坂本龍馬のタグまとめ

坂本龍馬」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには坂本龍馬に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「坂本龍馬」タグの記事(58)

  1. 幕末京都逍遥その143「伏見薩摩藩邸跡」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その143「伏見薩摩藩邸跡」

    前稿で紹介した大国寺から西に100mほど歩いたところに、「薩摩島津伏見屋敷跡」と刻まれた石碑があります。江戸時代、ここに伏見薩摩藩邸がありました。 徳川幕府は第3代将軍徳川家光以後、約230年間、江戸にこもって京都にやってきませんでした。そのため、原則として諸大名にも上洛を禁じました。西国大名が参勤交代のため江戸と本国を往復するときも、京都ではなく伏見を通りました。なので、西国諸藩は伏見に拠...

  2. 幕末京都逍遥その141「坂本龍馬避難の材木小屋跡」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その141「坂本龍馬避難の材木小屋跡」

    「その138」で紹介した寺田屋で伏見奉行所の捕り方の襲撃を受けた坂本龍馬と三吉慎蔵は、からくも脱出に成功しますが、龍馬は数日前から風邪をひいていて熱があり、また、襲撃時の戦闘によって負傷した指の傷がかなり深く、出血多量による極度の貧血も重なって動けなくなります。やむを得ず、川端の材木小屋を見つけて密かに忍び込み、身を潜めました。現在、その材木小屋があったと推定されている場所には、「坂本龍馬、...

  3. 幕末京都逍遥その140「伏見竜馬通り」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その140「伏見竜馬通り」

    史跡ではありませんが、伏見には「伏見竜馬通り」と名付けられた商店街があります。 この付近は伏見宿の本陣・脇本陣・旅籠・船宿が軒を連ね、大いに賑わった町でした。この通りは、はじめ本陣木津屋の前の図子(づし・小路のこと)だったことから、木津屋図子とも呼ばれ、のちに南納屋町とも称しました。 江戸時代、伏見は水運陸運の要衝でしたが、一方で、情報収集の町でもありました。この情報伝達業者が、江戸、大坂、...

  4. 幕末京都逍遥その139「お登勢の墓(松林院)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その139「お登勢の墓(松林院)」

    寺田屋から300mほど南西にある松林院の墓地に、幕末の寺田屋の女将・お登勢の墓があります。 6代目寺田屋伊助の妻・お登勢は、放蕩者だった伊助の死後、寺田屋の女将となって店を切り盛りしました。もともとお登勢の実家は近江国大津の旅館だったらしく、子供の頃から女将になるためのスキルを十分に磨いてきた女性だったのでしょうね。お登勢が女将となってから寺田屋は薩摩藩の定宿となり、たいへん繁盛していました...

  5. 幕末京都逍遥その138「寺田屋 その2」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その138「寺田屋 その2」

    「その137」に続いて寺田屋です。本稿では、慶応2年1月23日(1866年3月9日)に起きた寺田屋事件、いわゆる坂本龍馬襲撃事件を追います。 この事件が起きたのは、坂本龍馬が尽力したとされる「薩長同盟」が締結された翌々日のことでした。この時点では、まだ幕府側には薩長同盟の事実は漏れていませんでしたが、坂本龍馬が長州の桂小五郎(木戸孝允)と組んで何かを企てているというのは察知されており、天下の...

  6. 鞆の浦散歩 - 無垢の木の家・古民家再生・新築、リフォーム 「ツキデ工務店」

    鞆の浦散歩

    鞆の浦(とものうら)は、広島県のJR福山駅から南へバスで30分、沼隅半島の先端にある小さな港町です。 鞆の浦は、瀬戸内海のほぼ中央に位置し、この辺りで潮の流れが変わることから古来、内海を航行する船はこの潮に乗っての航法であったので、潮待ち風待ちの港として栄えました。町内には、当時の繁栄がうかがえる昔ながらの情緒ある街並みが残っています。 平地の少ない各地の港町同様、この港町も路地が網の目のよ...

  7. 幕末京都逍遥その131「土佐四天王像」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その131「土佐四天王像」

    前稿で天龍寺塔頭の松厳寺にある坂本龍馬像を紹介しましたが、嵯峨野にはもうひとつ龍馬の像があります。それがこれ。 天龍寺から竹林を北に抜けて田園風景が広がるなかに、「無動庵」というカフェがあるのですが、その前にあります。像は龍馬だけでなく、武市半平太、中岡慎太郎、吉村寅太郎と共にあります。彼ら4人を「土佐四天王」と言うんだとか。そんな呼称あったっけ? 説明板によると、「風雲急を告げる幕末の京洛...

