楠木正成のタグまとめ (17件)

楠木正成のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには楠木正成に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。
by 坂の上のサインボード

大阪府堺市にある陶器城跡を訪れました。ここは現在、「東陶器公園」という児童公園になっています。 公園奥にフォンスに囲まれた森のような一角があります。ここに案内板が設置され、高さ2mほどの土塁跡が保存されています。 フェンス越しの写真じゃわかりづらいですね。直に見ると、結構立派な土塁です。 案内板です。その説明によると、陶器城は鎌倉時代の終わり頃、北条氏の家臣・陶器左衛門尉の居城だったそうです...

by 坂の上のサインボード

奈良県葛城市と大阪府南河内郡太子町にまたがる二上山の山頂にあったと伝わる二上山城跡を訪れました。旧令制国名でいえば大和国と河内国の国境にあたり、元弘2年(1332年)に楠木正成が築いたとされる楠木七城のひとつとする説がありますが、確証はありません。金剛山地北部に位置し、北方の雄岳(517m)と南方の雌岳(474m)の2つの山頂がラクダのコブのように並ぶ山で、現在は金剛生駒紀泉国定公園の区域に...

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前稿で紹介した持尾城跡から直線距離にして1.5kmほど北上したところに、平石城があります。平石と書いて「ひらいわ」と読みます。ここも、楠木家ゆかりの城跡です。 写真中央に見える小高い山の頂きに城跡があります。稲穂がきれいですね。 集落のいたるところに案内板が設置されていますので、迷うことはありません。 民家の間を抜けて入山します。 山頂に近づくにつれ、土塁跡や堀切跡などの遺構に目を奪われます...

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前稿で紹介した嶽山城(龍泉寺城)から千早赤阪村を挟んで6kmほど北西にある、持尾城跡を訪れました。ここも、元弘2年(1332年)に楠木正成が築いたと伝えられる城です。 持尾地区は道が狭く車を停める場所がないと聞いたので、途中で車を置いて歩きます。 こんな誘導サインがあるので、すぐにわかります。 ここから西側の眺望です。右に見えるのが某教団の平和の塔、左に見えるのが嶽山城(龍泉寺城)のある嶽山...

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烏帽子形城から北西に4kmほどのところにある嶽山城跡にやってきました。ここは、富田林市にある標高278mの嶽山山頂にあり、その中腹に龍泉寺があることから、龍泉寺城とも呼ばれています。ここも、元弘2年(1332年)に楠木正成が築いたとされる楠木七城のひとつに数えられます。 嶽山山頂へは車で登れます。現在、山頂には「かんぽの宿富田林」があり、城の遺構らしきものはほとんど残っていません。 かんぽの...

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千早赤阪村の隣、河内長野市にある烏帽子形城跡にやってきました。ここは、元弘2年(1332年)に楠木正成が上赤坂城の支城として築城したといわれ、楠木七城のひとつとされています。 烏帽子形城跡は国の史跡に指定されており、城跡公園として整備されています。 城跡は標高182mの烏帽子形山の山頂にあり、北と西は断崖でその足元には石川、東側は河岸段丘が広がり天見川に落ち込んでいます。したがって、東西北の...

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千早赤阪村森屋地区の丘陵地にある墓地のなかに、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)の建武の新政の成立後、楠木正成が元弘元~3年(1331~1333年)に起きた千早・赤阪の戦いでの戦死者を弔うために建立したと伝えられる五輪塔が2基あります。そのひとつは、味方の霊を弔った「身方塚」、そしてもうひとつは、敵の戦死者を弔った五輪塔で、「寄手塚」と呼びます。 上の写真は「身方塚」です。 総高137...

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前稿で紹介した「奉建塔」のすぐ近くにある「建水分神社」を訪れました。「たけみまくりじんじゃ」と読みます。難しい読みですね。ここは、楠木氏の氏神として崇拝された神社です。 その社伝によると、建水分神社の始まりは崇神天皇(第10代天皇)の時代に遡り、2000年以上の歴史があるとされています。祭神はその名のとおり水を司る神で、崇神天皇5年(紀元前92年)、諸国が飢饉となったとき、各地に溜池や溝を作...

