北畠顕家のタグまとめ

北畠顕家」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには北畠顕家に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「北畠顕家」タグの記事(4)

  1. 室町時代の庭園が残る多気北畠氏城館跡を訪ねて。<前編>北畠神社 - 坂の上のサインボード

    室町時代の庭園が残る多気北畠氏城館跡を訪ねて。<前編>...

    南北朝時代から戦国時代にかけて伊勢国の守護大名だった北畠氏の城館跡が、三重県津市の多気の地にあります。多気(たげ)と読みます。 多気北畠氏城館跡は多気のほぼ中央に位置する館跡と詰城およびその背後の山頂にある霧山城をあわせた総称ですが、この日は夕方からの訪問だったため、麓の館跡のみの見学です。 駐車場にイラストマップがあります。 現在、館跡には北畠神社が鎮座します。北畠神社はその名のとおり、初...

  2. 太平記を歩く。その191「石清水八幡宮」京都府八幡市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その191「石清水八幡宮」京都府八幡市

    京都府八幡市の男山山中に鎮座する「石清水八幡宮」を訪れました。貞観元年(895年)の創建と言われる石清水八幡宮は、数々の歴史の舞台に登場する大社ですが、『太平記』の時代にも、その地理的要衝から恰好の軍事目標となり、何度も軍事拠点となって兵火にも晒されました。 『太平記』で最初に石清水八幡宮が登場するのは、配流先の隠岐島を脱出した後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)が船上山に立てこもると、...

  3. 太平記を歩く。その151「北畠顕家供養塔」大阪府堺市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その151「北畠顕家供養塔」大阪府堺市

    前稿で紹介した阿倍野区にある北畠顕家の墓とは別に、堺市にも顕家の墓があります。 阿倍野の墓は江戸時代に建てられたものですが、こちらは昭和12年(1936年)に顕家600回忌に町の有志によって建てられたものだそうで、墓というより、供養塔と言ったほうが正しいでしょうね。 『太平記』では、顕家戦死の地は摂津阿倍野と記されているので、一般には前稿の墓が有名ですが、近年の研究では、ここ堺市の石津で討死...

  4. 太平記を歩く。その150「北畠顕家墓所」大阪市阿倍野区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その150「北畠顕家墓所」大阪市阿倍野区

    北畠顕家の墓所と伝わる場所に来ました。現在は北畠公園として整備されています。 公園入口の石碑は、昭和14年(1939年)に建てられたものです。 由緒書です。 墓石の周りは塀と柵で囲われていて、なかに入ることはできません。 墓所の前の石碑は大正8年(1919年)のものです。 こちらはの看板には、阿倍野合戦之図と、同合戦に顕家が出陣の際に後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)に送ったとされる上...

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