久坂玄瑞のタグまとめ

久坂玄瑞」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには久坂玄瑞に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「久坂玄瑞」タグの記事(7)

  1. 幕末京都逍遥その135「離宮八幡宮・大念寺・宝積寺(禁門の変長州軍本陣)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その135「離宮八幡宮・大念寺・宝積寺(禁...

    京都府と大阪府の境に位置する山崎天王山にやってきました。このあたりは、元治元年7月19日(1864年8月20日)の「禁門の変(蛤御門の変)」の際に長州軍の本陣が布かれた地域です。 前年の八月十八日の政変によって京を追い出されていた長州藩は、名誉回復のチャンスをうかがっていましたが、元治元年6月5日(1864年7月8日)に池田屋事件が起きると、藩内進発派の藩士たちは烈火のごとくいきり立ち、つい...

  2. 幕末京都逍遥その118「詩仙堂」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その118「詩仙堂」

    洛北の一乗寺地区にやってきました。まず初めに訪れたのは、詩仙堂。江戸初期の石川丈山が寛永18年(1641年)に造営、隠棲した山荘跡で、国の史跡に指定されています。ここに、長州藩御楯組のメンバー、久坂玄瑞と寺島忠三郎の位牌が安置されています。 久坂と寺島は、元治元年7月19日(1864年8月20日)に起きた「禁門の変」(蛤御門の変)で落命しました。激情型で過激派志士が多かった長州藩士のなかで、...

  3. 幕末京都逍遥その69「禁門変戦死長州人八名首塚碑(上善寺)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その69「禁門変戦死長州人八名首塚碑(上善寺)」

    相国寺北門から北へ300mほど歩いたところにある上善寺には、元治元年7月19日(1864年8月20日)の「禁門の変」(蛤御門の変)で命を落とした長州藩士の首塚がります。山門の横には、「贈正四位入江九一外七名首塚」と刻まれた石碑があります。ここに葬られているのは、石碑に刻まれていた入江九一をはじめ、原道太、半田門吉、奈須俊平、田村育蔵、緒方弥左衛門、小橋友之輔、そして無名藩士1名の計8名の長州...

  4. 幕末京都逍遥その57「鷹司邸跡(京都御苑)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その57「鷹司邸跡(京都御苑)」

    京都御苑内南端にある「鷹司邸跡」にやってきました。鷹司家は鎌倉期に藤原氏から分かれた公家で、五摂家(近衛、鷹司、九条、一条、二条)のひとつです。「幕末」と呼ばれた時代、鷹司政通・輔煕父子が関白を務めていました。 鷹司政通は、文政6年(1823年)に関白となり、以後、黒船来航から日米和親条約締結後の安政3年(1856年)まで30年以上関白を勤めました。孝明天皇(第121代天皇)からの信頼も厚く...

  5. 幕末京都逍遥その39「久坂玄瑞・吉田稔麿等寓居跡碑(法雲寺)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その39「久坂玄瑞・吉田稔麿等寓居跡碑(法...

    「その33」で紹介した長州藩邸跡のホテルオークラから200mほど北上したところに法雲寺というお寺があるのですが、その入口に、「久坂玄瑞吉田稔麿等 寓居跡碑」と刻まれた石碑があります。 長州藩邸がこの近くにあったことから、当時、このあたりには多くの長州藩士が居住しており、法雲寺もそのひとつとして使用されていました。 文久2年(1862年)7月、久坂玄瑞は同志らと共に公武合体論者の長井雅楽を殺害...

  6. 幕末京都逍遥その6「東山霊山護国神社~長州藩殉難者の墓②」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その6「東山霊山護国神社~長州藩殉難者の墓②」

    昨日の続きです。残りは下の3名、いずれも説明するまでもない人物ですね。 来島又兵衛以外は松下村塾の門下生で、高杉晋作以外は元治元年7月19日(1864年8月20日)に起きた禁門の変(蛤御門の変)で討死した人物です。 久坂玄瑞は高杉晋作、入江九一、吉田稔麿と並んで「松下村塾四天王」と呼ばれた人物ですが、その中でも、特に鋭敏な頭脳の持ち主で、高杉とともに「松下村塾の双璧、龍虎」などと称されました...

  7. 祇園ぞめきその十八 - 花街ぞめき  Kagaizomeki

    祇園ぞめきその十八

    三桝屋跡祇園の君尾にしろ、小梨花にしろ、三本木の幾松にしろ、皆勤皇側でしたが、祇園新地三桝屋の君香は佐幕派の贔屓をうけた芸妓で、特に九条家諸太夫島田左近親章(ちかあき)に愛され、ついに君香は彼によって落籍されました。左近は木屋町三条上がる路地(他の資料は木屋町二条下がる)の一軒...

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