  8. 幕末京都逍遥その130「松厳寺(坂本龍馬像)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その130「松厳寺(坂本龍馬像)」

    前稿、前々稿と天龍寺の塔頭シリーズが続いていますが、同じく塔頭の松厳寺に坂本龍馬像があります。 正確には、松厳寺の境内ではなく、その隣の墓地に龍馬像あります。こちらがその像です。 この像は、昭和49年(1974年)10月14日に除幕されたものです。傍らには「時代之先覚者坂本龍馬先生遺徳之像」と刻まれた石碑があります。 像はそれほど大きくなく、等身大くらいの印象でした。黒光りしていて、よく手入...

  9. 幕末京都逍遥その129「壽寧院(お龍・楢崎将作顕彰碑)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その129「壽寧院(お龍・楢崎将作顕彰碑)」

    天龍寺の塔頭・壽寧院に、坂本龍馬の妻・お龍と、その父・楢崎将作の顕彰碑があると知り、立ち寄ってみました。なぜ、ここに顕彰碑があるのか・・・。 龍馬の死後、しばらくは長府藩士の三吉慎蔵がお龍の面倒をみていましたが、その後、土佐の龍馬の実家に身を寄せます。しかし、都育ちのお龍には土佐の暮らしは馴染めず、わずか3ヵ月ほどで立ち去ることになり、その後、妹夫婦の世話になったりしたのち、龍馬の墓所近くで...

  10. 幕末京都逍遥その128「弘源寺(禁門の変時の刀傷)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その128「弘源寺(禁門の変時の刀傷)」

    前稿で紹介した天龍寺の塔頭・弘源寺の本堂に、長州藩士がつけた刀傷が残っていると知り、立ち寄ってみました。 前稿でもお話したとおり、天龍寺は元治元年7月19日(1864年8月20日)の「禁門の変(蛤御門の変)」時に長州軍の本陣となった場所です。天龍寺を宿営としたのは、藩内きっての豪傑・来島又兵衛率いる500の兵でした。おそらく、その塔頭である弘源寺も、長州兵の宿舎となったことでしょう。 門の横...

  11. 西郷どん第33話「糸の誓い」その1~寺田屋事件(坂本龍馬襲撃事件)~ - 坂の上のサインボード

    西郷どん第33話「糸の誓い」その1~寺田屋事件(坂本龍...

    薩長同盟が締結された翌々日の慶応2年1月23日(1866年3月9日)未明、伏見寺田屋において坂本龍馬と長府藩士の三吉慎蔵が伏見奉行所配下の捕方らに襲撃されるという事件が起きます。有名な寺田屋事件ですね。幕末にはふたつの寺田屋事件がありますが、そのひとつは「第23話」で描かれた薩摩藩士同士討ち事件、そしてもうひとつが、この坂本龍馬襲撃事件です。このとき龍馬はからくも逃げ切り、九死に一生を得るの...

  12. 西郷どん第32話「薩長同盟」その2~薩長盟約~ - 坂の上のサインボード

    西郷どん第32話「薩長同盟」その2~薩長盟約~

    昨日の続きです。慶応2年1月21日(1866年3月7日)、小松帯刀寓居の「御花畑御屋敷」において、薩長同盟が成立しました。これまで何度も大河ドラマで描かれてきた薩長同盟のくだりですが、今回もいつもどおりの通説に沿った設定で描かれるのかと思いきや、坂本龍馬が最初から同席していたり、いるはずのない伊藤俊輔(博文)がいたり、大山格之助(綱良)や有村俊斎(海江田信義)が怒鳴り込んできたりと、トンデモ...

  13. 西郷どん第31話「龍馬との約束」その2~西郷すっぽかし事件~ - 坂の上のサインボード

    西郷どん第31話「龍馬との約束」その2~西郷すっぽかし事件~

    昨日の続きです。このとき西郷吉之助(隆盛)が坂本龍馬を同行して鹿児島に帰国したのは、幕府からの征長出兵命令を拒否する藩論をまとめるためでした。この少し前に西郷が国元に宛てた報告書のなかに、つぎのような文章があります。 「いつ迄も共和政治をやり通し申さず候ては、相済みまじく候間、能々(よくよく)御勘考下さるべく候。若(もし)、此策を御用ひこれなく候はゞ、断然と割拠の色を顕はし、国を富すの策に出...

