アート・建築・映画・サブカルのタグまとめ

アート・建築・映画・サブカル」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログにはアート・建築・映画・サブカルに関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「アート・建築・映画・サブカル」タグの記事(30)

  1. 瀬戸内国際芸術祭とLCC拡充で高松市内に海外の若者向けゲストハウスが急増中 - ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

    瀬戸内国際芸術祭とLCC拡充で高松市内に海外の若者向け...

    ある仕事で香川県の2016年の県外からの観光客入込数を調べたところ、936万8000人(前年比1.8%増)で2年連続で増加しています。これは、香川県にとって過去最大だった瀬戸大橋開通の昭和63年の1035万人に次ぐ2番目の入込数となっているとか。一方、入込数ではなく、観光庁が香川県内に宿泊した延べ数を調べた宿泊旅行統計調査(平成28年)をみると、興味深いデータがうかがえます。香川県2016年...

  2. 104 ポーランド生まれの木材商人コヴァルスキーの館(ハルビン) - ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

    104 ポーランド生まれの木材商人コヴァルスキーの館(...

    ハルビン駅から紅博広場に向かって郵政街を左に曲がった先に、かつてポーランド生まれの木材商人コヴァルスキーの建てた洋館がある。彼は東清鉄道建設が始まった1898年にハルビンに来て、木材ビジネスで巨万の富を築いた。ハルビンを代表する豪邸で、新中国建設後は毛沢東をはじめとする領袖たちの黒龍江訪問時の住居兼執務室として使われた。現在、革命領袖視察記念館となっている。(撮影/2014年7月)※ハルビン...

  3. 100松花江沿いのシベリア建築 - ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

    100松花江沿いのシベリア建築

    松花江沿いの公園には、木造のシベリア建築がいくつも残っている。1930年代に日本の建築家によって建てられたもので、当時は夏の行楽と憩いの場となっていた。現在はカフェやショップとして使われている。(撮影/2014年7月) ※松花江沿いにはロシア人が建てたヨットクラブの建物なども残っていて、いまはレストランとして使われています。ロシア料理を出す店もあります。ボーダーツーリズム(国境観光)を楽しも...

  4. 099アールヌーヴォー建築はKFCになっていた - ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

    099アールヌーヴォー建築はKFCになっていた

    かつてハルビンを代表するロシア正教会(中央寺院)のあった紅博広場の近くにある、ユニークなアールヌーヴォー建築も旧東清鉄道社宅だった。1990年代には中国への進出の早かったベネトンのショップだった時期もあったが、現在、KFCとして使われている。(撮影/2014年7月) ※この種の中国のユニークな建築の存在に最初に目を付けたのは、外資系企業でした。中国建国以降、灰色の社会主義建築で覆われていたハ...

  5. 098旧東清鉄道社員の宿舎(現ハルビン南崗展覧館) - ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

    098旧東清鉄道社員の宿舎(現ハルビン南崗展覧館)

    ハルビンに東清鉄道を建設したロシア人たちの社員宿舎だったという建物は、この町にあるアールヌーヴォー建築の代表作のひとつ。現在はハルビンの100年間の歴史を展示する博物館として使われているが、かつては幼稚園として使われた時代もあった。(撮影/2014年7月)※ぼくはこのユニークな建物が幼稚園として使われていた1990年の頃、ここを訪ねたことがあります。子供たちが好むようにピンクや黄色などに塗り...

  6. 097ハルビンはアールヌーヴォーの街 - ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

    097ハルビンはアールヌーヴォーの街

    19世紀末にロシア人に造られたハルビンには、ヨーロッパから多くの外国人が集まってきており、さまざまな様式の西洋建築が建てられた。なかでも当時隆盛を極めたアールヌーヴォー建築が、遠く離れたこの地に周回遅れで建てられた面がある。その有機的なモチーフや曲線を多用するデザインは遊び心にあふれていて、当時のハルビンはまるでおとぎの国のようでもあった。(撮影/2014年7月)※いまでこそ、高層ビルもずい...

  7. 日本時代の記憶がそこかしこに残るサハリンの港町コルサコフ - ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

    日本時代の記憶がそこかしこに残るサハリンの港町コルサコフ

    コルサコフは少々くたびれた感じの港町ですが、戦前から稚内と航路もつながっており、日本時代の樺太の記憶がそこかしこに残っています。日本からの航路の玄関口としては垢抜けなさがちょっと残念な港町コルサコフ http://inbound.exblog.jp/27262734/港に近い線路跡のさびれた光景は、日本のどこかの昭和の風景のようにも思えてきます。日本時代に建てられたレンガ倉庫も残っています。...

