南北朝のタグまとめ

南北朝」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには南北朝に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「南北朝」タグの記事(20)

  1. 宝塚歌劇「桜嵐記」「Dream Chaser」 - 影はますます長くなる

    宝塚歌劇「桜嵐記」「Dream Chaser」

    実はこのGWに宝塚大劇場で「アウグストゥス」「Cool Beast」を見る予定だった。しかし、緊急事態宣言とやらで、宝塚歌劇も上演中止に追い込まれた為、観劇出来なかった。やっとこの4月の「アウグストゥス」「Cool Beast」から大劇場にオーケストラが戻ってきたと言うのに見られなかったのは残念だった。芝居は上田久美子作・演出の「桜嵐記」、これが結構見応えがあった。いわゆる和物だけど、南北朝...

  2. 楠木正行の新たな人物像と、『太平記』逸話を整合させてみる - とらっしゅのーと

    楠木正行の新たな人物像と、『太平記』逸話を整合させてみる

    今、『南北朝武将列伝南朝編』を少しずつですが読み進めています。比較的名の知れた人もあり、一般には無名ながら重要な働きをした人もあり。話題になったところでは、『逃げ上手の若君』の主人公・北条時行も取り上げられています。さて、こうした武将の中には、従来のイメージとは異なる姿が提唱された人もいます。その一人が、楠木正行。楠木正行は、楠木正成の子。鎌倉の大軍を翻弄した父と同様、南朝の忠臣・名将として...

  3. 足利直義の指揮官能力についてまた妄想してみる〜「弱将」ではないけれど、苦手分野はあるのかも〜 - とらっしゅのーと

    足利直義の指揮官能力についてまた妄想してみる〜「弱将」...

    ※注意ひょっとしたら、将来的に週刊少年ジャンプ連載中漫画『逃げ上手の若君』作中展開のネタバレが含まれる可能性があります。それでも構わない、という方のみ自己責任にてお読みいただければと存じます。「足利直義は、戦下手である」かつてそう言われた事がありますし、僕もそう思っていた時期がありました。しかし、その戦歴を追い直して見ると、予想外の結果だった。いつぞや、そんなお話をいたしました。関連記事:「...

  4. 「直義、尊氏の田楽耽溺に意見」な逸話のソースは〜『続本朝通鑑』でした〜 - とらっしゅのーと

    「直義、尊氏の田楽耽溺に意見」な逸話のソースは〜『続本...

    足利政権初期、将軍尊氏が政務の大半を弟・直義に委任していたのは日本中世史愛好者の間では有名な話です。それに関連して、以下のような逸話が残されている事もご存知の方は多いかと思います。こんな話です。尊氏は田楽に耽溺し、直義が政務に関して相談のため訪問しても無駄足になってしまう事が往々にあるほどでした。見かねた直義が意見すると、「政務はそなたに任せているのだ。わしはもう歳を食っているのだし、余生は...

  5. 菊池寛、四條畷合戦を語る - とらっしゅのーと

    菊池寛、四條畷合戦を語る

    年明けから少し経ったこの時期。この時期における南北朝関連の話題といえば、四条畷の戦いです。南朝の楠木正行軍と北朝の高師直軍が激突した合戦であります。 この戦いが行われたのは、南朝正平三年・北朝貞和四年(1348)一月五日(旧暦での話ではありますが)のこと。楠木正行は名将として名高い正成の子にあたります。正行はこの時期、畿内における南朝の主力として活躍、立て続けに足利方の武将たちを撃破。事態を...

  6. 永井荷風が教えてくれた、万里小路藤房の伝説地in 熱海〜文豪はその遁世に理想を見た?〜 - とらっしゅのーと

    永井荷風が教えてくれた、万里小路藤房の伝説地in 熱海...

    終戦直後の事です。近代の文豪・永井荷風は熱海に短期間身を置いた事がありました。東京の自宅を空襲で失い、焼け出された関係からです。その時期に書かれた随筆『冬日の窓』で、荷風が宿所近くの寺についてこうした言及をしています。その寺はむかし/\西の方の都から彷徨(さまよ)つて来た尊い人が、初めて庵を結んだ跡だと云ふ。その人はわたくしが日本の史上に最も尊崇する人物の一人なのだ。その人は戦勝の後栄えるべ...

  7. 大正天皇御製漢詩と南北朝〜『楠正行』今度は息子さん〜 - とらっしゅのーと

    大正天皇御製漢詩と南北朝〜『楠正行』今度は息子さん〜

    ここしばらく続いている、大正天皇御製の南北朝漢詩シリーズ。何回か続いた楠木正成から離れて、今度は息子の正行さんがテーマです。本ブログに来られる方には御存じの方も多いかと思いますが、一応。正行は、楠木正成の嫡男です。父が湊川の戦いで戦死した後に楠木氏の頭領となり、父同様に南朝のため忠節を尽くし大阪平野でしばしば足利軍を撃破して勇名を馳せます。しかし正平三年(1348)、四條畷の戦いで高師直率い...

