奥州街道のタグまとめ

奥州街道」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには奥州街道に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「奥州街道」タグの記事(28)

  1. 奥州街道:八丁目宿「眼鏡橋」のある風景⑤ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    奥州街道:八丁目宿「眼鏡橋」のある風景⑤

     案内板の解説では、この松川橋も県令三島通庸氏の仕事だとしながら、戸長の任にあった杉内省三郎氏が300円の寄付をしたこと、又、村では人夫780人を寄付したことが解説されている。 しかし、「松川のあゆみ」でその経過を確認すると、架設の運びになるのは、信夫橋架設着工を好機ととらえた戸長杉内省三郎氏が、日夜当局と交渉を重ねた結果、その熱意が通じて許可がおりたという事のようだ。 建設のための地盤調査...

  2. 奥州街道:八丁目宿「眼鏡橋」のある風景④ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    奥州街道:八丁目宿「眼鏡橋」のある風景④

     橋の欄干に刻まれる工事関係者の代表は、田村郡三春町の「松本亀吉」氏だが、案内板では、主として川俣町の石工「布野」氏の視点から解説される。 この方は、明治18年7月に完成した「十三眼鏡橋」とも称された第2代目の信夫橋工事にもかかわっていたことが記される。 橋に刻まれた田村郡三春町の「松本亀吉」氏は、今のところ確認はできていない。 「八丁目家主一欄」の中町に「石工 亀吉」が記されるが、この方と...

  3. 奥州街道:八丁目宿「眼鏡橋」のある風景③ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    奥州街道:八丁目宿「眼鏡橋」のある風景③

     今回は橋そのものをじっくりと見てはいなかった。今回得た情報を次の機会にいかすための整理だ。 「奥州街道:境川から八丁目村へ⑦」で整理した案内板の説明と「松川のあゆみ」の情報を重ねて眺め、今回の散策で撮った写真を使って整理しておく。 案内板の説明では、西光寺住職平林宥京の書による松川橋の銘と工事関係者名が橋に刻まれているとのことだ。 これは、今回南側から撮った橋の写真から右側(南東側)の欄干...

  4. 奥州街道:八丁目宿「眼鏡橋」のある風景③ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    奥州街道:八丁目宿「眼鏡橋」のある風景③

     八丁目天神様に安置されていた十一面観音が、明治4年の明治政府の神仏分離令対応で西光寺に遷されたことのかかわりで、「大般若堂」については「奥州街道:八丁目天満宮情報から②」で整理している。 その記事に張り付けたのは今回の散策時に撮った写真だが、震災対応で平成24年に屋根や外壁を改修しているとのことだった。 こちらは2009/7/27に散策した時に撮った写真。 見ただけで違いが分かるのは、屋根...

  5. 奥州街道:八丁目宿「眼鏡橋」のある風景② - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    奥州街道:八丁目宿「眼鏡橋」のある風景②

     先に「奥州街道:境川から八丁目村へ⑧」で「新堰改修碑」にふれたが、この改修が決まるのが昭和18年で、この改修碑が建てられるのが昭和20年ということで、この川筋は、まだ水原川の本流であった時代だという事のようだ。 碑文を再掲する。 「新堰改修碑」 新堰ハ水原川下流ヲ横断スル處松川橋ヲ架 シ四季清流ヲ止メ西光寺河原ノ一風致タリ防火用 水トシテ亦頗(すこぶ)ル重要ナリシカ土俵止ニシテ年々水 害ニ...

  6. 奥州街道:八丁目宿「眼鏡橋」のある風景 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    奥州街道:八丁目宿「眼鏡橋」のある風景

     「うつくしま土木建築歴史発見」には、県内の代表的な石橋として5つの橋が紹介される。 その中の「飯野八幡宮参道橋」はいわき市であり「神橋」は白河市であるが、松川橋と旧秡川橋の2つは福島市の石橋だ。また、県北地域ということなら川俣町の旧壁沢眼鏡橋を含めて3つの石橋が紹介される。 この川俣町の旧壁沢眼鏡橋の橋は、信夫橋と松川橋の眼鏡橋を手掛けた石工さんが、その記念として造られたとのことなので、福...

