地域の散策のタグまとめ

地域の散策」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには地域の散策に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「地域の散策」タグの記事(205)

  1. 池袋駅西口⑭ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    池袋駅西口⑭

    明治通り以東は、丸池を主水源とした「弦巻川」の痕跡が下水道として残っていることが伺た。また、その下水道の「雑司が谷幹線」は、おおよそ「弦巻通り」に沿っているのだそうだ。ならば、こちらも「弦巻川」の痕跡とみてもよさそうだと思う。これは「雑司が谷 鬼子母神通り商店街 『ちょっとみちくさ』」の「雑司が谷七福神めぐり」の案内地図だが、ここにも「弦巻通り」が記される。ただ、丸池から明治通りまでの「弦巻...

  2. 池袋駅西口⑬ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    池袋駅西口⑬

    新聞報道を読んだ時点では、捜査状況や遺体発見現場など、よく読み取れていなかった。「東京都水道局雑司が谷幹線再構築工事事故調査報告書」を確認する。捜索は、雑司が谷幹線の事故現場から下流と神田川、それに後楽ポンプ所とのことだ。また、遺体が発見されたのは、神田川と後楽ポンプ所。これは、それらの施設と現場との関係を表す地図だが、「東京都水道局雑司が谷幹線再構築工事事故調査報告書」からの転載だ。雑司が...

  3. 池袋駅西口⑫ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    池袋駅西口⑫

    今回の小さな散策で丸池とされる池まで整理が進んだところだか、確認作業を通して、平成20年(2008)の下水道事故は、この池を主水源とする弦巻川を転用した下水道川筋で起きていたことを知った。この事故自体は新聞報道で知っていたが、散策とは結び付いていなかった。この事故現場地図は「東京都水道局雑司が谷幹線再構築工事事故調査報告書」からの転載。黒線と赤線部分が雑司が谷幹線で、その作業現場が赤線部分。...

  4. 池袋駅西口⑪ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    池袋駅西口⑪

    グーグル地図では、昭和22年・昭和38年の空中写真と現在の地図を重ねて表示することができる。また、その昭和22年の空中写真では、丸池らしきものが確認できる。それを元に丸池が現況のどこに位置していたものかを推理してみた。この空中写真との照らし合わせだけで推理すると、この「池袋地名ゆかりの地」の碑が建つ「元池袋史跡公園」と隣の池袋デュープレックスタワーとの境界線とその東側の道路端の交点あたりをそ...

  5. 池袋駅西口⑩ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    池袋駅西口⑩

    「成蹊実務学校」平面図の寄宿舎と成蹊池の部分を拡大して表示する。「成蹊実務学校」平面図では、成蹊中学の寄宿舎南側の農園の南東隅に成蹊池が描かれている。これが、今回散歩の出発点とした丸池跡とかかわるもの思われる。「成蹊会」の成蹊探訪32成蹊学園発祥の碑のページで、「元池袋史跡公園」に建つ「池袋地名ゆかりの池」の碑にある地名由来の池は「成蹊池」と呼ばれた学園敷地内の池のことと解説しているので、間...

  6. 池袋駅西口⑨ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    池袋駅西口⑨

    前回の「池袋駅西口⑧」で、池袋公園の南西隅付近から見える「成蹊実務学校」の風景について確認した。これが、この辺りの大正初期の原風景なのだと思う。その「成蹊実務学校」の校地の様子が確認できる。国立国会図書館デジタルコレクションで「成蹊実務学校一覧」が確認てき、そこに校地の平面図が載っている。「成蹊実務学校」の風景と見比べる。まずは、学校としての敷地。風景として気になるのは入り口右手の四角い建物...

