河井継之助のタグまとめ

河井継之助」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには河井継之助に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「河井継之助」タグの記事(17)

  1. 司馬遼太郎「峠」文学碑(北越戦争レポート⑮) - 気ままに江戸♪  散歩・味・読書の記録

    司馬遼太郎「峠」文学碑(北越戦争レポート⑮)

    司馬遼太郎「峠」文学碑(北越戦争レポート⑮)  今日で、北越戦争レポートを終了させてもらいますが、最後は、司馬遼太郎の「峠」文学碑について書きます。  河井継之助(つぎのすけ)が全国的に有名になったのは、司馬遼太郎が「峠」を書いたからでしょう。 その「峠」文学碑は、榎峠を望める「越の大橋」の西詰に設置されています。(下写真) 長岡駅からも小千谷駅からも遠い距離にあるので、車を使用していくしか...

  2. 秋山 香乃著「龍が哭く」を読む - 折々の記

    秋山 香乃著「龍が哭く」を読む

    秋山香乃(あきやまかの)さんの最新作「龍が哭く(なく)」を読む。PHP研究所出版、¥2,100+税。525ページに及ぶ大作である。2015年2月から2017年3月まで、新潟日報など10紙で連載された話題作。主人公は、新潟特に長岡出身の方ならだれでもよくご存知の河合継之助、幕末困窮を極めた長岡藩を立て直した人物である。 著者は1968年、北九州市生まれ。2001年、「歳三 往きてまた」でデビュ...

  3. 河井継之助(つぎのすけ)死す(北越戦争レポート⑭) - 気ままに江戸♪  散歩・味・読書の記録

    河井継之助(つぎのすけ)死す(北越戦争レポート⑭)

    河井継之助死す(北越戦争レポート⑭)  今日は、河井継之助(つぎのすけ)の負傷死について書きます。 下写真が、河井継之助(つぎのすけ)のお墓です。 慶応4年7月25日、河井継之助(つぎのすけ)は、八丁沖渡渉作戦を成功させて、長岡城を見事に奪還しました。 長岡城内にいた新政府軍は、信濃川の西岸に退却していきましたが、長岡城北方には薩摩藩を中心とした新政府軍がいました。この部隊は、長岡藩はじめ同...

  4. 八丁沖渡渉作戦(北越戦争レポート⑬) - 気ままに江戸♪  散歩・味・読書の記録

    八丁沖渡渉作戦(北越戦争レポート⑬)

    八丁沖渡渉作戦(北越戦争レポート⑬)  今日は北越戦争のハイライト、八丁沖渡渉作戦について書きます。 八丁沖というのは江戸時代に長岡城の北東方向にある南北約5キロ東西約3キロの大沼沢地です。 明治以降の干拓工事により、現在は、広大な水田地帯となっていますが、現在でも大雨が降ると水を被ることがよくある地域だそうです。 今町陥落は、新政府軍に大きな衝撃を与えました。 参謀山県有朋は、防衛ラインを...

  5. 今町の戦い(北越戦争レポート⑫)  - 気ままに江戸♪  散歩・味・読書の記録

    今町の戦い(北越戦争レポート⑫) 

     今町の戦い(北越戦争レポート⑫)  今日は、北越戦争のうちの「今町の戦い」について書きます。 今町は、長岡市の北側の見附市にあります。6月に長岡を旅行した時には時間がなくて行くことができませんでした。 慶応4年5月19日に長岡城が落城しました。しかし、長岡藩と河井継之助(つぎのすけ)は、そのまま敗北したわけではありません。 河井継之助(つぎのすけ)は、一旦、栃尾に退却しました。 新政府軍は...

