柿本人麻呂のタグまとめ (8件)

柿本人麻呂のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには柿本人麻呂に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。
by 地図を楽しむ・古代史の謎

柿本朝臣人麻呂、近江京を詠む人麻呂は持統天皇にすべてを捧げて尽くした官人でした。公の儀式の場で歌を詠み、皇族の葬儀でも挽歌を詠んでいます。人麻呂が近江京を感傷する歌を詠んだのは、持統天皇の御代でした。持統天皇はこの歌をどんな思いで、どんな顔をして聞いたのでしょう。微笑んだのか、涙を流したのか、知りたいものです。人麻呂が荒れた近江京を感傷する歌を詠んだのは、持統天皇の御代です。万葉集巻一「藤原...

by 地図を楽しむ・古代史の謎

204政変の果てに藤原仲麻呂のの反乱で、藤原氏の氏族内の権力争いが決着したのではありません。まだ、聖武天皇と犬養広刀自との間に生まれた三人の子どもたちが残っています。称徳天皇には後継者はいませんから、誰が次の玉座に昇るのか、都には噂ばかりではなく呪詛も充満したことでしょう。天武系の王子達も、密かな期待を持ちました。和気王も舎人皇子の孫であり、淳仁天皇の甥であることから皇位を望んだようです。天...

by 地図を楽しむ・古代史の謎

193人麻呂編集の万葉集 初期万葉集は有間(ありま)皇子事件を意識していると、既に書きました。それは、巻一と巻二の冒頭を見ればわかってきます。 1 雄略帝(大泊瀬稚(おおはつせわか)武(たけ)天皇)の歌2 舒明帝(息(おき)長足(ながたらし)日(ひ)廣(ひろ)額(ぬか)天皇)の歌 *間人(はしひと)皇后の父3 中皇(なかつすめら)命(みこと)が間人連(はしひとのむらじ)老(おゆ)に献じさせた...

by 地図を楽しむ・古代史の謎

175・柿本人麻呂が詠んだ草壁皇子の挽歌壬申の乱後の天武朝で、謀反事件が次々と起こりました壬申の乱とは何だったのか。この壬申の乱が天智朝と天武朝の間に大きく傷を残し、その亀裂に入り込んだ藤原氏が様々な策を講じて律令政治を掌握し、藤原氏族の横暴につながっていくと思うのですが…壬申の乱そのものが謀反事件だった(大友皇子が先に兵をあげたのではありません)のですが、これが天武朝の王子が次々に命を絶た...

by 地図を楽しむ・古代史の謎

164・持統天皇との約束・柿本人麻呂事挙げす 「柿本人麻呂が初期万葉集の編纂者」と以前のブログ(157・持統帝の霊魂に再会した人麻呂)に書きました。人麻呂の紀伊國の旅は、持統天皇との思い出の地を訪ねる旅愁を求める旅ではありませんでした。形見の地(亡き人の霊魂が漂う地)を訪ね、霊魂に触れる為の旅でした。黒牛方は、有間皇子の終焉の地、藤白坂の近くの海岸です。その海岸に、女帝との約束を果たすべきか...

by 地図を楽しむ・古代史の謎

158・草壁皇子の霊魂に触れるために、 軽皇子も形見の地を訪れた東の太陽・西の月が象徴する譲位柿本朝臣人麻呂は、天武朝の皇子・皇女のために歌を献じています。草壁皇子や高市皇子の挽歌も詠んでいます。人麻呂の歌の中で最も有名なのは「東の野にかぎろいの立つ見えてかえり見すれば月かたぶきぬ」でしょう。これは、万葉集・巻一の「軽(かる)皇子、安騎(あき)野(の)に宿リます時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌」...

by 地図を楽しむ・古代史の謎

万葉集集・巻九の挽歌の冒頭の五首 ここには、人麻呂の想いが凝縮されています。157・人麻呂が偲んだ持統天皇 万葉集・巻九「挽歌」の冒頭の五首 挽歌の冒頭は『宇治若郎子の宮所』の歌でした。高貴な方の歌を冒頭に置くという形式を踏襲するための配置だったのでしょうか。いえ、人麻呂歌集に置かれた五首はセットです。一緒に並べたから意味があるのです。そして、宇治若郎子の運命を有間皇子の運命と重ね、皇子が皇...

by 地図を楽しむ・古代史の謎

156・持統天皇のために柿本朝臣人麻呂は生きた 宇治若郎子は悲劇の皇子宇治若郎子の宮所を詠んだ人麻呂 宇治若郎子の宮所の歌一首1795 妹らがり今木の嶺に茂り立つ嬬待つの木は古人見けむいもらがり いまきのみねに しげりたつ つままつのきは ふるひとみけむ 愛するあの子のもとへ「今来た」という意味になる今木の嶺に、茂り立っている松の木は...

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