城跡のタグまとめ

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「城跡」タグの記事(356)

  1. 加納城〜もうひとつのお城と街〜 - ★楽浪の近江★~さざなみのおうみ~

    加納城〜もうひとつのお城と街〜

    岐阜市の南部、JR東海道本線の南側に「加納」と呼ばれる地区がある。加納は現在は岐阜市の一部となっている。もともと岐阜(井ノ口)と加納は別の町である。一時期は加納県も存在していた。加納の中心(であった)加納城をみてみたいと思い訪れた。本丸跡は公園となっている。広く大変に気持ちのいい公園。観光地化はされていない。加納の人たちの憩いの場となっていようだった。付近には学校や官公庁が多い。岐阜の城とい...

  2. 続・北近江、小谷城~大嶽城攻城記。後編<大嶽城主郭部> - 坂の上のサインボード

    続・北近江、小谷城~大嶽城攻城記。後編<大嶽城主郭部>

    「中編」のつづきです。小谷城の支城の大嶽城跡のある標高495mの小谷山(伊部山)頂上に到着しました。 虎口跡のような場所に、木碑と説明駒札があります。説明板のアップを撮るのを忘れてました。 その近くには復元絵図があります。主郭の周囲に弧を描くように横堀や段状の曲輪があります。 大嶽城は小谷城の支城のひとつですが、大永3年(1523年)に浅井亮政が小谷城を築いた初期は、ここが小谷城の主郭だった...

  3. 続・北近江、小谷城~大嶽城攻城記。中編<山王丸~鞍部~岩尾> - 坂の上のサインボード

    続・北近江、小谷城~大嶽城攻城記。中編<山王丸~鞍部~岩尾>

    「前編」で小谷城東尾根筋の中腹にある番所跡まで車で登って来ましたが、そこからの登山は、昨夏の攻城シリーズの「その2」から「その9」でガッツリ紹介したので、今回はすっ飛ばします。 写真は小谷城本城の最上部にある山王丸上段。石垣のある土塁が残ります。昨夏の攻城シリーズ「その8」で紹介した曲輪です。 そこから、北西に大嶽城跡のある標高495mの小谷山(伊部山)が見えます。こうして見ると近いように見...

  4. 続・北近江、小谷城~大嶽城攻城記。前編<登山口~出丸~番所跡> - 坂の上のサインボード

    続・北近江、小谷城~大嶽城攻城記。前編<登山口~出丸~...

    前稿まで令和元年(2019年)8月11日の小谷城攻めのシリーズを起稿してきましたが、本稿から翌年の令和2年(2020年)5月30日に再び攻めた続編を起稿します。 上の写真は南麓の武家屋敷跡から見た小谷城清水谷です。昨年の夏にも見た同じ景色ですが、前回は真夏の酷暑のなかの景色で、今回は5月末の春(初夏?)の景色。向こうに見える中央のいちばん高い山が、小谷城の支城の大嶽城跡のある標高495mの小...

  5. 北近江浅井氏の居城、小谷城攻城記。その11<武家屋敷跡・城下町跡> - 坂の上のサインボード

    北近江浅井氏の居城、小谷城攻城記。その11<武家屋敷跡...

    「その10」で小谷城攻城は完了しましたが、本稿では、山麓を少し歩いてみたいと思います。 写真は清水谷南にある芝生広場に設置された大手門の復元。まあ、ここに往時の大手門があったというわけではないでしょうから、復元というより模擬ですね。 門の向こうに見える中央のいちばん高い山が、大嶽城跡のある小谷山(伊部山)です。右側に見える山が、小谷城の東側尾根筋です。 門をくぐって見た小谷城の山々です。左の...

  6. 北近江浅井氏の居城、小谷城攻城記。その10<清水谷> - 坂の上のサインボード

    北近江浅井氏の居城、小谷城攻城記。その10<清水谷>

    「その9」のつづきです。小谷城北部の六坊跡から清水谷を下山します。 清水谷は、大嶽城跡のある小谷山(伊部山)から南側に両腕のように左右に伸びる尾根筋の間にある谷で、この谷には、浅井氏家臣たちの屋敷があったとされます。 下山道の両脇には、明らかに人工的に削平されたと思われる平らな場所がいくつも見られます。 六坊跡から下山すること約10分、「土佐屋敷址」と刻まれた石碑と、「大野木屋敷跡」と書かれ...

  7. 北近江浅井氏の居城、小谷城攻城記。その9<六坊跡~月所丸跡> - 坂の上のサインボード

    北近江浅井氏の居城、小谷城攻城記。その9<六坊跡~月所丸跡>

    「その8」のつづきです。小谷城東尾根上の山頂の山王丸まで制覇したので、北側の搦手道を進みます。 ここから、急勾配の山道を慎重に降ります。 山頂から搦手道を降り始めて約5分、鞍部にある平坦な削平地に着きました。どうやらここも曲輪跡のようです。 例によって、石碑と説明書き駒札、復元絵図の3点セットがあります。 石碑には「六坊跡」と刻まれています。 説明書きの駒札です。小谷城二代城主の浅井久政が、...

