地域の散策のタグまとめ

地域の散策」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには地域の散策に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「地域の散策」タグの記事(37)

  1. 池袋駅西口⑨ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    池袋駅西口⑨

     前回の「池袋駅西口⑧」で、池袋公園の南西隅付近から見える「成蹊実務学校」の風景について確認した。これが、この辺りの大正初期の原風景なのだと思う。 その「成蹊実務学校」の校地の様子が確認できる。 国立国会図書館デジタルコレクションで「成蹊実務学校一覧」が確認てき、そこに校地の平面図が載っている。 「成蹊実務学校」の風景と見比べる。  まずは、学校としての敷地。 風景として気になるのは入り口右...

  2. 池袋駅西口⑧ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    池袋駅西口⑧

     創設者の中村春二氏が明治45年(1912)に池袋に開校された「成蹊実務学校」を描いたとされる絵が、「成蹊学園」の「建学の精神」のページのアイコンになっている。 そのページを開くと、右手前の柵が、豊島師範のものであることが記されているのが分かる。更に、校舎の右手の建物の門は小宅入り口とあり、その建物が創設者の中村春二氏宅であることが分かる。 https://www.seikei.ac.jp/...

  3. 池袋駅西口⑦ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    池袋駅西口⑦

     前回の映画館の位置だが、現在の「東武別館」の位置に「東宝」とされる映画館がプロットされるのをみた。この地図では、他に「豊島通り」の北側に「シネマロサ」という映画館が記される。この位置は、他情報の「世界館」「日本館」の二つの映画館があったとされる位置と重なっている。 さて、今回の散歩とかかわって、「マーケット」と表記される「元東京府豊島師範学校跡地」部分と重なる部分の確認から「元東京府豊島師...

  4. 池袋駅西口⑥ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    池袋駅西口⑥

     今回の乗り換え前の散歩とのかかわりで前回の地図を眺め回す。 気になるのは、「マーケット」と表記される「元東京府豊島師範学校跡地」部分だ。 この部分、散歩とのかかわりで見ると、池袋西口公園のバスターミナル付近ということのようだ。 昭和36年頃のこのマーケット付近の詳細図が、「椎名町商店街」のページの「西池袋の歴史」で確認できる。 マーケットの広がりは、北側は池袋西口バス通りに接していることが...

  5. 池袋駅西口⑤ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    池袋駅西口⑤

     前回は、池袋駅西口の山手線から東武東上線に乗り換る前に散歩した範囲を「最新式大東京地圖番地入(大正11年)」の地図で確かめた。その同じ範囲を「東京都區分詳細圖 : 豊島区(昭和31年)」で確かめる。 確かめる主な事柄は、前回確認した事の大正11年から昭和31年にかけての変化だ。 その一つは、前回もふれたが、「学芸大学付属小学校」の北側は元東京府豊島師範学校跡地のはずだが、ここが「マーケット...

  6. 池袋駅西口④ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    池袋駅西口④

     何時もなら、池袋駅で山手線から東武東上線に乗り換るだけだった。 それを、今回は駅の西口に出て「元池袋史跡公園」をスタート地点にして、途中休みながら池袋西口公園、東京芸術劇場の辺りを鏡文字の「のの字」にぐるりと歩いてみたということだ。 たったこれだけなのに、二つの学校の発祥の地の案内を見た。 その一つは、池袋西口公園、東京芸術劇場に立つ「東京府豊島師範学校 同附属小学校 発祥之地」の案内であ...

  7. 池袋駅西口③ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    池袋駅西口③

     前回整理したように、池袋西口公園は、大きく改変される計画があるようで、その前段階として噴水が消滅したようだ。 この改変前の風景は、2000年に放映されたというテレビドラマ「池袋ウエストゲートパーク」にかかわる情報として確かめることができる。 自分は、このドラマ自体は見ていないのだが、このドラマの舞台となった影響で、この公園の噴水とその周りの円形の椅子は一時期名所になったのだそうだ。 今回の...

