城跡のタグまとめ

城跡」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには城跡に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「城跡」タグの記事(26)

  1. 大手門建設の仮設歩道 その後 - みとぶら

    大手門建設の仮設歩道 その後

    大手橋の仮設歩道の階段強度が弱くて踏み抜きそうだってネタを、階段が出来て早々に載せました。先日行ってみると、階段部分はコンクリートになってました。滑らず、硬いし、安全になりました。最初から強度を上げた状態で作ればよかったのにね。8月20日現在の大手門の予定地です。弘道館側には、ようやく高校生用の自転車置き場が出来てました。階段を持ち上げて通っていましたからね。ただ、ここから一高や三高までは距...

  2. 太平記を歩く。 その106 「雲母坂~雲母坂城跡」 京都市左京区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その106 「雲母坂~雲母坂城跡」 京...

    延元元年/建武3年(1336年)5月25日の湊川の戦いで楠木正成が討死し、退却した新田義貞が京に戻ってくると、足利尊氏軍の追撃を防ぐため、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)を京から比叡山に移します。そして、東坂本(現在の滋賀県側)を新田義貞と名和長年が守り、西坂本(現在の京都府側)を、後醍醐天皇の皇子・尊良親王と、千種忠顕が守りました。そして6月7日、尊氏の弟・足利義直の軍勢が西坂本に...

  3. 船岡山に登る - ミカンセーキ

    船岡山に登る

    盆の京都。朝の大徳寺界隈の散歩ついでに、船岡山に登ってみる。山といっても標高112m、外周1.3kmの小高い丘で、周辺との標高差は45m、「登山口」のある北側からだと30mくらいか。右の写真は北大路通りを挟んで大徳寺側から見た船岡山遠景。山全体は公園として整備されていて、中腹の広場では近所の人が朝のラジオ体操してました。観光的に何がある訳ではないけど、一度は登ってみたいと思っていた理由がこれ...

  4. 太平記を歩く。 その96 「阪本城跡(大倉山公園)」 神戸市中央区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その96 「阪本城跡(大倉山公園)」 ...

    前稿で紹介した廣厳寺のすぐ北に、大倉山公園という市民憩いの場があるのですが、ここに、かつて楠木正成が築いた阪本城があったといわれているそうです。 阪本城が築かれたのは、建武年間(1334年~1338年)だったと考えられているそうですが、詳しいことはわかっていません。ただ、時期的に見て、「湊川の戦い」に何らかの役割を果たしていたと考えられるでしょうね。 公園は高台になっており、現在は高層の建物...

  5. 埼玉を楽しむ旅 行田市郷土博物館 @埼玉県 - 963-7837

    埼玉を楽しむ旅 行田市郷土博物館 @埼玉県

    忍城は行田市郷土博物館と渡り廊下的な通路でつながっていて、忍城の中に入ると各階に色んなものが展示してあります。 そんな展示物を拝見しながら最上階へ上ると少し狭い窓から街の風景を見ることができます。街をウロウロしている時に、こんな石碑を見つけました。

  6. 太平記を歩く。 その85 「瓦林城跡」 兵庫県西宮市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その85 「瓦林城跡」 兵庫県西宮市

    兵庫県西宮市にある日野神社を訪れました。ここは、かつて瓦林城があったとされる場所です。 白旗城で新田義貞の進軍を阻止した赤松則村(円心)でしたが、赤松軍は播磨だけでなく、摂津にも防衛線を張っていました。そのなかの拠点のひとつが、ここ瓦林城だったとされます。湊川の戦い時には、円心の家臣・貴志五郎四郎義氏がこの城を守っていました。 「貴志義氏軍忠申書」という史料によると、湊川の戦いでは、北の香下...