  8. 大正天皇御製漢詩と南北朝〜『楠正成』 やっぱり楠公さんがNo. 1?〜 - とらっしゅのーと

    大正天皇御製漢詩と南北朝〜『楠正成』 やっぱり楠公さん...

    大正天皇御製、南北朝漢詩シリーズ。今回も、前回・前々回に続いて楠木正成がテーマです。やはり、戦前期においては正成が国民的英雄であった事を反映してのこの数といえましょう。楠正成勤王百戦甚艱辛妙算奇謀本絶倫臨死七生期滅賊誠忠大節属斯人勤王百戦甚だ艱辛妙算奇謀本と絶倫死に臨んで七生滅賊を期す誠忠大節斯の人に属す(石川忠久編著『大正天皇漢詩集』大修館書店272頁)〈超意訳〉勤皇の志でなした多くの戦い...

  9. 大正天皇御製漢詩と南北朝〜『望金剛山有感於楠正成』その2〜 - とらっしゅのーと

    大正天皇御製漢詩と南北朝〜『望金剛山有感於楠正成』その2〜

    今回も、大正天皇御製の南北朝漢詩シリーズです。前回同様、お題は『太平記』の大スター・楠木正成。詩の題もまた、前回同様に「望金剛山有感於楠正成」と相成ります。望金剛山有感於楠正成一峯高在白雲中千歳猶存気象雄不負行宮半宵夢長教孫子竭誠忠一峰高く白雲の中に在り千歳猶存す気象の雄負かず行宮半宵の夢長く孫子をして誠忠を竭さしむ(石川忠久編著『大正天皇漢詩集』大修館書店262頁)〈超意訳〉金剛山の頂は高...

  10. 大正天皇御製漢詩と南北朝〜『望金剛山有感於楠正成』やはり定番は楠公さん〜 - とらっしゅのーと

    大正天皇御製漢詩と南北朝〜『望金剛山有感於楠正成』やは...

    ここしばらく続けている、大正天皇御製南北朝漢詩シリーズ(?)。今回の主題は、南北朝最大のスターというべき楠木正成となります。正成が籠城し鎌倉方の大軍を翻弄した千早城、金剛山を題材にした詩を今回は取り上げます。望金剛山有感於楠正成金剛嵂崒勢何豪絶頂浮雲想白旄絶代忠臣憑大義偉勲長與此山高金剛嵂崒勢い何ぞ豪なる絶頂の浮雲に白旄を想う絶代の忠臣大義に憑る偉勲長えに此の山と高し(ともに石川忠久編著『大...

  11. 大正天皇御製漢詩と南北朝〜『北畠親房』〜 - とらっしゅのーと

    大正天皇御製漢詩と南北朝〜『北畠親房』〜

    最近、あわよくばシリーズ化しようともくろんでいる「大正天皇御製漢詩と南北朝」。関連記事:「大正天皇御製漢詩と南北朝『芳野懐古』〜吉野は日本漢詩の定番〜」「大正天皇御製漢詩と南北朝〜『金崎城趾』名将・義貞を讃える〜」今回は、後醍醐天皇崩御の後に南朝の柱石となった北畠親房を題材にした漢詩を取り上げます。北畠親房干戈滿地暗風塵著述千秋筆有神顚沛不移心若鐡能明大義古忠臣干戈地に満ち風塵暗し著述千秋筆...

  12. 南朝遺臣ながら、足利将軍家に重んじられた伝統貴族の話〜歌道の重鎮、花山院長親〜 - とらっしゅのーと

    南朝遺臣ながら、足利将軍家に重んじられた伝統貴族の話〜...

    六十年にわたる南北朝の争い。この戦乱は、足利政権が圧倒的な武力をもって、敵対してきた南朝を自らが奉じる北朝に吸収させる結果となって終わりました。旧南朝の皇族や廷臣たちには、そのまま表舞台から消えていった人も多いでしょう。長慶天皇や宗良親王のようにいつどこで没したかすら異説がある人もいるレベルですから。しかしそんな中、南朝の大物でありながら、南北合一後は勝者である足利将軍家から尊重された人物も...

  13. 大正天皇御製漢詩と南北朝〜『金崎城趾』名将・義貞を讃える〜 - とらっしゅのーと

    大正天皇御製漢詩と南北朝〜『金崎城趾』名将・義貞を讃える〜

    先週は、大正天皇御製の漢詩『芳野懐古』をご紹介しました。今回もやはり、大正天皇が南朝を偲ばれた漢詩をば。題は『金崎城址』。金崎城址登臨城址弔英雄日落風寒樹鬱葱身死詔書在衣帯千秋正気見孤忠城址に登臨して英雄を弔う日落ち風寒くして樹鬱葱たり身死して詔書衣帯に在り千秋正気孤忠を見る(石川忠久編著『大正天皇漢詩集』大修館書店共に102頁)〈超意訳〉かつてこの金ヶ崎城で奮戦した英雄新田義貞を弔うため、...

