会津藩のタグまとめ

会津藩」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには会津藩に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「会津藩」タグの記事(6)

  1. 「殉節之碑」を発見! - 漆器もある生活

    「殉節之碑」を発見!

    昭和63年に新潟県護国神社に戊辰役東軍慰霊碑を建立にするにあたり、石材店主に相談したところ、「子供の頃、祖父から新潟大神宮の境内に会津の碑を建てた、と聞いた覚えがある」と、意外な話になりました。新潟大神宮の宮司も知らないと言います。 境内を調べたところ、それらしき碑を発見するも、一面苔むして字は砂に埋まってしまっていて全く読めません。 石材店に頼み、碑をきれいに洗ってもらいます。 何とその碑...

  2. 新潟県護国神社には東軍慰霊碑が既にあった! - 漆器もある生活

    新潟県護国神社には東軍慰霊碑が既にあった!

    戊辰役東軍慰霊碑建立の場所は新潟県護国神社の戊辰霊苑が相応しいと考えられましたが、東軍戦死者は賊軍とされています。 招魂社の流れをくむ新潟県護国神社が受け入れてくれるかが問題でした。 因みに、靖国神社(旧招魂社)には、会津藩士の戊辰役戦死者は祭られていません。神社の禰宜に相談したところ、「東軍の遺骨は既に当神社に眠っている」との意外な回答がありました。 慰霊碑の斜め後ろ、薩摩藩士墓の真後ろに...

  3. 新潟県護国神社戊辰の役東軍慰霊碑 - 漆器もある生活

    新潟県護国神社戊辰の役東軍慰霊碑

    戊辰戦争120年の昭和63年11月、新潟県護国神社に戊辰役東軍慰霊碑が建立されました。  その前年の昭和62年5月、会津若松の郷土史家・宮崎十三八氏(元会津若松市商工観光部長)が「百二十年鎮魂せず~越後平野に会津藩士の墓なし」という講演をされました。 「越後平野で戦死した会津藩士の墓、慰霊碑も知らない。未だ鎮魂されていないような気がする」と。 毎日新聞に紹介されると反響大きく、新潟商工会議所...

  4. 新潟県護国神社東軍墓地を訪ねる ~会津四交会の旅 - 漆器もある生活

    新潟県護国神社東軍墓地を訪ねる ~会津四交会の旅

    第四銀行会津支店(本店 新潟市)の取引先会「会津四交会」の旅は、今年は新潟市を尋ねました。 先ず初めに尋ねたのが、新潟県護国神社にある東軍墓地。 ここは戊辰の役殉難者墓で、東軍西軍が一緒に埋葬されています。 とはいえ、西軍死者が県招魂社から当地に移されたのは昭和20年、この東軍慰霊碑が建立されたのは昭和62年です。東軍慰霊碑のすぐ脇に「慰霊碑」のみ書かれた碑が建っています。 昭和60年1月2...

  5. 世界遺産知床半島 5 - 北海道photo一撮り旅

    世界遺産知床半島 5

    宇登呂から観光船で岬の先端まで行く予定をしていましたが、曇り空で断念し「硫黄山航路」で半島中ほどの硫黄山を観て折り返すコースとなりました。「硫黄山」の名称は全国各地にあり北海道から九州まで十座ほどあるようです。知床硫黄山は江戸時代(安政六年~慶応三年)会津藩によって硫黄の採掘が行われ、明治六年開拓使の雇米人地質学者ライマンが知床硫黄山を調査、高純度の硫黄であることが確かめられ明治三十六年まで...

  6. 房総半島会津藩士慰霊祭 - 漆器もある生活

    房総半島会津藩士慰霊祭

    6月3日、富津市の竹岡延命寺で「房総半島会津藩士顕彰会」による「第12回會津藩士慰霊祭」が執り行われました。 会津藩は江戸湾防備のため、1847年~1853年の10年間、房総半島の富津、竹ケ岡に駐留しました。 その間、この地で亡くなられた藩士、家族が延命寺、十夜寺に埋葬されています。約170年前の出来事ですが、地元の方々によって墓も大事に守っていただいています。 戊辰150年ということもあり...

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