古墳・遺跡のタグまとめ

古墳・遺跡」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには古墳・遺跡に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「古墳・遺跡」タグの記事(8)

  1. エジプト太陽の船と筑紫野の五郎丸古墳壁画 - ひもろぎ逍遥

    エジプト太陽の船と筑紫野の五郎丸古墳壁画

    エジプト太陽の船と筑紫野の五郎丸古墳壁画エジプトのクフ王のピラミッドの脇から二つの太陽の船が出土しているが、そのサイズが違っていて、大小二つあるのがずっと気になっていた。一つは帆船で、もう一つの船を曳くようになっているらしい。曳かれる船はキャビンだけで、太陽神ラーとファラオが乗るようになっているそうだ。これと同じ二艘の船の壁画が南アメリカのピラミッド関連の壁画にも描かれていることがRKBテレ...

  2. 三星堆―古蜀国―イ族2 鳥居か? - ひもろぎ逍遥

    三星堆―古蜀国―イ族2 鳥居か?

    三星堆―古蜀国―イ族2 鳥居か?メモが出てきたので、もう少し記録しておこう。アーモンドアイを持つ三星堆の巨大な神像。これは額にある文字。イ族が読むと「パ」という発音で「先祖」という意味になるという。中国の「戦国時代」図。古蜀国とは蜀のことのようだ。紀元前316年、秦は軍資金を得るために蜀を攻めた。紀元前2世紀、蜀は四つの郡に分割された。3世紀に反乱を起こしたイ族は諸葛孔明によって鎮圧される。...

  3. 三星堆―古蜀国―イ族  - ひもろぎ逍遥

    三星堆―古蜀国―イ族 

    三星堆―古蜀国―イ族 秘境中国謎の民「天頂に生きる」(NHK)の再放送があった。初回も見たのだが、これが驚いたことに、三星堆(さんせいたい)の遺跡を生んだ人々が追われて山の上に住むようになった話だった。あの「三星堆」をタイトルに何故入れなかったのか、不思議で仕方がない。今日見ていても、惜しいと思われてならなかった。「三星堆」なら、誰でも見たいと思うのに。「三星堆」の巨大な青銅の像は数年前に九...

  4. 辺津宮―大島―沖ノ島  海底に沈んだ陸と遺跡 - ひもろぎ逍遥

    辺津宮―大島―沖ノ島 海底に沈んだ陸と遺跡

    辺津宮―大島―沖ノ島海底に沈んだ陸と遺跡 いまだに信じられない。かつて大島は陸続きだったという。 神湊の頓宮から大島を撮ったのだが、この間は陸地だったというのだ。しかも、この海が出来たのは475年。倉良の瀬戸という。今から約1500年前のことだ。そんな話を伝えるのは、もちろん真鍋大覚ぐらいしかいない。しかし、海底に沈んだのはこちらだけではない。大島の向こう、沖ノ島の手前にも海底に沈んだものが...

  5. ひめちゃご104 始まりの宮へ - ひもろぎ逍遥

    ひめちゃご104 始まりの宮へ

    ひめちゃご104始まりの宮へ 物部神社から姫方若宮八幡宮へ向かった。「ひめちゃご」の始まりの宮だ。真直ぐの古代道が綾部八幡宮まで続くという。その途中に姫方若宮八幡宮がある。狭い車道を北上した。この日、ウメとタケと私は現地でミノリ一家と合流した。ミノリこそ「ひめちゃご」という言葉を生み出した人だった。民家の前を通って狭い参道を上っていくと、見慣れた姫方若宮八幡宮に出た。銀杏が輝く季節だった。こ...

  6. ひめちゃご103 検見谷遺跡付近地図に画竜点睛を - ひもろぎ逍遥

    ひめちゃご103 検見谷遺跡付近地図に画竜点睛を

    ひめちゃご103検見谷遺跡付近地図に画竜点睛を 前回、検見谷遺跡の場所が分からないと書いたが、チェリーが出土したという佐賀カントリー倶楽部の地図を作製してくれた。以下はそのコメント。<いろんな地図を合成して、マウスでなぞったという荒い地図ですけど…黒い線が佐賀カントリー倶楽部の範囲です。 赤い線が標高20mの等高線、暗い赤の線が標高30mの等高線です。 佐賀カントリーの左上の端あたりに、西か...

  7. ひめちゃご102 検見谷遺跡 12本の綾杉文様の銅矛は出雲より多かった - ひもろぎ逍遥

    ひめちゃご102 検見谷遺跡 12本の綾杉文様の銅矛は...

    ひめちゃご102検見谷遺跡 12本の綾杉文様の銅矛は出雲より多かった さあ、弥生時代に遡ろう。やけに遺跡が多い北茂安町だが、出土は22号線以北に集中するという。そこまでは海が上がってこなかったのだ。丘という丘は甕棺や住居跡だったのではないか、と想像したくなるほど多い。そして、あの麗しき12本の中広型銅矛がこの地域から出土していた。この12本の銅矛が出たのは旧北茂安町だったが、場所が特定できな...

  8. 太平記を歩く。 その152 「丹下城跡(河内大塚山古墳)」 大阪府松原市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その152 「丹下城跡(河内大塚山古墳...

    大阪府南部には、日本一大きな大仙古墳(仁徳天皇陵)をはじめとする大規模な古墳が数多くありますが、その中のひとつ、松原市にある河内大塚山古墳は、南北朝時代、北朝方に属する丹下氏が城を築いていました。それが丹下城です。 丹下氏は伊予橘氏の流れを汲む土豪武士で、河内国丹下を支配していました。伊予橘氏の流れというと、楠木正成の楠木氏も同じで、おそらく遠縁にあたる一族だと思われますが、楠木氏は南朝方、...

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