城跡のタグまとめ

城跡」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには城跡に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「城跡」タグの記事(103)

  1. 桜満開の赤穂城を歩く。その5「水手門、塩屋門」 - 坂の上のサインボード

    桜満開の赤穂城を歩く。その5「水手門、塩屋門」

    「その4」の続きです。シリーズ最後は、赤穂城二ノ丸南側の水手門跡からスタートです。 かつて赤穂城の南はヨシ原が広がる干潟に面していて、満潮時には海水が石垣に迫るほどだったそうです。ここ水手門は、赤穂湾に出るための船着き場だったそうです。 こちらはその説明板。 現在、水手門の南には水堀があります。海はこれより1km以上南。往時とはまったく地形が変わってしまっています。地面に見られる四角い礎石跡...

  2. 桜満開の赤穂城を歩く。その4「元禄桜苑」 - 坂の上のサインボード

    桜満開の赤穂城を歩く。その4「元禄桜苑」

    「その3」の続きです。赤穂城本丸の東側にある厩口門を出て、二ノ丸南に向かいます。写真は、本丸側から見た桜と厩口門の高麗門。 天気が曇りじゃなかったら、もっと綺麗だったでしょうね。 門の外にも桜が見えます。 こちらは本丸の外から見た厩口門。 正保2年(1645年)に入封した浅野長直によって築かれた赤穂城ですが、浅野家は3代当主の浅野内匠頭長矩の刃傷事件が起こり、改易となります。城は一旦、お隣の...

  3. 桜満開の赤穂城を歩く。その3「本丸」 - 坂の上のサインボード

    桜満開の赤穂城を歩く。その3「本丸」

    「その2」の続きです。いよいよ赤穂城本丸を攻めます。写真は本丸門。発掘調査の遺構に基づき、明治時代の古写真や絵図を参考にして平成8年(1996年)に総工費6億7,000万円をかけて完全復元したそうです。 本丸門は枡形虎口の形状で、手前に高麗門、奥に櫓門が見えます。大手門では高麗門だけが復元されていましたが、こちらは櫓門もあります。やはり、高麗門と櫓門がセットで揃うと見事ですね。THE城門!っ...

  4. 桜満開の赤穂城を歩く。その2「二ノ丸庭園」 - 坂の上のサインボード

    桜満開の赤穂城を歩く。その2「二ノ丸庭園」

    「その1」の続きです。赤穂城三ノ丸の武家屋敷跡を過ぎて二ノ丸門を通る手前に、山鹿素行の銅像があります。山鹿素行は赤穂藩初代藩主の浅野長直に千石で召し抱えられた儒学者、兵学者で、赤穂城の築城にも参画した人物です。 説明板によると、赤穂城築城時には二ノ丸虎口の縄張りを一部素行が変更したとされます。だから、ここ二ノ丸門の前に銅像があるんですね。 山鹿素行は家中で兵法を教え、あの大石内蔵助良雄も門弟...

  5. 桜満開の赤穂城を歩く。その1「大手門~武家屋敷跡」 - 坂の上のサインボード

    桜満開の赤穂城を歩く。その1「大手門~武家屋敷跡」

    過日、播州赤穂城跡を訪れました。赤穂といえば、「時は元禄15年、師走半ばの14日・・・」でお馴染みの赤穂浪士を誰もが思い浮かべるかと思いますが、あの浅野家の居城だった城です。赤穂城は、正保2年(1645年)に常陸国笠間から入封した浅野長直が、近藤三郎左衛門正純に築城設計を命じ、慶安元年(1648年)より13年以上の歳月を費やし、寛文元年(1661年)に完成したものです。わたしがここを訪れたの...

  6. 二宮金次郎を知る小田原城@神奈川県 - 963-7837

    二宮金次郎を知る小田原城@神奈川県

    当初の予定にはありませんでしたが、小田原城へ行きました。その理由は明日以降でご紹介します。さて、小田原城ですが、オイラが行った日には、既に紅梅、蝋梅、そして白梅が咲いていました。福島では寒い風が吹いて雪が降っているっていうのにね。地球儀で見ると日本列島って小さいのに、こんなにも季節感が違う。不思議不思議。

  7. 月山富田城跡登城記その3「三ノ丸~二ノ丸~本丸」 - 坂の上のサインボード

    月山富田城跡登城記その3「三ノ丸~二ノ丸~本丸」

    「その2」のつづきです。山中御殿跡を後にして、いよいよ山頂を目指します。 この急斜面を蛇のように曲がりくねりながら登ります。この道を「七曲り」と呼びますが、どう見てももっと曲がってます。 「頂上まで20分」とありますが・・・。 さすがに有名な城だけあって、道は観光客用に整備されていて、歩きにくいということはありません。ただ、勾配はかなり急です。石垣が見えてきました。 七曲りを登りはじめて20...

