倭王武のタグまとめ

倭王武」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには倭王武に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「倭王武」タグの記事(4)

  1. 卑弥呼も倭五王もタリシホコの登場しない「日本書紀」と「日本旧記」 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    卑弥呼も倭五王もタリシホコの登場しない「日本書紀」と「...

    倭五王の五人目の「倭王武」の行方を捜していました…倭王興の弟で、478年に宋に上表した倭王武の行方、です。これまで、倭五王の行方を探してきましたが、結局、影も形もないのです。なぜ、倭五王の痕跡がないのか。わたしの結論は次の①~⑤のなかの⑤なのです。①日本書紀の編纂者は、宋書の倭五王をまったく知らなかった。故に、書紀には書かれていない。➁編纂者は倭五王を知っていたが、8世紀の近畿の王権とは無関...

  2. 倭王武は雄略天皇ではないが、応神・仁徳王朝は滅亡した - 地図を楽しむ・古代史の謎

    倭王武は雄略天皇ではないが、応神・仁徳王朝は滅亡した

    倭王武は雄略天皇ではない前回のブログで、「倭王武は雄略天皇ではない」と書きました。更に、辛亥年は471年ではなく531年だとも書きました。最近の定説を否定しましたから、大方の人は「嘘だろう!」と思われたでしょう。ですが、普通に「宋書」を読むと、倭王興が活躍した時期に471年は入ります。ですから、辛亥年が471年なら、稲荷山鉄剣にかかれた大王は「興」だとなるのです。(前回のブログ)「稲荷山古墳...

  3. 倭王武は雄略天皇ではない - 地図を楽しむ・古代史の謎

    倭王武は雄略天皇ではない

    倭王興の選択も、やはり宋の冊封体制だった倭王讃・珍・済まで見てきました。彼らが望んだのは、宋の臣下となることではありません。友好国・百済の為に、半島で優位な位置を占めることでした。今回は、倭王興(460~478在位)についてです。興は、済の世子でした。倭王興も、即位した同年に宋に貢献しました。二年後、「安東将軍倭国王」を授与されますが、対立する高句麗は「車騎大将軍開府儀同三司」を授かりました...

  4. 叶わなかったのか、倭王武の開府儀同三司 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    叶わなかったのか、倭王武の開府儀同三司

    武力が王の証だった時代・倭王武の絶望倭の五王(讃・珍・済・興・武)が活躍した時代は、武力がものをいう時代で王も自ら戦いました。戦いによる犠牲と損益は計り知れません。まして、海外への遠征はリスクはあっても得るものは少ないと承知していたでしょう。しかし、倭王達は東アジアの状況から逃れることはできなかった…何とも悲惨ですが。倭国の民は疲弊していたと思います。そこで、書かれたのが倭王武の上表文でした...

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