嘉納治五郎のタグまとめ

嘉納治五郎」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには嘉納治五郎に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「嘉納治五郎」タグの記事(16)

  1. いだてん~東京オリムピック噺~第38話「長いお別れ」~東京オリンピック中止と第二次世界大戦~ - 坂の上のサインボード

    いだてん~東京オリムピック噺~第38話「長いお別れ」~...

    嘉納治五郎が命をかけて死守した昭和15年(1940年)の東京オリンピック開催でしたが、その嘉納が急逝すると、たちまちオリンピック開催反対論が息を吹き返します。日中戦争が激化するなか、昭和13年(1938年)4月に公布された国家総動員法によって、すべての物資が軍の統制下に置かれ、競技場並びに関連施設の建設がさらに難しい状況になります。また、諸外国からの日本に対する風当たりもますます強くなり、ア...

  2. いだてん~東京オリムピック噺~第37話「最後の晩餐」~嘉納治五郎の死~ - 坂の上のサインボード

    いだてん~東京オリムピック噺~第37話「最後の晩餐」~...

    昭和15年(1940年)の東京オリンピック招致に成功した日本でしたが、その開催準備に入ると、すぐさま様々な問題が浮き彫りになります。まず、最も大事なメインスタジアムの計画が、いきなり暗礁に乗り上げてしまいます。当初、メインスタジアムは神宮外苑陸上競技場を12万人収容できるものに改修し、その周辺にある代々木練兵場の一部を利用して各競技場を建設する予定でしたが、陸軍がこれに難色を示し、この計画は...

  3. いだてん~東京オリムピック噺~第35話「民族の祭典」~東京五輪招致の成功とベルリン五輪~ - 坂の上のサインボード

    いだてん~東京オリムピック噺~第35話「民族の祭典」~...

    二・二六事件から五ヵ月後の昭和11年(1936年)7月29日、ベルリンでIOC総会が開催されました。前年の総会で日本がムッソリーニに交渉してローマを辞退させたことにより、IOCの反感を買って決定が先送りになった昭和15年(1940年)の第12回オリンピック大会の開催国を決定するための総会です。前年の政治的な運動の責任をとって杉村陽太郎がIOC委員を辞任したため、日本からの出席は嘉納治五郎と副...

  4. いだてん~東京オリムピック噺~第33話「仁義なき戦い」~ムッソリーニとの会見~ - 坂の上のサインボード

    いだてん~東京オリムピック噺~第33話「仁義なき戦い」...

    昭和15年(1940年)の東京オリンピック招致運動に奔走する嘉納治五郎は、イタリアのムッソリーニ首相と交渉してローマに辞退してもらおうと思い立ち、新たにIOC委員に就任させた杉村陽太郎と副島道正の2人をイタリアに向かわせます。杉村は嘉納の懐刀ともいうべき人物で、嘉納が校長を務めていた高等師範学校付属中学校の卒業生で、講道館柔道でも嘉納に師事し、六段の実力者でした。明治41年(1908年)に東...

  5. いだてん~東京オリムピック噺~第32話「独裁者」~前畑秀子の決意~ - 坂の上のサインボード

    いだてん~東京オリムピック噺~第32話「独裁者」~前畑...

    昭和7年(1932年)秋、ロサンゼルスオリンピックから帰国した選手らをたたえる「大歓迎祭」が日比谷野外音楽堂で行われました。4年前のアムステルダムオリンピックでは5個だったメダル獲得数が、ロサンゼルスでは金7、銀7、銅4の18個に大躍進。そのうちの12個を水泳陣が獲得していたわけで、総監督を務めた田畑政治は、さぞ鼻が高かったことでしょう。 その祝賀会に駆けつけた東京市長の永田秀次郎が、女子2...

  6. いだてん~東京オリムピック噺~第27話「替り目」~皇紀2600年の東京オリンピック招致~ - 坂の上のサインボード

    いだてん~東京オリムピック噺~第27話「替り目」~皇紀...

    関東大震災の復興がなんとか形になってきた昭和5年(1930年)頃から、東京へのオリンピック招致の声があがり始めました。金栗四三と三島弥彦が日本人選手として初めて参加したストックホルムオリンピックから20年近くが経ち、いよいよ日本も自国での開催を企画できるレベルにまで来ていたんですね。そもそもの発案者は、関東大震災時に東京市長を務めていた永田秀次郎でした。永田は昭和5年(1930年)に再び東京...

  7. いだてん~東京オリムピック噺~第24話「種まく人」 ~関東大震災~ - 坂の上のサインボード

    いだてん~東京オリムピック噺~第24話「種まく人」 ~...

    今回も前話に引き続いて関東大震災の話でしたね。大正12年(1923年)9月1日に発生した大地震は、死者・行方不明者は10万8000人に達するという未曽有の被害をもたらしました。被災者340万人、その被害の大半が火災による二次災害で、死者・行方不明者の9割が焼死、全焼した家屋が38万世帯といいますから、その被害の甚大さは筆舌に尽くしがたいものでした。それだけ多くの家が焼けたということは、それだ...

  8. いだてん~東京オリムピック噺~第15話「ああ結婚」~金栗四三の結婚~ - 坂の上のサインボード

    いだてん~東京オリムピック噺~第15話「ああ結婚」~金...

    「しかれども失敗は成功の基にして、また他日その恥をすすぐの時あるべく、雨降って地固まるの日を待つのみ。人笑わば笑え。これ日本人の体力の不足を示し、技の未熟を示すものなり。この重圧を全うすることあたわざりしは、死してなお足らざれども、死は易く、生は難く、その恥をすすぐために、粉骨砕身してマラソンの技を磨き、もって皇国の威をあげん」 ストックホルムで途中棄権した翌日の日記にこう記した金栗四三は、...

