天智天皇のタグまとめ (7件)

天智天皇のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには天智天皇に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。
by 地図を楽しむ・古代史の謎

天智天皇も寺を建てていた扶桑略記によると崇福寺は668年建立です写真は崇福寺です。下の写真は、大津市歴史博物館の売店で買った「かわら」から撮りました。天智天皇はこんな山の中に寺を建てたのですね。持統天皇の御代に、山寺として万葉集にも出ています。崇福寺は尾根の上に寺院があり、深い谷が間にあります。万葉集巻二の115は、但馬皇女の歌です。但馬皇女は天武天皇と藤原鎌足の娘(氷上娘)との間に生れまし...

by 地図を楽しむ・古代史の謎

柿本朝臣人麻呂、近江京を詠む人麻呂は持統天皇にすべてを捧げて尽くした官人でした。公の儀式の場で歌を詠み、皇族の葬儀でも挽歌を詠んでいます。人麻呂が近江京を感傷する歌を詠んだのは、持統天皇の御代でした。持統天皇はこの歌をどんな思いで、どんな顔をして聞いたのでしょう。微笑んだのか、涙を流したのか、知りたいものです。人麻呂が荒れた近江京を感傷する歌を詠んだのは、持統天皇の御代です。万葉集巻一「藤原...

by 地図を楽しむ・古代史の謎

180天智天皇と藤原鎌足 天智天皇より異例の厚遇を受けた藤原鎌足それは、何故でしょう。鎌足は天智天皇の腹心の部下でした。内臣(うちつおみ)鎌足の病気と死に対して、見舞った天智天皇は恩詔を与えました。天智八年(669)十月十日、天皇は藤原内臣の家に病気を見舞う同年 十月十五日、東宮大皇弟を遣わし、大織冠と大臣と藤原姓を賜う同年 十月十六日、藤原内大臣が薨去した同年 十月十九日、天皇が内大臣の家...

by 地図を楽しむ・古代史の謎

169額田王の恋歌と素顔額田王は恋多き女性だったのでしょうか。美女だったようですが。万葉集にも額田王の恋の歌はあります。巻四と巻八に。額田王、近江天皇を思いて作る歌一首488 君待つと吾が恋おれば我がやどの簾動かし秋の風吹く*巻八1606は、巻四488と同じ題詞で同じ歌あなたが何時お出でになるかと待っていると、わたしが恋しく思っているからでしょうか、わたしの館の簾を動かして秋風が吹いてきまし...

by 地図を楽しむ・古代史の謎

168・額田王は天智帝を愛し続けた112 古(いにしえ)に恋ふる鳥かも霍公(ほととぎ)鳥(す)けだしや鳴きし吾が念(もえ)るごと過ぎた昔を懐かしむ鳥は、それは霍公鳥でしょう。霍公鳥は蜀魂とも云われていて、亡き皇帝の魂が鳥となった姿だそうですよ。あなたが見たその鳥は不如帰です。きっと私が昔のことを懐かしく思うように、懐かしそうな声でその鳥も鳴いたことでしょうね。 額田王は、王朝が変わっても、幾...

by 地図を楽しむ・古代史の謎

167・持統天皇の孫・文武天皇の仕事文武天皇は15歳で即位しました。夫人は藤原宮子(不比等の娘)です。文武天皇は若い天皇でしたから、持統天皇が太上天皇として全面的にバックアップしたのです。ですから,文武天皇の仕事には、持統太上天皇の意思が入り込んでいるのです。その中に、おや? と思う仕事があります。文武三年(699)の山田寺に封三百戸それに、越智(斉明天皇陵)と山科(天智天皇陵)の造営です。...

by 地図を楽しむ・古代史の謎

163・持統天皇の最後の願い・火葬と合葬墓 大宝2年十二月二十二日、持統天皇崩御 「続日本紀」文武天皇、大宝二年十二月条に、太上天皇、崩(かむあが)りましぬ。遺詔(いせう)したたまはく「素服(そふく)、挙哀(こあい)することなかれ。内外の文武の官(つかさ)の釐(り)務(む)は常のごとくせよ。喪葬のことは、努めて倹約に従へ」とのたまふ。 持統天皇の火葬・天武陵への合葬持統天皇の最後の願いは火葬...

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