地域の散策のタグまとめ

地域の散策」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには地域の散策に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「地域の散策」タグの記事(176)

  1. 八丁目宿散策余談~二本松神社神官 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    八丁目宿散策余談~二本松神社神官

    この宿は、散策情報としては福島の範疇で整理されることが多いように思う。安達郡との境界である境川の信夫郡側であることが影響しているようだ。しかし、散策を通して感じるのは、少なくとも近世の八丁目宿文化圏は二本松の影響下にあるということだ。それで、「再び八丁目宿へ~西東広親④」で整理していた西東広親の名乗りについて行き詰った時に、二本松側の情報から迫れないかを探ってみていた。結果的には、この事につ...

  2. 八丁目宿散策からの帰り道~水雲神社④ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    八丁目宿散策からの帰り道~水雲神社④

    これは、散策の帰り道に撮った水雲神社近くの森の様子だ。もっと神社近くの風景も撮ったのだが、こちらはよく撮れていなかった。この水雲神社は、今までの散策といろいろなことでかかわる。その一つが、「示現(慈現)太郎神社」散策とのかかわり。「示現(慈現)太郎神社」のご神体は宇都宮神社へ飛んだのだそうだが、この水雲神社の御神体は、その「示現(慈現)太郎神社」が鎮座する「古浅川」集落の水雲神社に飛んだのだ...

  3. 八丁目宿散策からの帰り道~水雲神社③ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    八丁目宿散策からの帰り道~水雲神社③

    宮の前集落から山道を進んで、この神社に辿り着いたのは神社の脇だ。境内には、ここから入った。昨日使用の写真は鳥居越しに神社が写っているが、これは境内に入った後に回り込んで撮ったものだ。「金谷川のあゆみ」に、この神社にかかわるおおよそ次のような話が紹介される。この話には、神社に辿り着いて直ぐに撮ったこちらの写真が似合っているように思う。この地が米沢藩の領域であった頃、この明神付近一帯に巨竹が繁茂...

  4. 八丁目宿散策からの帰り道~水雲神社② - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    八丁目宿散策からの帰り道~水雲神社②

    途中の道筋に竹が延びていたりして不安になるが、しばらく進むと神社らしき建物が見えてくる。結構大きな神社だ。 「金谷川のあゆみ」によれば、鳥居には「昭和2年石工石川今朝松」と記され、傍らの石碑には世話人五十人の名が刻まれているとのことだが、確認しなかった。この水雲神社の祭神は、天水分大神で浅川村最古の守護神大竹森明神とのことだ。「ウィキペディア」で「分水神(みくまりのかみ)」を確認すると、水...

  5. 八丁目宿散策からの帰り道~水雲神社 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    八丁目宿散策からの帰り道~水雲神社

    旧国道は、水晶沢を通って奥州街道に接続する。しかし、旧国道開通以前、その北側から八丁目宿の方向には舌状に延びた台地がその行き先を阻んでいたという風景だったはずだ。その見え方でその風景を眺めてみると、結構奥まったところにある水雲神社がいつも気になっていた。ただ、立ち寄ってみようというところまではいかなかったのだが、今回の八丁目宿の散策の帰りに、そこに向かってみることにした。浅目前から西に向かう...

  6. 再び八丁目宿へ~本町辺りの一風景② - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    再び八丁目宿へ~本町辺りの一風景②

    この写真も「八丁目家主一覧」の「検断植木九郎右衛門(掲示板、高札、事務所)」と「名主杉内与三郎」とあるあたりの現況ということで撮った写真の中の一枚だ。石合町に向かう方向に名主宅付近を撮っている。石合町は写る信号から右に入る。今回の散策は、石合町から散策し始めて、前回までの散策で確かめ直したかった本町付近まで戻ってみたということだ。最近の八丁目宿の散策は、八丁目村側から確認を進めてきた。天明根...

