イエス・キリストのタグまとめ
「イエス・キリスト」タグの記事(142)
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神から出たものならば〜使徒の働き5章33〜42
彼らはこれを聞いて怒り狂い、使徒たちを殺そうと計った。ところが、すべての人に尊敬されている律法学者で、ガマリエルというパリサイ人が議会の中に立ち、使徒たちをしばらく外に出させるように命じた。それから、議員たちに向かってこう言った。「イスラエルの皆さん。この人々をどう扱うか、よく気をつけてください。というのは、先ごろチゥダが立ち上がって、自分を何か偉い者のように言い、彼に従った男の数が四百人ほ...
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初代教会のクリスチャン 〜使徒の働き2章43〜47
そして、一同の心に恐れが生じ、使徒たちによって、多くの不思議なわざとあかしの奇蹟が行なわれた。信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間...
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主は私の右におられる 〜使徒の働き2章22〜36
イスラエルの人たち。このことばを聞いてください。神はナザレ人イエスによって、あなたがたの間で力あるわざと、不思議なわざと、あかしの奇蹟を行なわれました。それらのことによって、神はあなたがたに、この方のあかしをされたのです。これは、あなたがた自身がご承知のことです。あなたがたは、神の定めた計画と神の予知とによって引き渡されたこの方を、不法な者の手によって十字架につけて殺しました。しかし神は、こ...
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実か行いか
「 しかし、聖霊様が生活を支配してくださる時、私たちのうちに、次のような実を結んでくださいます。 それは、愛、喜び、平安、忍耐、親切、善意、誠実、柔和、自制です。 」 ガラテヤ5章22~23節リビングバイブル 一つぐらいはと、私にも多少はいいところがと、思いたいが…!!もし少しでもあ...
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望みは神から
「民よ、いかなる時にも神に信頼せよ。そのみ前にあなたがたの心を注ぎ出せ。神はわれらの避け所である。」詩篇 62篇8節 「信仰」とは、単純に神様を信頼、信用することですが、ただ相手となる神様が見えません。神様を信じるとは、私たちのすべてが神様のみ手による結果ですから、日々の見える事柄・事態・状況を通して、神様の存在・意思を汲み取ることです。 それは、自分の全存在を神の前にさらけ出し、ありのまま...
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神を恐れよ
「主は私の光、私の救いだ、私はだれを恐れよう。主は私の命のとりでだ。私はだれをおじ恐れよう。」 詩篇 27編1節 イエスが、王の王、主の主として来られる時に、攻撃をしてくる敵どもをことごとく滅ぼされるのです、その神が味方なのですから、敵が自分の肉を食らおうと、彼らのほうが倒れてしまいます。私たちが、いろいろな面で攻撃を受ける時に、審判者であられる主が戻ってこられることを思 っていましょう。 ...
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身代わり
「彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。」イザヤ 53章5節 ここの「刺し通され」ること「砕かれる」ことは、すべて主の十字架において成就しました。「砕かれる」は「傷を負う」と訳すこともできます。釘を手と足に刺し通され、傷を負われました。 けれども「懲らしめ...
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信頼
「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」 エレミヤ29章11節 73歳になろうとして、やっと判りかけてきたことは、私には判らないことが多々あると言うこと。でも、私は無理に分かろうとはしません。全能の神は私の父です。私にいちばん善いことを成してくだるから、でも一つだけ判っ...
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赦しの宣告
「わたしこそ、わたし自身のためにあなたのとがを消す者である。わたしは、あなたの罪を心にとめない。」イザヤ43章25節 主はお決めになりました。彼らの罪を拭い去り、もう罪を思い出さないと決められたのです。ここには、主の新しい契約の内容が書かれています。 神様はなんと奥ゆかしく、つつましい方でしょうか。イエス様によって、私たちの罪ととがを赦し、消し去ってくださいました。 そのうえ、それは自分のた...
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信頼。
「 あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。」詩編119篇105節 「信仰とは、感じられるものでも、目に見えるものでも、理由がわかるものでもなく、ただ、神のみ言葉をそのまま受け取ることである」 クリスマス・エバンス 足の灯火、道の光、ということは、周囲は暗闇ということです。私たちがこの世に生きているということは、暗闇の中に生きていることです。第一ヨハネ5章19節には、「全世界は...
