日ノ本学園・戦争とわたしのタグまとめ

日ノ本学園・戦争とわたし」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには日ノ本学園・戦争とわたしに関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「日ノ本学園・戦争とわたし」タグの記事(25)

  1. web版25 マックレラン先生のこと  by 山川一郎 - 海峡web版

    web版25 マックレラン先生のこと by 山川一郎

    タグ:日ノ本学園・戦争とわたし ←クリックして記事一覧をご覧ください。                1953年姫路西高に入学した時の担任の先生は熱心なクリスチャンの中村幸吉という英語のリーダーの先生だった。この先生に受け持っていただいたことから、同級生の中に沢山のクリスチャンが生まれたが、私もその一人だった。先生は当時姫路の幾つかの高校で活発な活動をしていた Hi-Y (High...

  2. web版24 貴重な写真が届きました! by 伊東香保 - 海峡web版

    web版24 貴重な写真が届きました! by 伊東香保

    タグ:日ノ本学園・戦争とわたし ←クリックして記事一覧をご覧ください。 O.F. さんとA.Aさんから貴重な写真が届きました。 1枚めは、I.A. さんが web版2 で書いておられる、あの日ノ本女学校正門横にあった奉安殿です。送り主の49回生の方々の記憶によると、1940(昭和15)年に入学したときには奉安殿はなかったそうですが、「紀元2600年を記念して築造された」旨の手書きの...

  3. web版23 父の呟き  by 久保田 幸雄 - 海峡web版

    web版23 父の呟き by 久保田 幸雄

    タグ:日ノ本学園・戦争とわたし ←クリックして記事一覧をご覧ください。時は、1941年(昭和16年)12月8日(月)、NHKラジオ放送午前7時のニュースの時間であった。国民学校3年生の私は、その数分前に目覚めたが、起きるのにはまだ早いと思いそのまま布団の中にいた。父は出勤用の陸軍将校服を着てラジオの前に立ったまま聞いていた。放送の内容は、異例の大本営陸海軍部の共同発表で「帝国陸海軍は今日8日...

  4. web版21 読者から:戦死の報を信じられず(51回生O.I様)ーに寄せて by甘理 りす - 海峡web版

    web版21 読者から:戦死の報を信じられず(51回生...

    タグ:日ノ本学園・戦争とわたし ←クリックして記事一覧をご覧ください。これがアマリリスの花です。初めまして、甘理 りす(あまりりす)です。先日来、親しい友人である紫野茜さんが、自分の投稿を読め読めとうるさく言ってくるので、海峡に遊びに行き、真っ先に日ノ本学園の戦争と私を読むことになった。日頃、茜さんが感じてることを、折に触れて聞かされている私。普通にいつも話してることをうまくコメントしてるも...

  5. web版17 読者から:僕も聞いておきたかった by I.Y. - 海峡web版

    web版17 読者から:僕も聞いておきたかった by ...

    タグ:日ノ本学園・戦争とわたし ←クリックして記事一覧をご覧ください。「戦争とわたしそして日ノ本」を送付いただきありがとうございました。私の母は大正14年生まれで明石の女学校で青春時代を過ごしており、同じ時代を共有された方の思い出が多く、興味深く読ませていただきました。母は90歳になる今も元気で、同居しているので夕食の際などに昔話をよく聞いています。13年前に亡くなった父は学徒出陣の陸軍中尉...

  6. web版22 信仰に生きた父と母 by 大塚和子(62回生) - 海峡web版

    web版22 信仰に生きた父と母 by 大塚和子(62回生)

    タグ:日ノ本学園・戦争とわたし ←クリックして記事一覧をご覧ください。はじめに同窓会から戦争の記録を集めているとの連絡を受け取ったとき、私の脳裏には70年前の記憶が、断片的ではありましたが、鮮やかに浮かんできました。この少女のリアルな記憶をそのまま Ⅰ 私の戦争の記憶 の項に書きました。また日ノ本に、ある時期それぞれに、教師としてまた学生として所属していた父と母の思い出を記録しておきたいと ...

  7. web版20 半年で家族3人を失う by F.H.(60回生) - 海峡web版

    web版20 半年で家族3人を失う by F.H.(6...

