司馬遼太郎のタグまとめ

司馬遼太郎」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには司馬遼太郎に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「司馬遼太郎」タグの記事(23)

  1. 司馬遼太郎記念館 - 十色生活

    司馬遼太郎記念館

    先日のアリスのコンサートの前に、同じ最寄りの駅 近鉄沿線 八戸ノ里から徒歩7分の所にある「司馬遼太郎記念館」なるものに出かけてみました。姉のパートナーの所望です。名前だけは有名ですが、文学に疎い私は何一つ知らず、坂本龍馬は司馬遼太郎に寄って有名になったといっても過言ではない、あの「竜馬がゆく」さえもコミックでしか読んだことがないんです。「坂の上の雲」もNHKドラマで、半分くらい見たか見ないか...

  2. 緒方洪庵の適塾をたずねて。<後編> - 坂の上のサインボード

    緒方洪庵の適塾をたずねて。<後編>

    <前編>の続きです。建物内はひととおり見学したので、建物の外を歩いてみましょう。 説明板によると、表屋の建物は寛政4年(1792年)の北浜大火後まもなくの建築と考えられ、元は町筋に面する商家の形であったようですが、その後、弘化2年(1845年)に緒方洪庵が買い上げた際に若干の改造が行われたと見られています。 建物の東側に、庭のような空間があります。 入口の看板。文字が消えて読めない(笑)。 ...

  3. 日本最大の山城、高取城登城記。その6<本丸> - 坂の上のサインボード

    日本最大の山城、高取城登城記。その6<本丸>

    「その5」の続きです。高取城跡本丸下を1周して、いよいよ北側から本丸に登ります。 まず登り始めて、右へ曲がらされます。 右へ曲がると、またすぐ右へ曲がらされます。 右へ曲がると、今度は左へ曲がらされます。当時はここに城門があったそうです。 左へ曲がると、またすぐ突き当りを左に。本丸下と本丸の高低差が大きいので、何回も曲がらされます。これは堅固ですね。 ここを曲がると、ようやく本丸らしき場所が...

  4. 日本最大の山城、高取城登城記。その5<二ノ丸上段~本丸下> - 坂の上のサインボード

    日本最大の山城、高取城登城記。その5<二ノ丸上段~本丸下>

    「その4」の続きです。太鼓櫓跡と新櫓跡をあとにして東側に向かうと、ど迫力の高石垣が目に入ります。 ここは二ノ丸の一段高くなっている場所で、本丸のすぐ下。二ノ丸上段といえば良いのか、本丸下段といえばいいのか、まあ、呼び方なんてどっちでもいい。とにかく圧巻のロケーションです。 正面の巨大な高石垣は天守台石垣。高取城には大小ふたつの天守があったそうで、この石垣は大天守石垣。 大天守石垣の前にある巨...

  5. 「燃えよ剣」司馬遼太郎 - のりのり27

    「燃えよ剣」司馬遼太郎

    三谷さんの<新選組!>から、新選組を好きになり、幕末に興味を持った。なのに読んでいなかった「燃えよ剣」。

  6. 時代 - 歴史小説 - お茶畑の間から ~ Ke-yaki Pottery

    時代 - 歴史小説

    「平成から令和へ〜」最新のカレンダーを持ち合わせないので、今年いっぱい頭の中がごちゃごちゃになりそうです。社会人になってから「昭和から平成へ〜」って経験もしましたが、いまだに昭和が何年まであったのか混乱します🥴「令和」は248番目の年号だとか…日本の歴史を紐解くには、今年はとてもいい機会かもしれませんね。こう見えて筆者、実は元祖歴女🤓(笑)。色...

  7. 伝馬町牢屋敷跡・処刑場跡(吉田松陰終焉之地) - 坂の上のサインボード

    伝馬町牢屋敷跡・処刑場跡(吉田松陰終焉之地)

    東京メトロ日比谷線伝馬町駅を降りて地上に上がったところに、何やら古い石碑と説明板があります。石碑を見つけるとついつい足を止めてしまうわたしですが、そこには、「吉田松陰先生終焉地」と刻まれた文字が。 東京に土地勘のないわたしですが、「伝馬町」という地名には何となく聞き覚えがあったのですが、石碑を見て思い出しました。そうだ、処刑場があったところだ!・・・・と。この日わたしは別の目的で伝馬町駅を降...

