城跡のタグまとめ (32件)

城跡のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには城跡に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。
by 坂の上のサインボード

神戸市灘区の山の手にある国立神戸大学のキャンパスが、赤松則村(円心)の建てた「赤松城」だったという伝承があります。 『太平記』によると、円心は大塔宮護良親王の令旨を持って都から帰った子・赤松則祐の勧めで、一族に奮起を促し、「当国赤松城に馳せ参ぜしむべし」と伝えたといわれますが、その赤松城というのが、ここ神戸大学の敷地だったとの説です。 明治41年(1908年)の発掘調査で遺構や石垣跡が発見さ...

by 坂の上のサインボード

神戸市に横たわる六甲山脈のなかで、六甲山の次に標高の高い摩耶山上に、かつて摩耶山城がありました。ここは、元弘3年(1333年)に播磨国の守護大名、赤松則村(円心)によって築かれた城です。 城跡には徒歩でも登れますが、登山に慣れないわたしは摩耶ケーブルで登ります。 摩耶ケーブルの終点「虹の駅」のある一帯が東の曲輪群だそうです。虹の駅からの眺望。神戸港から大阪湾が一望できます。空気が澄んでいたら...

by 坂の上のサインボード

大阪府堺市にある陶器城跡を訪れました。ここは現在、「東陶器公園」という児童公園になっています。 公園奥にフォンスに囲まれた森のような一角があります。ここに案内板が設置され、高さ2mほどの土塁跡が保存されています。 フェンス越しの写真じゃわかりづらいですね。直に見ると、結構立派な土塁です。 案内板です。その説明によると、陶器城は鎌倉時代の終わり頃、北条氏の家臣・陶器左衛門尉の居城だったそうです...

by 坂の上のサインボード

奈良県葛城市と大阪府南河内郡太子町にまたがる二上山の山頂にあったと伝わる二上山城跡を訪れました。旧令制国名でいえば大和国と河内国の国境にあたり、元弘2年(1332年)に楠木正成が築いたとされる楠木七城のひとつとする説がありますが、確証はありません。金剛山地北部に位置し、北方の雄岳(517m)と南方の雌岳(474m)の2つの山頂がラクダのコブのように並ぶ山で、現在は金剛生駒紀泉国定公園の区域に...

by 坂の上のサインボード

前稿で紹介した持尾城跡から直線距離にして1.5kmほど北上したところに、平石城があります。平石と書いて「ひらいわ」と読みます。ここも、楠木家ゆかりの城跡です。 写真中央に見える小高い山の頂きに城跡があります。稲穂がきれいですね。 集落のいたるところに案内板が設置されていますので、迷うことはありません。 民家の間を抜けて入山します。 山頂に近づくにつれ、土塁跡や堀切跡などの遺構に目を奪われます...

by 坂の上のサインボード

前稿で紹介した嶽山城(龍泉寺城)から千早赤阪村を挟んで6kmほど北西にある、持尾城跡を訪れました。ここも、元弘2年(1332年)に楠木正成が築いたと伝えられる城です。 持尾地区は道が狭く車を停める場所がないと聞いたので、途中で車を置いて歩きます。 こんな誘導サインがあるので、すぐにわかります。 ここから西側の眺望です。右に見えるのが某教団の平和の塔、左に見えるのが嶽山城(龍泉寺城)のある嶽山...

by 坂の上のサインボード

烏帽子形城から北西に4kmほどのところにある嶽山城跡にやってきました。ここは、富田林市にある標高278mの嶽山山頂にあり、その中腹に龍泉寺があることから、龍泉寺城とも呼ばれています。ここも、元弘2年(1332年)に楠木正成が築いたとされる楠木七城のひとつに数えられます。 嶽山山頂へは車で登れます。現在、山頂には「かんぽの宿富田林」があり、城の遺構らしきものはほとんど残っていません。 かんぽの...

by 坂の上のサインボード

千早赤阪村の隣、河内長野市にある烏帽子形城跡にやってきました。ここは、元弘2年(1332年)に楠木正成が上赤坂城の支城として築城したといわれ、楠木七城のひとつとされています。 烏帽子形城跡は国の史跡に指定されており、城跡公園として整備されています。 城跡は標高182mの烏帽子形山の山頂にあり、北と西は断崖でその足元には石川、東側は河岸段丘が広がり天見川に落ち込んでいます。したがって、東西北の...

by 坂の上のサインボード

金剛山後編です。葛木神社境内の西側の参道に、「宝剣塔」という名称の宝篋印塔があります。 これは、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)とその第2皇子・大塔宮護良親王の追善供養のために建てられたもので、足利時代のものだそうです。 足利の誰の時代でしょうね? 後醍醐天皇も大塔宮も、最期は足利尊氏と敵対する立場で死んでいきますから、政敵からの追善供養ということですね。まあ、尊氏はほかにも京の嵐山...

