城跡のタグまとめ

城跡」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには城跡に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「城跡」タグの記事(34)

  1. 太平記を歩く。 その42 「勝楽寺城跡」 滋賀県犬上郡甲良町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その42 「勝楽寺城跡」 滋賀県犬上郡甲良町

    前稿で紹介した勝楽寺の裏山に、勝楽寺城跡があります。勝楽寺は「婆娑羅大名」の異名で知られた佐々木道誉が、雲海和尚を請じて開山したものと伝わり、道誉の菩提寺となっています。道誉は晩年この地に隠棲し、応安6年(1373年)に78歳で生涯を閉じました。勝楽寺城は、道誉が館と領地を守護するために、応安元年(1368年)に家臣の高筑豊後守に命じて築城したものといわれています。 登山道入口です。この日は...

  2. 茨城の桜めぐり 亀城公園 @茨城県 - 963-7837

    茨城の桜めぐり 亀城公園 @茨城県

    このシリーズのラストです。 土浦駅から約15分程度歩いたところにある亀城公園の桜を紹介します。この日の雨が、城跡のくぼ地を大きな水たまりにしてしまいました。雨は歩き辛くした半面、水鏡の贈り物をくれました。私の桜ショット&お花見弁当

  3. 平成29年4月12日 多武峰から高取山・栢森ミニ縦走 - Nont dell 友の会

    平成29年4月12日 多武峰から高取山・栢森ミニ縦走

    今日は桜井駅を7時8分の多武峰行きバスにのり出発、総勢3名です。冬野集落を抜けて芋ヶ峠に到着、持統天皇も30回くらいここを超え吉野に行ったとの。今日のメンバーですよ。芋峠より約1時間で高取城跡に到着。取高取城氏で恒例の乾杯栢ノ森に到着

  4. お堀の桜ライトアップ(2017) - みとぶら

    お堀の桜ライトアップ(2017)

    昨日は寒い春の雨でしたね。雨が降るのがわかっておりましたのでその前日の9時過ぎに、三の丸庁舎のお堀の桜ライトアップを見てまいりました。車で通ることはあっても、マジマジ見に行くのは久しぶりとなりました。この時間でもそれなりに人がおりましたよ。ほぼ満開に近くなりましたね。とてもとても綺麗です。ライトアップの光源がこの形になってからは初めての訪問です。なので以前より白っぽいですね。前回の千波湖での...

  5. 大田原市の旅 黒羽城址 @栃木県 - 963-7837

    大田原市の旅 黒羽城址 @栃木県

    黒羽城址へも行ってみましたが、本丸跡はとても広く驚きました。 近隣のお城では稀ではないでしょうか?なぜ、こんなにも広い本丸を維持できたのかは、昨日ご紹介した黒羽芭蕉の館へ行けば垣間見えますので、ここでご確認下さい。

  6. 太平記を歩く。 その37 「滝山城跡」 神戸市中央区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その37 「滝山城跡」 神戸市中央区

    「その8」で紹介した布引の滝の西側にある滝山城に来ました。場所は、JR山陽新幹線・新神戸駅の裏山です。 滝山城の築城年代は定かではありませんが、京都東福寺の良覚が記した『正慶乱離志』によると、摩耶山合戦から1ヶ月余りあとの元弘3年(1333年)4月、赤松則村(円心)の陣として、ここ滝山城が使われたと記されています。 城跡への登山道は2とおりありますが、この日は先に「布引の滝」を訪れたので、東...

  7. 太平記を歩く。 その36 「太山寺・太山寺城跡」 神戸市西区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その36 「太山寺・太山寺城跡」 神戸市西区

    神戸市西区にある太山寺を訪れました。ここは、霊亀2年(716年)、元正天皇(第44代天皇)の勅願寺として藤原鎌足の子・藤原定恵が開山し、孫の藤原宇合が建立したと伝わる寺で、南北朝時代に建てられたとされる本堂は国宝に指定されており、神戸市内ではもっとも由緒あるお寺です。 この太山寺が、「その29」で紹介した「摩耶山合戦」と、深く関わっていたといいます。 元弘3年(1333年)2月、赤松則村(円...