  8. 大久保利通終焉の地「紀尾井坂の変」跡地にて。 - 坂の上のサインボード

    大久保利通終焉の地「紀尾井坂の変」跡地にて。

    大久保利通が殺されたのは明治11年(1878年)5月14日、紀尾井坂においてでした。紀尾井坂とは、現在の参議院清水谷議員宿舎前の坂道です。江戸時代、このあたりは紀州徳川家、尾張徳川家、井伊家の大名屋敷があったことから、その頭文字をとって「紀尾井」と呼ばれるようになったそうです。現在、同地には大久保の哀悼碑が建てられています。 事件当日の午前8時、大久保は明治天皇に謁見するために裏霞ヶ関の自邸...

  9. 上野の西郷さん - 坂の上のサインボード

    上野の西郷さん

    明治維新150年にあたるメモリアルイヤーの今年、平成30年(2018年)の大河ドラマは『西郷どん』でしたが、その第1話のオープニングに登場した上野恩賜公園の西郷隆盛像についての起稿です。今年の春、たまたま東京に行く機会を得たので、ついでに足を運んできました。 周知のとおり、西郷隆盛がこの世を去ったのは明治10年(1877年)9月24日、西南戦争における反乱軍としての戦死でした。そのため西郷は...

  10. 西郷どん総評 - 坂の上のサインボード

    西郷どん総評

    「幕末」と呼ばれる時代はいつからいつまでを言うのか、という話題になったとき、その始まりは「黒船来航」からという意見で概ね一致しますが、その終わりとなると、ある人は「王政復古の大号令」だといい、別の人は「戊辰戦争の終結」だといい、いやいや「廃藩置県」だろうという人もいれば、「西南戦争の終結」まで幕末は続いていたという人もいて、なかなか解釈が定まりません。 わたしの個人的意見を述べさせてもらうと...

  11. 西郷どん第47話「敬天愛人」その3~西郷死す~ - 坂の上のサインボード

    西郷どん第47話「敬天愛人」その3~西郷死す~

    昨日の続きです。明治10年(1877年)9月24日早朝、政府軍は西郷隆盛らの籠もる城山を包囲しました。政府軍は兵力の差で西郷軍を圧倒していましたが、それでも、その包囲網は幾重にも連ね、さらに柵などで囲って防御用の陣地を構築するといった念の入れようだったといいます。これは、政府軍の参軍・山縣有朋の慎重すぎる性格が濃厚に反映していたと見られます。前稿で紹介したように、山縣は前日に西郷に宛てて畏敬...

  12. 西郷どん第46話「西南戦争」その4~西郷軍解散と木戸孝允の死~ - 坂の上のサインボード

    西郷どん第46話「西南戦争」その4~西郷軍解散と木戸孝...

    昨日の続きです田原坂の陣を奪われた西郷軍は、以後、退却を重ねていくことになります。3月20日に田原坂をあとにした西郷軍の本営は、4月以降、神瀬、木山を経て、もともと薩摩国に接し、薩摩の影響の強い人吉へと移されました。ここで西郷隆盛は、負傷した別府晋介を鹿児島に帰らせ、先に熊本から帰郷していた桂久武とともに、新たな兵員の募集に当たらせました。この期に及んで、まだ西郷は戦いを諦めてはいなかったよ...

  13. 江戸城を歩く。その3「桜田門」 - 坂の上のサインボード

    江戸城を歩く。その3「桜田門」

    「その2」の続きです。皇居正門から二重橋濠沿いに南へ歩きます。打込み接ぎの高い石垣が続きます。 濠が直角に西へ曲がったところに、渡櫓門が見えます。皇居から霞が関エリアに抜ける「桜田門」です。 桜田門といえば、なんと言っても思い出されるのは、幕末に起きた「桜田門外の変」でしょう。安政7年3月3日(1860年3月24日)、ここ江戸城桜田門外で水戸藩脱藩浪士17名と薩摩藩士1名が彦根藩の行列を襲撃...

