墓所のタグまとめ

墓所」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには墓所に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「墓所」タグの記事(46)

  1. 上野戦争に散った彰義隊の墓 - 坂の上のサインボード

    上野戦争に散った彰義隊の墓

    前稿で紹介した西郷隆盛像のある上野恩賜公園には、彰義隊の墓があります。彰義隊とは、江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜側近の旧幕臣を中心として結成した有志隊で、ここ上野が舞台となった上野戦争における佐幕側の部隊です。 鳥羽・伏見の戦いに敗れた慶喜は、江戸城に戻ると朝廷に対して恭順の意を示し、ここ上野にある寛永寺で謹慎しますが、その慶喜の護衛と江戸警備の名目で結成されたのが彰義隊でした。もっとも、表...

  2. 幕末京都逍遥その165「鳥羽伏見の戦い防長藩士の墓」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その165「鳥羽伏見の戦い防長藩士の墓」

    東福寺の山門から南東に100mほど歩いたところに、「その164」で紹介した「防長忠魂碑」に刻まれていた鳥羽・伏見の戦いで戦死した48名の墓があります。 山門をくぐって東へ坂道を上っていくと、「右維新戦役防長藩士之墓道標」と刻まれた石碑があります。ここから、石畳の坂を登っていきます。 この道は、頂上にある仲恭天皇陵に続く参道です。防長藩士の墓は、この坂を上りきる手前にあります。 ここが防長藩士...

  3. 幕末京都逍遥その160「戊辰役東軍戦死者埋骨地(大専寺・文相寺・東運寺)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その160「戊辰役東軍戦死者埋骨地(大専寺...

    「その159」で紹介した光明寺跡から300mほど南下したところにある大専寺にも、鳥羽・伏見の戦いで戦死した旧幕府軍の戦死者を供養する墓碑があります。こちらが、その墓碑。これまで紹介してきた碑と同じく「戊辰役東軍戦死者埋骨地」と刻まれています。 また、大専寺から南西に100mほど歩いたところにある文相寺に境内にも、同じ墓碑があります。 それがこれ。同じく「戊辰役東軍戦死者埋骨地」と刻まれていま...

  4. 幕末京都逍遥その156「戊辰役東軍戦死者埋骨地(愛宕茶屋埋骨地)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その156「戊辰役東軍戦死者埋骨地(愛宕茶...

    下鳥羽から桂川沿いに鳥羽街道を4kmほど南下した淀にも、「戊辰役東軍戦死者埋骨地」と刻まれた墓碑があります。 かつてこの地には鳥羽街道の愛宕茶屋があったそうで、その傍に愛宕神社の分祀された祠があったそうです。鳥羽・伏見の戦いの際、この場所でも激しい戦闘が繰り広げられたと伝わり、ここに墓碑が建てられました。この墓碑も前稿で紹介した悲願寺墓地内のものと同じく、明治40年(1907年)に京都十七日...

  5. 幕末京都逍遥その155「戊辰役東軍戦死者埋骨地(悲願寺墓地)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その155「戊辰役東軍戦死者埋骨地(悲願寺...

    「154」で紹介した法傳寺から少し北上したところにある悲願寺墓地内に、鳥羽・伏見の戦いで戦死した東軍兵の埋葬地があります。 鳥羽・伏見の戦い後、この付近で戦死した兵の遺骸がそのまま放置されていたそうで、それを見かねた下鳥羽の人々が、この墓地の一隅に穴を掘り、焼け残った家の梁や柱を集めて戦死者の遺骸をその上に積み、荼毘に付したうえで丁重に埋葬したそうです。自分たちの家も戦災で焼けていたにもかか...

  6. 幕末京都逍遥その142「寺田屋殉難九烈士之墓(大黒寺)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その142「寺田屋殉難九烈士之墓(大黒寺)」

    「その137」で紹介した文久2年4月23日(1862年5月21日)の寺田屋事件で命を落とした薩摩藩士9名の墓が、寺田屋から700mほど北上した場所にある大黒寺にあります。 かつて大黒寺の近くに伏見薩摩藩邸があり、薩摩藩主・島津家の守り本尊「出生大黒天」と同じ大黒天が祀られていたことから、江戸時代のはじめ、薩摩藩の祈願所と定められました。その縁から、寺田屋で落命した9名も、ここに葬られたのでし...