  8. 旧落合王子製紙工場跡の管理人は話す「こうなったのはゴルバチョフの頃だ」 - ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

    旧落合王子製紙工場跡の管理人は話す「こうなったのはゴル...

    ポロナイスクから夜行列車に乗って、朝5時半過ぎにドリンスクに到着。そのまま乗っていれば、1時間後にユジノサハリンスクに着くのに、わざわざこの駅で降りたのは、前日に引き続き、旧王子製紙工場跡を訪ねるためでした。駅を降りると、ホテルが1軒ありましたが、鍵がかかって中に入れないし、カフェも開いていない。タクシーもいません。一瞬、途方に暮れましたが、少し歩くと、食材店があり、ドリンクとハンバーガーを...

  9. 「樺太には樹木がない」と書いた林芙美子と旧敷香王子製紙工場廃墟 - ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

    「樺太には樹木がない」と書いた林芙美子と旧敷香王子製紙...

    ポロナイスクでは、旧敷香王子製紙工場の廃墟も訪ねています。昭和10年(1935年)に操業を開始した、樺太で最後に造られた工場のようです。確かに、外観はとても現代的な印象です。以下、写真家の佐藤憲一さんの写真を見ていきましょう。ところで、昭和9年(1934年)に樺太を訪ねた林芙美子は「樺太への旅」にこんなことを書いています。「この豊原に来るまでに、一時間あまり車窓を見て驚いた事は、樺太には野山...

  10. 先住民とロシア人、日本人の関係を物語るポロナイスク博物館の展示 - ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

    先住民とロシア人、日本人の関係を物語るポロナイスク博物...

    昭和9年(1934年)6月、林芙美子が訪ねた樺太の敷香町(現ポロナイスク)には、「オタスの杜」と呼ばれた先住民の集落がありました。彼女が書いた紀行文「樺太への旅」によると、そこにはニブフ(ギリヤーク)やウィルタ(オロッコ)、エヴェンキ(キーリン)、ウリチ(サンダー)、ヤクートなどの先住民が集められ、日本語教育が行われていました。大鵬以外にもいるポロナイスク(敷香)と縁のある日本人の話(間宮林...

  11. 084遊園地の中にある旧ウスペンスキー教会 - ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

    084遊園地の中にある旧ウスペンスキー教会

    ハルビンに数ある教会の中でも、独特の雰囲気を残しているのが、旧ウスペンスキー教会だ。1908年に建てられたロシア聖堂だが、現在は遊園地の中にある。蔦のからまる外壁はかなり老朽化していて、立法体の建物の上にちょこんと載る円筒系の塔には鐘が吊るされていたはずだが、現在非公開。(撮影/2014年7月)※ウスペンスキー教会は、ハルビンの中でいちばん好きな教会です。遊園地の中にあるため、周囲はいろんな...

  12. 大鵬以外にもいるポロナイスク(敷香)と縁のある日本人(間宮林蔵、鳥居龍蔵、馬場脩、林芙美子) - ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

    大鵬以外にもいるポロナイスク(敷香)と縁のある日本人(...

    昭和の人気力士、横綱大鵬(本名・納谷幸喜)は昭和15年(1940年)当時日本領だった樺太の敷香町、現在のポロナイスク生まれで、ロシア革命後に樺太に亡命したウクライナ人の父と日本人の母の間に生まれています。大鵬の公式サイトによると、この銅像が建てられたのは、2014年8月15日のことでした。第四十八代横綱大鵬オフィシャルサイトhttp://www.taiho-yokozuna.com/prof...

  13. 「巨人・大鵬・卵焼き」の大鵬が生まれたポロナイスクが思い起こさせる昭和の時代 - ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

    「巨人・大鵬・卵焼き」の大鵬が生まれたポロナイスクが思...

    ユジノサハリンスクから北へ288km、サハリン中南部の東海岸にある港町のポロナイスクは、戦前まで「敷香(しすか)」と呼ばれていました。サハリン南部を日本が領有していたこの時期、敷香は北緯50度線の国境に近い町でした。今年6月中旬、この町を訪ねたのですが、あいにく午後になってもオホーツクの海霧に覆われていて、ずいぶんさびしい土地のように見えました。さらに北にあるノグリキでは好天に恵まれたのです...