  6. 長岡城落城(北越戦争レポート⑪) - 気ままに江戸♪  散歩・味・読書の記録

    長岡城落城(北越戦争レポート⑪)

    長岡城落城(北越戦争レポート⑪) 今日は、長岡城の落城について書きます。 榎峠と朝日山を奪取した長岡藩に対して、新政府軍は即座に反撃を行うことができませんでした。 この攻防戦が行なわれた時期は、新暦でいえば6月でちょうど梅雨時にあたります。 通常の年であっても、雨が多く川が増水する時期ですが、慶応4年の梅雨は、例年よりも雨量が多かったそうです。そのため、信濃川の水量が増していて、新政府軍は、...

  7. 榎峠・朝日山の戦い(北越戦争レポート⑩) - 気ままに江戸♪  散歩・味・読書の記録

    榎峠・朝日山の戦い(北越戦争レポート⑩)

     榎峠・朝日山の戦い(北越戦争レポート⑩)  今日は、北越戦争でおける長岡藩と新政府軍の最初の戦い「榎峠・朝日山の戦い」について書きます。 小千谷会談に失敗したため、河井継之助(つぎのすけ)はついに新政府軍との開戦を決意しました。河井継之助(つぎのすけ)は、5月3日、長岡城の南にある摂田屋村の光福寺に諸隊隊長を集めて、開戦を決意したと演説しました。 下が光福寺です。 そして、5月4日に、それ...

  8. 河井継之助が休息した「東忠」(北越戦争レポート⑨) - 気ままに江戸♪  散歩・味・読書の記録

    河井継之助が休息した「東忠」(北越戦争レポート⑨)

    河井継之助が休息した「東忠」(北越戦争レポート⑨)  河井継之助(つぎのすけ)は、小千谷会談で岩村精一郎から冷たくされても、すぐにあきらめたわけではないようです。   司馬遼太郎の「峠」によれば、慈眼寺でも、また宿に戻っても、繰り返し再会談を申し込んでいます。しかし、その度に拒絶されています。  実際は、「峠」に描かれたほど繰り返されたかは疑問のようですが、河井継之助(つぎのすけ)は再会...

  9. 慈眼寺(北越戦争レポート⑧) - 気ままに江戸♪  散歩・味・読書の記録

    慈眼寺(北越戦争レポート⑧)

     慈眼寺(北越戦争レポート⑧)  河井継之助(つぎのすけ)と岩村精一郎の会見いわゆる小千谷会談が行われたのが慈眼寺です。 慈眼寺には、会見の間以外にも見所がありますので、今日は、それをご紹介します。  慈眼寺は、JR上越線小千谷駅からだと小千谷駅と小千谷市の中心街の間には信濃河が流れているため、かなりの距離があります。  私は、行きはタクシーで行き、帰りは歩いてみましたが、徒歩だと30分弱か...

  10. 小千谷会談(北越戦争レポート⑦) - 気ままに江戸♪  散歩・味・読書の記録

    小千谷会談(北越戦争レポート⑦)

    小千谷会談(北越戦争レポート⑦) 今日から、いよいよ北越戦争について書いていきます。 河井継之助(つぎのすけ)は、軍制改革を行い軍備の充実を図ってきました。しかし、これは新政府軍と戦うためではなく、中立を維持するためだったと言われています。 しかし、5月2日に行われた河井継之助(つぎのすけ)と岩村精一郎との会談(これが小千谷会談と呼ばれています)が決裂したことにより、長岡藩は、新政府軍に抗戦...

  11. 河井継之助の藩政改革(北越戦争レポート⑥) - 気ままに江戸♪  散歩・味・読書の記録

    河井継之助の藩政改革(北越戦争レポート⑥)

    河井継之助の藩政改革(主に禄高改正)(北越戦争レポート⑥) 長岡レポートの6回目は、河井継之助(つぎのすけ)が行なった藩政改革について書きます。  河井継之助(つぎのすけ)が行なった藩政改革のうち、私が一番注目したのが、禄高改正です。詳しくは後で述べますが、これは画期的なことだと思っていました。そうしましたら、思いがけず江戸検お題のテキスト『疾走!幕末・維新』に河井継之助(つぎのすけ)の行っ...