  8. 太平記を歩く。 その34 「唐櫃城跡(専念寺)」 神戸市北区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その34 「唐櫃城跡(専念寺)」 神戸市北区

    神戸市北区の有馬温泉の近くにある「専念寺」というお寺の地が、かつて唐櫃城があったとされる場所で、赤松則村(円心)が一時滞在していたといわれているそうで、訪れました。 専念寺は、「その33」で紹介した五社八幡神社から直線距離にして約2km南にあり、摩耶山城からは六甲山脈を超えた北側になります(神戸では、六甲山北側のことを「裏六甲」といいます)。 現地説明板によると、円心が滞在していたのは「建武...

  9. 太平記を歩く。 その32 「五鬼城展望公園」 神戸市灘区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その32 「五鬼城展望公園」 神戸市灘区

    摩耶山の麓にある、「五鬼城展望公園」を訪れました。かつてここは摩耶山城の砦のひとつだったと考えられています。摩耶山の登山口に位置し、「摩耶山合戦」に関わっていないはずはないと思い、シリーズに加えました。 「五鬼城展望公園」へのルートは、摩耶山登山道と同じです。 五鬼城の名称の由来は、昔この地を支配していた豪族・五鬼氏からきたものだそうです。以下、説明板より引用。 五鬼城之由来 昔この地に五鬼...

  10. 太平記を歩く。 その30 「赤松城跡(神戸大学キャンパス内)」 神戸市灘区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その30 「赤松城跡(神戸大学キャンパ...

    神戸市灘区の山の手にある国立神戸大学のキャンパスが、赤松則村(円心)の建てた「赤松城」だったという伝承があります。 『太平記』によると、円心は大塔宮護良親王の令旨を持って都から帰った子・赤松則祐の勧めで、一族に奮起を促し、「当国赤松城に馳せ参ぜしむべし」と伝えたといわれますが、その赤松城というのが、ここ神戸大学の敷地だったとの説です。 明治41年(1908年)の発掘調査で遺構や石垣跡が発見さ...

  11. 太平記を歩く。 その29 「摩耶山城跡」 神戸市北区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その29 「摩耶山城跡」 神戸市北区

    神戸市に横たわる六甲山脈のなかで、六甲山の次に標高の高い摩耶山上に、かつて摩耶山城がありました。ここは、元弘3年(1333年)に播磨国の守護大名、赤松則村(円心)によって築かれた城です。 城跡には徒歩でも登れますが、登山に慣れないわたしは摩耶ケーブルで登ります。 摩耶ケーブルの終点「虹の駅」のある一帯が東の曲輪群だそうです。虹の駅からの眺望。神戸港から大阪湾が一望できます。空気が澄んでいたら...

  12. 太平記を歩く。 その28 「陶器城跡」 大阪府南河内郡河南町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その28 「陶器城跡」 大阪府南河内郡河南町

    大阪府堺市にある陶器城跡を訪れました。ここは現在、「東陶器公園」という児童公園になっています。 公園奥にフォンスに囲まれた森のような一角があります。ここに案内板が設置され、高さ2mほどの土塁跡が保存されています。 フェンス越しの写真じゃわかりづらいですね。直に見ると、結構立派な土塁です。 案内板です。その説明によると、陶器城は鎌倉時代の終わり頃、北条氏の家臣・陶器左衛門尉の居城だったそうです...

  13. 太平記を歩く。 その27 「二上山城跡」 大阪府南河内郡太子町と奈良県葛城市の境界 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その27 「二上山城跡」 大阪府南河内...

    奈良県葛城市と大阪府南河内郡太子町にまたがる二上山の山頂にあったと伝わる二上山城跡を訪れました。旧令制国名でいえば大和国と河内国の国境にあたり、元弘2年(1332年)に楠木正成が築いたとされる楠木七城のひとつとする説がありますが、確証はありません。金剛山地北部に位置し、北方の雄岳(517m)と南方の雌岳(474m)の2つの山頂がラクダのコブのように並ぶ山で、現在は金剛生駒紀泉国定公園の区域に...

  14. 太平記を歩く。 その26 「平石城跡」 大阪府南河内郡河南町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その26 「平石城跡」 大阪府南河内郡河南町

    前稿で紹介した持尾城跡から直線距離にして1.5kmほど北上したところに、平石城があります。平石と書いて「ひらいわ」と読みます。ここも、楠木家ゆかりの城跡です。 写真中央に見える小高い山の頂きに城跡があります。稲穂がきれいですね。 集落のいたるところに案内板が設置されていますので、迷うことはありません。 民家の間を抜けて入山します。 山頂に近づくにつれ、土塁跡や堀切跡などの遺構に目を奪われます...