  7. 奥州街道:八丁目宿「ハンドメ」にかかわる情報② - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    奥州街道:八丁目宿「ハンドメ」にかかわる情報②

     「奥州街道:『ハンドメ』にかかわる情報」の題では分かりづらいので、「八丁目宿」の「ハンドメ」について確認していることが分かるように題を修正した。 前回は、「ハンドメ」の意味が治安維持をになう番所であるらしいことが分かったのだが、二本松側から眺めていると、いわゆる「口留番屋」とのかかわりが気になってしまう。 しかし、「八丁目家主一覧」図に描かれる時代のこの宿は二本松藩領である。「口留番屋」は...

  8. 奥州街道:八丁目宿「ハンドメ」にかかわる情報 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    奥州街道:八丁目宿「ハンドメ」にかかわる情報

     直接的に「ハンドメ」について説明しているわけではないが、松川・宿場町まちづくり協議会会長の菅野善志氏が、旧本陣櫻内家について解説する中に、その機能が推測できる説明があった。 この写真は今回の散策ではなくて、2009/7/27に撮ったものだが、この現ガソリンスタンドを経営する櫻内家が本陣をつとめていたとのことで、案内柱も建っている。 この櫻内家には、誰が休泊していたのかを知らせる木製の関札や...

  9. 奥州街道:八丁目天満宮情報から⑩ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    奥州街道:八丁目天満宮情報から⑩

     八丁目天満宮に直接かかわる情報ではないが、知っていれば結構楽しめるという情報の二つ目が、古い方の石灯篭が赤滝石らしいとの情報。 「としぼーのブログ」の「八丁目天満宮赤滝石」からの情報だが、この赤滝石については、このブログで知った。 赤滝石は梁川町で産出される地域限定の石材とのことだ。掘って直ぐは赤色をしているのだそうだが、風化によって様々な色調に変色するのだそうだ。 https://blo...

  10. 奥州街道:八丁目天満宮情報から⑨ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    奥州街道:八丁目天満宮情報から⑨

     これから整理するのは、八丁目天満宮に直接かかわる情報という事ではない。散歩の中で、知っていれば結構楽しめるという情報の一つだ。 その一つが、几号水準点。 街道筋を散策するのに基本的にお世話になっている「街道Web」によると、天満宮の鳥居の右側の根元にその几号があるということだった。 震災後、壊れて取り払われてしまったものもあるとのことだが、確認するとここは健在だった。 几号水準点についての...

  11. 奥州街道:八丁目天満宮情報から⑧ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    奥州街道:八丁目天満宮情報から⑧

     今回の散策では、八丁目天満宮側の街道筋に、民家二軒が並び、その次に八丁目村検断名主兼帯渡辺権左衛門のお屋敷が並ぶのだが、その斜め向かい側に「ハンドメ」の位置を想定して歩いている。 それは、「八丁目家主一覧」図を参考にして歩いているからだ。 この「八丁目家主一覧」図に描かれるのは、二本松藩が支配する体制になってからの宿の様子なのだ。 一方、半沢氏の「歴史地図」では、その「ハンドメ」を、境川か...

  12. 奥州街道:八丁目天満宮情報から⑦ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    奥州街道:八丁目天満宮情報から⑦

     前回の松川鉱山に係るこの辺りの散策で「社掌渡邉伊佐美碑」を見つけている。 そのことは「散策覚書「松川鉱山仲ノ内の変電所」跡⑧」で整理している。 http://kazenoshin.exblog.jp/23815576/ この時には、この渡邉伊佐美氏が八丁目天満宮の「社掌」で、その一切の社務を司っている方なのだろうとの想像だった。そして、この方が兼務で松川鉱山にかかわる山神社の社務を司ってい...

  13. 奥州街道:八丁目天満宮情報から⑥ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    奥州街道:八丁目天満宮情報から⑥

     明治政府の神仏分離令以前の本来的な天神信仰である神仏混淆時代の影が残る八丁目天満宮だが、受けた命令通り本地仏を廃し、鰐口を外して鈴が下げられたようだ。 直接的な解説はみないが、いろいろな情報を組み合わせてみると、「八丁目天満宮」と改称した天神様に神仏分離令以降かかわるのは多宝院のようだ。 元々この八丁目天神にもかかわっていて、明治政府の神仏分離令を受けて、僧から神主に軸足を切り替えたという...

