坂本龍馬のタグまとめ

坂本龍馬」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには坂本龍馬に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「坂本龍馬」タグの記事(63)

  1. 坂本龍馬像お披露目案内 - ログ鷹日記

    坂本龍馬像お披露目案内

    大きな丸太で坂本龍馬の像を彫りました。明日23日の12時より湯田温泉の松田屋さんの裏の駐車場にてお披露目をします。まだ設置場所の整備が終わっておらずお披露目後には一旦家に持って帰りますので時間が合えば見に来てくださいね〜♪

  2. 三十三間堂南大門あたりで坂本龍馬とお龍さんは出会った - フィールド

    三十三間堂南大門あたりで坂本龍馬とお龍さんは出会った

    三十三間堂南大門です。豊臣秀吉が東大寺に模して造った大仏殿方広寺はそれはそれはデカかったんでしょうね。歴史で名高いあの方広寺です。その南門だったものが、秀頼によって現在の地に移されたそうです。虹梁の刻銘から1600年(慶長5年)とわかっています。現在は、三十三間堂(蓮華王院)南大門として重要文化財に指定。風格のある本瓦葺の巨大な八脚門です。このゆったりとした面構えが好きで、時々、ここを訪ねま...

  3. 大佛次郎「天皇の世紀」1555回の軌跡展―後藤象二郎の書が登場 - 大佛次郎記念館NEWS

    大佛次郎「天皇の世紀」1555回の軌跡展―後藤象二郎の...

    2月12日より木戸孝允の漢詩の軸に代わり、後藤象二郎(1838-1897)の書を展示しました。後藤象二郎は、先日館内上映したテレビ映画≪天皇の世紀≫第16話「大政奉還」にも登場しました。龍馬の「船中八策」を土佐藩の前藩主の山内容堂に伝え、龍馬と共に大政奉還に尽くした人物です。この掛け軸は、盛唐の詩人、儲光羲(ちょ・こうぎ)の漢詩「寄孫山人」(孫山人に寄す)を書にしたものです。*山人とは書家等...

  4. 阪急ツアーで行く四国の旅6 土佐桂浜 - ふつうの生活 ふつうのパラダイス♪

    阪急ツアーで行く四国の旅6 土佐桂浜

    四万十川の後は、桂浜に向かいました。この間結構距離もあって、途中で道の駅などにもより、いろいろと買い物したり、アイスを買ったり。高知県まで来ると、太平洋になります。なんかやっぱり、海が違います。そして、ここが桂浜。坂本龍馬の像があります。結構大きいです。ここで、記念撮影も。そして、しばらく、桂浜をお散歩。ここは、遊泳禁止です。高知は、坂本龍馬で持ってるみたい。水族館もあったし、龍馬専門のお土...

  5. 断捨離でもなんて考えたら時間が止まる - 月はひとり 星は二人で見上げたい - 人生は第四コーナーから

    断捨離でもなんて考えたら時間が止まる

    断捨離でもしよう自室の本から特別気に入っているものを100冊ほど残して廃棄しようか万一入院でもしたら1年かけて100冊あれば足りるだろうツーレポはこちら坂本龍馬脱藩の道で韮が峠での一枚

  6. ブルーイング - スズキヨシカズ幻燈画室

    ブルーイング

    雪になりました。白河市は氷点下の一日です。ずいぶん前に作業途中を「チラリ」とお見せしました坂本龍馬の愛銃『スミス&ウェッソン モデル2 アーミー』のお話しの完結編、表面を腐蝕させる薬液を入手出来たので「仕上げをする作業」です。表面を腐蝕させて磨き込んだ「銃身(じゅうしん)」です。* 作業する前の本体(左)とシリンダー(中央)との、光沢の違いを見比べてみて下さい。『Smith WessonM...

  7. Smith & WessonModel 2 Army - スズキヨシカズ幻燈画室

    Smith & WessonModel 2 Army

    昨夜、教室中に降り始めた雨は帰宅時には雪にかわり、辺りを白く塗り替えていたので、、覚悟して起き出した今朝でしたが雪は積もるコトなく朝日の中に消えて無くなっていました。きょうは月曜日でしたがカメちゃんの教室はお休みでした。(カメちゃんは制作準備の取材旅行中なので再開は2月になります)昼からはコットマンサークルの教室。懐かしい生徒さんの顔を見るコトができて、嬉しく賑やかな教室になりました。さてさ...

