司馬遼太郎のタグまとめ

司馬遼太郎」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには司馬遼太郎に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「司馬遼太郎」タグの記事(56)

  1. 司馬遼太郎の花神が好き - ときどき日記vol.3

    司馬遼太郎の花神が好き

    司馬遼太郎をよく読む。歴史小説が好きだ。かつては、ビジネス本をどんなにたくさん読んだかしれない。でも、もう読まないな。2年前に教員を辞めるころから、これまた、どんなにたくさんの終活本を読んだかしれない。今まで買ったり読んだりした本を全部取っていたら、2階の部屋は全部埋まっていただろう。それ以上かもしれない。そんなことしたくはないし。邪魔だし。今まで、一度読んだ本が、のちに必要になるってことは...

  2. 司馬遼太郎「義経」 - サンカクバシ 土と私の日記

    司馬遼太郎「義経」

    やっと天気が良くなりましたね。気温もこれ位なら過ごし易く、真夏の暑さとは違ってきました。30℃を超えなければ、どうにか耐えて行けそうです。さてまたブログの更新が停滞しておりました。理由は制作を怠っていたのも一つですが、やはり「義経」熱が嵩じて夢中になっている次第です。で今回は司馬遼太郎氏の「義経」を借りてきました。司馬遼太郎さんの長編小説は初めてなのですが、やはり期待を裏切らずに面白いのです...

  3. あれこれと言い出しかねて 六月尽 - 月はひとり 星は二人で見上げたい - 人生は第四コーナーから

    あれこれと言い出しかねて 六月尽

    『空海の風景』(司馬遼太郎)の中で「この年が人生で一番希望に満ちた時だった」というような表現で書いてあるところがあっていかにも 司馬さんらし書き方やなあとそしてその辺りに どっぷりと感動して自分の人生をそっと振り返ってみる受験というものを失敗してそれが二十歳前に度重な理ながらもやはり 二十歳前に浪人を経て合格という花を咲かせただが 再び落第というぐうたら人生を歩み就職で返り咲いたかのようだっ...

  4. オホーツク街道/司馬遼太郎 - 『文化』を勝手に語る

    オホーツク街道/司馬遼太郎

    つららはうすの現場監理に行くと、定宿は紋別プリンスホテルになる。晩飯は打合せを兼ねてオーナーの南川社長(オホーツク太郎)ととることが多いけど、今回は南川推薦の紋別の料理屋さんでとることに・・ホテルから徒歩5分ほど、『一法亭/いっぽうてい』はネオン街の建物の2階にあった。ホテルの温泉のサウナで喉がカラカラだったこともあり、瓶ビール(生のジョッキはない)を一挙に開けていく。お任せ料理が順番に出さ...

  5. ぼやぼやしとるのがええのや - モルゲンロート

    ぼやぼやしとるのがええのや

    司馬遼太郎『俄(にわか)――浪速遊侠伝』上・下巻を読みました。明石屋万吉という、大坂(大阪)の実在した侠客(1829-1917年)の生涯を追ったものです。万吉個人もさることながら幕末の大坂の様子、気質が伝わり興味深かったです。たとえば――江戸や諸国の城下町というのは、武家と町人の人口がほぼ半々ぐらいにいっている。その点、大坂は例外的に武家の人口が少ない土地で、いわば町人一階級で町を構成してい...

  6. 司馬遼太郎5月15日(土) - しんちゃんの七輪陶芸、12年の日常

    司馬遼太郎5月15日(土)

    「戦雲の夢」著司馬遼太郎もともと、長曾我部家というのは、天智帝の世、百済から帰化した韓人の子孫であるという説がある。代々信州に住み、秦氏を姓とした。秦氏というのは、通常、応神帝十四年に中国の山東から帰化した弓月王の子孫に与えられた姓をさすのだが、盛親の先祖の韓人は、帰化人の名族秦氏にあやかろうとして、その姓を冒したのかもしれない。諸説があるが、一説では応永のころ、十七代元勝という当主が、どう...

  7. 司馬遼太郎のイラスト - イラストレーター河本徹朗のブログ

    司馬遼太郎のイラスト

    輪郭線なしで司馬遼太郎を描きました。昨年中日新聞に描いていた、偉人のイラストのリメイクです。(リメイク前のイラストも載せました。)手描きのようですが、デジタルで描いています。

  8. 青天を衝け第9話「栄一と桜田門外の変」その2~井伊直弼と徳川斉昭の死~ - 坂の上のサインボード

    青天を衝け第9話「栄一と桜田門外の変」その2~井伊直弼...