  15. 太平記を歩く。 その25 「持尾城跡」 大阪府南河内郡河南町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その25 「持尾城跡」 大阪府南河内郡河南町

    前稿で紹介した嶽山城(龍泉寺城)から千早赤阪村を挟んで6kmほど北西にある、持尾城跡を訪れました。ここも、元弘2年(1332年)に楠木正成が築いたと伝えられる城です。 持尾地区は道が狭く車を停める場所がないと聞いたので、途中で車を置いて歩きます。 こんな誘導サインがあるので、すぐにわかります。 ここから西側の眺望です。右に見えるのが某教団の平和の塔、左に見えるのが嶽山城(龍泉寺城)のある嶽山...

  16. 太平記を歩く。 その24 「嶽山城(龍泉寺城)跡」 大阪府富田林市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その24 「嶽山城(龍泉寺城)跡」 大...

    烏帽子形城から北西に4kmほどのところにある嶽山城跡にやってきました。ここは、富田林市にある標高278mの嶽山山頂にあり、その中腹に龍泉寺があることから、龍泉寺城とも呼ばれています。ここも、元弘2年(1332年)に楠木正成が築いたとされる楠木七城のひとつに数えられます。 嶽山山頂へは車で登れます。現在、山頂には「かんぽの宿富田林」があり、城の遺構らしきものはほとんど残っていません。 かんぽの...

  17. 太平記を歩く。 その23 「烏帽子形城跡」 大阪府河内長野市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その23 「烏帽子形城跡」 大阪府河内長野市

    千早赤阪村の隣、河内長野市にある烏帽子形城跡にやってきました。ここは、元弘2年(1332年)に楠木正成が上赤坂城の支城として築城したといわれ、楠木七城のひとつとされています。 烏帽子形城跡は国の史跡に指定されており、城跡公園として整備されています。 城跡は標高182mの烏帽子形山の山頂にあり、北と西は断崖でその足元には石川、東側は河岸段丘が広がり天見川に落ち込んでいます。したがって、東西北の...

  18. 太平記を歩く。 その17 「金剛山(國見城跡)・後編」 大阪府南河内郡千早赤阪村・奈良県御所市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その17 「金剛山(國見城跡)・後編」...

    金剛山後編です。葛木神社境内の西側の参道に、「宝剣塔」という名称の宝篋印塔があります。 これは、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)とその第2皇子・大塔宮護良親王の追善供養のために建てられたもので、足利時代のものだそうです。 足利の誰の時代でしょうね? 後醍醐天皇も大塔宮も、最期は足利尊氏と敵対する立場で死んでいきますから、政敵からの追善供養ということですね。まあ、尊氏はほかにも京の嵐山...

  19. 太平記を歩く。 その15 「千早城跡」 大阪府南河内郡千早赤阪村 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その15 「千早城跡」 大阪府南河内郡...

    上赤坂城跡から直線距離にして5kmほど南東にある、千早城跡を訪れました。数ある楠木正成の築いた城のなかで、たぶん、ここがいちばん有名なんじゃないでしょうか? 『太平記』によると、わずか1000人足らずで幕府軍100万と対峙した城として伝えられます。その兵数の真偽は別にしても、大軍に攻められながらも落城しなかった城として、後世に伝説的な存在となります。現在、日本100名城のひとつにも数えられて...

  20. 太平記を歩く。 その14 「上赤坂城跡」 大阪府南河内郡千早赤阪村 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その14 「上赤坂城跡」 大阪府南河内...

    隠岐に流された後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)でしたが、それでも意気消沈することなく、隠岐から全国の反北条派の武士たちに檄を飛ばし、鎌倉幕府倒幕を呼びかけます。そんななか、元弘2年(1332年)11月、後醍醐天皇の皇子・大塔宮護良親王が吉野で挙兵。それに呼応するかたちで12月、楠木正成も挙兵します。 再挙兵した楠木正成は下赤坂城を奪回しますが、再び下赤坂城が落城すると、新たに築いた上...

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