  14. 司馬遼太郎記念館 - ジュンメ食堂

    司馬遼太郎記念館

    大阪で動物病院設計(ACプラン)の展示会をしてきました。折角の遠出の出張でしたので、安藤忠雄氏設計の「司馬遼太郎記念館」まで足を延ばしてみました。写真で想像していたよりも、実物の方が綺麗な建築でした。これくらいの規模の建築が安藤氏の設計の魅力が表現されやすいように思いました。関西を訪れると、関東にない文化も多く新しい発見があり、驚きもありです。。。!

  15. 柳沢淇園『ひとりね』 - 花街ぞめき  Kagaizomeki

    柳沢淇園『ひとりね』

    島原太夫奈良の大和郡山の遊郭について書く前に是非紹介したいのが「ひとりね」を書いた柳沢淇園(やなぎさわきえん)です。宝永元(1704)年江戸に生れ、“余も、生まれたる年(実際は翌年)に甲斐の国にゆき、十四の年より江戸の古里へ帰り、十六の春又甲斐にゆき、その暮に又江戸に帰り、十八の暮又甲州に帰りて、又今年大和(郡山)へ来りぬ”と大和郡山まで来るまでの生い立ちを書いています。七歳にて馬廻役で二千...

  16. 幕末京都逍遥その98「浄福寺(薩摩藩屯所跡)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その98「浄福寺(薩摩藩屯所跡)」

    西陣にある浄福寺を訪れました。ここは薩摩藩ゆかりの寺で、薩摩藩の屯所として利用されたと伝わります。 写真は東門です。見てのとおり朱塗りの門で、地元では赤門と呼ばれ、寺の名称も赤門寺と呼ばれたりするそうです。 浄福寺と薩摩藩との縁は、天正20年(1592年)、豊臣秀吉の朝鮮出兵に反対して自害に追い込まれた島津歳久の首が、ここに葬られたことに始まります。鹿児島の竜ヶ水にて自害した歳久の首級は、肥...

  17. 【空海開基・東長寺の「地獄図」参観】 - 性能とデザイン いい家大研究

    【空海開基・東長寺の「地獄図」参観】

    本日は休日につき、非住宅ネタであります、それもおっかない地獄の阿鼻叫喚図についてであります(笑)。現代社会では「科学」という人間の価値判断基準が支配的になっています。ごく当然だとそのことを思ってしまいますが、こういうことは歴史的に見るときわめてごく最近、人類が経験していること。科学的概念が広がる以前には、ひとはどう生きて考えたらいいか、多くの場合、宗教がそのことにもっとも大きく関与していた。...

  18. 街道をゆく(島原・天草の諸道)。 - 青い海と空を追いかけて。

    街道をゆく(島原・天草の諸道)。

    島原・天草の諸道。2018春@熊本天草。

  19. 兜梅 - ハッピーラッキョ

    兜梅

    どーも、ラッキョノスケです。天草市の延慶寺境内にある「兜梅」を見にきているよ。いらっしゃいませ~。樹高3m、枝張り東西約11m、南北約6m、樹齢約500年。別名「臥竜梅」と呼ばれる熊本県指定の天然記念物なんだって。1589年、天草一揆の時に、天草方の客将であった木山弾正の奥さん“お京の方”は、亡きご主人の兜を身に付けて男装して奮戦したんだ。だけど、兜の緒が臥龍梅にからまって討ち取られちゃった...

  20. 【関西圏、どこへ行っても歴史だらけ】 - 性能とデザイン いい家大研究

    【関西圏、どこへ行っても歴史だらけ】

    さてきょうは更新がすっかり遅れました。出張が続いていたので、雑務やらで平常回帰するのに時間がかかる(笑)。きのう、写真上のように大判の地図を購入してきました。縮尺50万分の1というヤツだそうですが、行動してきた範囲を再度確認しながら「土地勘」を磨くべく、壁に貼って常に眺めようと思う次第であります。今回は西は姫路から東は滋賀県栗東市くらいまで、さらに南北は北は京都市から南は和歌山県田辺市までの...

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