後醍醐天皇のタグまとめ

後醍醐天皇」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには後醍醐天皇に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「後醍醐天皇」タグの記事(14)

  1. 太平記を歩く。 その129 「後醍醐天皇導之稲荷」 奈良県吉野郡吉野町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その129 「後醍醐天皇導之稲荷」 奈...

    「その127」で紹介した金峯山寺の南側入口の脇に小さなお稲荷さんがあります。 近づいてみると、「後醍醐天皇導之稲荷」と刻まれた石柱が建てられています。「導之稲荷」とはどういう意味か・・・。 説明板によると、延元元年(1336年)12月21日、足利尊氏によって幽閉されていた京の花山院を脱出した後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)は、12月28日、ここ吉野山の行宮(仮の宮)に入りますが、その...

  2. 太平記を歩く。 その126 「吉野神宮」 奈良県吉野郡吉野町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その126 「吉野神宮」 奈良県吉野郡吉野町

    桜の名所で有名な奈良県の吉野山にやってきました。といっても、訪れたのは真夏の7月のことで、桜はまったくありまぜん。桜の季節は観光客でいっぱいですからね。 『太平記』における吉野山は、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)が足利尊氏の擁立する京の北朝に対して南朝を樹立したところとして重要な場所ですが、『太平記』の描く吉野山はそれだけではなく、巻7「吉野城軍の事」、巻18「先帝吉野潜幸の事」、...

  3. 太平記を歩く。 その125 「内山永久寺跡(萱御所跡)」 奈良県天理市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その125 「内山永久寺跡(萱御所跡)...

    延元元年/建武3年(1336年)12月21日、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)は足利尊氏によって幽閉されていた花山院を抜け出し、吉野山で新たな朝廷を樹立するに至るのですが、吉野山に向かう道中、大和路の内山永久寺に一時身を隠していたと伝えられます。 内山永久寺は平安時代後期の永久2年(1114年)に鳥羽天皇(第74代天皇)の勅願により興福寺の僧・頼実が創建したと伝えられ、往時は壮麗な大...

  4. 太平記を歩く。 その124 「花山院邸跡(宗像神社)」 京都市上京区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その124 「花山院邸跡(宗像神社)」...

    京都御苑内にある宗像神社を訪れました。ここは、かつて花山院邸があった場所で、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)が、一時幽閉されていた場所です。 建武の新政が崩壊し、延元元年/建武3年(1336年)10月10日、足利尊氏に降伏した後醍醐天皇は、ここ花山院に幽閉されることになります。ここで天皇は厳しく監視され、これまで従っていた側近たちは引き離され、接触できるのは女房達だけだったといいます...

  5. 太平記を歩く。 その113 「下長谷の洞窟」 福井県南条郡南越前町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その113 「下長谷の洞窟」 福井県南...

    「その110」で紹介した金ヶ崎城跡から敦賀湾沿いに海岸線を25kmほど北上した国道305号線沿いの崖に、「下長谷の洞窟」と呼ばれる小さな洞窟があるのですが、ここは、かつて後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)の皇子・恒良親王が身を隠したという伝承があります。 延元元年/建武3年(1336年)10月13日より約半年間続いた新田義貞軍と足利方・斯波高経軍の攻防戦は、翌年の3月6日、義貞の息子・...

  6. 太平記を歩く。 その108 「名和長年殉節之地」 京都市上京区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その108 「名和長年殉節之地」 京都...

    西陣と呼ばれる京都市上京区の一角に、名和長年の終焉の地と伝わる場所があります。現在、名和児童公園としてブランコなどの遊具がある小さな公園となっていますが、その一角に、大きな石碑が残されています。 公園の入口には、石の鳥居と「名和長年公遺蹟」と刻まれた大きな石碑、そして「此附近名和長年戦死之地」と刻まれた小さな石碑があります。 石碑の裏には「昭和十四年四月建 名和會」とあります。 公園内には、...

  7. あれっ、既得権益を破る方についた者勝ち? - 元証券マンが「あれっ」と思ったこと

    あれっ、既得権益を破る方についた者勝ち?

    「日本人なら知っておきたい 皇室のしくみ」 (著/五味洋治ほか、宝島社) 以下は、掲題書(第七章「時代をつくった天皇」)からの一部抜粋。  後醍醐天皇 建武の新政  足利尊氏の武士政権と対立して南朝を打ち立てる 武家政権を倒すために、一生をかけた天皇が後醍醐天皇である。 鎌倉時代半ば、持明院統と大覚寺統が皇位の継承をめぐって争っていた。その対立を解決するため、鎌倉幕府が、皇位は両党が交代で継...

