福島と戦争のタグまとめ

福島と戦争」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには福島と戦争に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「福島と戦争」タグの記事(36)

  1. 会津の「わたつみのこえ」を聞く36 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    会津の「わたつみのこえ」を聞く36

     「会津の『わたつみのこえ』を聞く33」で、生き残った仲間として、「明治学院百年史」の情報から力石丈夫氏と中村敏男氏を確認し、「Web東京荏原都市物語資料館」の情報から吉原薫氏を確認した。 この時、力石丈夫氏は神奈川県在住、中村敏男氏は大分県在住との出身地が確認できるが、吉原薫氏の出身地は不明とした。 しかし、「下北沢X物語(3132)~武揚隊:波瀾万丈のと号第31飛行隊Ⅲ~」で、吉原香軍曹...

  2. 会津の「わたつみのこえ」を聞く35 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    会津の「わたつみのこえ」を聞く35

     住職が、石碑が建てられたときに明治学院大の学長がお参りに見えられたことを話されたとある。今は、その石碑は湖畔戸ノ口のゆかりの場所に建った石碑の事だろうと思っている。 結論としてはそうなのだが、今回整理する途中で分かったのが、明治学院の場合、学長と学院長の役職があるということ。住職の言葉では学長だが、今回は、とりあえず学院長であることを想定して整理している。 整理過程の中で、もう一つ想定して...

  3. 会津の「わたつみのこえ」を聞く34 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    会津の「わたつみのこえ」を聞く34

     木村氏が長谷川家の菩提寺を訪ねた時に、住職が、石碑が建てられたときに明治学院大の学長がお参りに見えられたことを話されたとある。 「石碑が建てられたとき」というのが、湖畔戸ノ口のゆかりの場所に建った石碑の事なら、この石碑建立は昭和21年(1946)5月なので、第4代の矢野貫城氏(1939年 - 1948年)ということになる。 「明治学院百年史」によれば、この方は価値観が大きく変わる戦中から戦...

  4. 会津の「わたつみのこえ」を聞く33 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    会津の「わたつみのこえ」を聞く33

     「明治学院百年史」の中村メモでは、4月12日の出発の遅れを、山本隊長機の接触事故とするが、「Web東京荏原都市物語資料館」の情報を加えるとそうなる理由まで想像が膨らむ。 4月5日9時、山本隊は新田原を離陸して韓国済州島に向かう。そして、そこから7日には、杭州(現中国浙江省)に前進したとある。 そして、11日を迎えるのだが、午後4時に杭州の筧橋基地を出発していることについては、中村メモの情報...

  5. 会津の「わたつみのこえ」を聞く32 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    会津の「わたつみのこえ」を聞く32

     「明治学院百年史」がいう「信と同じ第一次「学徒出陣」組で特捜2期生だった力石丈夫(神奈川県在住)」氏と「下北沢X物語(3137)~終章:悲運のと号第31飛行隊~」が消息不明者として挙げる「力石文夫少尉 見習士官(特操2期)」は、同じ方ではないだろうか。 一字違いで、しかも誤ってもおかしくない感じの違いなので、可能性は高いと思う。 この方の情報を「明治学院百年史」から拾ってみる。 まずは、「...

  6. 会津の「わたつみのこえ」を聞く31 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    会津の「わたつみのこえ」を聞く31

     信氏の戦死は、公式記録では「4月12日与那国島北方洋上戦死」とのことだ。 「明治学院百年史」では、中村メモをもとに、その様子を解説する。その概要は次のようだ。 松山から新田原に向かった武揚隊は、熊本建軍飛行場を経て済州島へ、さらに上海、枕州へと進んだという。ここから目的地台湾への最後の移動は分散で行われたとのことだ。 4月11日夕刻に力石少尉を含む第1陣4機は無事台湾に着いたという。 そし...