  7. 再び八丁目宿へ~本町辺りの一風景 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    再び八丁目宿へ~本町辺りの一風景

    写真を整理していて気がついたのは、石合町側から本町に向かう時には、いつも道路の右側を通行していることだった。石合町から本陣までの間の本町の右側の風景をしっかりと捉えた写真がないのだ。今までは、自らに散策はママチャリか徒歩でという制限をかしてしていたことも影響しているかもしれない。それで、今回はその風景をおさえてみたいと思ったのだ。その視点を「八丁目家主一覧」の「検断植木九郎右衛門(掲示板、高...

  8. 再び八丁目宿へ~常円寺 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    再び八丁目宿へ~常円寺

    前回の散策で、常円寺あたりは、手持ち情報をよく確認しないまま散策していた事に気がいた。誤りについては「浅川、松川散策の写真メモから33」でおおよそ訂正したところだが、あらためて確認する。https://kazenoshin.exblog.jp/238134235/この常円寺は、「信達二郡村誌」では次のように紹介される。北部水晶沢に在り境内東西32間南北12間段別1段2畝23歩官有地外に民有地...

  9. 再び八丁目宿へ~西東広親⑨ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    再び八丁目宿へ~西東広親⑨

    「西東薩摩」屋敷の位置確認の念頭操作で、何となくこの辺りの宗教的な、或は文化的な空気感といったようなものが感じられたような気になったところだ。そんな思いで振り返ると、そこに六地蔵道標が建っている。先に「八丁目宿の二つの追分~『米沢街道』と『相馬道』」として整理した時点では案内柱はあったが、説明の案内板はなかったと思う。この時は、この宿が奥州街道と米沢街道・相馬街道が交差するという交通の要にな...

  10. 再び八丁目宿へ~西東広親⑧ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    再び八丁目宿へ~西東広親⑧

    奥州街道は、八丁目宿の石合町を過ぎると、左に折れて北に向かう道筋となる。ここはその曲がり角で、この道筋がその北に向かう道筋だ。この空き地になっているところが、「八丁目家主一覧」で「地福寺」とされる辺りと想像したところだ。ちょっと気になるのが、「松川のあゆみ」の年表の天明4年(1784)に、「天徳山寿福寺を石合町に建てる」とあることとのかかわりだ。この年は天明の飢饉の翌年でもある。石合町には他...

  11. 再び八丁目宿へ~西東広親⑦ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    再び八丁目宿へ~西東広親⑦

    現在の風景の中で、西東塾の屋敷はどの辺りだったのかを確認をしようとしている。前回は屋敷の西側から確認を進めたところだが、今度は、その屋敷の東側から確認してみる。まずは、「八丁目家主一覧」で屋敷の並びを確認する。「西東薩摩」屋敷の東側には「明屋敷」があるようだ。その明屋敷の隣が「明宝院」で、そのまた隣が「地福寺」になっている。そして、その「地福寺」の東側に、北へ向かう道筋が描かれている。これが...

  12. 再び八丁目宿へ~西東広親⑥ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    再び八丁目宿へ~西東広親⑥

    「八丁目家主一覧」の石合町に「西東薩摩」と記されるのが、俗称「さつま様」の西東塾の屋敷だと思われる。目印になりそうなのが、その屋敷の西斜め向かいに「作場みち」が走ることと、同じ並びの二軒置いた西側に「石はし」がかかっていることだ。この石橋の位置が本町と石合町の境になっていることも目印になりそうだ。これらの目印と現地を照らし合わせることで、その屋敷位置を絞り込んでみる。まず、作道みちだが、地形...

  13. 再び八丁目宿へ~西東広親⑤ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    再び八丁目宿へ~西東広親⑤

    「浅川、松川散策の写真メモから⑨~松川村道路元標」で、「信達二郡村誌」に「村社『稲荷神社』は『北部稲荷に鎮座す』」とあることから、その所在を小字稲荷と推定した。そして、現稲荷神社の位置には、「(その稲荷神社の)遥拝所卯辰の間に面す(字中町に在り)東西5間半南北2間明治八乙亥年九月十九日村社に列す」から、その遥拝所だったことを推定していたところだった。https://kazenoshin.ex...