  8. 坂本龍馬が剣術修行をした千葉定吉道場跡 - 坂の上のサインボード

    坂本龍馬が剣術修行をした千葉定吉道場跡

    東京駅八重洲口近くの鍛冶橋通りに面した歩道の植え込みに、「千葉定吉道場跡」と書かれた説明板があります。千葉定吉道場といえば、若き日の坂本龍馬が剣術修行をした道場として知られています。 千葉定吉は、北辰一刀流剣術の創始者と伝わる千葉周作の弟で、自身も北辰一刀流の使い手でした。兄の千葉周作は、鏡心明智流の桃井春蔵、神道無念流の斎藤弥九郎とともに幕末三剣豪と呼ばれ、「位の桃井・力の斎藤・技の千葉」...

  9. 松平春嶽ダントツ (PART 2) - デンマンのブログ

    松平春嶽ダントツ (PART 2)

    松平春嶽ダントツ (PART 2)【卑弥子の独り言】(himiko22.gif)ですってぇ~。。。あなたは、坂本龍馬の暗殺事件の黒幕が大久保利通だと思いますか?あたくしは、まだ完全には、そうだと信じられないのですわ。。。ええっ。。。「そんな話はどうでもいいから、何か他に面白いことを話せ!」あなたは、あたくしに向かって、そのようにご命令なさるのでござ~ますか?いけすかないお方ァ~。。。!分かり...

  10. 藤田八束の鉄道写真@明治維新が教えてくれた若者教育法、勉強と訓練・・・教育環境の大切さ、西郷隆盛と坂本龍馬 - 藤田八束の日記

    藤田八束の鉄道写真@明治維新が教えてくれた若者教育法、...

    藤田八束の鉄道写真@明治維新が教えてくれた若者教育法、勉強と訓練・・・教育環境の大切さ、西郷隆盛と坂本龍馬NHK大河ドラマ「西郷どん」が最高に面白い。とうとう西南の役に入っていく…。熊本出身のこの私もどうも西南の役の真実が知りたい。西郷隆盛が西南の役に入っていくその訳とは、優秀な人たちはどの様な行動をとって行ったのか。そして、得られた日本は希望ある国となったのか。その後改革どう展開していった...

  11. 幕末京都逍遥その143「伏見薩摩藩邸跡」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その143「伏見薩摩藩邸跡」

    前稿で紹介した大国寺から西に100mほど歩いたところに、「薩摩島津伏見屋敷跡」と刻まれた石碑があります。江戸時代、ここに伏見薩摩藩邸がありました。 徳川幕府は第3代将軍徳川家光以後、約230年間、江戸にこもって京都にやってきませんでした。そのため、原則として諸大名にも上洛を禁じました。西国大名が参勤交代のため江戸と本国を往復するときも、京都ではなく伏見を通りました。なので、西国諸藩は伏見に拠...

  12. 幕末京都逍遥その141「坂本龍馬避難の材木小屋跡」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その141「坂本龍馬避難の材木小屋跡」

    「その138」で紹介した寺田屋で伏見奉行所の捕り方の襲撃を受けた坂本龍馬と三吉慎蔵は、からくも脱出に成功しますが、龍馬は数日前から風邪をひいていて熱があり、また、襲撃時の戦闘によって負傷した指の傷がかなり深く、出血多量による極度の貧血も重なって動けなくなります。やむを得ず、川端の材木小屋を見つけて密かに忍び込み、身を潜めました。現在、その材木小屋があったと推定されている場所には、「坂本龍馬、...

  13. 幕末京都逍遥その140「伏見竜馬通り」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その140「伏見竜馬通り」

    史跡ではありませんが、伏見には「伏見竜馬通り」と名付けられた商店街があります。 この付近は伏見宿の本陣・脇本陣・旅籠・船宿が軒を連ね、大いに賑わった町でした。この通りは、はじめ本陣木津屋の前の図子(づし・小路のこと)だったことから、木津屋図子とも呼ばれ、のちに南納屋町とも称しました。 江戸時代、伏見は水運陸運の要衝でしたが、一方で、情報収集の町でもありました。この情報伝達業者が、江戸、大坂、...

