団塊の世代のタグまとめ
「団塊の世代」タグの記事(10)
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墓との距離が問題だ
田舎にある先祖の墓を何とか自分の近くに持って来たいところが墓を移転(※改葬)するということは結構大変なことである親がいて正月や盆あるいは彼岸に帰省するところがあればありがたいしかし、自分が田舎を捨てて親もいないとなれば田舎へ帰るのは墓参りと言えど辛いことである先祖の墓と自宅との距離が問題になるそれゆえか無縁仏が増えている、墓参りしなくとも墓の所有者がはっきりしていれば無縁仏ではない墓地の運営...
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憎まれてこそ世にはばかる?
この頃街中を歩くと同年輩によく出合う都会は今はガードマンの時代だ、道路工事に限らずパチンコ屋でもスーパーでもお寺でもそこらじゅうガードマンであるよく見ると、それこそ同年輩が多いヘルメットをかぶって少し顔も汚れているが、手入れされた髭の似合う紳士が多いことに驚くこの世代ではガードマンの仕事につけるのはエリート的存在なのだ同年配の輩(やから)とは昭和20年前後から20年代の生まれというところ帽子...
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自分の駅で降りただけ
小生今はと言うと・・サラリーマン社会の枠からはみ出してしまって戻ることの出来ない現役の世界を過去として暮らしているもう長く・・素人間でもある社会は席を譲ることで成り立っていたのかもしれない退職だってそうだが、逆に大昔採用され新入社員にもなれたその後の昇格・昇任だって枠のある限りまた空いた席のある限りにおいて、譲られてきた譲られたことに気づかなくとも、譲られたことは一方で同時に譲ることでもあっ...
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家族は大きい方がいい/吾亦紅⑾
新しい家族を作ろうとした我ら世代は結局は家族を壊してしまったのではないだろうか家族は本来の最小単位だが家族は最大の群れだった家族が皆一緒に暮らせることが一番の幸せである原始の時代からの本能の一つだろうだが実際はそうでなかったこともまた多い社会生活を行うにつれ家族の単位は小さくなっていく人間に仕事の歴史はもはや3千年になる家族を守っていくのは男の仕事だった守るために戦う為に仕方なく離れ離れにな...
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団塊の世代が去り就職がしやすくなった
今春卒業した大学生の就職率が4月1日では98・0%で、前年同期より0・4ポイント増えて調査を始めた1997年卒以来、過去最高となったと厚生労働省と文部科学省が先の18日に発表した。この上昇は7年連続で、過去最高は3年連続の更新となり、これについて厚労省は、景気回復や人手不足で企業の採用意欲が高まった影響だとみている。これは数年前から言われているおり、リーマンショックなどがあって最悪に近い状態...
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団塊世代の問題点をユーモアの味で描いた「団塊絶壁」(大...
友人の大江舜さんのユニークな著書「団塊絶壁」(新潮新書)が本日発売。世界一早く少子高齢化が進む日本で、超高齢化の大きな柱になっている「団塊の世代」。本書は彼らの抱える問題点を容赦なく剔抉する。ただしユーモアのスパイスを充分にきかせて。深刻な素材を軽妙なタッチで描く。深い教養の土壌がなければ出来ない技だ。団塊の世代以外の人たちにもオススメしたい好著です。ぜひ書店でお手にとってみてください。
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憎まれてまだ世にはばかる/昼のビール前編
この頃街中を歩くと同年輩によく出合う都会は今はガードマンの時代だ道路工事に限らずパチンコ屋でもスーパーでもお寺でもそこらじゅうガードマンであるよく見ると、それこそ同年輩が多いヘルメットをかぶって少し顔も汚れているが、手入れされた髭の似合う紳士が多いことに驚くハローワークに行けばすぐにわかるが、この年代、簡単に採ってもくれないし、簡単に勤まらないこの世代ではガードマンの仕事につけるのはエリート...
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灰は全部土に帰る(樹木葬③)
庶民が立派な石の墓を持てるというのはそんなに古い話ではない土葬から火葬への変化と重なるそれなのに今度は田舎の墓を打ち捨てて都会に新しい墓を建てだしたこちらの寺とつながらないから霊園墓地(れいえんぼち)などが売れ出したそれは今でも続いている墓参りはしたいが田舎に帰るのは嫌な人もいる自分の代の墓が欲しいという人もいる田舎から都市への人口の移動に伴ってのものである新たな都市住民(移民)としての証(...
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本日発売の週刊新潮の連載『団塊絶壁』は面白く興味深い読み物。
2017/03/6(木)■本日発売の週刊新潮、友人の大江舜氏の筆になる『団塊絶壁』の中期集中連載が始まった。第1回は「ボケへの怖」。哲学者の言葉等をまじえながら大江舜独特の「知的ユーモア」のあふれる文体でつづる。圧倒的多数をしめる「団塊の世代」が老齢人口の中心をしめることになるこれからの5~20年くらい、日本は「少子高齢化」の波に翻弄されそうだ。『断崖絶壁』をもじって『団塊絶壁』としたところ...
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きびなごの刺身の思い出
きびなご、きびなご。学生時代、ある友達としょっちゅうきびなごの刺身を食べながら、飲みまくったことを思い出す。彼は、今この世にはもういない。そして、きびなごの刺身を近くのスーパーで、見つけた。以前も、そのスーパーで見つけたが、そのときは、古くなっていて、おいしくなかった。今回は、新しい感じで、光っていた。今、食べた。新しかった。でも、学生時代に食べたほどは新しくはなかったが、それでもおいしかっ...