ニュースよりのタグまとめ

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「ニュースより」タグの記事(12)

  1. ニュースより~「仙峡閣が登録有形文化財(建造物)に登録」 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    ニュースより~「仙峡閣が登録有形文化財(建造物)に登録」

    県内各報道は、文化審が19日に以下の5か所18件の建造物が新たに登録有形文化財(建造物)に登録するよう文部科学相に答申したと報じていた。(2019/7/20報道)〇会津若松市の福西本店七件、竹藤(たけとう)四件、仙峡閣一件〇伊達市の旧熊倉家住宅二件、〇大熊町の石田家住宅四件信夫の里を中心に散策している者としては、この中の近隣の伊達市の旧熊倉家住宅も気になるところだが、仙峡閣も気になった。仙峡...

  2. 原町飛行場~長谷川信氏所属武揚隊隊長とのかかわり③ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    原町飛行場~長谷川信氏所属武揚隊隊長とのかかわり③

    散策したり、散策した人の軌跡をたどったりするのには、見取り図から地図に落として、遺跡として残っているものを確かめる必要がある。その資料となるものを探したら、「街道web」の「福島県浜通りの飛行場跡1」として、「原町飛行場」のページに、それを見つけた。http://kaido.the-orj.org/air/hara.htm遺蹟として残るのは、その飛行場全体の東側である事が分かる。具体的には、...

  3. 山中毅さんの訃報に接して⑮ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    山中毅さんの訃報に接して⑮

    昭和33~4年に世界新記録を更新し続けた頃、山中選手が会津若松にやって来て、自分の母校に立ち寄ってくださった。その当時、いわゆる団塊の世代が中学生であり、母校はマンモス校となっていた。確認はしていないが、生徒数は千人近かかったのではないかと思っている。しかし、その思い出を語る人を今のところ確認できない。自分が受けた衝撃は他の人に比べると過剰だったということなのかもしれない。今回の整理をしてい...

  4. 山中毅さんの訃報に接して⑭ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    山中毅さんの訃報に接して⑭

    昭和33~4年に世界新記録を更新し続けた後の頃、山中選手が会津若松にやって来て、自分の母校に立ち寄ってくださった思い出を家族に語ったのは2年ほど前だ。多分、「家族に乾杯」というテレビ番組を家族で一緒に視聴していたのがきっかけだったと思う。その番組の中で出演者が出会った地元の方が、山中選手の家が近くだと紹介した場面があったと思うのだ。番組では、この事にはふれずに進行したのだが、自分としては、彼...

  5. 山中毅さんの訃報に接して⑬ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    山中毅さんの訃報に接して⑬

    会津高等学校の春の選抜甲子園出場に貢献したのは、黒沢投手と渋谷捕手のバッテリーだという大人達の会話だが、このバッテリーにかかわる思い出がある。ただ、この記憶は曖昧だ。少なくとも渋谷捕手が投球練習の球を受けている姿を見かけていると思っている。ただ、これが中学校の校庭だったという記憶なのだ。走り幅跳びの砂場前の助走路だったと思うのだ。その助走路の脇の低鉄棒近くで見ていたのだが、これが衝撃的な体験...

  6. 山中毅さんの訃報に接して⑪ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    山中毅さんの訃報に接して⑪

    早稲田大額のホームページを確認すると、山中選手が「早稲田大学スポーツ功労者表彰」を受けた時の挨拶で、競技人生について次のように述べた事が記されている。オリンピックに3度出場し、4個の銀メダルを獲得しましたが、金メダルは獲得できませんでした。いくら他の大会で優勝しても、オリンピックで優勝できなければ何の意味もありません。4年に1度のオリンピックで最高の状態に持っていくこと、それがアスリートの力...

  7. 山中毅さんの訃報に接して⑩ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    山中毅さんの訃報に接して⑩

    訃報に接し、田舎では、映像で一流選手を目にすることのない時代に、このローマ五輪の翌年に山中選手が目の前に現れたという少年の日の昂奮の記憶を整理した。その昂奮の記憶の接点には、N先生の存在がある。先にも記したように、そのN先生にかかわる情報は、殆どが漕艇競技の指導者としての情報なのだが、当方は漕艇競技に興味がないものだから、それらの情報が直接的に思いでに結びつかなかった。しかし、ひょんなことか...

  8. 山中毅さんの訃報に接して⑨ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    山中毅さんの訃報に接して⑨

    山中選手の活躍に昂奮した記憶は、昭和35年(1960)のローマ五輪なのだと思う。連日現地の速報が新聞やラジオで流されていたはずだ。あの時代の実況の記憶に、映像はない。音声の記憶だ。録音なのか実況中継なのかは分からないが、音声が遠のいたり、鮮明になったりする中、での中継アナウンサーの声が、その思い出を支えている。セリフは、「現在、山中、トップッ」だったり、「トップはローズ、山中が続いています」...

  9. 山中毅さんの訃報に接して⑦ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    山中毅さんの訃報に接して⑦

    母校がボート競技の伝統校であることは、自分には全く関わりの無い事だと思っていた。しかし、N先生を介することによって少年の日に山中選手の胸の厚さに感動する体験を得たのだ。今回、自分の記憶を探りながら猪苗代湖の艇庫を確認する中で、そのN先生が会津にやってくることが、母校がボート競技の伝統校であることがかかわっていたらしいことが分かった。今度は、現在の拠点らしい「福島県営荻野漕艇場」の沿革を確認し...

  10. 山中毅さんの訃報に接して⑤ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    山中毅さんの訃報に接して⑤

    リタイヤされているはずなので、見つかる筈はないと思いつつ、N先生情報をネットで検索してみた。すると、「会津楽水会」なる会にその名が見えた。この会は、昭和56年(1981)に設立された地域ボートクラブのようだが、その設立者に見える喜多方商業高、早稲田大OBの方と、N先生は同じ方なのだろうと思われる。自分の中では、N先生は日本史の先生なのだが、確かに高校の先生になってからは周りの方々はボート部顧...

  11. 山中毅さんの訃報に接して④ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    山中毅さんの訃報に接して④

    記憶がはっきりしないのだが、N先生はS.Y一郎君の家の離れに部屋住んで居たはずだ。部屋を借りていたという事なのか下宿だったのかは、分からない。これは、N先生が学校に赴任する前の話だと思うのだ。N先生は、東京の方で、会津に縁もゆかりもない方であり、憧れで会津やって来たという風な思い込みの記憶もある。この事とS.Y一郎君のお父さんは会津高校の先生だったはずとの記憶を合わせて想像すると、N先生の教...

  12. 山中毅さんの訃報に接して③ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    山中毅さんの訃報に接して③

    この講演会の記憶は、自分の学校に当時注目される世界に通用する方がおいでになったということだけでも、充分思い出深い出来事だ。もっと印象深いのが、その講演会設定にかかわることだ。この講演会は、この学校に赴任した新採用教員を山中選手が訪ねて来たことから設定されたというのが、自分の記憶だ。その新採用教員というのを、仮にN先生としておく。自分の記憶の中では、そのN先生が山中選手の友人で、そのN先生が赴...

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