後醍醐天皇のタグまとめ

後醍醐天皇」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには後醍醐天皇に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「後醍醐天皇」タグの記事(21)

  1. 太平記を歩く。 その59 「法華山一乗寺」 兵庫県加西市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その59 「法華山一乗寺」 兵庫県加西市

    兵庫県加西市に「一乗寺」という大きな寺院があるのですが、ここも、配流先の隠岐島から帰京中の後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)が立ち寄ったと伝わる寺です。 後醍醐天皇の護持僧・文観は、東寺長者・醍醐寺座主をつとめた真言律宗の高僧ですが、もともとは、ここ一乗寺の僧だったそうです。 南北朝時代の播磨国の地誌『峰相記』によると、建武2年(1335年)に後醍醐天皇の勅を受けた文観が一乗寺を訪れ、...

  2. 太平記を歩く。 その58 「書寫山圓教寺」 兵庫県姫路市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その58 「書寫山圓教寺」 兵庫県姫路市

    兵庫県姫路にある、西の比叡山と称される天台宗の古寺「書寫山圓教寺」を訪れました。書写山は、姫路市の北部にある標高370mの山で、圓教寺はその山上にあります。 大塔宮護良親王や楠木正成、さらには播磨国の赤松則村(円心)らが各地で倒幕の兵を上げると、その機に乗じて後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)は名和長年ら名和一族を頼って隠岐島から脱出し、伯耆船上山で挙兵します。やがて六波羅陥落の知らせ...

  3. 太平記を歩く。 その55 「長綱寺(名和一族菩提寺)」 鳥取県西伯郡大山町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その55 「長綱寺(名和一族菩提寺)」...

    前稿の的石、前々稿の名和氏館跡のすぐ東側に、名和氏一族の菩提寺・長綱寺があります。この寺には、名和長年、その長男の名和義高、三男の名和高光、そして後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)の位牌が祀られてあり、寺紋は帆掛け船で後醍醐天皇から名和氏に賜ったものと言われています。 寺の創建は名和長年によるもので、元は長年の父・名和行高の還暦を祝って建てた隠居所だったそうです。長綱寺(ちょうこうじ)...

  4. 太平記を歩く。 その52 「名和神社」 鳥取県西伯郡大山町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その52 「名和神社」 鳥取県西伯郡大山町

    「その50」で紹介した御来屋漁港から800mほど南にある名和神社を訪れました。ここは、その名のとおり、名和長年を主祭神とした名和一族以下42名を合祀した神社で、「建武中興十五社」の一社です。 名和長年は言うまでもなく、隠岐の島から脱出した後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)を助け、一族郎党を率いて船上山に立て籠もり、天皇方を勝利に導いた功臣です。 入口の鳥居の横には、「別格官幣社」と刻ま...

  5. 太平記を歩く。 その51 「元弘帝御着船所」 鳥取県西伯郡大山町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その51 「元弘帝御着船所」 鳥取県西...

    前稿で紹介した御来屋漁港の「後醍醐天皇御腰掛の岩」から路地を一筋南に下ると、民家の玄関先に「元弘帝御着船所」と書かれた看板と、古い石碑があります。元弘帝とは、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)のこと。 その伝承によると、後醍醐天皇が隠岐の島から逃れて名和の湊に上陸したとき、この地の領民だった戸屋助右衛門が自分の家に天皇を迎え、鶏の塒(ねぐら)に偽装してしばらく匿ったといいます。後年、そ...

  6. 太平記を歩く。 その50 「後醍醐天皇御腰掛の岩」 鳥取県西伯郡大山町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その50 「後醍醐天皇御腰掛の岩」 鳥...

    せっかく伯耆国まで足を伸ばしたので、船上山周辺の『太平記』にまつわる史跡を巡ってみます。まずは、御来屋漁港にある「後醍醐天皇御腰掛の岩」。 元弘3年/正慶2年(1333年)閏2月、側近の千種忠顕らと共に配流先の隠岐の島を脱出した後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)は、当初、出雲国を目指すも風に流され、ここ名和の湊にたどり着き、ここで、この地で海運業を営んでいた名和長年を頼ります。 このと...

  7. 太平記を歩く。 その49 「船上山行宮跡(後編)」 鳥取県東伯郡琴浦町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その49 「船上山行宮跡(後編)」 鳥...

