赤松則村(円心)のタグまとめ

赤松則村(円心)」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには赤松則村(円心)に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「赤松則村(円心)」タグの記事(9)

  1. 太平記を歩く。 その37 「滝山城跡」 神戸市中央区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その37 「滝山城跡」 神戸市中央区

    「その8」で紹介した布引の滝の西側にある滝山城に来ました。場所は、JR山陽新幹線・新神戸駅の裏山です。 滝山城の築城年代は定かではありませんが、京都東福寺の良覚が記した『正慶乱離志』によると、摩耶山合戦から1ヶ月余りあとの元弘3年(1333年)4月、赤松則村(円心)の陣として、ここ滝山城が使われたと記されています。 城跡への登山道は2とおりありますが、この日は先に「布引の滝」を訪れたので、東...

  2. 太平記を歩く。 その35 「山王神社」 神戸市北区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その35 「山王神社」 神戸市北区

    専念寺から南西に300mほどのところにある「山王神社」を訪れました。 ここは何の予備知識もなく、専念寺を訪れたついでに、同じ集落で目に入ったので立ち寄ってみたのですが、偶然にも、ここも赤松則村(円心)・則祐父子ゆかりの神社だったようです。 拝殿です。 拝殿横に設置された説明板です。「建武動乱の折り、戦勝を祈願して円心・則祐が金幣などを奉納した」とありますね。でも、前稿の専念寺と同じく、その立...

  3. 太平記を歩く。 その34 「唐櫃城跡(専念寺)」 神戸市北区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その34 「唐櫃城跡(専念寺)」 神戸市北区

    神戸市北区の有馬温泉の近くにある「専念寺」というお寺の地が、かつて唐櫃城があったとされる場所で、赤松則村(円心)が一時滞在していたといわれているそうで、訪れました。 専念寺は、「その33」で紹介した五社八幡神社から直線距離にして約2km南にあり、摩耶山城からは六甲山脈を超えた北側になります(神戸では、六甲山北側のことを「裏六甲」といいます)。 現地説明板によると、円心が滞在していたのは「建武...

  4. 太平記を歩く。 その33 「五社八幡神社」 神戸市北区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その33 「五社八幡神社」 神戸市北区

    神戸市北区にある「五社八幡神社」を訪れました。元弘3年(1333年)2月の「摩耶山合戦」の際、摩耶山城を本拠とした赤松則村(円心)は、北方の備えとしてこの背山に支城を築き、荒廃した社殿を再建して戦勝を祈願したと伝えられます。 その甲斐あって赤松軍は幕府六波羅軍に大勝し、倒幕の勢いにのります。鎌倉幕府の瓦解は、遠く離れた神戸のまちから始まっていました。 時代は下って戦国時代、三木城主別所長治の...

  5. 太平記を歩く。 その32 「五鬼城展望公園」 神戸市灘区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その32 「五鬼城展望公園」 神戸市灘区

    摩耶山の麓にある、「五鬼城展望公園」を訪れました。かつてここは摩耶山城の砦のひとつだったと考えられています。摩耶山の登山口に位置し、「摩耶山合戦」に関わっていないはずはないと思い、シリーズに加えました。 「五鬼城展望公園」へのルートは、摩耶山登山道と同じです。 五鬼城の名称の由来は、昔この地を支配していた豪族・五鬼氏からきたものだそうです。以下、説明板より引用。 五鬼城之由来 昔この地に五鬼...

  6. 太平記を歩く。 その31 「六甲八幡神社」 神戸市灘区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その31 「六甲八幡神社」 神戸市灘区

    阪急六甲駅のすぐ南にある森が、六甲八幡神社です。 『太平記』によると、元弘3年(1333年)2月の「摩耶山合戦」において、摩耶山城に籠る赤松則村(円心)に対し、幕府六波羅の軍勢が「八幡林よりぞ寄たりける」とあるのですが、その「八幡林」が、ここ八幡神社の森と考えられています。 いまは街なかにありながらも、境内は広い森となっています。このあたりの住所は現在も八幡町といい、たぶん、当時はこの辺り一...

  7. 太平記を歩く。 その30 「赤松城跡(神戸大学キャンパス内)」 神戸市灘区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その30 「赤松城跡(神戸大学キャンパ...

    神戸市灘区の山の手にある国立神戸大学のキャンパスが、赤松則村(円心)の建てた「赤松城」だったという伝承があります。 『太平記』によると、円心は大塔宮護良親王の令旨を持って都から帰った子・赤松則祐の勧めで、一族に奮起を促し、「当国赤松城に馳せ参ぜしむべし」と伝えたといわれますが、その赤松城というのが、ここ神戸大学の敷地だったとの説です。 明治41年(1908年)の発掘調査で遺構や石垣跡が発見さ...

  8. 太平記を歩く。 その29 「摩耶山城跡」 神戸市北区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その29 「摩耶山城跡」 神戸市北区

    神戸市に横たわる六甲山脈のなかで、六甲山の次に標高の高い摩耶山上に、かつて摩耶山城がありました。ここは、元弘3年(1333年)に播磨国の守護大名、赤松則村(円心)によって築かれた城です。 城跡には徒歩でも登れますが、登山に慣れないわたしは摩耶ケーブルで登ります。 摩耶ケーブルの終点「虹の駅」のある一帯が東の曲輪群だそうです。虹の駅からの眺望。神戸港から大阪湾が一望できます。空気が澄んでいたら...

  9. 太平記を歩く。 その11 「杉坂峠関所跡」 兵庫県佐用郡佐用町と岡山県美作市の境 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その11 「杉坂峠関所跡」 兵庫県佐用...

    兵庫県佐用郡佐用町と岡山県美作市の県境にある杉坂峠を訪れました。ここは、旧令制国における播磨国と美作国の国境にあった関所跡です。 元弘2年(1332年)、元弘の乱に敗れて隠岐に配流される途中の後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)を、備前国の武士、児島高徳が奪回すべく立ち上がり、前稿で紹介した船坂峠で待ち伏せますが、天皇護送団一行の移動ルートを見誤り、計画は失敗に終わります。その後、天皇一...

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