楠木正成のタグまとめ

楠木正成」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには楠木正成に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「楠木正成」タグの記事(17)

  1. 太平記を歩く。 その66 「打出合戦、大楠公戦跡の碑」 兵庫県芦屋市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その66 「打出合戦、大楠公戦跡の碑」...

    建武3年(1336年)2月10・11日に起きた、打出合戦の地を訪れました。現在、その跡地である兵庫県芦屋市楠木町には、「大楠公戦跡」と刻まれた巨大な石碑があります。 「建武の新政」に不満を募らせた武士たちの期待に呼応するかたちで、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)に反旗を翻した足利尊氏は、建武2年(1335年)12月11日、攻め寄せた新田義貞軍を箱根竹ノ下で撃破すると、その勢いで、翌年...

  2. 太平記を歩く。 その65 「一乗寺下り松」 京都市左京区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その65 「一乗寺下り松」 京都市左京区

    京都市左京区にある「一乗寺下り松」を訪れました。ここに、「大楠公戦陣蹟」と刻まれた、大きな石碑があります。 「建武の新政」に不満を募らせた武士たちによって混乱が生じはじめた建武2年(1335年)7月、滅亡した鎌倉幕府の執権だった北条高時の遺児・北条時行が、幕府再興を掲げて信濃で挙兵し、進軍して鎌倉を占拠する「中先代の乱」が起きます。これを鎮圧に向かった足利尊氏は、乱を平定したのちも鎌倉に留ま...

  3. 太平記を歩く。 その64 「岸和田古城跡」 大阪府岸和田市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その64 「岸和田古城跡」 大阪府岸和田市

    だんじり祭で有名な大阪府岸和田市にある「岸和田古城跡」を訪れました。ここは、現在の岸和田城から東へ500mほどのところで、住宅街のなかに石碑と説明版だけが設置されています。 建武元年(1334年)1月より行われた「建武の新政」で摂津国、河内国、和泉国の3ヵ国守護に任ぜられた楠木正成は、甥の和田新兵衛高家を和泉国の代官にし、この地に居を構えさせました。それが、ここ岸和田古城跡と伝わります。ただ...

  4. 太平記を歩く。 その60 「福厳寺(後醍醐天皇御駐蹕之處)」 神戸市兵庫区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その60 「福厳寺(後醍醐天皇御駐蹕之...

    神戸市兵庫区にある福厳寺の入口には、「後醍醐天皇御駐蹕之處」と刻まれた石碑があります。ここも、配流先の隠岐島を脱出して京に帰る帰路の後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)が立ち寄ったとされます。 後醍醐天皇は元弘3年/正慶2年(1333年)5月31日から6月2日までの間滞在し、この地で楠木正成の参向を受け、また、東国で挙兵した新田義貞によって鎌倉幕府が壊滅したという報せを受けたといいます。...

  5. 楠公祭のご案内 - 民族革新会議 公式ブログ

    楠公祭のご案内

  6. 太平記を歩く。 その28 「陶器城跡」 大阪府南河内郡河南町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その28 「陶器城跡」 大阪府南河内郡河南町

    大阪府堺市にある陶器城跡を訪れました。ここは現在、「東陶器公園」という児童公園になっています。 公園奥にフォンスに囲まれた森のような一角があります。ここに案内板が設置され、高さ2mほどの土塁跡が保存されています。 フェンス越しの写真じゃわかりづらいですね。直に見ると、結構立派な土塁です。 案内板です。その説明によると、陶器城は鎌倉時代の終わり頃、北条氏の家臣・陶器左衛門尉の居城だったそうです...

  7. 太平記を歩く。 その27 「二上山城跡」 大阪府南河内郡太子町と奈良県葛城市の境界 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その27 「二上山城跡」 大阪府南河内...

    奈良県葛城市と大阪府南河内郡太子町にまたがる二上山の山頂にあったと伝わる二上山城跡を訪れました。旧令制国名でいえば大和国と河内国の国境にあたり、元弘2年(1332年)に楠木正成が築いたとされる楠木七城のひとつとする説がありますが、確証はありません。金剛山地北部に位置し、北方の雄岳(517m)と南方の雌岳(474m)の2つの山頂がラクダのコブのように並ぶ山で、現在は金剛生駒紀泉国定公園の区域に...

  8. 太平記を歩く。 その26 「平石城跡」 大阪府南河内郡河南町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その26 「平石城跡」 大阪府南河内郡河南町

    前稿で紹介した持尾城跡から直線距離にして1.5kmほど北上したところに、平石城があります。平石と書いて「ひらいわ」と読みます。ここも、楠木家ゆかりの城跡です。 写真中央に見える小高い山の頂きに城跡があります。稲穂がきれいですね。 集落のいたるところに案内板が設置されていますので、迷うことはありません。 民家の間を抜けて入山します。 山頂に近づくにつれ、土塁跡や堀切跡などの遺構に目を奪われます...

  9. 太平記を歩く。 その25 「持尾城跡」 大阪府南河内郡河南町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その25 「持尾城跡」 大阪府南河内郡河南町

    前稿で紹介した嶽山城(龍泉寺城)から千早赤阪村を挟んで6kmほど北西にある、持尾城跡を訪れました。ここも、元弘2年(1332年)に楠木正成が築いたと伝えられる城です。 持尾地区は道が狭く車を停める場所がないと聞いたので、途中で車を置いて歩きます。 こんな誘導サインがあるので、すぐにわかります。 ここから西側の眺望です。右に見えるのが某教団の平和の塔、左に見えるのが嶽山城(龍泉寺城)のある嶽山...

