足利尊氏のタグまとめ

足利尊氏」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには足利尊氏に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「足利尊氏」タグの記事(13)

  1. 太平記を歩く。 その101 「真光寺」 神戸市兵庫区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その101 「真光寺」 神戸市兵庫区

    神戸市兵庫区にある真光寺を訪れました。一遍上人が中興の開祖として知られる同寺ですが、「湊川の戦い」の戦後、足利尊氏が楠木正成の供養を行ったと伝わる寺でもあります。 正成の首は前稿で紹介した阿弥陀寺の石の上で首実検が行われたあと、京の六条河原に1日だけ晒されますが、その後、尊氏はここ真光寺において正成の大供養会をとりおこない、首は正成の本拠地である河内の水分に届けさせたと、『太平記』は伝えます...

  2. 太平記を歩く。 その100 「阿弥陀寺(楠木正成首改め石)」 神戸市兵庫区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その100 「阿弥陀寺(楠木正成首改め...

    神戸市兵庫区にある阿弥陀寺にやってきました。ここには、湊川の戦いに勝利した足利尊氏が、討死した楠木正成の首実検を行ったと伝わる石があります。 本堂です。 境内の一角に、池を松が囲んだ庭園風の場所があります。その池の中央に、大きな石があるのですが、これが「楠木正成首改め石」だと伝わるものです。 説明板によると、池中の大石は、平清盛が魚を供養するために建てた魚の御堂礎石とも伝えられますが、延元...

  3. 太平記を歩く。 その98 「生田の森」 神戸市中央区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その98 「生田の森」 神戸市中央区

    足利尊氏の水軍を討つべく経ケ島に陣を布いた新田義貞でしたが、足利軍の巧みな戦略の前に押され、中央区の生田の森まで後退することになります。 すでに楠木正成軍を討った足利軍は、ここ生田の森で三方から集中して新田軍に襲いかかります。『太平記』巻16「新田殿湊河合戦事」によると、新田軍は奮戦し、合戦は「新田・足利の国の争ひ今を限りとぞ見えたりける」との激しさを見せます。 合戦の規模からすると、ここ生...

  4. 太平記を歩く。 その90 「楠木正成本陣跡」 神戸市兵庫区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その90 「楠木正成本陣跡」 神戸市兵庫区

    神戸市兵庫区の山の手にある会下山公園を訪れました。ここは、湊川の戦いにおいて楠木正成が陣を布いたといわれるところです。 『太平記』には楠木正成軍が陣を置いた地について、「湊川の西の宿にひかえて、陸地の敵に相向う」と記されており、『梅松論』には「湊川の後ろの山より里まで」とあります。それらの条件を満たす場所といえば、高台になっているこの場所なんですね。現在は、見晴らしのいい公園になっており、そ...

  5. 太平記を歩く。 その89 「松尾稲荷神社」 神戸市兵庫区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その89 「松尾稲荷神社」 神戸市兵庫区

    神戸市兵庫区にある松尾稲荷神社という小さな神社も、『太平記』にかかわりがあると聞いて訪れました。 現在は「松福さん」とよばれるアメリカ渡来の福神ビリケンが社殿の中の奥に祀られていることで知られています。 その社伝によると、かつては湊川の堤防上に鎮座していたといい、延元元年/建武3年(1336年)5月25日に足利尊氏軍と激突した「湊川の戦い」に臨む楠木正成が、堤防上に聳える松の大樹を目印に一族...

  6. 太平記を歩く。 その88 「南宮宇佐八幡神社」 神戸市中央区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その88 「南宮宇佐八幡神社」 神戸市中央区

    神戸市中央区脇浜にある、南宮宇佐八幡神社を訪れました。ここは、湊川の戦いに出陣途中の楠木正成が、この付近に馬を留めて武運を祈願したといわれ、のちに村人が八幡社をこの地の建てたと伝わる神社です。 現地説明板の文をそのまま引用します。 創建は古書によると、「建武3年(1336年)楠木正成、足利尊氏追討の命を奉じ、兵庫に出陣の途次、当脇浜に同志を集め休息せし時遥に八幡宮を拝して湊川に下向し、勝利を...

