後醍醐天皇のタグまとめ

後醍醐天皇」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには後醍醐天皇に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「後醍醐天皇」タグの記事(17)

  1. 現代版「後醍醐天皇」 安倍、メイ、トランプの「勘違い」 - 広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)

    現代版「後醍醐天皇」 安倍、メイ、トランプの「勘違い」

    日本の安倍晋三は政権奪回から4年7ヶ月。イギリスのメイは首相就任から1年。アメリカのトランプが大統領就任から半年。奇しくも、三人が苦境に立っている。三人に共通するのは、「経済的には新自由主義だが、そこそこ多様性尊重」というイメージのポストモダン的な政治への不満の結果として「棚ぼた」的に政権に就いた面が大きいことです。安倍の場合は、2000年代の新自由主義と、2009民主党の失敗への反動として...

  2. 「現代版後醍醐天皇」としての安倍総理 - 広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)

    「現代版後醍醐天皇」としての安倍総理

    「現代版後醍醐天皇」としての安倍総理安倍総理とは、後醍醐天皇のようなものである。後醍醐天皇は、公家が築き上げてきた官僚制も、武家が鎌倉幕府※による「武家革命」以来築き上げてきたシステムも否定。※鎌倉幕府は公家から武士が権力を奪った、階級間の権力移動という革命であり、2ちゃんねるでは、鎌倉幕府=日本史上ほぼ唯一の左翼政権という見方をする人もいる。後醍醐天皇自らが行政をすべて決裁するという仕組み...

  3. 太平記を歩く。 その63 「二条富小路内裏址」 京都市中央区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その63 「二条富小路内裏址」 京都市中央区

    京に戻った後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)は、翌年の建武元年(1334年)1月より「建武の新政」を開始します。その政令が発せられたのが、京都御所の少し南にある「二条富小路内裏址」です。現在は御所南小学校第二運動場前に、石碑のみが建てられています。 「建武の新政」は「建武の中興」とも呼ばれ、武家政権から朝廷に政権を移し、関白や摂政、院政も排除し、天皇自らが政治を行うというもの。「大化の...

  4. 太平記を歩く。 その62 「澤の井」 神戸市東灘区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その62 「澤の井」 神戸市東灘区

    神戸市東灘区の阪神電鉄御影駅側の高架下に、「澤の井」と呼ばれる池があります。 説明板によると、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)に対して、この泉の水で美酒を醸しこれを献上したところ、天皇深くご嘉納あらせられたため、これを無上の栄誉とし、嘉納をもって氏族の名としたと伝えられているそうです。 説明板には「後醍醐天皇御時」とだけあって、具体的な年号が記されていませんでしたが、もし、この話が実...

  5. 太平記を歩く。 その61 「薬仙寺(後醍醐天皇御薬水)」 神戸市兵庫区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その61 「薬仙寺(後醍醐天皇御薬水)...

    同じく神戸市兵庫区にある薬仙寺を訪れました。ここには「後醍醐天皇薬水」という名の井戸跡があります。 現地説明板によると、元弘の乱によって隠岐島に流されていた後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)が、正慶2年(1333年)に島を脱出して還幸の途中、前稿で紹介した兵庫の福厳寺で病床に伏したそうです。 その際、当時の住職がここの霊水を薬水として献上したところ、たちまちにして快癒したことから、「薬...

  6. 太平記を歩く。 その60 「福厳寺(後醍醐天皇御駐蹕之處)」 神戸市兵庫区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その60 「福厳寺(後醍醐天皇御駐蹕之...

    神戸市兵庫区にある福厳寺の入口には、「後醍醐天皇御駐蹕之處」と刻まれた石碑があります。ここも、配流先の隠岐島を脱出して京に帰る帰路の後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)が立ち寄ったとされます。 後醍醐天皇は元弘3年/正慶2年(1333年)5月31日から6月2日までの間滞在し、この地で楠木正成の参向を受け、また、東国で挙兵した新田義貞によって鎌倉幕府が壊滅したという報せを受けたといいます。...

  7. 太平記を歩く。 その59 「法華山一乗寺」 兵庫県加西市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その59 「法華山一乗寺」 兵庫県加西市

    兵庫県加西市に「一乗寺」という大きな寺院があるのですが、ここも、配流先の隠岐島から帰京中の後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)が立ち寄ったと伝わる寺です。 後醍醐天皇の護持僧・文観は、東寺長者・醍醐寺座主をつとめた真言律宗の高僧ですが、もともとは、ここ一乗寺の僧だったそうです。 南北朝時代の播磨国の地誌『峰相記』によると、建武2年(1335年)に後醍醐天皇の勅を受けた文観が一乗寺を訪れ、...

  8. 太平記を歩く。 その58 「書寫山圓教寺」 兵庫県姫路市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その58 「書寫山圓教寺」 兵庫県姫路市

    兵庫県姫路にある、西の比叡山と称される天台宗の古寺「書寫山圓教寺」を訪れました。書写山は、姫路市の北部にある標高370mの山で、圓教寺はその山上にあります。 大塔宮護良親王や楠木正成、さらには播磨国の赤松則村(円心)らが各地で倒幕の兵を上げると、その機に乗じて後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)は名和長年ら名和一族を頼って隠岐島から脱出し、伯耆船上山で挙兵します。やがて六波羅陥落の知らせ...

  9. 太平記を歩く。 その55 「長綱寺(名和一族菩提寺)」 鳥取県西伯郡大山町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その55 「長綱寺(名和一族菩提寺)」...