    前稿の続きです。標高616.5m地点に建つ「船上山行宮之碑」の丘をあとにし、「後醍醐天皇行宮跡」への誘導案内板に従ってさらに尾根道を奥に進みます。 船上山は、平安時代の初期ごろ(約1,200年前)から山岳仏教が栄え、大山、美徳(三徳)山とともに伯耆三嶺とよばれた修験道の零場だったといいます。後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)と名和長年らがこの地で挙兵した頃、この山には金石寺という寺院が...

  8. 太平記を歩く。 その48 「船上山行宮跡(前編)」 鳥取県東伯郡琴浦町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その48 「船上山行宮跡(前編)」 鳥...

    島根県の東伯郡琴浦町にある標高687mの船上山までやってきました。ここは、配流先の隠岐の島から脱出した後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)が、挙兵したとして知られています。 大塔宮護良親王や楠木正成、さらには播磨国の赤松則村(円心)らが各地で倒幕の兵を上げると、その機に乗じて後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)は伯耆国名和にて海運業を営んでいたとされる名和氏を頼って名和の湊にたどり着...

  9. 雲居の桜 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    雲居の桜

    ここにても雲居の桜咲きにけり後醍醐天皇は吉野に逃れても決して都を忘れることはありませんでした。ある日、雲居の桜という名の桜を献上された時、都を思い出して詠まれた御製歌と以前聞いたことがあります。こんな吉野の山の中でも、雲居の桜が咲いた。雲居とは「遠く離れた所」「宮中や皇居」「皇居のある都」のことを云いました。「雲居の桜」と聞いて、都が思い出されていよいよ都への思いが強くなったことでしょうね。...

  10. 花の吉野の別れ歌 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    花の吉野の別れ歌

    花の吉野の別れ歌今年四月十二日、吉野山は中千本が満開でした。吉野と云えば、後醍醐天皇の所縁の地でもあります。桜に見とれながら如意輪寺を訊ねました。桜に埋もれた宝塔も見事でしたね。数年前に来た時もほんとうにきれいでしたが、今年も何処も素晴らしかったです。帰りのシャトルバスで出会ったお嬢さん、義経に惹かれて吉野に来られたようでした。短い間におしゃべりできてちょっと嬉しかったです。その方、後醍醐天...

  11. 太平記を歩く。 その38 「篠村八幡宮(足利高氏旗揚げの地)」 京都府亀岡市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その38 「篠村八幡宮(足利高氏旗揚げ...

    京都府亀岡市にある篠村八幡宮を訪れました。ここは、足利高氏(尊氏)が尊王討幕の旗揚げをした地として知られます。シリーズ38にして、ようやく高氏の登場です。 鎌倉幕府の役人だった足利高氏は、当初は幕府軍として笠置山の戦いや下赤坂城の戦いに従軍していましたが、そのとき、父の足利貞氏の喪中であることを理由に出兵動員を辞退しましたが、幕府はこれを許しませんでした。『太平記』では、このことで高氏は幕府...

  12. 太平記を歩く。 その22 「寄手塚・身方塚」 大阪府南河内郡千早赤阪村 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その22 「寄手塚・身方塚」 大阪府南...

    千早赤阪村森屋地区の丘陵地にある墓地のなかに、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)の建武の新政の成立後、楠木正成が元弘元~3年(1331~1333年)に起きた千早・赤阪の戦いでの戦死者を弔うために建立したと伝えられる五輪塔が2基あります。そのひとつは、味方の霊を弔った「身方塚」、そしてもうひとつは、敵の戦死者を弔った五輪塔で、「寄手塚」と呼びます。 上の写真は「身方塚」です。 総高137...

  13. 太平記を歩く。 その21 「建水分神社・南木神社」 大阪府南河内郡千早赤阪村 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その21 「建水分神社・南木神社」 大...

    前稿で紹介した「奉建塔」のすぐ近くにある「建水分神社」を訪れました。「たけみまくりじんじゃ」と読みます。難しい読みですね。ここは、楠木氏の氏神として崇拝された神社です。 その社伝によると、建水分神社の始まりは崇神天皇(第10代天皇)の時代に遡り、2000年以上の歴史があるとされています。祭神はその名のとおり水を司る神で、崇神天皇5年(紀元前92年)、諸国が飢饉となったとき、各地に溜池や溝を作...

  14. 太平記を歩く。 その20 「奉建塔」 大阪府南河内郡千早赤阪村 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その20 「奉建塔」 大阪府南河内郡千...