  7. 太平記を歩く。 その81 「感状山城跡」 兵庫県相生市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その81 「感状山城跡」 兵庫県相生市

    「その72」で紹介した白旗城から東へ7kmほどの場所にある感状山城跡を訪れました。ここは、建武3年(1336年)に赤松則村(円心)が白旗城にて新田義貞軍を50日間足止めにする戦いを演じた際、円心の三男・赤松則祐が、父に呼応してこの城に籠城し、白旗城を援護したと伝わる城です。 もとはこの城は瓜生城と呼ばれ、鎌倉時代に瓜生左衛門尉によって創築されたと伝えられますが、「白旗山合戦」の戦功により、足...

  8. 太平記を歩く。 その70 「慶雲寺」 神戸市須磨区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その70 「慶雲寺」 神戸市須磨区

    前稿の宝満寺につづいて、この時期の足利尊氏にまつわる伝承が残る寺院が神戸市内にもう1ヵ所あります。湊川の戦いの舞台からはちょっと離れているのですが、須磨区車にある慶雲寺です。 その伝承によると、湊川の戦いのとき、足利尊氏軍の軍勢の近くに一人の僧侶が現われ、その僧が尊氏めがけて飛んでくる幾本もの矢を空中で受け止めては投げ捨ててくれたといいます。そのおかげで、味方をまったく傷つかずにすみ、尊氏軍...

  9. 太平記を歩く。 その69 「福海寺(足利尊氏開祖)」 神戸市兵庫区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その69 「福海寺(足利尊氏開祖)」 ...

    足利尊氏が開祖という神戸市兵庫区の福海寺に来ました。建武3年(1336年)、京都を脱出して西へと敗走する足利尊氏が、新田義貞の軍勢に追われたとき、この地にあった観音堂の下に身を隠して難を逃れたといわれ、その報恩のため、のちに尊氏がこの寺を建立したと伝えられています。 先の話になりますが、「湊川の戦い」で楠本正成が戦死し、新田義貞が敗走したことにより、足利尊氏は京へ戻り、延元元年/建武3年(1...

  10. 太平記を歩く。 その68 「宝満寺」 神戸市長田区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その68 「宝満寺」 神戸市長田区

    神戸市長田区にある宝満寺を訪れました。打出合戦に敗れた足利尊氏が敗走中にここを訪れ、再起を願い、武運を守るようにと祈願したと伝えられます。 その後、尊氏は兵庫から九州へ敗走しますが、筑紫(福岡県)の多々良浜で菊池武敏軍と戦った多々良浜の戦いのとき、突然、突風が吹き、その中から一人の少年が尊氏の前に現われ、矢竹をほしいと頼んだといいます。尊氏は、その少年に一本の矢竹を与えました。その後、勢力を...

  11. 太平記を歩く。 その67 「藤之寺(北風家菩提寺)」 神戸市兵庫区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その67 「藤之寺(北風家菩提寺)」 ...

    神戸市兵庫区にある、藤之寺にやってきました。ここは兵庫津の豪商・北風家の菩提寺として知られますが、その北風家の祖先が、『太平記』に関わっていると知り、ここを訪れました。 伝承によると、建武3年(1336年)2月10・11日の打出合戦に破れた足利尊氏軍が、兵庫津から船で九州に敗走しようとしていたとき、この地に古くから住む豪族・白藤氏の第44代・白藤惟村が、北風を利用して足利軍の船に火をつけ、足...

  12. 太平記を歩く。 その66 「打出合戦、大楠公戦跡の碑」 兵庫県芦屋市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その66 「打出合戦、大楠公戦跡の碑」...

    建武3年(1336年)2月10・11日に起きた、打出合戦の地を訪れました。現在、その跡地である兵庫県芦屋市楠木町には、「大楠公戦跡」と刻まれた巨大な石碑があります。 「建武の新政」に不満を募らせた武士たちの期待に呼応するかたちで、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)に反旗を翻した足利尊氏は、建武2年(1335年)12月11日、攻め寄せた新田義貞軍を箱根竹ノ下で撃破すると、その勢いで、翌年...

  13. 太平記を歩く。 その65 「一乗寺下り松」 京都市左京区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その65 「一乗寺下り松」 京都市左京区

    京都市左京区にある「一乗寺下り松」を訪れました。ここに、「大楠公戦陣蹟」と刻まれた、大きな石碑があります。 「建武の新政」に不満を募らせた武士たちによって混乱が生じはじめた建武2年(1335年)7月、滅亡した鎌倉幕府の執権だった北条高時の遺児・北条時行が、幕府再興を掲げて信濃で挙兵し、進軍して鎌倉を占拠する「中先代の乱」が起きます。これを鎮圧に向かった足利尊氏は、乱を平定したのちも鎌倉に留ま...

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