倭五王のタグまとめ

倭五王」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには倭五王に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「倭五王」タグの記事(6)

  1. 丹後半島の大型古墳は倭五王の時代とリンクするのか - 地図を楽しむ・古代史の謎

    丹後半島の大型古墳は倭五王の時代とリンクするのか

    丹後半島に出かけたのは、元伊勢皇第神社や元伊勢豊受神社に参詣するためではありません。何より、気になっていたのは「丹後半島の大型古墳は、古墳時代前期で突然消滅する」という博物館側の説明を、確かめに行ったのです。丹波国と九州の結びつきは、何時?どのように?とても気になりました。なぜ、突然消滅したのか、何があったのか。大型古墳の消滅と倭五王家の滅亡とリンクするのか。何処に住み、何を経済的背景に持ち...

  2. 卑弥呼も倭五王もタリシホコの登場しない「日本書紀」と「日本旧記」 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    卑弥呼も倭五王もタリシホコの登場しない「日本書紀」と「...

    倭五王の五人目の「倭王武」の行方を捜していました…倭王興の弟で、478年に宋に上表した倭王武の行方、です。これまで、倭五王の行方を探してきましたが、結局、影も形もないのです。なぜ、倭五王の痕跡がないのか。わたしの結論は次の①~⑤のなかの⑤なのです。①日本書紀の編纂者は、宋書の倭五王をまったく知らなかった。故に、書紀には書かれていない。➁編纂者は倭五王を知っていたが、8世紀の近畿の王権とは無関...

  3. 倭王済が安東大将軍を望んだ理由 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    倭王済が安東大将軍を望んだ理由

    倭の五王は何処に?まだ見つからないのです!五王の行方を捜すためのいくつかの条件があります倭王は冊封体制に組み込まれることを望み、軍事に力を入れていた。それは、仮想敵国の高句麗に対抗するためだった。つまり、高句麗と対峙した天皇を探すこと。倭王は、半島に渡る為ためにも「百済」とは親しくし、高句麗と組みやすい「新羅」には出兵を続けていたと思います。百済にしても、高句麗・新羅の勢力に対抗するためにも...

  4. 倭王珍が安東大将軍を望んだ理由 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    倭王珍が安東大将軍を望んだ理由

    438年、倭王讃没して、弟珍立つ珍は宋に朝貢して、「使時節都督倭・百済・新羅・任那・泰韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭国王」と自ら称し、上表して除正を求めました。兄の路線を継承したのです。438~443年(?)、倭王珍の治世は5年ほどです。珍は兄の後を継承したのですから、没したとき高齢だったと思います。彼も高句麗を仮想敵国として軍事に力を入れたようです。倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓の六国諸...

  5. 狗奴国から糸島、そして津屋崎に進出したのは、倭王だった - 地図を楽しむ・古代史の謎

    狗奴国から糸島、そして津屋崎に進出したのは、倭王だった

    平原王墓の巫女王が、卑弥呼宗女壱与(臺与)なら、その霊力は封じられた福岡県糸島市の平原王墓の主は、霊力を象徴する鏡を全て割られていた壱与の次の時代、王位を奪った一族(一貴山銚子塚古墳を築造)の霊力次の王は、平原王墓の巫女の霊力を象徴する鏡を全て割り、霊力を封じた東西祭祀線上に築造された一貴山銚子塚古墳は、糸島では最大の古墳一貴山銚子塚の主は成功しましたが、一族は支配を確立できたのでしょうか。...

  6. 倭王の交替・邪馬台国以後の倭王の出自は中九州 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    倭王の交替・邪馬台国以後の倭王の出自は中九州

    わたしは、倭王が何処に住んだのかを祭祀線で探してきました。すこしずつ、その場所を紹介してきました。まず、弥生時代の終焉上の写真は、ベンガラを塗った祭祀具です。特別の形を特別に製作焼成し、特別の色を塗って特別の場所で神祭りをしたのです。その祭祀具が福岡のあちこちで一か所にまとまって出土しますが、なぜでしょう?もしや、わけあって一度に破棄されたのではないか、わたしはそう思いました。。壊れたから、...

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