  14. 083礼拝が行われているハルビンの教会 - ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

    083礼拝が行われているハルビンの教会

    ハルビンには東方正教系の教会がいくつもあるが、1935年に建てられたアレクセイエフ教会は、現在ハルビン天主堂と呼ばれている。20数年前に訪ねたとき、この教会の鐘は外され、地面に置かれていたが、いまはミサが行われている。地元のおじさんたちの憩いの場でもある。(撮影/2014年7月) ※ミサといっても、ロシア正教ではなく、中国政府が管理するキリスト教です。このような教会は中国各地にあり、中国語の...

  15. 制裁のさなか、なぜ中国は北朝鮮と結ぶ新しい橋を建設するのか - ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

    制裁のさなか、なぜ中国は北朝鮮と結ぶ新しい橋を建設するのか

    先日、中国吉林省延辺朝鮮族自治州の延吉に住む友人から1枚の写真が届きました。これは中朝国境の町、図們で対岸の北朝鮮の南陽と結ぶ新しい橋を建設している光景です。写真の左手が日本時代の1941年に造られた図們大橋、右手が現在建設中の新橋です。旧橋が老朽化したのと、車1台しか走れない幅なので、もっと物流を増やせるように対面で2台の車が走れるような大きな橋になるそうです。再来年に完成の予定だとか。こ...

  16. 082ハルビンのシンボル、聖ソフィア大聖堂 - ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

    082ハルビンのシンボル、聖ソフィア大聖堂

    ハルビン生まれの若いカップルが寄り添い見上げる、ネギ坊主型のドーム屋根にレンガの外壁。かつてのロシア正教会の寺院、聖ソフィア大聖堂はハルビンのシンボルだ。建設は1907年からで、完成したのは1932年。現在は、ハルビンの歴史博物館となって、宗教施設としては使われていない。(撮影/2014年7月) ※ここ本当に中国?と思うかもしれません。戦前はこの町に日本人も多く住んでいました。ボーダーツーリ...

  17. 樺太時代をいまに伝えるサハリン州郷土博物館 - ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

    樺太時代をいまに伝えるサハリン州郷土博物館

    サハリンが樺太と呼ばれていた時代が確かにあったことをいまに伝えるシンボルともいうべき場所がサハリン州郷土博物館です。この威風堂々とした建物は、昭和12年(1937)に樺太庁博物館として建てられました。当時流行していた「帝冠様式」を採用したもので、建築家の貝塚義雄が設計しています。同館の沿革は、サハリン北部のロシア人の最初の居留地のひとつ、アレクサンドロフスク・サハリンスキーにあった国境警備所...

  18. 日本時代の記憶が懐かしいサハリンで購入した写真集 - ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

    日本時代の記憶が懐かしいサハリンで購入した写真集

    今年6月、サハリンに行った話をしたら、知り合いや友人の中に、ご両親や祖父母、親戚が樺太に住んでいたという人が何人かいました。実は現地で購入したこの本は、日本時代と現代の同じ場所の写真を見開きごとに並べた写真集です。ぼく自身はロシア語に不自由しているので、よくわからないところもあるのですが、当時の記憶のある方に見せたらきっと懐かしく思うのではないでしょうか。この写真集の話をサハリン在住の日本の...

  19. ノグリキ郷土博物館で知るサハリン北部に住んでいた先住民族たち - ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

    ノグリキ郷土博物館で知るサハリン北部に住んでいた先住民族たち

    ノグリキは小さな町ですが、かつてサハリン北部に多く住んでいたニブヒ(ギリヤーク)やウイルタ(オロッコ)、エヴェンキなどの先住民族たちの暮らしや歴史を展示する郷土博物館があります。場所は1番バスの終点です。サハリン鉄道終点の町、ノグリキのなんてことのない歩き方http://inbound.exblog.jp/27119084/ そこには、彼ら先住民族の生活道具や衣服、祭祀に使う道具などが展示さ...

  20. サハリン北緯50度線、日ソまぼろしの国境碑跡を訪ねる - ニッポンのインバウンド“参与観察”日誌

    サハリン北緯50度線、日ソまぼろしの国境碑跡を訪ねる

    もう70年以上前のことですが、サハリンの南半分は日本の国土でした。当時、サハリンの北緯50度線に沿って日本とソ連(当時)の陸路の国境があったのです。※同じ1905年にロシアから租借地として移行した中国の関東州(大連)にも清国との陸路国境と税関がその後できています。今年6月、北緯50度線に位置するかつての国境碑の跡を訪ねました。サハリン中央部に位置するポロナイスクのホテルで車をチャーターし、北...

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