  7. 池袋駅西口⑧ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    池袋駅西口⑧

    創設者の中村春二氏が明治45年(1912)に池袋に開校された「成蹊実務学校」を描いたとされる絵が、「成蹊学園」の「建学の精神」のページのアイコンになっている。そのページを開くと、右手前の柵が、豊島師範のものであることが記されているのが分かる。更に、校舎の右手の建物の門は小宅入り口とあり、その建物が創設者の中村春二氏宅であることが分かる。https://www.seikei.ac.jp/gak...

  8. 池袋駅西口⑦ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    池袋駅西口⑦

    前回の映画館の位置だが、現在の「東武別館」の位置に「東宝」とされる映画館がプロットされるのをみた。この地図では、他に「豊島通り」の北側に「シネマロサ」という映画館が記される。この位置は、他情報の「世界館」「日本館」の二つの映画館があったとされる位置と重なっている。さて、今回の散歩とかかわって、「マーケット」と表記される「元東京府豊島師範学校跡地」部分と重なる部分の確認から「元東京府豊島師範学...

  9. 池袋駅西口⑥ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    池袋駅西口⑥

    今回の乗り換え前の散歩とのかかわりで前回の地図を眺め回す。気になるのは、「マーケット」と表記される「元東京府豊島師範学校跡地」部分だ。この部分、散歩とのかかわりで見ると、池袋西口公園のバスターミナル付近ということのようだ。昭和36年頃のこのマーケット付近の詳細図が、「椎名町商店街」のページの「西池袋の歴史」で確認できる。マーケットの広がりは、北側は池袋西口バス通りに接していることが分かる。前...

  10. 池袋駅西口⑤ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    池袋駅西口⑤

    前回は、池袋駅西口の山手線から東武東上線に乗り換る前に散歩した範囲を「最新式大東京地圖番地入(大正11年)」の地図で確かめた。その同じ範囲を「東京都區分詳細圖 : 豊島区(昭和31年)」で確かめる。確かめる主な事柄は、前回確認した事の大正11年から昭和31年にかけての変化だ。その一つは、前回もふれたが、「学芸大学付属小学校」の北側は元東京府豊島師範学校跡地のはずだが、ここが「マーケット」と表...

  11. 池袋駅西口④ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    池袋駅西口④

    何時もなら、池袋駅で山手線から東武東上線に乗り換るだけだった。それを、今回は駅の西口に出て「元池袋史跡公園」をスタート地点にして、途中休みながら池袋西口公園、東京芸術劇場の辺りを鏡文字の「のの字」にぐるりと歩いてみたということだ。たったこれだけなのに、二つの学校の発祥の地の案内を見た。その一つは、池袋西口公園、東京芸術劇場に立つ「東京府豊島師範学校同附属小学校発祥之地」の案内であり、もう一つ...

  12. 池袋駅西口③ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    池袋駅西口③

    前回整理したように、池袋西口公園は、大きく改変される計画があるようで、その前段階として噴水が消滅したようだ。この改変前の風景は、2000年に放映されたというテレビドラマ「池袋ウエストゲートパーク」にかかわる情報として確かめることができる。自分は、このドラマ自体は見ていないのだが、このドラマの舞台となった影響で、この公園の噴水とその周りの円形の椅子は一時期名所になったのだそうだ。今回の散歩では...

  13. 池袋駅西口② - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    池袋駅西口②

    ドトールで一息ついて、駅方面に歩いて行くと、左手に西口公園が見えてくる。公園といっても舗装された広場で、緑豊かという事でもない。後で確認すると、この右手に噴水があって、これがこの公園らしさの特色らしい。ただ、散策中は、左手のステージが作業中だったのは憶えているが、その噴水があったという記憶がない。確認を進めると、6月18日現在、7月にこの噴水撤去完了に向けて撤去作業中とのことらしい。この公園...

  14. 池袋駅西口 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    池袋駅西口

    今までは、この駅は上京してきた時に山手線から東武東上線に乗り換えるために利用するだけだった。今回も、東武東上線の方向に進んで、山手線の改札口を出たところまではいつも通りだった。今までと違ったのが、乗り換え前に一休みしたいと思ったことだ。最近は長い距離をわき目もふらずに移動するということなどない。体力的な事というよりは、最近の生活のリズム変化によるものだ。散策癖のせいかもしれない。駅から外に出...