  7. このライトアップは誰のために???馬鹿げた歴史的景観 - みとぶら

    このライトアップは誰のために???馬鹿げた歴史的景観

    弘道館前の大手橋が大手門復元工事のため車で渡れなくなって1か月ちょっとすぎました。渡れないので通ることもなくなったのですが、夜の「みとぶら」ってことで9時過ぎに行ってみました。もともと車どおりが多いわけではなかったですが、やはり道路が通れなくなって水戸二中から出てくる車しか通る車はありませんでした。そして一高方面に歩いていくとびっくり!!なんと二中の大シイの木が、水戸芸術館タワーや、低区配水...

  8. 太平記を歩く。 その84 「鏑射山城跡」 神戸市北区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その84 「鏑射山城跡」 神戸市北区

    舞台を東に移して、神戸市北区にある獨鈷山鏑射寺を訪れました。ここ獨鈷山鏑射寺とその裏山に、かつて鏑射山城があったとされています。 赤松則村(円心)の家臣・貴志庄の貴志五郎四郎義氏は、建武3年(1336年)3月26日に円心の子・赤松範資に属して湊川の戦いでは南朝軍と戦い、やがてここ鏑射山城に籠城。翌月2日よりこの地で合戦したといいます。この戦火により鏑射寺の建物はすべて焼け落ちたそうです。 現...

  9. 太平記を歩く。 その83 「三石城跡」 岡山県備前市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その83 「三石城跡」 岡山県備前市

    岡山県備前市にある三石城跡を訪れました。ここは「その10」で紹介した船坂峠から西へ1kmほどの場所にある標高297mの山城で、備前国の東の玄関口を守る城でした。 『太平記』によると、元弘3年(1333年)に三石保地頭の伊東大和二郎が、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)の挙兵に呼応して築いたと伝わる城で、建武3年(1336年)に赤松則村(円心)が白旗城にて新田義貞を50日間足止めにする戦...

  10. 太平記を歩く。 その82 「大嶋城跡」 兵庫県相生市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その82 「大嶋城跡」 兵庫県相生市

    「その72」で紹介した白旗城から南東7kmほど下った相生湾の入江にある大嶋城跡を訪れました。ここも、赤松則村(円心)に関係する城です。 写真に写るおわん型の山が、大嶋城跡と伝わる大島山です。かつて大島山は蝦江(相生湾)に浮かぶ離れ島だったそうで、長治元年(1104年)、播磨国の海老名家季がここに城郭を築いたのがはじまりといわれています。海老名氏は、代々矢野荘別名の下司職、矢野荘例名の地頭職等...

  11. 太平記を歩く。 その81 「感状山城跡」 兵庫県相生市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その81 「感状山城跡」 兵庫県相生市

    「その72」で紹介した白旗城から東へ7kmほどの場所にある感状山城跡を訪れました。ここは、建武3年(1336年)に赤松則村(円心)が白旗城にて新田義貞軍を50日間足止めにする戦いを演じた際、円心の三男・赤松則祐が、父に呼応してこの城に籠城し、白旗城を援護したと伝わる城です。 もとはこの城は瓜生城と呼ばれ、鎌倉時代に瓜生左衛門尉によって創築されたと伝えられますが、「白旗山合戦」の戦功により、足...

  12. 太平記を歩く。 その80 「高田城跡」 兵庫県赤穂郡上郡町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その80 「高田城跡」 兵庫県赤穂郡上郡町

    「その72」で紹介した白旗城から直線距離にして南へ約5km、駒山城から東へ約5km、苔縄城から南東に6kmほどのところに、高田城跡があります。写真中央にそびえる標高359mの山頂が、高田城だったとされています。 時系列から少し逆戻りしますが、ここは元弘3年(1333年)に苔縄城にて赤松則村(円心)が幕府打倒の兵を挙げたとき、東進する赤松軍によって攻め落とされたと伝えられます。 『太平記』によ...

  13. 太平記を歩く。 その75 「駒山城跡」 兵庫県赤穂郡上郡町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その75 「駒山城跡」 兵庫県赤穂郡上郡町

    「その73」で紹介した苔縄城跡の南に見えていた駒山城跡を訪れました。駒山城跡は、苔縄城跡とされる愛宕山から2.5kmほど南下した場所にある標高263メートルの生駒山頂上にあります。 登山道は2コースあるようでしたが、この日は、距離はあるものの比較的緩やかな南側からの登城コースを選びました。 登山口には、説明版と案内板が設置されています。 たしかに登山道は整備されていて藪をかき分けていくような...