  14. 奥州街道:八丁目天満宮情報から⑤ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    奥州街道:八丁目天満宮情報から⑤

     前回まで、この神社と「忍幢律師」とのかかわりを確かめてきた。 このことは、明治政府の神仏分離令によって改変された神社が普通に見える現代では、奇異な感じもする。それで、案内板ではこの事にはふれないのだろうと思う。 ただ、この神社が神仏混淆時代を色濃く残す神社であるという特色は解説したいという事で、拝殿の花頭窓とか、石灯籠に別当「西光寺」が刻まれるといった形式的なことからの説明を試みているのだ...

  15. 奥州街道:八丁目天満宮情報から④ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    奥州街道:八丁目天満宮情報から④

     「松川のあゆみ」の「忍幢律師」情報は更に詳しい。  まずは、以下のような「忍幢律師」そのものの情報。 「(忍幢律師は、)八丁目に生まれ、安政7年奥州福島城西真浄院に病み没する」とのこと。 次に、「信達二郡村誌」に社前に飛梅と称する古木に関する情報。 同誌では「古府菅祠の飛梅を乞い分ちて安永年間(1772~1781)植える所なり」とあったが、忍幢律師はこの飛梅の分木を頂くのに、大宰府に行って...

  16. 奥州街道:八丁目天満宮情報から③ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    奥州街道:八丁目天満宮情報から③

     案内板の解説にはないのだが、この八丁目の天神信仰に大きくかかわっていらっしゃると思われる方がいらっしゃる。 その方は「忍幢律師」とおっしゃる方で、「信達二郡村誌」によれば、「師は本村の産にして大和国奏楽寺に住し 此神を尊信する他に異なり」という方のようだ。 社前に飛梅と称する古木は、「(この忍幢律師が、)古府菅祠の飛梅を乞い分ちて安永年間(1772~1781)植える所なり」と紹介する。 「...

  17. 奥州街道:八丁目天満宮情報から② - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    奥州街道:八丁目天満宮情報から②

     案内板の解説から、八丁目天満宮は地域では天神様と愛称されていたとのことだが、明治4年の明治政府の神仏分離令対応の際に八丁目天満宮と改称されたことが分かる。また、この時に、天神様に下げられていた鰐口を取り払い鈴が下げられ、安置されていた十一面観音は西光寺に遷されたということも分かる。 その西光寺に遷された十一面観音について、「松川のあゆみ」では、昭和になってからは本堂に安置されているようだが...

  18. 奥州街道:八丁目天満宮情報から - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    奥州街道:八丁目天満宮情報から

     「奥州街道」八丁目宿の南端である境川から八丁目村を中心に天明根村あたりまでを概観したところだ。 その八丁目村南端には標柱に仰々しく「奥洲」を冠に掲げた「八丁目天満宮」が建つが、その天満宮にかかわる情報を拾い集めてみる。 まずは、その天満宮境内の案内板の解説。 「八丁目天満宮」 天神様の呼称で親しまれている。古くは八丁目村と天明根村の鎮守社。明治4年の神仏分離の際、現社名に改称。ご祭神は学問...

  19. 奥州街道:八丁目村から天明根村辺り② - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    奥州街道:八丁目村から天明根村辺り②

     めがね橋から天明根村から鼓岡村の中町にかけての風景だ。 「八丁目家主一覧」によれば、この街道の中央に牛馬の脚洗い用水が通っていたとのことだ。その図をみると、その用水路がめがね橋の右側に延びているようだ。その先で水原川への排水を想像する。 この写真に大きな薬局が写るが、その向かい側辺りに明治45年創立の「松川座」を勝手に想像してみている。 大正13年創立で昭和37年まで続いていたという芝居小...

  20. 奥州街道:八丁目村から天明根村辺り - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    奥州街道:八丁目村から天明根村辺り

     川の中から天明根集会所辺りまでが、「八丁目家主一覧」がいう「天明根名主川岸屋佐平」宅あたりかなと想像する。半沢氏の「歴史地図」では、「天明根村名主検断遠藤佐平(川岸屋)」とされるお宅だ。 西光寺と接する南端は、現在水原川本流になっている川中であることの想像は容易だ。「川岸屋」は、西光寺の南側を流れる川筋とのかかわりなのだろうとも思う。 そこからどこまでの範囲を想像するかが曖昧なところだ。 ...

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