  8. 太平記を歩く。 その102 「観心寺」 大阪府河内長野市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その102 「観心寺」 大阪府河内長野市

    大阪府河内長野市にある観心寺を訪れました。ここは、観心寺は楠木正成一族の菩提寺で、正成の少年時代の学問所だったという伝承もあります。 山門横では、正成の騎馬像が迎えてくれます。神戸の湊川公園の騎馬像よりは小振りなものです。 逆光の撮影なのでわかりにくいですが、精悍な顔をしています。 観心寺の寺伝によると、大宝元年(702年) に役小角によって開かれ、当初は雲心寺と称したとされますが、天長4年...

  9. 現代版「後醍醐天皇」 安倍、メイ、トランプの「勘違い」 - 広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)

    現代版「後醍醐天皇」 安倍、メイ、トランプの「勘違い」

    日本の安倍晋三は政権奪回から4年7ヶ月。イギリスのメイは首相就任から1年。アメリカのトランプが大統領就任から半年。奇しくも、三人が苦境に立っている。三人に共通するのは、「経済的には新自由主義だが、そこそこ多様性尊重」というイメージのポストモダン的な政治への不満の結果として「棚ぼた」的に政権に就いた面が大きいことです。安倍の場合は、2000年代の新自由主義と、2009民主党の失敗への反動として...

  10. 「現代版後醍醐天皇」としての安倍総理 - 広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)

    「現代版後醍醐天皇」としての安倍総理

    「現代版後醍醐天皇」としての安倍総理安倍総理とは、後醍醐天皇のようなものである。後醍醐天皇は、公家が築き上げてきた官僚制も、武家が鎌倉幕府※による「武家革命」以来築き上げてきたシステムも否定。※鎌倉幕府は公家から武士が権力を奪った、階級間の権力移動という革命であり、2ちゃんねるでは、鎌倉幕府=日本史上ほぼ唯一の左翼政権という見方をする人もいる。後醍醐天皇自らが行政をすべて決裁するという仕組み...

  11. 太平記を歩く。 その63 「二条富小路内裏址」 京都市中央区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その63 「二条富小路内裏址」 京都市中央区

    京に戻った後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)は、翌年の建武元年(1334年)1月より「建武の新政」を開始します。その政令が発せられたのが、京都御所の少し南にある「二条富小路内裏址」です。現在は御所南小学校第二運動場前に、石碑のみが建てられています。 「建武の新政」は「建武の中興」とも呼ばれ、武家政権から朝廷に政権を移し、関白や摂政、院政も排除し、天皇自らが政治を行うというもの。「大化の...

  12. 太平記を歩く。 その62 「澤の井」 神戸市東灘区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その62 「澤の井」 神戸市東灘区

    神戸市東灘区の阪神電鉄御影駅側の高架下に、「澤の井」と呼ばれる池があります。 説明板によると、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)に対して、この泉の水で美酒を醸しこれを献上したところ、天皇深くご嘉納あらせられたため、これを無上の栄誉とし、嘉納をもって氏族の名としたと伝えられているそうです。 説明板には「後醍醐天皇御時」とだけあって、具体的な年号が記されていませんでしたが、もし、この話が実...

  13. 太平記を歩く。 その61 「薬仙寺(後醍醐天皇御薬水)」 神戸市兵庫区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その61 「薬仙寺(後醍醐天皇御薬水)...

    同じく神戸市兵庫区にある薬仙寺を訪れました。ここには「後醍醐天皇薬水」という名の井戸跡があります。 現地説明板によると、元弘の乱によって隠岐島に流されていた後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)が、正慶2年(1333年)に島を脱出して還幸の途中、前稿で紹介した兵庫の福厳寺で病床に伏したそうです。 その際、当時の住職がここの霊水を薬水として献上したところ、たちまちにして快癒したことから、「薬...

  14. 太平記を歩く。 その60 「福厳寺(後醍醐天皇御駐蹕之處)」 神戸市兵庫区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その60 「福厳寺(後醍醐天皇御駐蹕之...

    神戸市兵庫区にある福厳寺の入口には、「後醍醐天皇御駐蹕之處」と刻まれた石碑があります。ここも、配流先の隠岐島を脱出して京に帰る帰路の後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)が立ち寄ったとされます。 後醍醐天皇は元弘3年/正慶2年(1333年)5月31日から6月2日までの間滞在し、この地で楠木正成の参向を受け、また、東国で挙兵した新田義貞によって鎌倉幕府が壊滅したという報せを受けたといいます。...

1 - 14 / 総件数:14 件

似ているタグ