    前稿の的石、前々稿の名和氏館跡のすぐ東側に、名和氏一族の菩提寺・長綱寺があります。この寺には、名和長年、その長男の名和義高、三男の名和高光、そして後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)の位牌が祀られてあり、寺紋は帆掛け船で後醍醐天皇から名和氏に賜ったものと言われています。 寺の創建は名和長年によるもので、元は長年の父・名和行高の還暦を祝って建てた隠居所だったそうです。長綱寺(ちょうこうじ)...

  10. 太平記を歩く。 その52 「名和神社」 鳥取県西伯郡大山町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その52 「名和神社」 鳥取県西伯郡大山町

    「その50」で紹介した御来屋漁港から800mほど南にある名和神社を訪れました。ここは、その名のとおり、名和長年を主祭神とした名和一族以下42名を合祀した神社で、「建武中興十五社」の一社です。 名和長年は言うまでもなく、隠岐の島から脱出した後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)を助け、一族郎党を率いて船上山に立て籠もり、天皇方を勝利に導いた功臣です。 入口の鳥居の横には、「別格官幣社」と刻ま...

  11. 太平記を歩く。 その51 「元弘帝御着船所」 鳥取県西伯郡大山町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その51 「元弘帝御着船所」 鳥取県西...

    前稿で紹介した御来屋漁港の「後醍醐天皇御腰掛の岩」から路地を一筋南に下ると、民家の玄関先に「元弘帝御着船所」と書かれた看板と、古い石碑があります。元弘帝とは、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)のこと。 その伝承によると、後醍醐天皇が隠岐の島から逃れて名和の湊に上陸したとき、この地の領民だった戸屋助右衛門が自分の家に天皇を迎え、鶏の塒(ねぐら)に偽装してしばらく匿ったといいます。後年、そ...

  12. 太平記を歩く。 その50 「後醍醐天皇御腰掛の岩」 鳥取県西伯郡大山町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その50 「後醍醐天皇御腰掛の岩」 鳥...

    せっかく伯耆国まで足を伸ばしたので、船上山周辺の『太平記』にまつわる史跡を巡ってみます。まずは、御来屋漁港にある「後醍醐天皇御腰掛の岩」。 元弘3年/正慶2年(1333年)閏2月、側近の千種忠顕らと共に配流先の隠岐の島を脱出した後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)は、当初、出雲国を目指すも風に流され、ここ名和の湊にたどり着き、ここで、この地で海運業を営んでいた名和長年を頼ります。 このと...

  13. 太平記を歩く。 その49 「船上山行宮跡(後編)」 鳥取県東伯郡琴浦町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その49 「船上山行宮跡(後編)」 鳥...

    前稿の続きです。標高616.5m地点に建つ「船上山行宮之碑」の丘をあとにし、「後醍醐天皇行宮跡」への誘導案内板に従ってさらに尾根道を奥に進みます。 船上山は、平安時代の初期ごろ(約1,200年前)から山岳仏教が栄え、大山、美徳(三徳)山とともに伯耆三嶺とよばれた修験道の零場だったといいます。後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)と名和長年らがこの地で挙兵した頃、この山には金石寺という寺院が...

  14. 太平記を歩く。 その48 「船上山行宮跡(前編)」 鳥取県東伯郡琴浦町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その48 「船上山行宮跡(前編)」 鳥...

    島根県の東伯郡琴浦町にある標高687mの船上山までやってきました。ここは、配流先の隠岐の島から脱出した後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)が、挙兵したとして知られています。 大塔宮護良親王や楠木正成、さらには播磨国の赤松則村(円心)らが各地で倒幕の兵を上げると、その機に乗じて後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)は伯耆国名和にて海運業を営んでいたとされる名和氏を頼って名和の湊にたどり着...

  15. 雲居の桜 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    雲居の桜

    ここにても雲居の桜咲きにけり後醍醐天皇は吉野に逃れても決して都を忘れることはありませんでした。ある日、雲居の桜という名の桜を献上された時、都を思い出して詠まれた御製歌と以前聞いたことがあります。こんな吉野の山の中でも、雲居の桜が咲いた。雲居とは「遠く離れた所」「宮中や皇居」「皇居のある都」のことを云いました。「雲居の桜」と聞いて、都が思い出されていよいよ都への思いが強くなったことでしょうね。...

  16. 花の吉野の別れ歌 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    花の吉野の別れ歌

    花の吉野の別れ歌今年四月十二日、吉野山は中千本が満開でした。吉野と云えば、後醍醐天皇の所縁の地でもあります。桜に見とれながら如意輪寺を訊ねました。桜に埋もれた宝塔も見事でしたね。数年前に来た時もほんとうにきれいでしたが、今年も何処も素晴らしかったです。帰りのシャトルバスで出会ったお嬢さん、義経に惹かれて吉野に来られたようでした。短い間におしゃべりできてちょっと嬉しかったです。その方、後醍醐天...

  17. 太平記を歩く。 その38 「篠村八幡宮(足利高氏旗揚げの地)」 京都府亀岡市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その38 「篠村八幡宮(足利高氏旗揚げ...

    京都府亀岡市にある篠村八幡宮を訪れました。ここは、足利高氏(尊氏)が尊王討幕の旗揚げをした地として知られます。シリーズ38にして、ようやく高氏の登場です。 鎌倉幕府の役人だった足利高氏は、当初は幕府軍として笠置山の戦いや下赤坂城の戦いに従軍していましたが、そのとき、父の足利貞氏の喪中であることを理由に出兵動員を辞退しましたが、幕府はこれを許しませんでした。『太平記』では、このことで高氏は幕府...

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