  8. 北近江浅井氏の居城、小谷城攻城記。その8<馬出跡~山王丸跡> - 坂の上のサインボード

    北近江浅井氏の居城、小谷城攻城記。その8<馬出跡~山王丸跡>

    「その7」のつづきです。浅井久政が自刃した小丸跡のさらに上には、山王丸と呼ばれる曲輪があります。 山王丸は南北4段構造になっており、その最下段は馬出が設けられています。「馬出」とは、虎口の前のたまり場のようなスペースのことで、ここに城兵を待機させて城門を守る曲輪です。 その虎口を入る前に、山王丸東側に小谷城最大の大石垣が残っているとのこと。誘導板には50mとあります。行ってみましょう。 見え...

  9. 北近江浅井氏の居城、小谷城攻城記。その7<京極丸跡~小丸跡> - 坂の上のサインボード

    北近江浅井氏の居城、小谷城攻城記。その7<京極丸跡~小丸跡>

    「その6」のつづきです。小谷城上段主郭群の京極丸跡にやってきました。ここは、小谷城を築城した浅井亮政が、本来の主家にあたる京極氏を迎え入れたと伝わる曲輪で、小谷城上段の主郭です。 京極丸は南北に4段構造になっています。写真は最下段の曲輪。ここは小さい曲輪です。 2段目に上がる虎口です。微妙に食い違い虎口の形状が見られます。 2段目の曲輪です。1段目よりは広いですが、ここもそれほど広い面積では...

  10. 北近江浅井氏の居城、小谷城攻城記。その6<大堀切跡~中丸跡> - 坂の上のサインボード

    北近江浅井氏の居城、小谷城攻城記。その6<大堀切跡~中丸跡>

    「その5」のつづきです。本丸(鐘丸)の南側に降り、前稿で紹介した石垣の場所に戻ってきました。 やはり、何度見ても圧巻の石垣。 説明書きの駒札の下に、大堀切跡と中丸跡を示す誘導板があります。行ってみましょう。 本丸(鐘丸)の北側にやってきました。広角レンズを使っても収まりきれないほどの大きな堀切跡があります。 通常の城の場合、本丸(主郭)といわれる曲輪がいちばん高い位置にありますが、ここ小谷城...

  11. 北近江浅井氏の居城、小谷城攻城記。その5<黒金御門跡~大広間跡~本丸跡> - 坂の上のサインボード

    北近江浅井氏の居城、小谷城攻城記。その5<黒金御門跡~...

    「その4」のつづきです。桜馬場跡のすぐ上に、立派な石段が残る虎口跡があります。 ここは黒金門と呼ばれる虎口があった場所で、ここが、小谷城主郭部への入口でした。 駒札の説明書によると、その名のとおり、鉄を打ち付けた門扉があったようです。それだけ重要な門だったということでしょう。 虎口の横に目をやると、大きな石積みの痕跡が残っています。 その上には、「黒金門址」と刻まれた石碑が。 虎口を進みまし...

  12. 北近江浅井氏の居城、小谷城攻城記。その4<桜馬場跡> - 坂の上のサインボード

    北近江浅井氏の居城、小谷城攻城記。その4<桜馬場跡>

    「その3」のつづきです。赤尾屋敷から大手筋に戻って、御馬屋跡の上にある桜馬場跡やってきました。 かなり広い曲輪です。 説明書きの駒札と復元絵図です。 そして、桜馬場跡には浅井家及び家臣供養の五輪塔が建てられています。 浅井長政が織田信長に反旗を翻した理由について、浅井氏が朝倉氏に旧恩を感じていたからといわれることが多いですが、この時代の価値観からして、旧恩に固執して家を滅亡の危機に晒すとは考...

  13. 北近江浅井氏の居城、小谷城攻城記。その3<赤尾屋敷跡> - 坂の上のサインボード

    北近江浅井氏の居城、小谷城攻城記。その3<赤尾屋敷跡>

    「その2」のつづきです。御馬屋跡からその上の桜馬場跡に登る途中に、東にそれる脇道があります。その入口には、「右赤尾美作守屋敷址」と刻まれた石碑があります。 赤尾美作守とは浅井氏の重臣・赤尾清綱のことで、ここにその屋敷があったと伝わります。説明板によると、ここが浅井長政の最期の地となったとあります。 その説明版。 本丸への道からそれちゃうのですが、せっかくなので行ってみます。 細い道を進みます...

  14. 北近江浅井氏の居城、小谷城攻城記。その2<番所跡~御馬屋曲輪跡~御茶屋跡> - 坂の上のサインボード

    北近江浅井氏の居城、小谷城攻城記。その2<番所跡~御馬...