  14. 太平記を歩く。 その73 「苔縄城跡」 兵庫県赤穂郡上郡町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その73 「苔縄城跡」 兵庫県赤穂郡上郡町

    前稿で紹介した白旗城から千種川を挟んで西へ3kmほど離れたところに、標高411mの愛宕山があるのですが、この山上が白旗城と同じく赤松氏の拠点だった苔縄城があった場所だと伝えられます。 登城口は、いまは廃校となっている旧赤松小学校の敷地裏にあります。 駐車スペースにあった案内板。愛宕山への登山道は、「苔縄ふれあいの森」と名付けられたハイキングコースになっているようです。 旧小学校敷地内にあった...

  15. 太平記を歩く。 その72 「白旗城跡」 兵庫県赤穂郡上郡町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その72 「白旗城跡」 兵庫県赤穂郡上郡町

    兵庫県の西の端にある白旗城を訪れました。ここは、播磨国守護の赤松氏の居城とされたところで、『太平記』によれば、東上する足利尊氏軍を迎え撃つ新田義貞軍約6万を、赤松則村(円心)がここ白旗城にて50日あまりの間足止めさせたと伝わります。この標高440m、比高390mの登山にチャレンジしました。 城跡への登山の手引は、上郡町のHPで懇切丁寧に紹介してくれていましたので、迷うことなく登れます。写真に...

  16. 霞ケ城公園/後編 @二本松市 - 963-7837

    霞ケ城公園/後編 @二本松市

    二本松城の天守の在った場所まで登ってみました。 何と見晴らしの良いのでしょう!もっと晴れていれば安達太良山がハッキリと見えたのでしょうが、城下はハッキリと見ることができました。

  17. 霞ケ城公園/前編 @二本松市 - 963-7837

    霞ケ城公園/前編 @二本松市

    白虎隊で知られている戊辰戦争の悲劇は、ここ二本松城でもありました。 時代の流れを読めなかったことが悪いのか、徳川幕府への忠誠心が悪かったのか・・・?

  18. 太平記を歩く。 その71 「室山城跡」 兵庫県たつの市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その71 「室山城跡」 兵庫県たつの市

    ここでまた少し神戸市を離れて、たつの市にある「室山城跡」を訪れました。築城は播磨の守護大名・赤松則村(円心)といわれ、建武3年(1336年)に足利尊氏が九州に敗走する途中、西下して来る新田義貞の追討軍を阻止すべく、防衛拠点とした城といわれています。円心は、長男の赤松範資を室山城の守りにつけますが、新田義貞軍によって落城。その後、範資は円心の白旗城に逃れます。 室山城は兵庫県たつの市の南西端、...

  19. 大手門建設の仮設歩道ほか - みとぶら

    大手門建設の仮設歩道ほか

    前回は、大手門建設のため、大手橋が通行止めになったよという話を書きました。今回はその続きです。大手門を作る場所は囲いが出来ております。道がふさがれる前の仮設歩道だけのもの、そして、その前の大手門発掘時の写真です。ちょうどこの場所に大手門を作るわけです。城下町特有の枡形をもう俯瞰することはできなくなってしまいました。さて、このたび出来た木道を通ってみます。水戸二中、茨大の付属幼稚園と付属小学校...

  20. 大手橋の車両通行止 - みとぶら

    大手橋の車両通行止

    平成29年6月1日から、水戸城大手門復元整備工事着工に伴い、大手橋から水戸二中と付属小学校校門間が車両通行止めとなりました。工期は平成31年9月9日までです。結構かかりますね。イメージ写真で行くとこんな風になるようです。大手門に関してはまあ、正直いるのか、いらないのかと言われれば、車両通行止めとなると不便になるなあと思う次第です。でも、どっちでもいいです。それから三の丸ホテル裏に駅から見える...

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