三島弥彦のタグまとめ

三島弥彦」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには三島弥彦に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「三島弥彦」タグの記事(5)

  1. いだてん~東京オリムピック噺~第11話「百年の孤独」~開会式と三島弥彦選手の挑戦~ - 坂の上のサインボード

    いだてん~東京オリムピック噺~第11話「百年の孤独」~...

    明治45年(1912年)7月6日、第5回ストックホルムオリンピックの開会式が行われました。それは、現在のように大会初日ではなく、大会期間中で最も多くの選手が集まりやすい日に行われたようです。というのも、この頃のオリンピックの開催期間は現在のオリンピックのように半月ほどの日程ではなく、5月5日から7月27日までの約3か月半以上の長丁場だったそうです。当時の交通機関の移動手段などを考えれば、それ...

  2. いだてん~東京オリムピック噺~第10話「真夏の夜の夢」~大森兵蔵の病と三島弥彦の気おくれ~ - 坂の上のサインボード

    いだてん~東京オリムピック噺~第10話「真夏の夜の夢」...

    ストックホルムに着いて数日が経ち、現地での生活に慣れてくると、金栗四三と三島弥彦の両選手は、練習を開始しました。宿舎のホテルから練習用のサブグラウンドはそれほど遠くなく、二人は毎日歩いてそこに通ったそうです。そのときのことを、金栗はこう語っています。 「私は三島選手の手伝いをしてから、マラソンコースを一人で練習した。初めのうちは、気温も低く、外人選手も少なく、楽な気分で走っていたが、六月下旬...

  3. いだてん~東京オリムピック噺~第8話「敵は幾万」~ストックホルムへ~ - 坂の上のサインボード

    いだてん~東京オリムピック噺~第8話「敵は幾万」~スト...

    かくして日本初のオリンピック選手に選ばれた金栗四三と三島弥彦でしたが、問題はその旅費でした。当時、嘉納治五郎が会長を務める大日本体育協会は発足したばかりで、財政の余裕があるはずがありません。そこで嘉納は、国費による援助を文部省に求めますが、まだオリンピックという祭典の認知度が低かったこの時代、遊びのようなものに国費を使うなどあるまじきこととして門前払いでした。当時、日露戦争で使った莫大な戦費...

  4. いだてん~東京オリムピック噺~第7話「おかしな二人」~華麗なる一族・三島家~ - 坂の上のサインボード

    いだてん~東京オリムピック噺~第7話「おかしな二人」~...

    今話はオリンピック代表となった2人の話。オリンピックに行きたくてもお金の工面がつかない金栗四三と、お金はあってもオリンピック出場には難色を示す三島弥彦。2人の両極端な境遇の対比が面白かったですね。 金栗とともにオリンピック代表となった三島弥彦は、当時のスポーツ界のスーパースターでした。東京帝国大学の法科生で、当時の成人男性の平均身長が155cm前後だった時代に170cmを超える長身で、東京帝...

  5. いだてん~東京オリムピック噺~第5話「雨ニモマケズ」~国内予選競技会~ - 坂の上のサインボード

    いだてん~東京オリムピック噺~第5話「雨ニモマケズ」~...

    明治42年(1909年)にアジア人初のIOC(国際オリンピック委員会)委員となった嘉納治五郎は、明治44年(1911年)に自らが会長を務める大日本体育協会を立ち上げ、翌年に行われる予定の第5回ストックホルムオリンピックに日本人選手を初参加させるために動き始めます。協会の主要メンバーは、東京帝国大学(現・東京大学)や早稲田大学、慶応大学、明治大学、そして自身が校長を務める東京高等師範学校(現在...

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