    「その1」のつづきです。小谷城中腹の番所跡まで登ってきました。 ここから、本格的な城の曲輪群が始まります。 小谷城絵図の看板です。これはわかりやすい。曲輪が尾根に沿って段々に連なる梯郭式山城です。現在地と書かれた場所が番所で、ここから尾根伝いに小谷山を登って行くのですが、通常の城の場合、本丸(主郭)といわれる曲輪がいちばん高い位置にありますが、ここ小谷城の場合、絵図を見てもわかるように、本丸...

  15. 北近江浅井氏の居城、小谷城攻城記。その1<登山口~金吾丸> - 坂の上のサインボード

    北近江浅井氏の居城、小谷城攻城記。その1<登山口~金吾丸>

    近畿の水瓶・琵琶湖の北端に、かつて北近江を支配した戦国大名・浅井氏の居城、小谷城がありました。小谷城は滋賀県長浜市湖北町にある標高495mの小谷山(伊部山)の山頂から伸びる東西2本の尾根上に広がる屈強の山城で、春日山城、七尾城、月山富田城、観音寺城と共に日本五大山城のひとつに数えられます。浅井亮政、浅井久政、浅井長政の三代の居城として半世紀以上に渡って北近江を支配しました。 上の写真は南麓の...

  16. 朽木城の詰城・西山城攻城記。<後編>主郭 - 坂の上のサインボード

    朽木城の詰城・西山城攻城記。<後編>主郭

    <前編>のつづきです。愛宕神社の東側の切岸を登れば、いよいよ西山城主郭部に入ります。 切岸の下にある説明板です。 復元図を拡大します。中央に広い主曲輪があり、南北に袖曲輪がある構成のようです。 それでは、主郭に登りましょう。 「桝形虎口」と書かれた立札があります。その向こうに虎口跡が見えます。 虎口を抜けます。 「主郭」と書かれた立札が。 主郭です。広い!向こうに見える土塁は、復元図に書かれ...

  17. 朽木城の詰城・西山城攻城記。<前編>登山口~南出曲輪~愛宕神社 - 坂の上のサインボード

    朽木城の詰城・西山城攻城記。<前編>登山口~南出曲輪~...

    朽木陣屋の北側にそびえる標高356m、比高200mの西山の山頂に、かつて西山城がありました。今から城跡に登ります。 西山城に関する史料が未発見のため詳細は不明ですが、その立地から、朽木城(朽木陣屋)の背後を固める詰城であることは間違いないとされています。 朽木陣屋北側の住宅地を進みます。ところどころに誘導板が設置されているので、迷うことはありません。 登山口です。 登山口に設置された説明板で...

  18. 織田信長の窮地を救った朽木氏の居館、朽木陣屋跡。 - 坂の上のサインボード

    織田信長の窮地を救った朽木氏の居館、朽木陣屋跡。

    琵琶湖の北西にあった朽木陣屋は、かつて近江源氏佐々木氏の庶流・朽木氏の代々の居館でした。現在、その遺構はほんの一部しか残っていませんが、現在は史跡公園として整備されています。 朽木氏の歴史は古く、承久3年(1221年)に起きた承久の乱に鎌倉幕府軍として参戦した佐々木信綱が、その武功によって朽木荘の地頭職を与えられ、その曾孫の義綱が朽木姓を名乗ったことに始まります。朽木氏は宗家の高島氏や他の高...

  19. 近江国境目の城・鎌刃城跡攻城記。その5<南副郭~西郭> - 坂の上のサインボード

    近江国境目の城・鎌刃城跡攻城記。その5<南副郭~西郭>

    「その4」の続きです。鎌刃城主郭の南側には、副郭としての役割をもつ曲輪が2段に連なります。 南副郭は北副郭に比べて主郭と高低差の少ない広大な面積を持つ曲輪であるため、中央に堀切を設けて二分割しています。その堀切の両岸も石垣によって築かれていたようです。 写真は主郭のすぐ南の南Ⅰ郭です。 南Ⅰ郭から見た主郭切岸です。高低差が少ないことがわかるかと思います。 調査によると、ここにも礎石と思われる...

  20. 近江国境目の城・鎌刃城跡攻城記。その4<主郭> - 坂の上のサインボード

    近江国境目の城・鎌刃城跡攻城記。その4<主郭>

    「その3」の続きです。鎌刃城跡北Ⅰ郭の南に主郭があります。 上の写真は北Ⅰ郭から見上げた主郭切岸。ここを登ります。 道中の斜面には、かつて石垣があったのであろう痕跡が散在しています。発掘調査によると、主郭北側斜面では虎口につながる通路遺構の存在が明らかとなったそうで、これは「城道」と呼ぶにふさわしい本格的なもので、全国的に見ても中世の城郭で確認された例はほとんどないそうです。織田信長の安土城...

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