炭鉱のタグまとめ

炭鉱」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには炭鉱に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「炭鉱」タグの記事(18)

  1. 80年代夕張121・南大夕張炭鉱事故の合同葬 - 萩原義弘のすかぶら写真日記

    80年代夕張121・南大夕張炭鉱事故の合同葬

    南大夕張炭鉱のガス爆発事故で犠牲となった62人の合同葬。参列した遺族たちの後方には残雪の夕張岳が見えた。1985年5月、夕張市の大夕張体育館前で写す

  2. 南大夕張炭鉱の事故から32年 - 萩原義弘のすかぶら写真日記

    南大夕張炭鉱の事故から32年

    三菱南大夕張炭鉱で、1985年5月17日に、62人の犠牲者を出すガス爆発事故が起きた。81年10月16日の北炭夕張新炭鉱の事故に続く夕張での大災害だった。夕張新炭鉱は翌年に閉山し、南大夕張炭鉱も90年の3月に閉山した。そして、明治から続く炭都・夕張の歴史に幕を下ろした。夕張の歴史は炭鉱災害の歴史と言っても過言ではないだろう。新緑が美しくなる春と見事な紅葉となる秋に事故を思い出す。写真は閉山間...

  3. 三菱南大夕張炭鉱・南部青葉町炭住街 - 萩原義弘のすかぶら写真日記

    三菱南大夕張炭鉱・南部青葉町炭住街

    夕張川の対岸に広がっていた南部青葉町の炭住街。早春の光で屋根が輝いていた。1990年写す

  4. 2017.01.06 ジムニー北海道の旅41ススキノで車中泊 - ジムニーとカプチーノ(A4とスカルペル)で旅に出よう

    2017.01.06 ジムニー北海道の旅41ススキノで車中泊

    夕張を後にして札幌に向かいます由仁のアルシオーネは元気でしたユンニの湯で温まりますココのお湯黒っぽくてツルツルです車をススキノのタワーパーキングに停めて今夜はススキノで車中泊居酒屋食い処だいごさんこの建物は大五ビルですが以前は羽幌炭鉱の本社だった所です大夕張関係者と宴会で盛り上がりました雪像作成中なのは大通り公園でした市電で札幌見学札幌の市電がループ化されたのでずーっと乗っていられますが終電...

  5. 南部菊水の炭鉱住宅 - 萩原義弘のすかぶら写真日記

    南部菊水の炭鉱住宅

    夕張市南部菊水の橋の近くにあった4階建ての炭鉱住宅。南部では多くの炭住が木造で、この炭住は今でも印象に残っている。1990年写す

  6. 2017.01.05 ジムニー北海道の旅35夕暮れの大夕張 - ジムニーとカプチーノ(A4とスカルペル)で旅に出よう

    2017.01.05 ジムニー北海道の旅35夕暮れの大夕張

    三笠側から大夕張に入って重構桁は国道452から見えます旧日本陸軍の可搬橋です千年町から望む夕張岳明日逢いに行きます旭沢橋梁は氷の下夕張岳がうっすらと南大夕張の保存車両は冬囲い居酒屋梅張はご主人が亡くなりましたが営業を続けていますね

  7. 2017.01.05 ジムニー北海道の旅34幾春別と桂沢湖 - ジムニーとカプチーノ(A4とスカルペル)で旅に出よう

    2017.01.05 ジムニー北海道の旅34幾春別と桂沢湖

    美唄から三笠市経由で幾春別に有る奔別炭鉱竪坑櫓に圧倒されます桂沢湖に掛かる橋は白銀橋を思い起こさせます桂沢湖の夕日桂沢大橋は架け替え工事が再会されてますね三夕トンネル通って大夕張へ

  8. 夕張・南部小学校の子供たち - 萩原義弘のすかぶら写真日記

    夕張・南部小学校の子供たち

    1990年3月に三菱南大夕張炭鉱が閉山。南部小学校も閉校した。今、この子供たちはどこにいるのだろうか。南部小学校前で、1990年3月写す

  9. 南大夕張炭鉱 - 萩原義弘のすかぶら写真日記

    南大夕張炭鉱

    1985年の三菱南大夕張炭鉱のガス爆発事故からもうすぐ32年。写真は1990年に撮影。

  10. ズリ山のある風景 - 萩原義弘のすかぶら写真日記

    ズリ山のある風景

    夕張の歴史がつまる末広共同墓地から見た新夕張炭鉱のズリ山。雪とけが始まった頃のズリ山は、白と黒のまだら模様で、立体感があって美しい。夕張市・末広共同墓地で、1990年写す

  11. 三菱南大夕張炭鉱選炭機 - 萩原義弘のすかぶら写真日記

    三菱南大夕張炭鉱選炭機

    閉山直前の三菱南大夕張炭鉱の選炭機1990年写す

  12. 紅葉山駅を出発する石炭列車 - 萩原義弘のすかぶら写真日記

    紅葉山駅を出発する石炭列車

     国鉄が分割民営化されて30年が経つ。写真は1975年に撮影した旧夕張線紅葉山駅を出発するD51牽引の石炭列車。この年に平和炭鉱が閉山したがまだ夕張には炭鉱が健在だった。石勝線が開業し、紅葉山駅も新駅ができ新夕張となったが、数年先に新夕張・夕張間は廃止になるという。炭鉱がすべて閉山し、夕張の人口が激減した。そして、明治からの鉄路もなくなる運命にある。

  13. ズリ山のある風景 - 萩原義弘のすかぶら写真日記

    ズリ山のある風景

    社光の炭住街と夕張炭鉱のズリ山。かつての夕張の代表的な炭鉱風景。今もズリ山は残る。1990年写す

  14. 「登川村と田村清考➁~登川村の学校」 - 彩生堂備忘録

    「登川村と田村清考➁~登川村の学校」

     「開村二十年記念登川村勢一班」によると、大正五年時に登川村にあった学校は①夕張尋常小学校②登川尋常高等小学校。 ①は登川校1,634人(!)を数え、以下、夕張校1,166人、若鍋校491人、丁未校391人、大夕張校315人、沼ノ沢校258人、清水沢校97人と続く。②の尋常高等小学校も同様だが、三井登川校405人を筆頭に生徒数は尋常小学校程には多くない。大半の子供の親が、地域にいくつもあった...

  15. 80年代夕張120・記憶の再生10、通洞東口 - 萩原義弘のすかぶら写真日記

    80年代夕張120・記憶の再生10、通洞東口

    1982年撮影              2012年撮影    夕張新炭鉱の東口通洞入り口で写す

  16. SNOWY・幌内炭鉱 - 萩原義弘のすかぶら写真日記

    SNOWY・幌内炭鉱

    幌内炭鉱で、SNOWYⅡから

  17. 80年代夕張119・福住 - 萩原義弘のすかぶら写真日記

    80年代夕張119・福住

    かつて山の上の方まで炭住が建っていた福住地区。中腹には自然に還ろうとしている炭住がいくつか見られた。1982年写す

  18. 80年代夕張118・日の出写真館 - 萩原義弘のすかぶら写真日記

    80年代夕張118・日の出写真館

    本町の坂の途中にあった写真館「日の出写真館」という名前が好きだった。夕張で、1986年撮影。

1 - 18 / 総件数:18 件

似ているタグ