    「その1」のつづきです。「安政の大獄」によって藩主父子の徳川斉昭・慶篤が処罰され、幕府より勅諚返上命令を受けた水戸藩内では、大紛争が巻き起こり、幕府の指令に忠実に従おうとする鎮派と、断固として返上反対を訴える激派とに二分します。鎮派は主に藩首脳陣で、激派の者たちは主として下級の藩士層でした。藩内の対立が激化するなか、激派の中心人物だった高橋多一郎、金子孫二郎、関鉄之介らは、ひそかに脱藩して江...

  9. 桃の節句が過ぎて啓蟄ですね - 月はひとり 星は二人で見上げたい - 人生は第四コーナーから

    桃の節句が過ぎて啓蟄ですね

    雛祭りが過ぎて啓蟄を迎えて雨が降って春を待つ買い物途中に土佐鶴を見つけて思わず買って帰りました夫婦揃ってこんな時には阿吽の呼吸が働きますおゆうはんではお好み焼きをしましたたらこ・チーズ・モダンでした空海の風景 は未読だったのです大事に読もうっと思ってます【つぶやき】春の雨異動の挨拶も今は無用✌️落第や四十余年前の物語✌️寝る子は育つ、若い頃寝る子は太る、中年期寝る子は惚ける、還暦後ああ、啓蟄...

  10. 麒麟がくる第42話「離れゆく心」その1~荒木村重の謀反~ - 坂の上のサインボード

    麒麟がくる第42話「離れゆく心」その1~荒木村重の謀反~

    荒木村重の謀反は描かれないだろうと思っていましたが、やりましたね。おそらくこのあとの有岡城の戦いは詳しく描かれないでしょうから、ここで少し解説します。 天正6年(1568)10月、摂津有岡城主の荒木村重が、織田信長に対して反旗を翻します。村重の謀反は信長にとってまったくの寝耳に水だったようで、『信長公記』によると、謀反の報せを受けた信長はなかなか信じなかったといい、また、ルイス・フロイスの『...

  11. 麒麟がくる第35話「義昭、まよいの中で」~近江坂本城築城~ - 坂の上のサインボード

    麒麟がくる第35話「義昭、まよいの中で」~近江坂本城築城~

    今回はほとんど創作の回だったので、特に解説するところがありません。なので、ドラマでは築城中だった近江坂本城の話をしましょう。 明智光秀による坂本城の築城は、比叡山焼き討ちの3か月後の元亀2年(1571年)12月には始まっていたようで、『年代記抄節』の12月のところに、「明智坂本ニ城ヲカマヘ、山稜ヲ知行ス、山上ノ木マデキリ取」とあり、また、光秀のマブダチだった吉田兼見の日記『兼見卿記』の元亀3...

  12. 読書メモ@『街道をゆく 1湖西のみち、甲州街道、長州路 ほか』(司馬遼太郎) - ★楽浪の近江★~さざなみのおうみ~

    読書メモ@『街道をゆく 1湖西のみち、甲州街道、長州路...

    「近江」というこのあわあわとした国名を口ずさむだけでもう、私には詩がはじまっているほど、この国が好きである。京や大和がモダン墓地のようなコンクリートの風景にコチコチに固められつつあるいま、近江の国はなお、雨の日は雨のふるさとであり、粉雪の降る日は川や湖までが粉雪のふるさとであるよう、においをのこしている。「近江からはじめましょう」というと、編集部のH氏は微笑した。お好きなように、という合図ら...

  13. 中日新聞の「時代を生き抜く名言」司馬遼太郎イラスト - イラストレーター河本徹朗のブログ

    中日新聞の「時代を生き抜く名言」司馬遼太郎イラスト

    中日新聞の「時代を生き抜く名言」という10代向けのコーナー。第26回目は小説家の司馬遼太郎(1923年8月7日〜1966年2月12日)です。代表作は「龍馬が行く」「国盗り物語」「坂の上の雲」等

  14. カップケーキと司馬遼太郎4月28日(火) - しんちゃんの七輪陶芸、12年の日常

    カップケーキと司馬遼太郎4月28日(火)

    カミさんが外出自粛の暇に焼いたカップケーキ。あれこれ焼くので溜まってしまって食べきれない。焼きあがるのはまとめてだが、食べるのは一個づつ。 「豊臣家の人々」著司馬遼太郎 その聡明さは古今無類といわれた秀吉にも、盲点がある。子弟の教育ということであった。取り越し苦労といえば、教育はもともと取り越し苦労から出発するものであろう。が、秀吉その人は教育を受けずに成人した。つい、軽視した。これは豊...