  14. ポスト安倍=現代の後醍醐帝は南北朝のような混乱の恐れも - 広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)

    ポスト安倍=現代の後醍醐帝は南北朝のような混乱の恐れも

    安倍さんというのは、「現体制混乱のどさくさ紛れに旧体制の価値観を凝縮した勘違い人間が天下を取ってかき回した」と言う意味で後醍醐帝に酷似している。鎌倉幕府の行き詰まりが現代の311に相当するだろう。現代日本も民主主義、人権尊重の気風をつくれないとまずい。「安倍後」に後醍醐帝失脚後の南北朝のような大混乱が続くかもしれない。旧ユーゴやイラク、リビア、シリア、イエメンなど権威主義体制だった国はいった...

  15. 後醍醐天皇の遺言冒頭にあった、「如来の金言」とは〜古代、中世日本人に深い影響力が〜 - とらっしゅのーと

    後醍醐天皇の遺言冒頭にあった、「如来の金言」とは〜古代...

    南北朝動乱を彩った帝王、後醍醐天皇。その生涯にわたる奮闘も虚しく、最後は吉野の行宮で崩御した事は広く知られています。そして、その遺言で覇権奪回を命じ、更に死後も京を睨むとの言葉に従って陵墓は北向きに作られた。この事も有名かと思います。 さて、その壮絶な遺言の冒頭はこのようになっています。 「妻子珍宝及王位、臨命終時不随者」、これは如来の金言にして、平生朕が心に感ぜし事なれば、秦の穆公が三老を...

  16. 足利尊氏が、自作の地蔵菩薩像に書き添えた言葉~徳を称える、漢詩風の讃~ - とらっしゅのーと

    足利尊氏が、自作の地蔵菩薩像に書き添えた言葉~徳を称え...

    足利政権初代将軍・尊氏地蔵菩薩の絵をしばしば描いていたのは有名ですね。これを時には家臣に与え、時には寺社に奉納していたそうです。九州に落ち延びた際、夢で地蔵菩薩が現れて危急を救ってくれた事から厚く尊崇するようになったといわれています。その中の一つと言われているのか、鎌倉の浄妙寺にある地蔵菩薩像。尊氏の自筆によるものとされています。地蔵菩薩が描かれた画像の上には讃があり、漢字の形をとっています...

  17. 建武の乱における、討ち取ったと誤認した話〜これも「正成の罠」と人は認識?〜 - とらっしゅのーと

    建武の乱における、討ち取ったと誤認した話〜これも「正成...

    「戦場の霧」なんて物言いを、時に聞きます。また、「人は信じたいものを信じる」なんて言葉も聞いた事もあります。そうした言葉に関連した話題として。「ある人物が戦死したか生存しているかの情報が錯綜する」という現象が時にあるようです。 戦国期にも、上杉謙信の家臣・落合信介を川中島合戦で討ち取ったと、武田氏が誤認したという話があったようで。どこまで事実かは存じませんが。 関連サイト:「戦国ちょっといい...

  18. <過去記事紹介>南北朝好きにとっての、二月二十六日~高師直、足利直義を偲ぶ~ - とらっしゅのーと

    <過去記事紹介>南北朝好きにとっての、二月二十六日~高...

    今日、二月二十六日といえば。南北朝好きにとっては、特別な意味合いがあります。すなわち、高師直(およびその一門多数)と、足利直義の命日。まあ、旧暦なので厳密には異なるのでしょうけど。御存じの方も多いでしょうが、一応。足利直義は足利政権初代将軍・尊氏の弟に当たります。そして高師直は、尊氏の執事。直義と師直は、長年にわたり足利家、そして足利政権をもり立てるべく協力してきました。その成果もあって、南...

  19. 『増鏡』は、日野資朝の辞世をこう伝えた〜『太平記』との異同〜 - とらっしゅのーと

    『増鏡』は、日野資朝の辞世をこう伝えた〜『太平記』との異同〜

    前回、『太平記』をもとに、後醍醐天皇の寵臣・日野資朝らの辞世を見ました。今回は、『増鏡』で少し違うバージョンの資朝の辞世がありましたのでご紹介しようかと。なお。日野俊基については、『増鏡』には辞世の記述がありませんでした。『増鏡』とは、応安年間といいますから14世紀末ごろ。南北朝動乱も終わりに差し掛かった時期に書かれた歴史物語です。作者は二条良基と伝えられます。『大鏡』を始めとする「鏡もの」...

  20. 『太平記』より、日野資朝・日野俊基の辞世 - とらっしゅのーと

    『太平記』より、日野資朝・日野俊基の辞世

    ここしばらく、明智光秀、朝倉義景が辞世として残した漢詩をご紹介しました。 今回は『太平記』を題材に、後醍醐天皇に仕えた側近二人が残した辞世の漢詩についてお話ししようかと。 ご存知の通り、後醍醐天皇は色々あって鎌倉政権と対立、挙兵して軍事的な解決を志すようになります。その前段階として、後醍醐による鎌倉打倒のための陰謀とされる事件が二回ありました。いずれも事前に露見し、首謀者は鎌倉方によって捕縛...

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