  10. 太平記を歩く。 その24 「嶽山城(龍泉寺城)跡」 大阪府富田林市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その24 「嶽山城(龍泉寺城)跡」 大...

    烏帽子形城から北西に4kmほどのところにある嶽山城跡にやってきました。ここは、富田林市にある標高278mの嶽山山頂にあり、その中腹に龍泉寺があることから、龍泉寺城とも呼ばれています。ここも、元弘2年(1332年)に楠木正成が築いたとされる楠木七城のひとつに数えられます。 嶽山山頂へは車で登れます。現在、山頂には「かんぽの宿富田林」があり、城の遺構らしきものはほとんど残っていません。 かんぽの...

  11. 太平記を歩く。 その23 「烏帽子形城跡」 大阪府河内長野市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その23 「烏帽子形城跡」 大阪府河内長野市

    千早赤阪村の隣、河内長野市にある烏帽子形城跡にやってきました。ここは、元弘2年(1332年)に楠木正成が上赤坂城の支城として築城したといわれ、楠木七城のひとつとされています。 烏帽子形城跡は国の史跡に指定されており、城跡公園として整備されています。 城跡は標高182mの烏帽子形山の山頂にあり、北と西は断崖でその足元には石川、東側は河岸段丘が広がり天見川に落ち込んでいます。したがって、東西北の...

  12. 太平記を歩く。 その22 「寄手塚・身方塚」 大阪府南河内郡千早赤阪村 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その22 「寄手塚・身方塚」 大阪府南...

    千早赤阪村森屋地区の丘陵地にある墓地のなかに、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)の建武の新政の成立後、楠木正成が元弘元~3年(1331~1333年)に起きた千早・赤阪の戦いでの戦死者を弔うために建立したと伝えられる五輪塔が2基あります。そのひとつは、味方の霊を弔った「身方塚」、そしてもうひとつは、敵の戦死者を弔った五輪塔で、「寄手塚」と呼びます。 上の写真は「身方塚」です。 総高137...

  13. 太平記を歩く。 その21 「建水分神社・南木神社」 大阪府南河内郡千早赤阪村 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その21 「建水分神社・南木神社」 大...

    前稿で紹介した「奉建塔」のすぐ近くにある「建水分神社」を訪れました。「たけみまくりじんじゃ」と読みます。難しい読みですね。ここは、楠木氏の氏神として崇拝された神社です。 その社伝によると、建水分神社の始まりは崇神天皇(第10代天皇)の時代に遡り、2000年以上の歴史があるとされています。祭神はその名のとおり水を司る神で、崇神天皇5年(紀元前92年)、諸国が飢饉となったとき、各地に溜池や溝を作...

  14. 太平記を歩く。 その20 「奉建塔」 大阪府南河内郡千早赤阪村 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その20 「奉建塔」 大阪府南河内郡千...

    「楠公生誕地」碑から南へ徒歩3分ほどのところに、楠公没後600年祭記念として昭和15年(1940年)に建てられた「奉建塔」があると聞き、訪れてみました。 丘の上の森の上に、白い雲に突き出るように塔の頭がのぞいているのがわかるでしょうか? 青空が美しいですね。 ここは、1~2月には約5万本のニホンスイセンが咲く「スイセンの丘」になるそうで、春には、桜の名所としても知られているそうですが、わたし...

  15. 太平記を歩く。 その19 「楠公産湯の井戸」 大阪府南河内郡千早赤阪村 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その19 「楠公産湯の井戸」 大阪府南...

    前稿で紹介した「楠公生誕地」碑のすぐ近くに、「楠公産湯の井戸」と呼ばれる古い井戸跡があります。その伝承によれば、楠木正成がこの地で生まれたとき、この井戸の水を産湯に使ったのだとか。 青々とした稲の絨毯のなかに、「楠公産湯井北エ一丁」と刻まれた石柱があります。石柱はかなり古いもののようで、この伝承が昔から存在したことを物語ってくれています。 こちらには、千早城跡にあったものと同じ藁人形を模した...

  16. 太平記を歩く。 その18 「楠公生誕地」 大阪府南河内郡千早赤阪村 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その18 「楠公生誕地」 大阪府南河内...

    ここで少し時系列を離れて、楠木正成に関連した千早赤阪村の史跡を巡っていきます。まずは、「楠木正成生誕地」の伝承地を訪れました。 その伝承によると、楠木正成は永仁2年(1294年)、現在の大阪府南河内郡千早赤阪村水分(みくまり)に生まれたといいます。 しかし、正成の出自については様々な説があり、詳しくはわかっていません。『太平記』では、楠木氏は橘氏の後裔と伝えていますが、これも、その真偽は定か...

  17. 太平記を歩く。 その17 「金剛山(國見城跡)・後編」 大阪府南河内郡千早赤阪村・奈良県御所市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その17 「金剛山(國見城跡)・後編」...

    金剛山後編です。葛木神社境内の西側の参道に、「宝剣塔」という名称の宝篋印塔があります。 これは、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)とその第2皇子・大塔宮護良親王の追善供養のために建てられたもので、足利時代のものだそうです。 足利の誰の時代でしょうね? 後醍醐天皇も大塔宮も、最期は足利尊氏と敵対する立場で死んでいきますから、政敵からの追善供養ということですね。まあ、尊氏はほかにも京の嵐山...

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