  15. 元六庵と司馬遼太郎4月21日(火) - しんちゃんの七輪陶芸、12年の日常

    元六庵と司馬遼太郎4月21日(火)

    そばを食べたくなってつい外出。末野の元六庵、結構お客さん入っていました。鴨汁そばと、鴨南蛮。合鴨ロースがしっかり、満足しました。 [殉死」著司馬遼太郎 以下、筆者はこの書きものを、小説として書くのではなく小説以前の、いわば自分自身の思考をたしかめてみるといったふうの、そういうつもりで書く。つまり前期の例でいえば武林唯七の切腹の場についての想像が、少年の乃木希典の心にどういう刻まれかたをし...

  16. 明智光秀も枯死を惜しんだ「唐崎の松」。 - 坂の上のサインボード

    明智光秀も枯死を惜しんだ「唐崎の松」。

    坂本城跡公園から1.5kmほど南下したとこにある唐崎神社に、「唐崎の松」と呼ばれる老松があります。 唐崎は古くから景勝の地として数々の古歌などに取り上げられ、また、日吉大社西本宮にかかわる信仰や祭礼の場としても知られてきました。加えて「近江八景」のひとつ「唐崎の夜雨」の老松との景観は、天下の名勝としてしばしば安藤広重らの浮世絵などにも取り上げられてきました。 この日はあいにくの曇り空で、その...

  17. 紀伊国根来寺 - 無垢の木の家・古民家再生・新築、リフォーム 「ツキデ工務店」

    紀伊国根来寺

    久しぶりに司馬遼太郎の「街道をゆく紀ノ川流域」の「根来(ねごろ)」という項を読み、興味を引かれ、以前から一度行ってみたいと思っていた「根来寺」に行ってきました。根来寺は、大阪と和歌山を隔てる和泉山脈の和歌山側の山麓にあります。根来寺の歴史は、平安末期に、一時は高野山の座主だった「覚鑁(かくばん)上人」が開祖した「新義真言宗」の総本山の寺院です。室町時代には、寺領はどんどん大きくなり、堂塔や伽...

  18. 勉強にはなったが… - モルゲンロート

    勉強にはなったが…

    陳舜臣『山河在り』全3巻を読み終えました。日本&中国近代史の勉強にはなりましたが、小説としてはもひとつでした。特に、これは司馬遼太郎の小説でもいつも感じたことですが、恋愛の描き方が、いかにも芝居じみていて、感情移入できません。彼は綾子を抱きあげた。「上海のときより重くなった」「あなたの力が、上海のときより弱くなったのじゃありません?」「君の言うとおりだ。君をおとしそうだ」「おとしてください。...

  19. 国宝・彦根城を歩く。その9<井伊直弼像、歌碑> - 坂の上のサインボード

    国宝・彦根城を歩く。その9<井伊直弼像、歌碑>

    「その8」のつづきです。彦根城東側の玄宮園の南にある桜橋駐車場の横の金亀児童公園に、幕末の幕府大老・井伊直弼の像が建てられています。 井伊直弼は文化12年(1815年)に、彦根藩第13代藩主・井伊直中の14男として彦根城二ノ丸の下屋敷(槻御殿)に生まれます。幼い頃から和歌や槍術などを学び、文武両道に優れた聡明な子どもだったといいますが、兄が13人もいて、しかも側室の子であったため、養子のもら...

  20. 天誅組の足跡を訪ねて。その31「天誅組終焉之地_吉村寅太郎の墓」 - 坂の上のサインボード

    天誅組の足跡を訪ねて。その31「天誅組終焉之地_吉村寅...

    シリーズ最後です。足を負傷したために一行から遅れていた吉村寅太郎は、傷が悪化して歩行困難となり、駕籠に乗せられて運ばれていましたが、文久3年9月27日(1863年11月8日)、津藩兵に発見されて射殺されました。吉村の死によって、他の兵たちも相次いで戦死するか捕縛され、ここに天誅組は壊滅しました。 現在、吉村が討死した鷲家谷には、「天誅組終焉之地」と刻まれた大きな石碑が建てられています。 ここ...

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