  14. 西郷どん第31話「龍馬との約束」その1~坂本龍馬の鹿児島訪問~ - 坂の上のサインボード

    西郷どん第31話「龍馬との約束」その1~坂本龍馬の鹿児...

    神戸海軍操練所の塾生が池田屋事件や禁門の変に関わっていたことが幕府から問題視され、軍艦奉行を罷免された勝麟太郎(海舟)が、門人の坂本龍馬ら浪士集団の庇護を薩摩藩に依頼し、小松帯刀や西郷吉之助(隆盛)がそれを引き受けたのはあまりにも有名な話です。ドラマでは、龍馬が勝安房守の名を装って家老の小松に面会し、それを見た西郷が龍馬の庇護を引き受けるよう熱弁していましたが、勝の名を語ったのはドラマの創作...

  15. 桂浜 - My Palpitation

    桂浜

    豪雨の日の桂浜坂本龍馬記念館高知に行ったら外せません!おすすめです!!

  16. 西郷どん第28話「勝と龍馬」~第一次長州征伐と勝海舟~ - 坂の上のサインボード

    西郷どん第28話「勝と龍馬」~第一次長州征伐と勝海舟~

    わずか1日だけの戦闘で終わった禁門の変から4日後の元治元年7月23日(1864年8月24日)、朝廷より一橋慶喜に対して長州藩追討の命令が下ります。これを受けた慶喜は、翌日、西国諸藩に出兵令を出します。つまり、長州藩は正式に「朝敵」となったわけです。長州藩にとっては前年の八月十八日の政変で失った覇権を取り戻すための挙兵が、逆に、自分たちの首を絞める結果になったわけですね。ドラマでも少し触れてい...

  17. 幕末京都逍遥その95「渡辺篤の墓(教善寺)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その95「渡辺篤の墓(教善寺)」

    前稿で紹介した松林寺から西へ600mほどのところにある教善寺の墓地に、坂本龍馬暗殺の実行犯のひとり、渡辺篤の墓があると知って訪れました。 渡辺篤は京都生まれの剣客で、京都見廻組の一員として禁門の変の折には二条城の警備を担当し、その役付けも、京都見廻組御雇七人扶持を皮切りに肝煎介・肝煎と昇進。当時は渡辺一郎と名乗っていたそうです。その後、鳥羽・伏見の戦いに旧幕府軍側として参戦。この頃に名前を「...

  18. 幕末京都逍遥その94「佐々木只三郎寓居跡・見廻組屯所跡(松林寺)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その94「佐々木只三郎寓居跡・見廻組屯所跡...

    前稿で紹介した大和郡山藩邸跡のすぐ北側に、松林寺というお寺があるのですが、ここは幕末、京都見廻組の屯所だったされ、その組与頭だった佐々木只三郎が下宿していたとされます。 幕末当時は「やす寺」といったそうです。新選組と並んで幕末の京都の治安維持を担っていた京都見廻組ですが、浪士を中心に結成された新選組に対して、京都見廻組は幕臣で構成された幕府の正規警備隊でした。そのため、警備の担当エリアも、新...

  19. 幕末京都逍遥その93「永井尚志邸跡(郡山藩邸跡)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その93「永井尚志邸跡(郡山藩邸跡)」

    二条城の北西300mほどのあたりに、かつて大和郡山藩の屋敷がありました。慶応3年(1867年)4月から同年12月まで、この大和郡山藩の屋敷には幕府大目付の永井玄蕃尚志が住んでいました。 邸跡には石碑や説明板などはなく、はっきりとした場所がわからなかったのですが、資料によると、写真の公園あたり一帯だったといいます。 永井尚志といえば、幕末の京都で活躍した幕府の重役です。八月十八日の政変や禁門の...

  20. 幕末京都逍遥その91「武信稲荷神社」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その91「武信稲荷神社」

    前稿で紹介した六角獄舎跡のすぐ北西向かいにある「武信稲荷神社」を訪れました。「武信」というと武田信玄を連想しますが、一切関係なく、平安時代初期、右大臣・藤原良相が藤原氏の医療施設「延命院」の守護神として創建し、その後、藤原武信によって厚く信仰されたことで、「武信稲荷神社」と称されるようになったそうです。 創建した藤原良相が藤原氏の長として一族の名付けをされていたことから、名付け・命名にご利益...

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