吉村寅太郎のタグまとめ

吉村寅太郎」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには吉村寅太郎に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「吉村寅太郎」タグの記事(11)

  1. 天誅組の足跡を訪ねて。その26「天誅義士明治谷墓所」 - 坂の上のサインボード

    天誅組の足跡を訪ねて。その26「天誅義士明治谷墓所」

    「その25」で紹介した宝泉寺から南東に200mほど歩いたところにある墓地に、宝泉寺で菩提を弔われていた天誅組隊士たちの墓があります。 墓所入口には、「天誅義士墓所」と刻まれた石碑が建てられています。その横には石灯籠と「天誅義士明治谷墓所」と書かれた看板が。 石碑です。 天誅組隊士の墓所は何か所かありますが、ここに葬られている天誅組隊士の名簿です。吉村寅太郎以外は、文久3年9月24日(1863...

  2. 天誅組の足跡を訪ねて。その25「宝泉寺(天誅組菩提寺)・天誅義士記念碑」 - 坂の上のサインボード

    天誅組の足跡を訪ねて。その25「宝泉寺(天誅組菩提寺)...

    東吉野村の丘の上にある宝泉寺は、文久3年9月24日(1863年11月5日)に起きた鷲家口の決戦における戦死者の菩提寺です。 宝泉寺は「その19」で紹介した出店坂の上にあります。那須信吾ら決死隊は、この前を通って出店坂を駆け下り、彦根藩脇本陣碇屋に斬り込みました。 ここで菩提を弔われている戦死者たちです。吉村寅太郎以外は、「その19」から「その24」までで紹介した鷲家口の決戦で最期を遂げた隊士...

  3. 天誅組の足跡を訪ねて。その17「鳥ヶ峰古戦場」 - 坂の上のサインボード

    天誅組の足跡を訪ねて。その17「鳥ヶ峰古戦場」

    「その15」で紹介した天ノ辻へ本陣を移した天誅組は、近隣の高取藩に兵糧の提供を求めます。この数日前、天誅組は五條代官所襲撃後すぐに高取藩に対して那須信吾らを恭順勧告の使者として送り、高取藩もこれに服する旨を伝えてきていました。しかし、京の政局が変わるや否や、高取藩は態度を翻して兵糧の差し出しを拒否します。そこで、天誅組は高取城の攻撃を決定。文久3年8月25日(1863年10月7日)に進軍を開...

  4. 天誅組の足跡を訪ねて。その16「賀名生皇居跡(堀家住宅)」 - 坂の上のサインボード

    天誅組の足跡を訪ねて。その16「賀名生皇居跡(堀家住宅)」

    櫻井寺本陣から天辻本陣に南下するちょうど中間地点あたりに、賀名生(あのう)という山里があるのですが、かつてここは、南北朝時代の一時期、南朝の行宮所が置かれた場所です。現在、その場所は賀名生の里歴史公園として観光用に公園整備されています。 延元元年/建武3年(1336年)12月28日、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)は京を逃れて吉野山に潜行しますが、その途中、天皇は一時この地に滞在した...

  5. 天誅組の足跡を訪ねて。その15「天誅組天ノ辻本陣跡」 - 坂の上のサインボード

    天誅組の足跡を訪ねて。その15「天誅組天ノ辻本陣跡」

    文久3年8月17日(1863年9月29日)に櫻井寺(別稿:その11)で五条新政府を立ち上げるも、その翌日に起きた「八月十八日の政変」により、わずか1日で逆賊となってしまった天誅組。京で天誅組追討の命が下されたことが明らかとなると、解散か抗戦か協議のすえ、徹底抗戦の道を選びます。もう、代官らを殺しちゃってましたからね。いまさら後戻りは出来なかったのでしょう。そして櫻井寺を後にした天誅組は、南下...

  6. 天誅組の足跡を訪ねて。その9「民俗資料館(五條代官所長屋門)」 - 坂の上のサインボード

    天誅組の足跡を訪ねて。その9「民俗資料館(五條代官所長...