  7. 幕末京都逍遥その139「お登勢の墓(松林院)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その139「お登勢の墓(松林院)」

    寺田屋から300mほど南西にある松林院の墓地に、幕末の寺田屋の女将・お登勢の墓があります。 6代目寺田屋伊助の妻・お登勢は、放蕩者だった伊助の死後、寺田屋の女将となって店を切り盛りしました。もともとお登勢の実家は近江国大津の旅館だったらしく、子供の頃から女将になるためのスキルを十分に磨いてきた女性だったのでしょうね。お登勢が女将となってから寺田屋は薩摩藩の定宿となり、たいへん繁盛していました...

  8. 幕末京都逍遥その136「禁門の変十七烈士之墓」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その136「禁門の変十七烈士之墓」

    天王山の登山道の中腹に、「禁門の変十七烈士之墓」があります。前稿で紹介したように、元治元年7月19日(1864年8月20日)の「禁門の変(蛤御門の変)」の際に山崎天王山に長州軍の本陣が布かれましたが、その際にこの地で命を落とした長州藩士以外の志士たちの墓です。 戦いは1日で決し、長州軍の惨敗で幕を閉じますが、落ち延びる長州兵を追って幕府軍の追撃が山崎まで進軍してきます。 長州兵とともに山崎ま...

  9. 幕末京都逍遥その134「村岡局(津崎矩子)墓所(直指庵)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その134「村岡局(津崎矩子)墓所(直指庵)」

    「その133」で紹介した村岡局(津崎矩子)が、晩年を過ごしたという直指庵が北嵯峨にあります。JR嵯峨嵐山駅から2kmほど北上した人里離れた山のふもとにある小さなお寺です。 山門です。 直指庵は正保3年(1646年)に独照性円が没蹤庵を建てたのに始まります。名前の由来は、独昭が黄檗禅の正統さを「直指伝心」することを旨としたことによると伝わります。その後、荒廃していましたが、村岡局が浄土宗の寺と...

  10. 幕末京都逍遥その132「小倉山二尊院(三条家・鷹司家等墓所)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その132「小倉山二尊院(三条家・鷹司家等...

    嵯峨野の小倉山山麓にある二尊院を訪れました。二尊院は御所と繫がりが深く、二条家、三条家、四条家、鷹司家など公家の墓所があります。 二尊院は紅葉の名所としても有名です。わたしがここを訪れたのは10月上旬。紅葉にはちょっと早かったですね。 境内をアーケードのように覆っているのは、すべて楓の木です。紅葉シーズンは綺麗でしょうね。 境内の案内図です。墓地はいちばん奥の高い場所にあります。 まず紹介す...

  11. 幕末京都逍遥その126「三縁寺(池田屋変之殉難烈士之墓碑)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その126「三縁寺(池田屋変之殉難烈士之墓碑)」

    前稿で紹介した「岩倉具視公旧蹟九兵衛宅址碑」から300mほど南下したところにある三縁寺に、元治元年6月5日(1864年7月8日)に起きた池田屋事件で討死した攘夷派志士たちの墓があります。 山門の横には、「池田屋変之殉難烈士之墓」と刻まれた石碑があります。 かつて三縁寺は、「その38」で紹介した現在の京阪電鉄三条京阪駅の近くにありましたが、昭和54年(1979年)の駅前開発にともない、この地に...

  12. 幕末京都逍遥その115「泉涌寺・久邇宮朝彦親王の墓」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その115「泉涌寺・久邇宮朝彦親王の墓」

    前稿でも紹介したとおり、東山の泉涌寺は歴代天皇家の菩提所として天皇陵、皇妃、親王陵墓が数多くありますが、幕末の人物としては、前稿で紹介した孝明天皇(第121代天皇)陵の他に、久邇宮朝彦親王の墓があります。 同じ敷地内に、桂宮淑子内親王と梨本宮守脩親王の墓もあります。 こちらが久邇宮朝彦親王の墓。 久邇宮朝彦親王というより、通称の中川宮と言ったほうがよく知られているかもしれませんね。伏見宮邦家...

  13. 幕末京都逍遥その114「泉涌寺・孝明天皇陵(後月輪東山陵)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その114「泉涌寺・孝明天皇陵(後月輪東山陵)」

    東山にある泉涌寺を訪れました。泉涌寺は、歴代天皇家の菩提所で、鎌倉時代の四条天皇(第87代天皇)以来14代の天皇陵をはじめ、皇妃、親王陵墓など39の陵墓があります。 大門は慶長年間(江戸時代初頭)造営の御所の門を移築したもので、重要文化財です。 こちらは、江戸幕府4代将軍徳川家綱によって再建されたという仏殿。重要文化財です。 こちらは御座所。建物内には、天皇皇后が来寺した際に休息所として使用...

