ではなく旧校舎の基礎ですね。旧校舎を建てるさいにはもっと貴重なものが出土したかもしれません。第二次ベビーブームの受け皿作り優先で、旧校舎...

by うちゅうのさいはて

仕事を始めて、今日が何曜日かということはわかるのだけど、何月何日ということがあやふやになっている・・・そろそろ年末なんだよね。年賀状も用意してないや・・・去年の年末ジャンボの当選番号も見ていないし。しかし、今から来年花見はどこに行こうか、考えています(;´∀`)久しぶりに自転車で「滝の城址」に行った。2年くらい来てないかも。最近、何か発掘しているようです(ブルーシートがそうかな?)平日、申し...

by 坂の上のサインボード

兵庫県西脇市にあったとされる「西脇城跡」を訪れました。ここは、三木城から直線距離にして20km以上北上した場所にある城ですが、ここも、三木合戦時に羽柴秀吉軍によって攻め落とされたと伝わる城です。 西脇城跡のある西脇市は、東経135度・北緯35度が交わる地点で、ここが「日本列島の中心」に当たることから、「日本のへそ」のまちとPRしています。北は北海道から南は沖縄まで、日本列島すべての時刻はここ...

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