    「その8」で紹介した五條代官所跡のすぐ近くに、天誅組の史跡公園があります。ここには、五條代官所の長屋門があり、民俗資料館として天誅組の史料などが展示されています。 公園の入口には、「明治維新発祥の地」と書かれた大きな看板塔があります。「発祥の地」とはちょっと言い過ぎの感はありますが、まあ、天誅組が倒幕の導火線にはなったかもしれません。 ここにも、「さきがけの地」と書かれた説明駒札が。 こちら...

  7. 天誅組の足跡を訪ねて。その8「五条代官所跡」 - 坂の上のサインボード

    天誅組の足跡を訪ねて。その8「五条代官所跡」

    文久3年8月17日(1863年9月29日)に五條に入った天誅組は、五條代官所を襲撃します。現在、代官所のあった場所は五條市役所になっています。 庁舎前の噴水池付近小庭園に、「五條代官所跡」と刻まれた石碑と説明板があります。 午後4時頃、代官所を包囲した天誅組は、代官の鈴木正信(源内)に降伏を要求。ゲベール銃隊を率いる池内蔵太が空砲で威嚇し、吉村寅太郎が率いる槍隊が裏門から突入しました。突然の...

  8. 天誅組の足跡を訪ねて。その2「狭山藩陣屋跡」 - 坂の上のサインボード

    天誅組の足跡を訪ねて。その2「狭山藩陣屋跡」

    文久3年8月15日(1863年9月27日)に堺港に上陸した天誅組は、翌16日、払暁に高野街道を通って河内をめざし、狭山に入りました。そこで天誅組は吉村寅太郎を軍使として狭山藩の陣屋に送り、先代藩主で隠居の身であった北条氏燕との面会を申し出ました。 現在、その陣屋跡の一角には、石碑が建てられています。 狭山藩北条氏は、戦国時代の関東で勢威を振るった小田原北条氏の子孫です。豊臣秀吉の小田原征伐に...

  9. 幕末京都逍遥その28「武市瑞山・吉村寅太郎寓居之跡」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その28「武市瑞山・吉村寅太郎寓居之跡」

    三条木屋町を高瀬川沿いに上がったところにあるビルの前に、2つの石碑が建っています。そのひとつは「武市瑞山寓居之跡」と刻まれたもので、もうひとつは、「吉村寅太郎寓居之跡」です。 道路沿いに建てられているのは、武市瑞山の石碑です。横には「ちりめん洋服発祥の地」と刻まれた石碑がありますが、ここでは関係ないのでスルーしましょう。ここに、かつて武市瑞山が住んでいた「四国屋丹虎」がありました。 瑞山とい...

  10. 幕末京都逍遥その8「東山霊山護国神社~天誅組の墓」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その8「東山霊山護国神社~天誅組の墓」

    こちらは天誅組コーナー(?)です。「天誅組」とは、公卿の中山忠光を主将に尊皇攘夷派の志士たちで構成された集団で、文久3年(1863年)8月に起きた「天誅組の変」で壊滅しました。 当時、京都のまちを支配していたのは、長州藩を中心とする尊王攘夷派でした。彼らは孝明天皇を大和に行幸させ、神武天皇陵(現在の橿原神宮)と春日神社に詣でて攘夷を宣言させるという計画をたてます。これにもし幕府が抵抗すれば、...

  11. 太平記を歩く。その6「大塔村」奈良県五條市大塔町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その6「大塔村」奈良県五條市大塔町

    後醍醐天皇(第96代天皇)が笠置山にて兵をあげると、その第2皇子・大塔宮護良親王も参向して父を助けます。しかし、笠置山が落ちて父・後醍醐天皇が捕らえられると、大塔宮護良親王は幕府軍の追捕を逃れ、吉野、十津川、熊野などを転々とします。その親王の名前が地名になった場所が、奈良県五條市の山奥にあります。 和歌山県との県境に位置するこの地は、かつては奈良県吉野郡大塔村とされていましたが、現在は五條市...

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