  15. 熊阪台州氏(その2)55~散策の帰り道② - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)55~散策の帰り道②

    案内文の中に以下のように、「阿武の松原」は熊阪氏によって広く知られるようになったらしいことが記される。江戸時代の後期この地区の南に位置する「高子村」(現保原町)で儒学者・詩人としてこの地に多くの足跡を残した「熊坂三代(覇陵・台州・盤谷)」によって「阿武の松原」が広く知られるようになったと言われる。それで、熊阪氏の書籍情報を確認すると、「信夫歌」の「信達二郡輿地略図」には、この「阿武の松原」が...

  16. 熊阪台州氏(その2)54~散策の帰り道 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)54~散策の帰り道

    高子山からの帰り道、この「阿武の松原」碑の前の道に出たのは意図したことではない。偶然だ。前回、この「阿武の松原碑」を訪ねて整理したのは2009年だ。当時から、この碑は町指定文化財だったはずだが、多分案内板はなかったと思う。近所の人に何度か尋ねてようやくたどり着いた記憶がある。https://kazenoshin.exblog.jp/8799433/今回もここに立ち寄るつもりなかったのだが、そ...

  17. 熊阪台州氏(その2)53~谷文晁氏との交遊④ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)53~谷文晁氏との交遊④

    「熊阪台州氏(その2)51~谷文晁氏との交遊②」で整理したように、寛政6年(1794)夏、文晁氏は、瀬上駅を通りながらも、自ら熊阪家白雲館に立ち寄ることはなかったということだ。実は、この時以外にもう一回、ひょっとすると高子にも立ち寄ったかもしれないという憶測があったようだ。それは、前回整理の定信公が文晁氏の「真景図」を描くことのできる画力を認めることともかかわっているようだ。文晁氏は、若い日...

  18. 熊阪台州氏(その2)52~谷文晁氏との交遊③ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)52~谷文晁氏との交遊③

    正直に言えば、先の整理では、心のどこかで文晁氏の「永慕編(熊阪台州)」挿絵は、地元の画家周俊・淑翰が描いた二十境図の模写ということをマイナスイメージでとらえているところもあった。しかし、文晁氏と定信公とのかかわりを確認してみて、その模写を通して真景を見抜く力の持ち主であることが分かった。文晁氏は元々「真景図」を描くことのできる画力の持ち主だったようだ。その力が「集古十種」での模写などで更に磨...

  19. 熊阪台州氏(その2)51~谷文晁氏との交遊② - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)51~谷文晁氏との交遊②

    今までは、谷文晁氏については「熊阪台州氏(その2)46~高子山の『高子二十境』⑦」で確認したように、「江戸文人画壇の重鎮」との捉えで整理してきた。この時に、さらりと「卓越した画技とともに学問もあって、松平定信や田安家の後援を得て」いることにもふれておいた。地域を散策する者の視点として、松平定信公とのかかわりという視点を加えての整理もしておきたいと思うのだ。先に、散策とのかかわりで松平定信公に...

  20. 熊阪台州氏(その2)50~谷文晁氏との交遊 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    熊阪台州氏(その2)50~谷文晁氏との交遊

    谷文晁氏は、「永慕編」に三代唱和の挿図を描いている。また、谷文晁氏の交友関係を確認すると、熊阪台州・熊阪磐谷の名が挙げられている。したがって、熊阪親子二代との交友関係にあるようなのだが、谷文晁氏側の資料で具体的な交友関係は確認できなかった。先に台州氏との交遊関係が確認できた太田南畝氏との交遊関係確認を通して谷文晁氏との交遊関係を確認できないかということで、先に確認した「浮世絵文献資料館」のペ...

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