by 坂の上のサインボード

上赤坂城跡から直線距離にして5kmほど南東にある、千早城跡を訪れました。数ある楠木正成の築いた城のなかで、たぶん、ここがいちばん有名なんじゃないでしょうか? 『太平記』によると、わずか1000人足らずで幕府軍100万と対峙した城として伝えられます。その兵数の真偽は別にしても、大軍に攻められながらも落城しなかった城として、後世に伝説的な存在となります。現在、日本100名城のひとつにも数えられて...

by 坂の上のサインボード

隠岐に流された後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)でしたが、それでも意気消沈することなく、隠岐から全国の反北条派の武士たちに檄を飛ばし、鎌倉幕府倒幕を呼びかけます。そんななか、元弘2年(1332年)11月、後醍醐天皇の皇子・大塔宮護良親王が吉野で挙兵。それに呼応するかたちで12月、楠木正成も挙兵します。 再挙兵した楠木正成は下赤坂城を奪回しますが、再び下赤坂城が落城すると、新たに築いた上...

by 963-7837

17:00を過ぎるとスタッフの方々が、ろうそくに火を灯し始めました。 ろうそくの灯って、雪の白さと対照的に映えて見えますね。

by 坂の上のサインボード

大阪府は南河内郡の千早赤阪村にある、下赤坂城跡にやってきました。元弘元年(1331年)、倒幕計画が発覚した後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)が逃亡先の笠置山で挙兵した際、楠木正成がこれに呼応してこの地で挙兵したと伝えられます。 別名「赤阪城」とも呼ばれる下赤坂城は(“阪”と“坂”の違いに注意)、城跡としての遺構は残っていませんが、現在、想定される千早赤坂村立中学校の丘の上に、石柱が建て...

by 963-7837

福島県立博物館を出て改めて鶴ヶ城に戻り、天守に登ってみました。 何周か廻って風景を撮影しました。もしかすると夕日が見えるかも?なんて期待したのですが、雪が舞っていたので無理だと気付き失意の中天守を後にしました。

by 963-7837

ラーメンを食べると直ぐに鶴ヶ城を撮影する為に徒歩で移動しました。 傘をさしながら鶴ヶ城全体を撮影できる場所をいうろうろしてみました。雪が降る中、白黒の世界から朱色の橋を見つけるとホッとしますね。

by 963-7837

このシリーズのラストです。 山形と言えば(多分)山形城跡ですよね?東大手門から入って、最上義光の騎馬像を撮影して公園内を暫くウロウロしてみました。

by 坂の上のサインボード

前編、中編の続きです。頂上近くまで登った東側に、「ゆるぎ石」と名付けられた石があります。 この場所は、元弘元年(1331年)9月に起きた「元弘の乱」における笠置山の戦いにおいて、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)が鎌倉幕府軍から奇襲を受けた場所だそうで、この「ゆるぎ石」は、奇襲に備えるための武器としてここに運ばれて来た石で、ここから石を落とす手筈だったようです。 ところが、奇襲が雨の降...

by 黒猫瓦版

少し寒さが和らぎました。気持ち良さそうに眠る猫。右眉あたりに変なヒゲがあります。このヒゲで耳を刺激して耳をピクピクさせています(*_*)湯たんぽはいいね~^^昨日のウォーキングで、探索失敗の城跡が見つかりました^^;ジャ~~~~~~ン!ここです!これだけです前回は「名誉医学博士奥田光記念館」(全くもって存じ上げません)に気を取られて素通りしたようです。その庭の一角に埋もれていました^^;「目...

by 坂の上のサインボード

津山城シリーズ最終稿です。本丸西側には、天守台石垣がそのままのかたちで残っています。残念ながら明治初期の廃城令によって天守は取り壊されていますが、かつてここに五層の立派な天守がありました。 津山城の天守は地上5階建で、破風を持たない質実な造りだったそうです。城の造りはその築城主の人間性を表しているようにも思いますので、森忠政という人は、きっと生真面目な人物だったのでしょうね。高さは天守台石垣...

by 坂の上のサインボード

60棟以上あったとされる津山城の櫓のなかで、現在ひとつだけ復元されているのが、本丸から南へ張り出した石垣上に建てられた「備中櫓」です。 高さ約13m、幅約24m、奥行き約8mで、延べ面積は約288㎡という津山城の櫓の中でも最大級の規模を誇り、その立地などから考えて、天守に次いで重要な櫓であり、象徴性の高い建物だったと考えられます。 津山城は美作国の城なのに、なんで“備中”櫓なんだ?・・・とい...

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