  8. 月山富田城跡登城記その2「山中鹿介幸盛祈月像~花の壇~山中御殿」 - 坂の上のサインボード

    月山富田城跡登城記その2「山中鹿介幸盛祈月像~花の壇~...

    「その1」のつづきです。太鼓壇の南側には、山中鹿介幸盛の像があります。 山中鹿介幸盛は尼子三傑のひとりとして、「山陰の麒麟児」の異名で知られます。尼子十勇士の筆頭にして、尼子氏滅亡後も最後まで尼子家再興のために力を尽くした武将として後世に名高い人物ですね。 尼子家再興のため、「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った逸話は有名で、戦前の国語の教科書にも採用されていたそうです。この...

  9. 月山富田城跡登城記その1「登山口~太鼓壇」 - 坂の上のサインボード

    月山富田城跡登城記その1「登山口~太鼓壇」

    かつて出雲国にあった山城・月山富田城跡を訪れました。現在の住所でいえば島根県安来市広瀬町富田で、県庁所在地の松山市から車で30分ほど走った山間部に位置します。 城山の西側に流れる飯梨川(富田川)の畔に、「尼子・毛利の古戦場」と書かれた看板が設置されていました。そう、ここ月山富田城跡は、約170年間、戦国大名・尼子氏の本拠となった場所です。 看板の向こうに見える山の上が城跡です。 ズームします...

  10. 国宝天守となった松江城を歩く。その5「内堀~塩見縄手~三ノ丸」 - 坂の上のサインボード

    国宝天守となった松江城を歩く。その5「内堀~塩見縄手~...

    「その4」の続きです。シリーズ最後は、松江城内堀に沿って歩きます。まずは、二の丸下段の芝生公園北東の内堀に架かる北惣門橋です。 この橋は、江戸時代には内堀東側にあった家老屋敷と城内を結ぶ重要な通路だったそうです。明治時代の中頃に石造りのアーチ橋に変わったそうですが、平成になって再び絵図や文献史料を参考に復元したそうです。 長さ18.54m(九間四尺五寸)、幅3.82m(二間)あります。 この...

  11. 国宝天守となった松江城を歩く。その4「天守内部」 - 坂の上のサインボード

    国宝天守となった松江城を歩く。その4「天守内部」

    「その3」で国宝となった松江城天守の外観を堪能したので、いよいよ内部に攻め込みます。開門された附櫓の入口から入ります。この日、テレビ局が撮影に来ていました。誰とは言いませんが、女優さんが来られていました。 まずは地階から。附櫓入口から階段を登ってきたのに、なぜかここは地下1階なんだそうです。地階は籠城戦になった時の水や塩、米などを確保するための食糧庫でした。 中央には深さ24メートルの井戸が...

  12. 国宝天守となった松江城を歩く。その3「本丸~天守」 - 坂の上のサインボード

    国宝天守となった松江城を歩く。その3「本丸~天守」

    「その2」の続きです。まずは南側から本丸へ向かいます。下の写真は二ノ丸上段から本丸へ向かう二ノ門跡。 石段を登ると枡形になっています。そして本丸の入口、一ノ門。一ノ門を潜ると本丸広場。国宝となった天守が南向きに聳えます。 この日は天守の門が開く前の午前7時半から訪れたので、まだ人がほとんどいません。 天守をいろんな角度から見てみましょう。 松江城は現存12天守のなかで、唯一の正統天守と言われ...

  13. 国宝天守となった松江城を歩く。その2「二ノ丸上段~中曲輪」 - 坂の上のサインボード

    国宝天守となった松江城を歩く。その2「二ノ丸上段~中曲輪」

    「その1」の続きです。松江城二ノ丸上段に登ってきました。本丸下の石垣を見上げると、国宝となった天守が見えます。 ここを訪れたのはゴールデンウィークの4月30日。ツツジが綺麗な季節です。 三ノ門跡です。 三ノ門を入ると、「その1」で紹介した馬溜跡西側の石垣の上に出ます。 こちらは常番所跡。 二ノ丸上段は本丸南側の一段低い平地で、江戸時代には中央に御書院があり、松平家二代藩主・松平綱隆の時代まで...