  8. 池袋駅西口② - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    池袋駅西口②

     ドトールで一息ついて、駅方面に歩いて行くと、左手に西口公園が見えてくる。 公園といっても舗装された広場で、緑豊かという事でもない。後で確認すると、この右手に噴水があって、これがこの公園らしさの特色らしい。ただ、散策中は、左手のステージが作業中だったのは憶えているが、その噴水があったという記憶がない。 確認を進めると、6月18日現在、7月にこの噴水撤去完了に向けて撤去作業中とのことらしい。こ...

  9. 池袋駅西口 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    池袋駅西口

     今までは、この駅は上京してきた時に山手線から東武東上線に乗り換えるために利用するだけだった。 今回も、東武東上線の方向に進んで、山手線の改札口を出たところまではいつも通りだった。今までと違ったのが、乗り換え前に一休みしたいと思ったことだ。 最近は長い距離をわき目もふらずに移動するということなどない。体力的な事というよりは、最近の生活のリズム変化によるものだ。 散策癖のせいかもしれない。 駅...

  10. 熊阪台州氏(その2)55~散策の帰り道② - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)55~散策の帰り道②

     案内文の中に以下のように、「阿武の松原」は熊阪氏によって広く知られるようになったらしいことが記される。 江戸時代の後期この地区の南に位置する「高子村」(現保原町)で儒学者・詩人としてこの地に多くの足跡を残した「熊坂三代(覇陵・台州・盤谷)」によって「阿武の松原」が広く知られるようになったと言われる。 それで、熊阪氏の書籍情報を確認すると、「信夫歌」の「信達二郡輿地略図」には、この「阿武の松...

  11. 熊阪台州氏(その2)54~散策の帰り道 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)54~散策の帰り道

     高子山からの帰り道、この「阿武の松原」碑の前の道に出たのは意図したことではない。偶然だ。 前回、この「阿武の松原碑」を訪ねて整理したのは2009年だ。 当時から、この碑は町指定文化財だったはずだが、多分案内板はなかったと思う。近所の人に何度か尋ねてようやくたどり着いた記憶がある。 https://kazenoshin.exblog.jp/8799433/ 今回もここに立ち寄るつもりなかった...

  12. 熊阪台州氏(その2)53~谷文晁氏との交遊④ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)53~谷文晁氏との交遊④

     「熊阪台州氏(その2)51~谷文晁氏との交遊②」で整理したように、寛政6年(1794)夏、文晁氏は、瀬上駅を通りながらも、自ら熊阪家白雲館に立ち寄ることはなかったということだ。 実は、この時以外にもう一回、ひょっとすると高子にも立ち寄ったかもしれないという憶測があったようだ。それは、前回整理の定信公が文晁氏の「真景図」を描くことのできる画力を認めることともかかわっているようだ。 文晁氏は、...

  13. 熊阪台州氏(その2)52~谷文晁氏との交遊③ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)52~谷文晁氏との交遊③

     正直に言えば、先の整理では、心のどこかで文晁氏の「永慕編(熊阪台州)」挿絵は、地元の画家周俊・淑翰が描いた二十境図の模写ということをマイナスイメージでとらえているところもあった。 しかし、文晁氏と定信公とのかかわりを確認してみて、その模写を通して真景を見抜く力の持ち主であることが分かった。  文晁氏は元々「真景図」を描くことのできる画力の持ち主だったようだ。 その力が「集古十種」での模写な...

  14. 熊阪台州氏(その2)51~谷文晁氏との交遊② - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)51~谷文晁氏との交遊②

     今までは、谷文晁氏については「熊阪台州氏(その2)46~高子山の『高子二十境』⑦」で確認したように、「江戸文人画壇の重鎮」との捉えで整理してきた。 この時に、さらりと「卓越した画技とともに学問もあって、松平定信や田安家の後援を得て」いることにもふれておいた。 地域を散策する者の視点として、松平定信公とのかかわりという視点を加えての整理もしておきたいと思うのだ。 先に、散策とのかかわりで松平...