  7. 会津の「わたつみのこえ」を聞く30 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    会津の「わたつみのこえ」を聞く30

     特攻にかかわって有名なのは「知覧特攻平和会館」なそうだが、会津の長谷川信少尉の場合は、かかわらないようだ。 最近、道徳心について評価をすることが決められたようだが、特攻隊員の亡くなり方にもランク付けがあるのだという。 「特攻戦死」という評価になれば、二階級特進となって、「陸軍特別攻撃隊員名簿」に載せられるようになるのだそうだ。そして、遺品や写真などが「知覧特攻平和会館」に永久に保存されると...

  8. 会津の「わたつみのこえ」を聞く29 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    会津の「わたつみのこえ」を聞く29

     2017年の参院選結果をお隣の新潟県の知事選の結果を受けて整理しているのは、東北の参議院選の結果から読み取るべきものがあると感じたからだと思う。福島県に限定して眺めてみれば、現職の岩城法務大臣が落選していることも付け加えておく。 最近、田舎から眺める全国ニュースは、我々とは別の国の出来事のように感じる。 現在のトップが牽引する内閣支持率もべらぼうに高く感じる。 ネットで拾える比較的最近の情...

  9. 会津の「わたつみのこえ」を聞く28 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    会津の「わたつみのこえ」を聞く28

     「朝日新聞」のザコラム「悲劇の石碑涙の祈りを忘れない(駒野毅2016/7/7)」を参考にしたのは、「兵戈無用」の石碑を建てた西蓮寺住職秋月亨観氏の思いを想像するためだった。 しかし、このコラムで言いたいのは「兵戈無用」の碑についてふれる前に、参議院議員選についてふれた次の事だろうと思われる。 10日に開票される参院選は、平和憲法に象徴される戦後レジームを、維持するか変えるか、大きな節目にな...

  10. 会津の「わたつみのこえ」を聞く27 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    会津の「わたつみのこえ」を聞く27

     「兵戈無用」の石碑を建てた西蓮寺住職秋月亨観氏の思いを想像するのに、「朝日新聞」のザコラム「悲劇の石碑涙の祈りを忘れない(駒野毅2016/7/7)」を参考にしている。 このコラムでは、まずは福島県猪苗代湖の長谷川信氏の石碑を紹介し、経歴や日記から信氏の思いが紹介される。 次の項で、母校明治学院大学が、その「百年史」でこの信氏の評伝にほぼ一章分を費やして記録するという取り組みが紹介される。 ...

  11. 会津の「わたつみのこえ」を聞く26 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    会津の「わたつみのこえ」を聞く26

     西蓮寺の碑に刻まれる「兵戈無用」が恒久平和を祈る言葉であり、信氏が涙した祈りを忘れてはならないと建立されたということだ。 その石碑の礎石に「学徒出陣された長谷川信氏(西蓮寺門徒)のこえ」として昭和19年4月20日の日記から「明日から食堂にいって食卓に坐る時、お念佛しようと思ふ。あのいやな目付きを自分もしてゐると思ったらゾーッとする。眼を閉って、お念佛をしようと思う。」が刻まれる。 その日の...

  12. 会津の「わたつみのこえ」を聞く25 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    会津の「わたつみのこえ」を聞く25

     西蓮寺に建立された碑に刻まれるのは、「兵戈無用」。 この言葉、確認してようやく分かったつもりになれたところだ。 「兵戈を用いること無し」とは読めるし、兵は兵隊であることは分かるが、戈が分からなかった。これを確認すると、戈は盾と矛のほこの意味で、要は武器のことらしい。 「兵も武器も用いること無し」ということになるようだ。 もうちょっと確認を進めると、「大谷大学」ホームページに、生活の中の仏器...

  13. 会津の「わたつみのこえ」を聞く24 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    会津の「わたつみのこえ」を聞く24

     会津の人々が、会津の「わたつみのこえ」をどう聞いたかということで、御両親、親友、恩師について確認してきたが、それらは相互に影響し合っていることが分かる。 その間に発行される週刊誌、新聞の記事、それに信氏の母校明治の百年史の発刊なども影響し合っている。 その「明治学院百年史」が発刊については「会津の『わたつみのこえ』を聞く⑥」から「会津の『わたつみのこえ』を聞く⑨」に整理しているが、これが昭...