  14. 幕末京都逍遥その104「光縁寺(新選組墓所)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その104「光縁寺(新選組墓所)」

    前々稿で紹介した壬生寺に、新選組隊士の墓がありましたが、そこから西へ400mほどのところにある光縁寺にも、新選組隊士の墓があります。 山門の横には、「新選組之墓」と刻まれた石碑があります。 山門の柱にも、「新選組之墓所」の文字が。 光縁寺の門前近くには新選組の馬小屋があったそうで、毎日、門前を隊士たちが往来していました。ある日、総長の山南敬助が山門の瓦の家紋に目をやると、山南家の家紋と同じ「...

  15. 幕末京都逍遥その102「壬生寺(壬生塚)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その102「壬生寺(壬生塚)」

    前々稿で紹介した八木邸のすぐ南に壬生寺というお寺があるのですが、その境内に、新選組の隊士を祀る壬生塚があります。 壬生寺は正暦2年(991年)、園城寺(三井寺)の僧・快賢が創建したと伝わります。ご本尊に延命地蔵菩薩像(重要文化財)が安置されているほか、水掛け地蔵や夜啼き地蔵など、多くのお地蔵様をおまつりしていることから、「お地蔵さんの寺」として知られています。 ここが壬生塚の入口です。参拝料...

  16. 幕末京都逍遥その97「古高俊太郎遺髪墓(福勝寺)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その97「古高俊太郎遺髪墓(福勝寺)」

    前稿、前々稿で紹介した教善寺・浄圓寺から北東に300mほどのところにある福勝寺に、古高俊太郎の遺髪墓があります。古高は攘夷派の志士で、池田屋事件の発端となった人物です。 古高俊太郎は近江国大津出身で、京都に移住したのち梅田雲浜に師事し、尊皇攘夷思想を学びます。その後、同士のひとりだった湯浅五郎兵衛の依頼で、湯浅喜右衛門の養子となり、小道具の「桝屋」を継いで枡屋喜右衛門と名乗ります。その「桝屋...

  17. 幕末京都逍遥その96「池田屋惣兵衛の墓(浄圓寺)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その96「池田屋惣兵衛の墓(浄圓寺)」

    前稿で紹介した教善寺のすぐ隣にある浄圓寺に、幕末期の商人・入江屋惣兵衛の墓があります。別名、池田屋惣兵衛ともいいます。そう、あの池田屋事件の舞台となった京都三条小橋西の池田屋の主人です。江戸時代、商人は屋号を姓として称していたため、一般には池田屋惣兵衛の名で知られていました。「池田屋事件」とは、元治元年6月5日(1864年7月8日)夜、在洛の長州、土州など諸藩の尊王攘夷派志士たちが謀議中に新...

  18. 幕末京都逍遥その95「渡辺篤の墓(教善寺)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その95「渡辺篤の墓(教善寺)」

    前稿で紹介した松林寺から西へ600mほどのところにある教善寺の墓地に、坂本龍馬暗殺の実行犯のひとり、渡辺篤の墓があると知って訪れました。 渡辺篤は京都生まれの剣客で、京都見廻組の一員として禁門の変の折には二条城の警備を担当し、その役付けも、京都見廻組御雇七人扶持を皮切りに肝煎介・肝煎と昇進。当時は渡辺一郎と名乗っていたそうです。その後、鳥羽・伏見の戦いに旧幕府軍側として参戦。この頃に名前を「...

  19. 幕末京都逍遥その92「平野國臣以下三十七士之墓(竹林寺)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その92「平野國臣以下三十七士之墓(竹林寺)」

    京都西陣にある竹林寺に、「その90」で紹介した六角獄舎で処刑された平野國臣をはじめとする37士の墓があると知り、足を運びました。 幕末、六角獄舎には多くの政治犯が投獄されていましたが、元治元年7月19日(1864年8月20日)の禁門の変(蛤御門の変)によって起きた大火災によって京都の町は火の海となり、火災に乗じて囚人が逃亡することを恐れた西町奉行所の役人・滝川具挙が、判決が出ていない状態のま...

  20. 幕末京都逍遥その85「赤松小三郎の墓(金戒光明寺)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その85「赤松小三郎の墓(金戒光明寺)」

    金戒光明寺の墓地内には、會津墓地以外にも多くの歴史上の人物の墓がありますが、幕末の人物でいえば、「その53」で紹介した信州上田藩士の赤松小三郎の墓があります。 赤松は大政奉還の約半年前の慶応3年(1867年)5月に、二院制の議会の創設、選挙による議会政治、内閣総理大臣(赤松の訳語では「大閣老」)以下6人の大臣を議会が選出するという議院内閣制度など、現代にも通じる具体的な新国家構想が書かれた「...

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