  12. ガトリング砲(北越戦争レポート⑤) - 気ままに江戸♪  散歩・味・読書の記録

    ガトリング砲(北越戦争レポート⑤)

    ガトリング砲(北越戦争レポート⑤)  河井継之助記念館を入ると、まず目に入ってくるのが、ガトリング砲です。ガトリング砲といえば即座に河井継之助の名前があがるほど河井継之助とガトリング砲は大変有名です。そこで、今日はガトリング砲について書きます。 ガトリング砲とは、複数の銃身を束ねた連発砲です。のちの機関銃の原型と言われています。 記念館に展示されているガトリング砲は、中心軸を中心に6本の銃身...

  13. 河井継之助記念館(北越戦争レポート④) - 気ままに江戸♪  散歩・味・読書の記録

    河井継之助記念館(北越戦争レポート④)

    河井継之助記念館(北越戦争レポート④) 長岡についての記事、今日は、「河井継之助記念館」について書いていきます。  河井継之助記念館は、長岡駅から徒歩9分の場所にあり、長岡駅から歩いていきました。 河井継之助記念は、平成18年に長岡市制100周年記念の一環として、河井継之助が住んでいた屋敷跡に開設されました。 外観は記念館風ではなく、個人の住宅の雰囲気です。これは、記念館は、河井継之助屋敷跡...

  14. 長岡藩主牧野氏(北越戦争レポート③) - 気ままに江戸♪  散歩・味・読書の記録

    長岡藩主牧野氏(北越戦争レポート③)

    長岡藩主牧野氏(北越戦争レポート③) 長岡藩の藩主は、牧野氏です。今日は、牧野氏について書いていきます。 牧野氏が長岡藩主になったのは、元和4年(1618)のことで、牧野忠成が長岡藩初代藩主として入封しました。それ以降廃藩置県まで、約250年間、牧野氏は長岡藩を統治しました。 250年間にわたって、同じ領地を治めていた大名は、御三家や外様大名はともかく譜代大名ではあまりいないのではないでしょ...

  15. 長岡城(北越戦争レポート②) - 気ままに江戸♪  散歩・味・読書の記録

    長岡城(北越戦争レポート②)

    長岡城(北越戦争レポート②) 河井継之助ゆかりの地長岡について今日から詳しく書いていきますが、最初は、長岡城について書きます。 新幹線で長岡駅に降り立って、長岡市内を歩いても、天守はもちろん、石垣や堀もまったくありません。そのため、現在の姿からは長岡が城下町だったということは想像できません。 しかし、よく見ると長岡駅大手口を出た駅前広場には、「長岡城本丸跡」という石柱が建てられています。(下...

  16. ちょろっと長岡。 - <徳島早苗の間>

    ちょろっと長岡。

     所用で新潟県長岡市に行った帰りに半日だけ長岡を観光。 長岡戦災資料館。 空襲直後の長岡市の写真や模型、焼夷弾で焦げた防空頭巾や当時の生活用品などが展示してあった。 1945年8月9日に長崎に投下された原子爆弾「ファットマン」の模擬爆弾として長岡に投下された「パンプキン爆弾」の映像も。  長岡駅構内の「小嶋屋」で昼飯に新潟名物「へぎそば」を食す。 つなぎに海藻の「ふのり」を使ってるそうで、心...

  17. 河井継之助ゆかりの地長岡に行ってきました(北越戦争レポート①) - 気ままに江戸♪  散歩・味・読書の記録

    河井継之助ゆかりの地長岡に行ってきました(北越戦争レポ...

    河井継之助ゆかりの地長岡に行ってきました(北越戦争レポート①)  先週木曜日と金曜日、河井継之助ゆかりの地長岡を旅行してきました。 河井継之助と北越戦争を中心に訪ねてきましたが、大変収穫の多い旅行でした。そこで、これからはしばらく長岡のお話を書いていきたいと思います。 今日はとり急ぎ主な訪問地について概略レポートします。下の写真は、慈眼寺会見の間に飾られていた河井継之助の肖像画です。  長岡...

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