  14. 再び八丁目宿へ~西東広親④ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    再び八丁目宿へ~西東広親④

    西東塾の俗称は「さつま様」だったという「金谷川の教育」の情報がある。この左端の石碑は、その事とかかわる墓碑なのだはないかと想像する。前面に、〇「祠官薩摩守行廣墓」が読め、右面に「寛政7年」と数文字が2行にわたって刻まれているのが分かる。寛政7年(1795)に亡くなられた神職であった薩摩守行廣氏の墓碑であろうことが分かる。そこに「薩摩守」とあることと、西東塾の俗称は「さつま様」だったこととがか...

  15. 再び八丁目宿へ~西東広親③ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    再び八丁目宿へ~西東広親③

    「金谷川の教育」の情報では、石碑の前の石の祠が広親氏御夫婦の霊神墓のように解説される。ならば、この右手の祠がそれにあたるのだろうと思われるが、どうだろうか。情報では、「源廣親・満津姫霊神墓(明治十三年)」が刻まれるとの事だが、確認できてはいない。先の散策では、その「金谷川の教育」の情報を元にして、西東広親氏が広栄氏と共に「石合の西東塾(俗称さつま様)」という私塾師匠であったことを整理している...

  16. 再び八丁目宿へ~西東広親② - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    再び八丁目宿へ~西東広親②

    「西東広親碑」の前半は、氏が権少教正の教導職に正式に任命されたことが記される。教導職は、神道国教化運動のために設置された明治政府の大衆化のための宗教官吏とのことだ。各地の社寺で、敬神愛国、天理人道、皇上奉戴に基づいて説教を行うことが期待されていたようだ。具体的には、国家・天皇への恭順や、敬神思想を中心とした内容で、ほかに、家族倫理、文明開化、国際化、権利と義務、富国強兵についての講義というこ...

  17. 池袋駅西口⑭ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    池袋駅西口⑭

    明治通り以東は、丸池を主水源とした「弦巻川」の痕跡が下水道として残っていることが伺た。また、その下水道の「雑司が谷幹線」は、おおよそ「弦巻通り」に沿っているのだそうだ。ならば、こちらも「弦巻川」の痕跡とみてもよさそうだと思う。これは「雑司が谷 鬼子母神通り商店街 『ちょっとみちくさ』」の「雑司が谷七福神めぐり」の案内地図だが、ここにも「弦巻通り」が記される。ただ、丸池から明治通りまでの「弦巻...

  18. 池袋駅西口⑬ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    池袋駅西口⑬

    新聞報道を読んだ時点では、捜査状況や遺体発見現場など、よく読み取れていなかった。「東京都水道局雑司が谷幹線再構築工事事故調査報告書」を確認する。捜索は、雑司が谷幹線の事故現場から下流と神田川、それに後楽ポンプ所とのことだ。また、遺体が発見されたのは、神田川と後楽ポンプ所。これは、それらの施設と現場との関係を表す地図だが、「東京都水道局雑司が谷幹線再構築工事事故調査報告書」からの転載だ。雑司が...

  19. 池袋駅西口⑫ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    池袋駅西口⑫

    今回の小さな散策で丸池とされる池まで整理が進んだところだか、確認作業を通して、平成20年(2008)の下水道事故は、この池を主水源とする弦巻川を転用した下水道川筋で起きていたことを知った。この事故自体は新聞報道で知っていたが、散策とは結び付いていなかった。この事故現場地図は「東京都水道局雑司が谷幹線再構築工事事故調査報告書」からの転載。黒線と赤線部分が雑司が谷幹線で、その作業現場が赤線部分。...

  20. 池袋駅西口⑪ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    池袋駅西口⑪

    グーグル地図では、昭和22年・昭和38年の空中写真と現在の地図を重ねて表示することができる。また、その昭和22年の空中写真では、丸池らしきものが確認できる。それを元に丸池が現況のどこに位置していたものかを推理してみた。この空中写真との照らし合わせだけで推理すると、この「池袋地名ゆかりの地」の碑が建つ「元池袋史跡公園」と隣の池袋デュープレックスタワーとの境界線とその東側の道路端の交点あたりをそ...

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