    タグ:日ノ本学園・戦争とわたし ←クリックして記事一覧をご覧ください。  最初の空襲と祖母の死1945(昭和20)年当時、私は8歳、国民学校3年生でした。川西航空機製作所近くの五軒邸で酒店をして、母と4人の姉弟で住んでおりました。3年前に37歳で父が急死したとき、母はお腹に3ヶ月の子供を宿しておりました。その後従業員も召集されて、商売が母の肩にのしかかりました。1943(昭和18)年6月に元...

  8. web版19 二度と再び戦争は嫌 by 立川淑子(52回生) - 海峡web版

    web版19 二度と再び戦争は嫌 by 立川淑子(52回生)

    タグ:日ノ本学園・戦争とわたし ←クリックして記事一覧をご覧ください。     前半の女学校生活私は日ノ本女学校52回生、1929(昭和4)年生まれで今年(2014年)84才になりました。1942(昭和17)年1年生に入学した4ヶ月前から太平洋戦争が始まりアメリカと戦っていました。初めての礼拝に、波岡三郎校長先生から聖書のお話と美しい讃美歌を聞き、素敵な学園に入学が出来た喜びで一杯でした。3...

  9. web版18 ブラジルさんと言われた頃 by 佐藤敏子(50回生) - 海峡web版

    web版18 ブラジルさんと言われた頃 by 佐藤敏子...

    タグ:日ノ本学園・戦争とわたし ←クリックして記事一覧をご覧ください。        日ノ本女学校入学私は、1944(昭和16)年4月、日ノ本女学校に入学いたしました。この年から全国の中学校や女学校の入試は、小学6年生2学期の学業成績内申書と面接、体育実技だけで合否が決定されると変更されました。有名校への受験勉強で子供達の近視眼が増加傾向にあると軍部が判断したためと伝えられています。当時、文...

  10. web版14 世界の平和を祈りつつ by N.I.(49回生) - 海峡web版

    web版14 世界の平和を祈りつつ by N.I.(4...

    タグ:日ノ本学園・戦争とわたし ←クリックして記事一覧をご覧ください。      生まれた町 私の生まれた姫路は城下町で、五軒邸とか五郎衛門邸とかの町名があり、私宅は当時大黒町で、父が小児内科医院を開いていました。向かって左は「神戸銀行」右は「帽子屋さん」で、御主人が毎日ミシンを踏んでおられました。向かい角は「おすし屋さん」、その隣は「乳母車屋さん」でした。おじさんが大八車で野菜や果物を売り...

  11. web版12 読者から: 初めまして 助村晃子さま by 紫野 茜 - 海峡web版

    web版12 読者から: 初めまして 助村晃子さま b...

    タグ:日ノ本学園・戦争とわたし ←クリックして記事一覧をご覧ください。助村晃子様初めまして、紫野茜(むらさきの あかね)と申します。このところ、毎日のように耳にする森友学園騒動。日を追うごとに収まるどころか、森友学園認可不正疑惑及び国有地不正売買疑惑は、その周辺の問題に飛び火して燃え広がる勢いですね。今私が書いているこの時点でしたら、この一連の疑惑の立役者と言える人物を23日国会召喚という...

  12. web版11 戦死の報を信じられず by O.I.(51回生) - 海峡web版

    web版11 戦死の報を信じられず by O.I.(5...

    タグ:日ノ本学園・戦争とわたし ←クリックして記事一覧をご覧ください。  長兄の戦死私が小学生の1937(昭和12)年頃よりこの国では戦争がありました。支那事変が起こり、出征兵士を家族・知人・近所の人たちが、日の丸の小旗を持ってお見送りさせて頂く光景が始まったのはその頃です。当時は、戦争の厳しさをそんなに感じる事無く、その怖さも考える事無く、子供たちは、まるでお祭りにでも参加しているような気...

  13. web版13 クラスメートと今も交流 by M.K.(49回生) - 海峡web版

    web版13 クラスメートと今も交流 by M.K.(...

    タグ:日ノ本学園・戦争とわたし ←クリックして記事一覧をご覧ください。   西側の旧校門から入ったところ(絵葉書)入 学74年前の1940(昭和15)年、セーラー服にはじめての黒いネクタイを何度も結びなおして日ノ本女学校へ入学しました。旧校門を入ると緑の美しい木々の向こうに洋館建のすてきな講堂兼礼拝堂が見えワクワクしたものです。ここは絵はがきになっているのを見た事があります。毎朝、「見よや ...