  15. 熊阪台州氏(その2)50~谷文晁氏との交遊 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)50~谷文晁氏との交遊

     谷文晁氏は、「永慕編」に三代唱和の挿図を描いている。また、谷文晁氏の交友関係を確認すると、熊阪台州・熊阪磐谷の名が挙げられている。 したがって、熊阪親子二代との交友関係にあるようなのだが、谷文晁氏側の資料で具体的な交友関係は確認できなかった。 先に台州氏との交遊関係が確認できた太田南畝氏との交遊関係確認を通して谷文晁氏との交遊関係を確認できないかということで、先に確認した「浮世絵文献資料館...

  16. 熊阪台州氏(その2)49~高子山の「高子二十境」⑩ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)49~高子山の「高子二十境」⑩

     前回は、「白雲」という言葉のイメージが気になって「白雲洞」を整理した。本当は高子山にかかわる「高子二十境」までの整理のつもりだったので、付け足しの整理だ。 ただ、この「白雲洞」は「高子二十境」の十九番目にあたり、その二十番「古樵丘(こしょうきゅう)」がそのすぐ隣の丘だ。「白雲洞」の散策時にはそちらの案内表示も見ている。 「高子二十境」の最後の二十番を残すのは区切りが悪い。 「谷文晁、高子二...

  17. 熊阪台州氏(その2)48~高子山の「高子二十境」⑨ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)48~高子山の「高子二十境」⑨

     高子山にかかわる「高子二十境」の整理をしていく中で少し言葉に敏感になったのだろうか。「白雲」という言葉のイメージが気になった。 白雲は、辞書的には白い雲でしかないが、門外漢の散策人はその言葉の持つイメージがつかめていない。それで、「白雲」という言葉に「漢文」とか「漢詩」とかという言葉を付加して検索してみた。 その確認を通して、「白雲」は古来より使われた詩語のようであることが分かった。そのイ...

  18. 熊阪台州氏(その2)47~高子山の「高子二十境」⑧ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)47~高子山の「高子二十境」⑧

     「伊達の香り」が示す「玉兎巖」の位置を参考に、「玉兎巖」の漢詩に添えられた谷文晁氏の挿図を見ていると、高子山の北側から眺めた風景という事になるだろうか。 「丹露盤」の漢詩に添えられた谷文晁氏の挿図は高子山の西側から眺めた風景だ。こちらの実風景は、高子山の稜線を確かめるのに何度か眺めていたのでなじみ深い。 それに対し、「玉兎巖」の漢詩に添えられた谷文晁氏の挿図と実風景の関係性をスムーズに感じ...

  19. 熊阪台州氏(その2)46~高子山の「高子二十境」⑦ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)46~高子山の「高子二十境」⑦

     「伊達の散歩道(伊達市商工観光課)」の「高子二十境めぐり」という散歩資料の「伊達氏発祥の地・高子ヶ丘と丹露磐」案内に、この図が添えられる。 「永慕編(熊阪台州)」の二十境の「丹露盤」の漢詩に添えられた谷文晁氏の挿図だが、そうであることは説明はされない。 誰でもが、当然知っていることとされているようだ。  谷文晁氏を「美術人名辞典」で確認する。 江戸後期の文人画家で、元・明・清画や狩野派・土...

  20. 熊阪台州氏(その2)45~高子山の「高子二十境」⑥ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)45~高子山の「高子二十境」⑥

     この「龍脊巌」の案内柱は、駅前に掲げられる「高子二十境遊歩道案内」で示される位置にたつものだ。先に「高子20境『龍背巌』と首塚」で整理したのは、そちらだ。 https://kazenoshin.exblog.jp/9390709/ 公的機関が配る散歩コース案内では、こちらが案内される。 今回参考にさせていただいている「伊達の香り」では、その四番「龍脊巌」は、高子山の西稜線の岩場をイメージさ...

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