  14. 会津の「わたつみのこえ」を聞く23 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    会津の「わたつみのこえ」を聞く23

     会津の人々は、会津の「わたつみのこえ」をどう聞いたかということで、まずは御両親について整理したが、次に確認できるのが、親友の浅野恒氏。 この方については、先に「会津の「わたつみのこえ」を聞く⑲」で整理している。 ご自身が神への献身を決意して日本聖書神学校に学んで牧師になられるのも、この日記を読んで受けた大きな衝撃が一つの契機になっていたと思われるということだった。 そして、この方が日本聖書...

  15. 会津の「わたつみのこえ」を聞く22 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    会津の「わたつみのこえ」を聞く22

     これから、会津の人々は、会津の「わたつみのこえ」をどう聞いたかを整理していく。 まずは、御両親。 「『きけわだつみのこえ』と長谷川信(栗木好次)」によると、長谷川信氏の戦死の公報が届き、年老いた両親は日記に書き残してあった「猪苗代湖畔に石碑を」を何としても実現しなくてはと思」ったとある。 「明治学院百年史」では、その前に、信氏の戦死の公報が届いて、その思いに至るようになるまでの心情について...

  16. 会津の「わたつみのこえ」を聞く21 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    会津の「わたつみのこえ」を聞く21

     「会津の『わたつみのこえ』を聞く③」で、地元ならではの情報として妹の件での誤りは先に記した。 確認しておくと、「妹が満州医大進学希望だった」というのは読み取りの誤りであり、満州医大進学希望は信氏自身だったことだ。このことについては、「会津の『わたつみのこえ』を聞く④」で訂正したところだ。 もう一つ、地元ならではの情報としたのことがあった。 幼馴染みの少女の動向だ。 小学校から同級だった女性...

  17. 会津の「わたつみのこえ」を聞く⑳ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    会津の「わたつみのこえ」を聞く⑳

     「明治学院百年史」では、第4節「軍隊生活における長谷川信の日記」を中心に、その日記の記述の後ろに(S)と(K)のどちらかの記号が付されている。 最初は気づかなかったのだが、これが「きけわだつみのこえ」で紹介された記述については(K)の符号を付し、「週刊現代」で紹介された記述については(S)の符号が付されて、それの再録であることが記される。それが分かるのは、この冊子の最後に付された各章別注の...

  18. 会津の「わたつみのこえ」を聞く⑲ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    会津の「わたつみのこえ」を聞く⑲

     「『きけわだつみのこえ』と長谷川信(栗木好次)」では、長谷川信氏と浅野恒氏の関係を「予科士官学校の親友浅野恒」というふうに表現するが、長谷川信氏は予科士官学校の経歴はない。 その紹介文の前後の脈絡から、長谷川信氏が、昭和14年春に会津中学休学から復帰し、喜多方中学編入にしようと悩んでいた時期に、浅野恒氏にその悩みを打ち明ける葉書を送ったのだが、その当時、浅野恒氏は予科士官学校に通っていたと...

  19. 会津の「わたつみのこえ」を聞く⑱ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    会津の「わたつみのこえ」を聞く⑱

     世田谷区立東大原小学校同窓会報(平成24年度号)の「学童疎開のころ」の再疎開にかかわる情報で、気になったのはその期日だ。 昭和19年3月には、浅間温泉も食糧難で再疎開することになり天竜川流域の伊那地方、飯田市の手前の村々へ移ったという情報だ。 浅間温泉では10か所に分散していたようだが、伊那では5つの村に分かれたという。伊那では食料だけでなく、風呂でも苦労したという。当然普通のお風呂なので...

  20. 会津の「わたつみのこえ」を聞く⑰ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    会津の「わたつみのこえ」を聞く⑰

     「世田谷ボランティアセンター」のページの「セボネ8月号特集『世田谷の疎開児童と特攻隊の出会い~戦争体験を聴く会、語る会より~』」と題した記事があり、その中の「特攻隊の若者の思いを聴く」という項が、昨日まで整理している疎開児童秋元佳子さん証言とかかわることだと思われる。 http://blog.canpan.info/setabora-vc/monthly/201508/1 昭和20年3月の...

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