楠木正成のタグまとめ

楠木正成」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには楠木正成に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「楠木正成」タグの記事(12)

  1. 太平記を歩く。 その92 「湊川神社」 神戸市中央区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その92 「湊川神社」 神戸市中央区

    前稿で紹介した湊川公園から直線距離にして800mほど東にある湊川神社を訪れました。ここは「湊川の戦い」で討死した楠木正成を祀る神社で、境内には正成の墓所があります。 湊川神社の創建は比較的新しく、明治元年(1868年)、明治天皇(第122代天皇)が正成の忠義を後世に伝えるために神社の創建を命じ、明治5年(1873年)に創建されました。 全国にある「建武中興十五社」の一社でもあり、「別格官幣社...

  2. 太平記を歩く。 その91 「湊川公園」 神戸市兵庫区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その91 「湊川公園」 神戸市兵庫区

    前稿の「楠木正成本陣跡」から直線距離にして約1km弱東にある湊川公園です。この辺りは、延元元年/建武3年(1336年)5月25日に起きた「湊川の戦い」で、楠木正成軍と足利尊氏の弟・足利直義を司令官とする陸軍が激突した場所です。 公園内には、巨大な楠木正成の騎馬像が建てられています。600回目の正成の命日に当たる昭和10年(1935年)5月25日、神戸新聞社の音頭で、楠正成公600年祭に市民の...

  3. 太平記を歩く。 その90 「楠木正成本陣跡」 神戸市兵庫区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その90 「楠木正成本陣跡」 神戸市兵庫区

    神戸市兵庫区の山の手にある会下山公園を訪れました。ここは、湊川の戦いにおいて楠木正成が陣を布いたといわれるところです。 『太平記』には楠木正成軍が陣を置いた地について、「湊川の西の宿にひかえて、陸地の敵に相向う」と記されており、『梅松論』には「湊川の後ろの山より里まで」とあります。それらの条件を満たす場所といえば、高台になっているこの場所なんですね。現在は、見晴らしのいい公園になっており、そ...

  4. 太平記を歩く。 その89 「松尾稲荷神社」 神戸市兵庫区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その89 「松尾稲荷神社」 神戸市兵庫区

    神戸市兵庫区にある松尾稲荷神社という小さな神社も、『太平記』にかかわりがあると聞いて訪れました。 現在は「松福さん」とよばれるアメリカ渡来の福神ビリケンが社殿の中の奥に祀られていることで知られています。 その社伝によると、かつては湊川の堤防上に鎮座していたといい、延元元年/建武3年(1336年)5月25日に足利尊氏軍と激突した「湊川の戦い」に臨む楠木正成が、堤防上に聳える松の大樹を目印に一族...

  5. 太平記を歩く。 その88 「南宮宇佐八幡神社」 神戸市中央区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その88 「南宮宇佐八幡神社」 神戸市中央区

    神戸市中央区脇浜にある、南宮宇佐八幡神社を訪れました。ここは、湊川の戦いに出陣途中の楠木正成が、この付近に馬を留めて武運を祈願したといわれ、のちに村人が八幡社をこの地の建てたと伝わる神社です。 現地説明板の文をそのまま引用します。 創建は古書によると、「建武3年(1336年)楠木正成、足利尊氏追討の命を奉じ、兵庫に出陣の途次、当脇浜に同志を集め休息せし時遥に八幡宮を拝して湊川に下向し、勝利を...

  6. 太平記を歩く。 その87 「櫻井驛跡(楠公父子訣別之所)」 大阪府三島郡島本町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その87 「櫻井驛跡(楠公父子訣別之所...

    大阪府と京都府の府境近くに位置する「櫻井驛跡」を訪れました。「駅跡」といっても現代でいうところのそれではなく、古代律令制度下の「駅家」の跡です。ここは、「楠公父子訣別之所」として知られています。 『太平記』によると、建武3年(1336年)、九州から大軍を率いて上洛してくる足利尊氏を討つべく湊川に向かう楠木正成が、この地で11歳になる嫡子・楠木正行に訓戒を与え、河内国に帰らせたと伝えられていま...