  9. いだてん~東京オリムピック噺~第8話「敵は幾万」~ストックホルムへ~ - 坂の上のサインボード

    いだてん~東京オリムピック噺~第8話「敵は幾万」~スト...

    かくして日本初のオリンピック選手に選ばれた金栗四三と三島弥彦でしたが、問題はその旅費でした。当時、嘉納治五郎が会長を務める大日本体育協会は発足したばかりで、財政の余裕があるはずがありません。そこで嘉納は、国費による援助を文部省に求めますが、まだオリンピックという祭典の認知度が低かったこの時代、遊びのようなものに国費を使うなどあるまじきこととして門前払いでした。当時、日露戦争で使った莫大な戦費...

  10. いだてん~東京オリムピック噺~第6話「お江戸日本橋」~『黎明の鐘』となれ!~ - 坂の上のサインボード

    いだてん~東京オリムピック噺~第6話「お江戸日本橋」~...

    明治44年(1911年)11月18日に行われた第5回ストックホルムオリンピックの国内予選大会の結果を受けて、大日本体育協会はマラソンで世界記録を樹立した金栗四三と、100m、400m、800mで優勝した東京帝国大学卒業生の三島弥彦の二人を、日本代表としてストックホルムへ送り込むことを決めました。しかし、出場要請を受けたふたりの最初の反応は芳しくはなかったようです。オリンピックと言われても、当...

  11. 豊富八幡神社狛犬豊富町 - 北海道photo一撮り旅

    豊富八幡神社狛犬豊富町

    「豊富八幡神社」です。神社由緒を読めば面白い!「嘉納治五郎」の名が出てきます。講道館柔道の創始者であり、東洋初のIOC(国際オリンピック委員会)の委員にもなり、明治四十四年には大日本体育協会設立し、会長となるなど「柔道の父」「日本体育の父」と呼ばれた人でした。爺が小学校低学年だった昭和三十年代前半、柔道漫画の「イガクリ君」では講道館を学び、剣道漫画の「赤胴鈴之助」では、神田お玉が池、千葉周作...

  12. いだてん~東京オリムピック噺~第5話「雨ニモマケズ」~国内予選競技会~ - 坂の上のサインボード

    いだてん~東京オリムピック噺~第5話「雨ニモマケズ」~...

    明治42年(1909年)にアジア人初のIOC(国際オリンピック委員会)委員となった嘉納治五郎は、明治44年(1911年)に自らが会長を務める大日本体育協会を立ち上げ、翌年に行われる予定の第5回ストックホルムオリンピックに日本人選手を初参加させるために動き始めます。協会の主要メンバーは、東京帝国大学(現・東京大学)や早稲田大学、慶応大学、明治大学、そして自身が校長を務める東京高等師範学校(現在...

  13. いだてん~東京オリムピック噺~第4話「小便小僧」~長距離走の練習法~ - 坂の上のサインボード

    いだてん~東京オリムピック噺~第4話「小便小僧」~長距...

    金栗四三が入学した東京高等師範学校(現在の筑波大学)は、スポーツの奨励に熱心な嘉納治五郎校長の方針により、春と秋の年2回、校内長距離走のイベントが催されていました。春には三里(約12km)、秋には六里(約24km)を全校生徒が走ります。ドラマでは描かれていませんでしたが、嘉納校長自身も、巻脚絆姿で学生と共に走ったと伝えられます。上位入賞者には校長からメダルが贈られたそうですが、入賞できなかっ...

  14. いだてん~東京オリムピック噺~第3話「冒険世界」~東京高等師範学校入学~ - 坂の上のサインボード

    いだてん~東京オリムピック噺~第3話「冒険世界」~東京...

    明治43年(1910年)4月、金栗四三は東京高等師範学校(現在の筑波大学)に入学しました。同校はその名のとおり教師を育成する学校で、金栗の専攻は地理歴史でした。同校は創立以来、代々軍人が校長を務めてきていたそうで、そのため、学生を兵隊と同じように扱い、徹底した規律で縛るといった校風だったようです。鬼教官による軍隊さながらの体罰教育が当たり前のように行われ、寄宿舎では先輩たちによる私的な鉄拳制...

  15. いだてん~東京オリムピック噺~第2話「坊っちゃん」~金栗四三の生い立ち~ - 坂の上のサインボード

    いだてん~東京オリムピック噺~第2話「坊っちゃん」~金...

    ドラマ前半の主人公である金栗四三は、は明治24年(1891年)8月20日、熊本県の春富村に生まれました。男4人、女4人の8人兄弟の7番目でした。「四三」という名は、父・金栗信彦が43歳のときの子だったからと伝えられます。安直な命名ですが、この当時の名前なんて、一部のインテリ階級を除けば皆、似たような名付け方だったのでしょう。子供の名前に思いを託すなんて思想はなかったんですね。もちろん、キラキ...

  16. いだてん~東京オリムピック噺~第1話「夜明け前」嘉納治五郎とIOC - 坂の上のサインボード

    いだてん~東京オリムピック噺~第1話「夜明け前」嘉納治...

    第1回は嘉納治五郎の話でしたね。講道館柔道の創始者であり、「近代柔道の父」として後世に名高い嘉納治五郎ですが、彼の功績は柔道だけにとどまらず、日本にスポーツを根付かせた「日本の体育の父」でもありました。旧制第五高等中学校(現・熊本大学)校長や学習院の教頭を務めた嘉納は、明治26年(1893年)より通算25年間ほど東京高等師範学校(現在の筑波大学)の校長を務め、教育者の育成に努めました。そこで...

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