  14. 国宝天守となった松江城を歩く。その1「大手門~二ノ丸下段」 - 坂の上のサインボード

    国宝天守となった松江城を歩く。その1「大手門~二ノ丸下段」

    過日、島根県の松江城に行ってきました。松江城は現存天守12城のひとつとして知られ、平成27年(2015年)、姫路城、松本城、彦根城、犬山城に続いて、わが国5か所目の国宝天守に指定されたことが記憶に新しいかと思います。 松江にはこれまで何度か訪れたことがありましたが、ゆっくり城見物をする機会に恵まれなかったため、今回がはじめてです。国宝になったわけだし、城好きとしては、やっぱ見とかないとだめか...

  15. 江戸湾を守った海上の砲台「品川台場」を歩く。その2 - 坂の上のサインボード

    江戸湾を守った海上の砲台「品川台場」を歩く。その2

    「その1」に続いて、東京湾に浮かぶ砲台跡「品川台場」を歩きます。土塁の上を一周してみました。 土塁上は遊歩道になっています。 台場の南端の土塁上に、砲台跡が2基並んでいました。 もっとも、これは往時のものではなく、後世に作られたレプリカだそうです。ここが台場公園として開園したのは昭和3年(1928年)だそうなので、あるいは、そのときに作られたものかもしれません。 兵装については史料によって多...

  16. 江戸湾を守った海上の砲台「品川台場」を歩く。その1 - 坂の上のサインボード

    江戸湾を守った海上の砲台「品川台場」を歩く。その1

    平成29年(2017年)4月6日、日本城郭協会から「続・日本100名城」が発表されましたが、そのなかに、ひとつだけ趣を異にした存在があります。東京湾に浮かぶ砲台跡「品川台場」がそれです。「城跡」というカテゴリーに入れていいのかどうか、でも、「砦」という意味では同種とみなしていいともいえますが・・・。とにもかくにも、名城の仲間に加わったので、過日、東京を訪れた際に立ち寄ってみました。 写真はお...

  17. 真岡市を歩く久下田城跡@栃木県 - 963-7837

    真岡市を歩く久下田城跡@栃木県

    「真岡市を歩く」と言っておきながら久下田城跡は筑西市です。さむらい刀剣博物館から久下田駅まで戻る途中にGoogleMAPを見てみると久下田城跡を見つけたので寄ってみました。堀と思われる跡がくっきりと残っていましたが、短い坂を登ると・・・、そこは信じられない程に荒れ放題でした。鳥居があるものの社が在った場所には、倒木が直撃してあり元に戻す予定がないことを物語っています(?)。狛犬が狐なのでお稲...

  18. 江戸城を歩く。その10「半蔵濠~半蔵門~桜田濠」 - 坂の上のサインボード

    江戸城を歩く。その10「半蔵濠~半蔵門~桜田濠」

    「その9」の続きです。北の丸の2ヶ所の門を過ぎると、西側の千鳥ヶ淵に沿って南下し、西の丸西側の半蔵濠沿いに歩きます。 桜が残っていました。 菜の花も綺麗です。 半蔵濠の向こうに門が見えます。 西の丸西側の半蔵門です。 半蔵門は、寛永4年(1627年)に大手門と正反対の裏手に位置する搦手門として建造されました。現在の門は、東京大空襲で焼失したため和田倉門の高麗門を移築したものだそうです。 半蔵...

  19. 江戸城を歩く。その8「北桔橋門~北の丸」 - 坂の上のサインボード

    江戸城を歩く。その8「北桔橋門~北の丸」

    「その7」のつづきです。本丸を出て平川濠の外側から見た北桔橋門です。門の向こうに見えるのは、天守台です。 北桔橋門は天守の北の本丸大奥と外部を結ぶ門で、重要地点であることから、濠を深くして石垣は最大級の高さとなっています。 北桔橋門と外を結ぶ北桔橋から東側を眺めます。濠は平川濠、打込み接ぎの石垣の高さが目を見張ります。 同じく北桔橋から見た西側の眺望。濠は乾濠です。 往時の北桔橋は跳ね上げ橋...

  20. 江戸城を歩く。その7「天守台」 - 坂の上のサインボード

    江戸城を歩く。その7「天守台」

    「その6」のつづきです。江戸城本丸跡最北端に残る天守台です。 江戸城の天守は3度建てられています。1度目は築城当初の慶長11年(1606年)の徳川家康の時代、2度目は元和8年(1622)の2代将軍徳川秀忠の時代、3度目は寛永15年(1638)の3代将軍徳川家光の時代と、将軍代替わりのたびに築き直されました。これを、便宜上、慶長度天守、元和度天守、寛永度天守といいます。 初代、慶長度天守は、大...

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