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神の愛と信仰
イザヤ 49:15「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも/わたしがあなたを忘れることは決してない。」 イザヤ43:4「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。…」 エゼキエル 33:11「『わたしは誓って言う。――神である主の御告げ。――わたしは決して悪者の死を喜ばない。かえっ...
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七十倍まで
マタイの福音書18章22節 「断想」という本の一部を紹介します。 「愛だけが人間の救いであり、神を生き、神に生かされる道であることは確かである。しかし、過ち多い人間にとって、神が救いとなるためには、愛と「ゆるし」とは同意語とならなくてはならない。人は無言の鏡の前に立つとき、自分の姿のゆがみに気づき顔の汚れを素直に落とす気になる。しかし、人から指されると、なぜか不愉快になる、鏡は全てを受け入...
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恐れずに。
「では、私たちに有罪を宣告するのはだれですか。 キリスト様ですか。 とんでもない。 キリスト様は、私たちのために死に、そして復活し、今は天で、神の右の最も名誉ある座で、私たちのために祈っていてくださるお方ではありませんか。」 ローマ 8章34節L・B 「この世のすべて我に逆らい、我を絶望に駆り立てうべきとも、我は知る...
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無感覚
「人は自分の愚かさによって道につまずき、かえって心のうちに主をうらむ。」箴言19章3節 これはよく起こりますね。自分の愚かさによって引き起こされた災難を、「神が愛ならば、神が善ならば、なんでこんなひどい仕打ちを私にするのか。」と主に責めます。黙示録で、神の怒りの鉢の災いを受けている人々が、悔い改めないでかえって神にけがしごとを言ったことが書かれています(16:9)。 「自業自得」という言葉が...
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幸福の条件
ピリピ人ヘリ手紙2章7~8節 これは、キリストがお生まれになってから、十字架に至るまでの道についてのことです。イエスさまは人間としてお生まれになっただけではなく、人間の中でも卑しい存在になられました。死ぬためにお生まれになりました。そして単に死ぬのではなく、十字架という極刑によって、極悪人であるというレッテルを張られて死なれることになったのです。このことは私たちが互いに愛し合うために、主自身...
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悩みの日に
「悩みの日に私を呼べ、私はあなたを助け、あなたは私をあがめるであろう。」 詩篇50篇15節 悩みの中にある人を招いてくださる神様がほかにあるでしょうか。しかも、「助け」ると言われます。なぜ、神様はそんなにまで私たちを顧みてくださるのでしょうか。 その理由はただ一つ。 私...
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忘却の福音
「見よ、わたしが大いなる苦しみにあったのは、わが幸福のためであった。あなたがわが命を引きとめて、滅びの穴をまぬかれさせられた。これは、あなたがわが罪をことごとく、あなたの後に捨てられたからである。」 イザヤ38章17節 さて、人は愚かで悟りのないものです。痛い思いをしなければ悟れません。だから、神様はいろんなことを起こされ...
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発明ではなく発見です。
「『見よ、これは新しいものだ』と言われるものがあるか、それはわれわれの前にあった世々に、すでにあったものである。」 伝道者の書1章10節 これは人の世の姿です。人は常に事新しいもの、刺激をもとめますが、新しいといわれるどんなものも、すでにあったものを焼き直したにすぎません。例えば、科学技術が発展して、あたかも自分たちが新しい時代、新しい考えを切り開いているかのような錯覚をしています。しかし、...
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溢れる感謝
「すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、神の栄光となるのである。」 Ⅱコリント 4章15節 よみがえりである神の恵みによって、私たちに感謝が満ち溢れると、そこに...
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愛の人へ
「いっさいのことを、愛をもって行いなさい。」 Ⅰコリント 16章14節 素晴らしい言葉ですが、残念ながら私たちには愛がありません。あるのは、我利我欲、自己愛ばかりです。 しかし、失望することはありません。神から愛をいただいているのですから。しかも、神に敵対する者を十字架の上で命を捨てるほどの限りない...