墓所のタグまとめ

墓所」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには墓所に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「墓所」タグの記事(7)

  1. 太平記を歩く。 その57 「三人五輪」 鳥取県西伯郡大山町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その57 「三人五輪」 鳥取県西伯郡大山町

    前稿で紹介した名和一族郎党の墓とは別に、ここ大山町名和地区には名和氏ゆかりのものと伝わる五輪塔があります。 それが、これ。「三人五輪」と呼ばれる大型の五輪塔3基で、名和長年、その長男の名和義高、三男の名和高光の首塚といわれています。 後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)を護衛して上洛した名和長年は、北条幕府滅亡後に天皇が開始した「建武の新政」において天皇近侍の武士となり、記録所や武者所、...

  2. 太平記を歩く。 その56 「名和一族郎党の墓」 鳥取県西伯郡大山町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その56 「名和一族郎党の墓」 鳥取県...

    前稿で紹介した長綱寺の裏山に、名和一族郎党の墓と伝わる300基以上の五輪塔があります。墓所への参道は、境内に誘導板が設置されているので、すぐにわかります。 急な階段を登ります。 ここが、その場所です。 この五輪塔群は、名和長年が船上山で幕府軍と戦ったときに戦死した一族を祀ったものか、あるいは、そのとき館に残った一族の女性や子どもたちの墓とも伝えられています。 後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初...

  3. 太平記を歩く。 その45 「北畠具行の墓」 滋賀県米原市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その45 「北畠具行の墓」 滋賀県米原市

    清瀧寺徳源院から少し南の丸山という標高285mの山頂に、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)の重臣・北畠具行の墓があります。 標高285mといっても、近くまで車でいけますので、徒歩での登山は5分ほど。墓所までの参道も整備されていて、迷うこともありません。 しばらく登ると「元弘忠臣北畠具行卿」と刻まれた石碑があります。この横の道を登ると、墓所です。 この日は、雨の降るなか傘をさしての参拝で...

  4. 太平記を歩く。 その44 「佐々木道誉墓所(清瀧寺徳源院・京極家墓所)」 滋賀県米原市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その44 「佐々木道誉墓所(清瀧寺徳源...

    前稿で紹介した道誉桜のある清瀧寺徳源院は、佐々木道誉(高氏)の一族・京極家の菩提寺となっており、歴代の京極家当主の墓所があります。京極氏は佐々木氏の分家で、道誉はその嫡流でもあることから、京極道誉とも呼ばれます。道誉の墓は「その41」で紹介した勝楽寺にありますが、ここ京極家墓所にも、一族と共に祀られています。 鎌倉中期に近江を領していた佐々木氏が、六角氏、京極氏、高島氏、大原氏に分かれ、本家...

  5. 太平記を歩く。 その41 「佐々木道誉墓所(勝楽寺)」 滋賀県犬上郡甲良町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その41 「佐々木道誉墓所(勝楽寺)」...

    前稿で佐々木道誉の名が出てきましたので、ここで少し時系列を離れて、滋賀県にある道誉関連の史跡をめぐります。まずは、犬上郡甲良町の勝楽寺にある、佐々木道誉の墓です。 勝楽寺のある集落の地名は滋賀県甲良町正楽寺といいます。たぶん、元は勝楽寺の名称にあるのでしょうね。名神高速の高架を潜って集落に入ると、いきなり「ようこそ道誉の郷・正楽寺へ」という看板が迎えてくれます。 その向かいには、「道誉の郷」...

  6. 太平記を歩く。 その40 「北条仲時以下432名墓所(蓮華寺)」 滋賀県米原市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その40 「北条仲時以下432名墓所(...

    滋賀県米原市番場にある蓮華寺を訪れました。ここは、足利高氏(尊氏)軍の攻撃を受けて落ち延びた六波羅探題北方の北条仲時が、進退窮まり、一族432人と共に自刃した場所と伝えられます。 蓮華寺は名神高速米原ICを降りてすぐのところにあります。このあたりは、かつて中山道の62番目の宿場、番場宿として栄えたところです。道沿いに、「南北朝の古戦場・蓮華寺」と書かれた誘導看板が見え、その横に「境内在故六波...

  7. 太平記を歩く。 その22 「寄手塚・身方塚」 大阪府南河内郡千早赤阪村 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その22 「寄手塚・身方塚」 大阪府南...

    千早赤阪村森屋地区の丘陵地にある墓地のなかに、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)の建武の新政の成立後、楠木正成が元弘元~3年(1331~1333年)に起きた千早・赤阪の戦いでの戦死者を弔うために建立したと伝えられる五輪塔が2基あります。そのひとつは、味方の霊を弔った「身方塚」、そしてもうひとつは、敵の戦死者を弔った五輪塔で、「寄手塚」と呼びます。 上の写真は「身方塚」です。 総高137...

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