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「楠公生誕地」碑から南へ徒歩3分ほどのところに、楠公没後600年祭記念として昭和15年(1940年)に建てられた「奉建塔」があると聞き、訪れてみました。 丘の上の森の上に、白い雲に突き出るように塔の頭がのぞいているのがわかるでしょうか? 青空が美しいですね。 ここは、1~2月には約5万本のニホンスイセンが咲く「スイセンの丘」になるそうで、春には、桜の名所としても知られているそうですが、わたし...

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前稿で紹介した「楠公生誕地」碑のすぐ近くに、「楠公産湯の井戸」と呼ばれる古い井戸跡があります。その伝承によれば、楠木正成がこの地で生まれたとき、この井戸の水を産湯に使ったのだとか。 青々とした稲の絨毯のなかに、「楠公産湯井北エ一丁」と刻まれた石柱があります。石柱はかなり古いもののようで、この伝承が昔から存在したことを物語ってくれています。 こちらには、千早城跡にあったものと同じ藁人形を模した...

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ここで少し時系列を離れて、楠木正成に関連した千早赤阪村の史跡を巡っていきます。まずは、「楠木正成生誕地」の伝承地を訪れました。 その伝承によると、楠木正成は永仁2年(1294年)、現在の大阪府南河内郡千早赤阪村水分(みくまり)に生まれたといいます。 しかし、正成の出自については様々な説があり、詳しくはわかっていません。『太平記』では、楠木氏は橘氏の後裔と伝えていますが、これも、その真偽は定か...

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金剛山後編です。葛木神社境内の西側の参道に、「宝剣塔」という名称の宝篋印塔があります。 これは、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)とその第2皇子・大塔宮護良親王の追善供養のために建てられたもので、足利時代のものだそうです。 足利の誰の時代でしょうね? 後醍醐天皇も大塔宮も、最期は足利尊氏と敵対する立場で死んでいきますから、政敵からの追善供養ということですね。まあ、尊氏はほかにも京の嵐山...

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上赤坂城跡から直線距離にして5kmほど南東にある、千早城跡を訪れました。数ある楠木正成の築いた城のなかで、たぶん、ここがいちばん有名なんじゃないでしょうか? 『太平記』によると、わずか1000人足らずで幕府軍100万と対峙した城として伝えられます。その兵数の真偽は別にしても、大軍に攻められながらも落城しなかった城として、後世に伝説的な存在となります。現在、日本100名城のひとつにも数えられて...

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隠岐に流された後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)でしたが、それでも意気消沈することなく、隠岐から全国の反北条派の武士たちに檄を飛ばし、鎌倉幕府倒幕を呼びかけます。そんななか、元弘2年(1332年)11月、後醍醐天皇の皇子・大塔宮護良親王が吉野で挙兵。それに呼応するかたちで12月、楠木正成も挙兵します。 再挙兵した楠木正成は下赤坂城を奪回しますが、再び下赤坂城が落城すると、新たに築いた上...

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大阪府は南河内郡の千早赤阪村にある、下赤坂城跡にやってきました。元弘元年(1331年)、倒幕計画が発覚した後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)が逃亡先の笠置山で挙兵した際、楠木正成がこれに呼応してこの地で挙兵したと伝えられます。 別名「赤阪城」とも呼ばれる下赤坂城は(“阪”と“坂”の違いに注意)、城跡としての遺構は残っていませんが、現在、想定される千早赤坂村立中学校の丘の上に、石柱が建て...

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京都府、奈良県、三重県の3県が交わる県境ちかくにあるJR笠置駅を訪れました。ここは1日の利用客はがわずか200人余りしかいない小さな山奥の単線の駅で、電車は1時間に1本しか発車しません。 そんなひっそりとした山奥で、約700年前にわが国の歴史が大きく動きました。それが、これ! 元弘元年(1331年)9月に起きた「元弘の乱」における笠置山の戦いのジオラマモニュメント。笠置駅前のいちばん目立つ場...

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あけましておめでとうございます。旧年中はひとかたならぬご厚情を賜り、誠にありがとうございました。 本年も相変わらず、宜しくお願いします。 写真は神戸市垂水区の高台から見た東南の景色です。毎年大晦日から元旦の朝にかけてはだいたい仕事で、会社もしくは現場で年を越すことが多いのですが、今年も昨年同様、徹夜になっちゃいました。昨年は会社で朝を迎えたので、会社屋上から初日の出を拝んだのですが、今年はも...

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