  7. 太平記を歩く。 その86 「楠木正成奉納の灯籠(極楽寺)」 大阪市住吉区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その86 「楠木正成奉納の灯籠(極楽寺...

    大阪市住吉区にある極楽寺に、楠木正成が奉納したと伝わる灯籠があると聞き、足を運びました。 門の横にある石碑には、「毘沙門天王」と刻まれていたそうですが、表面が削れて「天王」の部分が確認できません。その右上には「楠正成」と刻まれていますが、その後は読解できず・・・。いつの時代に建てられた石碑かはわかりませんが、かなり古いもののようです。 本堂左に見えるのが、正成が奉納したと伝わる灯籠です。極楽...

  8. 楠木正成の旗印について~「非理法権天」と正成が結びついたのは?~ - とらっしゅのーと

    楠木正成の旗印について~「非理法権天」と正成が結びつい...

     以前、北畠顕家や新田義貞の軍旗について話題にしました。今回は、楠木正成について。正成を祀った湊川神社には、二種類の旗が残されているようです。一つは、楠木氏の家紋である菊水が描かれた下に「非理法権天」と書かれているもの。割に有名ではないかと思います。もう一種類、「蟠龍起萬天」という言葉の下に竜の絵が描かれ、右に「元弘辛未歳二月 日」、左に「橘正成」とあるものもあります。これらの旗につきまして...

  9. 太平記を歩く。 その66 「打出合戦、大楠公戦跡の碑」 兵庫県芦屋市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その66 「打出合戦、大楠公戦跡の碑」...

    建武3年(1336年)2月10・11日に起きた、打出合戦の地を訪れました。現在、その跡地である兵庫県芦屋市楠木町には、「大楠公戦跡」と刻まれた巨大な石碑があります。 「建武の新政」に不満を募らせた武士たちの期待に呼応するかたちで、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)に反旗を翻した足利尊氏は、建武2年(1335年)12月11日、攻め寄せた新田義貞軍を箱根竹ノ下で撃破すると、その勢いで、翌年...

  10. 太平記を歩く。 その65 「一乗寺下り松」 京都市左京区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その65 「一乗寺下り松」 京都市左京区

    京都市左京区にある「一乗寺下り松」を訪れました。ここに、「大楠公戦陣蹟」と刻まれた、大きな石碑があります。 「建武の新政」に不満を募らせた武士たちによって混乱が生じはじめた建武2年(1335年)7月、滅亡した鎌倉幕府の執権だった北条高時の遺児・北条時行が、幕府再興を掲げて信濃で挙兵し、進軍して鎌倉を占拠する「中先代の乱」が起きます。これを鎮圧に向かった足利尊氏は、乱を平定したのちも鎌倉に留ま...

  11. 太平記を歩く。 その64 「岸和田古城跡」 大阪府岸和田市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その64 「岸和田古城跡」 大阪府岸和田市

    だんじり祭で有名な大阪府岸和田市にある「岸和田古城跡」を訪れました。ここは、現在の岸和田城から東へ500mほどのところで、住宅街のなかに石碑と説明版だけが設置されています。 建武元年(1334年)1月より行われた「建武の新政」で摂津国、河内国、和泉国の3ヵ国守護に任ぜられた楠木正成は、甥の和田新兵衛高家を和泉国の代官にし、この地に居を構えさせました。それが、ここ岸和田古城跡と伝わります。ただ...

  12. 太平記を歩く。 その60 「福厳寺(後醍醐天皇御駐蹕之處)」 神戸市兵庫区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その60 「福厳寺(後醍醐天皇御駐蹕之...

    神戸市兵庫区にある福厳寺の入口には、「後醍醐天皇御駐蹕之處」と刻まれた石碑があります。ここも、配流先の隠岐島を脱出して京に帰る帰路の後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)が立ち寄ったとされます。 後醍醐天皇は元弘3年/正慶2年(1333年)5月31日から6月2日までの間滞在し、この地で楠木正成の参向を受け、また、東国で挙兵した新田義貞によって鎌倉幕府が壊滅したという報せを受けたといいます。...

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