  14. web版15 姫路は第二の故郷by A.A.(49回生) - 海峡web版

    web版15 姫路は第二の故郷by A.A.(49回生)

    タグ:日ノ本学園・戦争とわたし ←クリックして記事一覧をご覧ください。      写真で見る日ノ本学園の100年より園芸の授業風景 後方右が西洋館、左は1913(大正2)年に新築された寄宿舎日ノ本に転入1928(昭和3)年に東京で生まれ育ち、第二次世界大戦もたけなわの1943(昭和18)年の秋、東京芝浦工作機械株式会社に勤めていた父の網干工場への転勤に便乗し、疎開を兼ねて、見知らぬ兵庫県揖保...

  15. web版10 読者から:波岡先生の思い出 by M.T.(71回生) - 海峡web版

    web版10 読者から:波岡先生の思い出 by M.T...

    タグ:日ノ本学園・戦争とわたし ←クリックして記事一覧をご覧ください。      春になりました。早速に「戦争とわたし、そして日ノ本」を送って下さりありがとうございました。熟読致しました。記憶に残っている波岡先生のおことばを書かせてください。朝の礼拝で心に残っておりますのは1年間収監されたことについて「天皇と神様とどちらが偉いんだ、と迫られて困りました」。「奥さんが私のパンツにアイロンをかけ...

  16. web版9 5ヶ月だけの専攻科生 by O.F.(49回生) - 海峡web版

    web版9 5ヶ月だけの専攻科生 by O.F.(49回生)

    タグ:日ノ本学園・戦争とわたし ←クリックして記事一覧をご覧ください。  入学前後のこと1934(昭和9)年に加古川小学校に入学しましたが、その3年前の1931(昭和6)年に満州事変が、1937(昭和12)年には支那事変が始まりました。小学校では、毎月朔日(ついたち)朝礼の時には全校生(高等小学校も併設しており約2000人)の閲童式があり、歩調を取った軍隊式の行進で6列横隊もきれいにきびしく...

  17. web版8 学徒動員寮で食べたみかん by 福島和子(49回生) - 海峡web版

    web版8 学徒動員寮で食べたみかん by 福島和子(...

    タグ:日ノ本学園・戦争とわたし ←クリックして記事一覧をご覧ください。同窓会名簿より 下寺町旧校舎 右端が西洋館私が日ノ本女学校に入学したのは、1935(昭和15)年の4月でした。相生から朝6時42分の汽車で姫路迄30分、駅から歩いて20分、下寺町の学校までの通学でした。入学時は2時間目と3時間目の間に5年生のオルガンに合わせて全員で讃美歌「みよや 十字架の」を歌いながら講堂に入り礼拝をしま...

  18. web版7 読者から:「戦争とわたし そして日ノ本」を読んで - 海峡web版

    web版7 読者から:「戦争とわたし そして日ノ本」を読んで

    タグ:日ノ本学園・戦争とわたし ←クリックして記事一覧をご覧ください。      Aさん 女性 26歳この本は戦争があった日本の時代を、戦争を体験した事のない私にリアルに想像させる本でした。実際に体験をされた方が、その時の情景とご自身の心境を書いておられるので、今まで学校の授業で習ってきた戦争の話を聞くのとまた違った視点から感じ取る事が出来ました。N.R.様の「真っ赤な炎で染まった夜空に姫路...

  19. web版6 日支事変から戦争への道 by助村晃子(43回生)  - 海峡web版

    web版6 日支事変から戦争への道 by助村晃子(43...

      タグ:日ノ本学園・戦争とわたし ←クリックして記事一覧をご覧ください。 入学前後私は兵庫県揖保川町(現在は、たつの市揖保川町)で生まれ、農村の小学校を卒業した後、相生に引っ越しました。当時の義務教育は、小学6年生まで、教科書は、国中同じ国定教科書でした。男女合わせて37名の級友のうち義務教育で止めるのは、一人かふたりくらいでしょうか。3名くらいの男子が5年制の中学校に、同じくらいの...

  20. web版5 記録 波岡三郎先生の経歴 - 海峡web版

    web版5 記録 波岡三郎先生の経歴

        タグ:日ノ本学園・戦争とわたし ←クリックして記事一覧をご覧ください。        写真で見る日ノ本学園の100年より     波岡三郎校長の経歴     明治30(1897)年 岩手県盛岡市生まれ     大正 9(1920)年 東京学院高等部卒業     大正12(1923)年 東京学院神学部卒業、              岩手県遠野バプテスト教会伝道師      大正...

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