    「楠公生誕地」碑から南へ徒歩3分ほどのところに、楠公没後600年祭記念として昭和15年(1940年)に建てられた「奉建塔」があると聞き、訪れてみました。 丘の上の森の上に、白い雲に突き出るように塔の頭がのぞいているのがわかるでしょうか? 青空が美しいですね。 ここは、1~2月には約5万本のニホンスイセンが咲く「スイセンの丘」になるそうで、春には、桜の名所としても知られているそうですが、わたし...

  15. 太平記を歩く。 その17 「金剛山(國見城跡)・後編」 大阪府南河内郡千早赤阪村・奈良県御所市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その17 「金剛山(國見城跡)・後編」...

    金剛山後編です。葛木神社境内の西側の参道に、「宝剣塔」という名称の宝篋印塔があります。 これは、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)とその第2皇子・大塔宮護良親王の追善供養のために建てられたもので、足利時代のものだそうです。 足利の誰の時代でしょうね? 後醍醐天皇も大塔宮も、最期は足利尊氏と敵対する立場で死んでいきますから、政敵からの追善供養ということですね。まあ、尊氏はほかにも京の嵐山...

  16. 太平記を歩く。 その12 「院庄館跡(作楽神社)」 岡山県津山市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その12 「院庄館跡(作楽神社)」 岡...

    岡山県津山市にある作楽神社にやってきました。ここは、かつて美作国守護の館「院庄館」があった地で、元弘2年(1332年)、元弘の乱に敗れて隠岐に配流される途中の後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)が宿泊したと伝わる場所です。 ここを訪れたのは11月6日、木々が色づくいい季節だったのですが、残念ながら天気はあいにくの曇り空で、見てのとおり暗い写真ばかりです。 前稿、前々稿で紹介した船坂峠、杉...

  17. 太平記を歩く。 その11 「杉坂峠関所跡」 兵庫県佐用郡佐用町と岡山県美作市の境 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その11 「杉坂峠関所跡」 兵庫県佐用...

    兵庫県佐用郡佐用町と岡山県美作市の県境にある杉坂峠を訪れました。ここは、旧令制国における播磨国と美作国の国境にあった関所跡です。 元弘2年(1332年)、元弘の乱に敗れて隠岐に配流される途中の後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)を、備前国の武士、児島高徳が奪回すべく立ち上がり、前稿で紹介した船坂峠で待ち伏せますが、天皇護送団一行の移動ルートを見誤り、計画は失敗に終わります。その後、天皇一...

  18. 太平記を歩く。 その10 「船坂峠」 兵庫県赤穂郡上郡町梨ヶ原と岡山県備前市三石の境 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その10 「船坂峠」 兵庫県赤穂郡上郡...

    前稿の「善通寺」は、現在の住所でいえば兵庫県の東端ですが、今度はそこから100km以上西に行った兵庫県の西端、兵庫県と岡山県の県境にある「船坂峠」にやってきました。ここは、元弘2年(1332年)、元弘の乱に敗れて隠岐に配流される途中の後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)を、備前国の武士、児島高徳が奪回すべく決起した場所と伝わります。 現在、船坂峠は国道2号線にあり、峠の頂上はトンネルとな...

  19. 太平記を歩く。 その8 「布引の滝」 神戸市中央区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その8 「布引の滝」 神戸市中央区

    神戸市中央区にある「布引の滝」を訪れました。ここは元弘元年(1331年)に隠岐島に配流となった後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)が、その道中に立ち寄ったとされます。場所は、JR新幹線の新神戸駅の北側の山中にあります。 布引の滝は、日光の華厳の滝、那智勝浦の那智の滝と並んで、日本三大神滝のひとつに数えられていますが、他のふたつの滝と違って、現在は人工的に水量をコントロールされています。 ...

  20. 太平記を歩く。 その7 「雀の松原」 神戸市東灘区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その7 「雀の松原」 神戸市東灘区

    元弘元年(1331年)の笠置山の戦いに敗れた後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)は、翌年、隠岐島に配流となります。その道中、後醍醐天皇は現在の神戸を通過するのですが、そのとき、ここ「雀の松原」を通ったと伝えられます。 現在は住宅街のなかにある小さな公園に石碑のみが建てられていますが、かつてこのあたりは海岸線で、松林があったそうです。 『太平記』より更に古い『源平盛衰記』や『平家物語』にも...

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