  14. 幕末京都逍遥その139「お登勢の墓(松林院)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その139「お登勢の墓(松林院)」

    寺田屋から300mほど南西にある松林院の墓地に、幕末の寺田屋の女将・お登勢の墓があります。 6代目寺田屋伊助の妻・お登勢は、放蕩者だった伊助の死後、寺田屋の女将となって店を切り盛りしました。もともとお登勢の実家は近江国大津の旅館だったらしく、子供の頃から女将になるためのスキルを十分に磨いてきた女性だったのでしょうね。お登勢が女将となってから寺田屋は薩摩藩の定宿となり、たいへん繁盛していました...

  15. 幕末京都逍遥その138「寺田屋 その2」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その138「寺田屋 その2」

    「その137」に続いて寺田屋です。本稿では、慶応2年1月23日(1866年3月9日)に起きた寺田屋事件、いわゆる坂本龍馬襲撃事件を追います。 この事件が起きたのは、坂本龍馬が尽力したとされる「薩長同盟」が締結された翌々日のことでした。この時点では、まだ幕府側には薩長同盟の事実は漏れていませんでしたが、坂本龍馬が長州の桂小五郎(木戸孝允)と組んで何かを企てているというのは察知されており、天下の...

  16. 鞆の浦散歩 - 無垢の木の家・古民家再生・新築、リフォーム 「ツキデ工務店」

    鞆の浦散歩

    鞆の浦(とものうら)は、広島県のJR福山駅から南へバスで30分、沼隅半島の先端にある小さな港町です。 鞆の浦は、瀬戸内海のほぼ中央に位置し、この辺りで潮の流れが変わることから古来、内海を航行する船はこの潮に乗っての航法であったので、潮待ち風待ちの港として栄えました。町内には、当時の繁栄がうかがえる昔ながらの情緒ある街並みが残っています。 平地の少ない各地の港町同様、この港町も路地が網の目のよ...

  17. 幕末京都逍遥その131「土佐四天王像」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その131「土佐四天王像」

    前稿で天龍寺塔頭の松厳寺にある坂本龍馬像を紹介しましたが、嵯峨野にはもうひとつ龍馬の像があります。それがこれ。 天龍寺から竹林を北に抜けて田園風景が広がるなかに、「無動庵」というカフェがあるのですが、その前にあります。像は龍馬だけでなく、武市半平太、中岡慎太郎、吉村寅太郎と共にあります。彼ら4人を「土佐四天王」と言うんだとか。そんな呼称あったっけ? 説明板によると、「風雲急を告げる幕末の京洛...

  18. 幕末京都逍遥その130「松厳寺(坂本龍馬像)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その130「松厳寺(坂本龍馬像)」

    前稿、前々稿と天龍寺の塔頭シリーズが続いていますが、同じく塔頭の松厳寺に坂本龍馬像があります。 正確には、松厳寺の境内ではなく、その隣の墓地に龍馬像あります。こちらがその像です。 この像は、昭和49年(1974年)10月14日に除幕されたものです。傍らには「時代之先覚者坂本龍馬先生遺徳之像」と刻まれた石碑があります。 像はそれほど大きくなく、等身大くらいの印象でした。黒光りしていて、よく手入...

  19. 幕末京都逍遥その129「壽寧院(お龍・楢崎将作顕彰碑)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その129「壽寧院(お龍・楢崎将作顕彰碑)」

    天龍寺の塔頭・壽寧院に、坂本龍馬の妻・お龍と、その父・楢崎将作の顕彰碑があると知り、立ち寄ってみました。なぜ、ここに顕彰碑があるのか・・・。 龍馬の死後、しばらくは長府藩士の三吉慎蔵がお龍の面倒をみていましたが、その後、土佐の龍馬の実家に身を寄せます。しかし、都育ちのお龍には土佐の暮らしは馴染めず、わずか3ヵ月ほどで立ち去ることになり、その後、妹夫婦の世話になったりしたのち、龍馬の墓所近くで...

  20. 幕末京都逍遥その128「弘源寺(禁門の変時の刀傷)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その128「弘源寺(禁門の変時の刀傷)」

    前稿で紹介した天龍寺の塔頭・弘源寺の本堂に、長州藩士がつけた刀傷が残っていると知り、立ち寄ってみました。 前稿でもお話したとおり、天龍寺は元治元年7月19日(1864年8月20日)の「禁門の変(蛤御門の変)」時に長州軍の本陣となった場所です。天龍寺を宿営としたのは、藩内きっての豪傑・来島又兵衛率いる500の兵でした。おそらく、その塔頭である弘源寺も、長州兵の宿舎となったことでしょう。 門の横...

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