墓所のタグまとめ

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「墓所」タグの記事(11)

  1. 幕末京都逍遥 その69 「禁門変戦死長州人八名首塚碑(上善寺)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥 その69 「禁門変戦死長州人八名首塚碑(...

    相国寺北門から北へ300mほど歩いたところにある上善寺には、元治元年7月19日(1864年8月20日)の「禁門の変」(蛤御門の変)で命を落とした長州藩士の首塚がります。山門の横には、「贈 正四位入江九一外七名首塚」と刻まれた石碑があります。ここに葬られているのは、石碑に刻まれていた入江九一をはじめ、原道太、半田門吉、奈須俊平、田村育蔵、緒方弥左衛門、小橋友之輔、そして無名藩士1名の計8名の長...

  2. 幕末京都逍遥 その68 「薩摩戦死者墓」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥 その68 「薩摩戦死者墓」

    前稿で紹介した長州藩士の墓は相国寺の西側の墓地にありますが、同じく相国寺の東側には、薩摩藩士の墓があります。ここは、相国寺塔頭・林光院の境外墓地で、相国寺東門を抜けて40mほど東にあります。 玉垣に囲われた広い敷地の墓所は、門扉に鍵がかかっていて中には入れません。 敷地内には、中央に大きな墓石が一基あり、その後ろの玉垣の向こうには、たくさんの小さな墓石が見えます。 中央の墓石には、「甲子役 ...

  3. 幕末京都逍遥 その67 「禁門変長州藩殉難者墓所(相国寺内)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥 その67 「禁門変長州藩殉難者墓所(相国...

    京都御苑北側にある相国寺境内西側の墓地に、元治元年7月19日(1864年8月20日)の「禁門の変」(蛤御門の変)で戦死した長州藩士の墓があります。 墓地の入口には、「禁門変長州藩殉難者墓所」と刻まれた石碑があります。 禁門の変で戦死した長州藩士は200名を数えたといいますが、そのうちの20名がここに葬られたそうです。しかし、その20名のうち氏名が判明しているのは、湯川庄蔵、有川常槌の2人だけ...

  4. 幕末京都逍遥 その64 「姉小路公知の墓(清浄華院)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥 その64 「姉小路公知の墓(清浄華院)」

    京都御苑を出て、その周辺を歩きます。京都御苑東の清和院門を出て150mほど北西にある清浄華院の墓地に、前稿で紹介した猿ヶ辻の変(朔平門外の変)で暗殺された公家の姉小路公知が眠っています。清浄華院は浄土宗七大本山のひとつであり、同宗の知恩院、知恩寺、金戒光明寺と並んで京都四箇本山のひとつです。貞観2年(860)、清和天皇(第56代天皇)の勅願によって創建されたと伝わりますが、当初は別の場所にあ...

  5. 幕末京都逍遥 その15 「霊山正法寺・品川弥二郎夫妻の墓」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥 その15 「霊山正法寺・品川弥二郎夫妻の墓」

    前稿で紹介した霊明神社から、さらに坂を上った突き当りに、霊山正法寺という古い寺があるのですが、ここの境内にある墓地に、元長州藩士・品川弥二郎夫妻の墓があります。 霊山正法寺は延暦年間(782〜805)に最澄が開創し、霊山寺と号したことに始まると伝わります。光孝天皇(第58代天皇)・宇多天皇(第59代天皇)の勅願所となり、元久年間(1200〜1206)には法然上人がここを法然念仏の道場としたと...

  6. 幕末京都逍遥 その12 「東山霊山護国神社・安祥院~梅田雲浜の墓」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥 その12 「東山霊山護国神社・安祥院~梅...

    東山霊山の北角に、梅田雲浜の墓碑が他の墓碑とは少し距離をおいて特別扱いのように祀られています。小浜藩士で儒学者の雲浜は、幕末初期の攘夷運動を牽引した思想家でした。雲浜は8歳にして藩校・順造館に入り、その英明さは大いに期待されましたが、頭脳が切れすぎたせいか、立場をわきまえずにものを言うところがあり、藩主への建言が幕府批判と取られ、藩籍を剥奪されてしまいます。黒船来航以前に公然と幕府を批判した...

  7. 幕末京都逍遥 その11 「東山霊山護国神社~福岡藩殉難者の墓」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥 その11 「東山霊山護国神社~福岡藩殉難...

    続いて福岡藩ブロックです。こちらは、最後の福岡藩主・黒田長溥によって創建された福岡藩招魂社です。 幕末の福岡藩士と言われても、即座に思い浮かばないかと思いますが、最も名のしれた人物といえば、平野國臣ではないでしょうか?こちらが、その平野の墓です。 平野國臣は幕末動乱の初期から尊王攘夷論と唱えて活動していた人物で、安政5年(1585年)に脱藩上京し、そこで西郷隆盛と知り合い、安政の大獄で追及を...

  8. 幕末京都逍遥 その10 「東山霊山護国神社~岐阜県殉難者の墓」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥 その10 「東山霊山護国神社~岐阜県殉難...

    岐阜県招魂場には、梁川星巌の墓碑があります。といっても、ここに葬られているわけではないので、正確には慰霊碑ですね。 美濃国安八郡曽根村の郷士の家に生まれた星巌は、幕末を代表する漢詩人として知られ、晩年は尊攘派志士たちの精神的支柱となった人物です。 時の幕府大老・井伊直弼の「安政の大獄」が始まると、梅田雲浜、頼三樹三郎、池内大学と共に悪謀四天王のひとりとされ、現代で言うところの指名手配容疑者と...

  9. 幕末京都逍遥 その4 「東山霊山護国神社~大村益次郎の墓」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥 その4 「東山霊山護国神社~大村益次郎の墓」

    前稿、前々稿で、坂本龍馬、中岡慎太郎、木戸孝允の墓を紹介しましたが、ここ東山霊山の墓石のなかで、木戸の次に高い官位を贈られた人物といえば、大村益次郎でしょう。その益次郎の墓が、これです。 えっ?・・・と思うくらい小さな墓石で、写真もこのワンカットしか撮れませんでした。この前は崖になっていて、思いっきり体をのけぞって広角レンズで撮ったのが、この1枚です。はじめてこの霊山を訪れたとき、益次郎の墓...

  10. 幕末京都逍遥 その2 「東山霊山護国神社~坂本龍馬・中岡慎太郎の墓」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥 その2 「東山霊山護国神社~坂本龍馬・中...

    東山霊山護国神社に眠る幕末の志士たちのなかで、もっとも墓参客が多い墓は、いうまでもなく坂本龍馬と中岡慎太郎の墓です。霊山までの道のりでも、いたるところに「坂本龍馬の墓」と記された案内看板がありましたから、霊山の目玉コーナー(?)といえるでしょう。 霊山の階段を上がっていくと、「贈正四位 坂本龍馬先生 中岡慎太郎先生之墓道」と刻まれた石碑があります。かなり古いもののようですが、両人に「正四位」...

  11. 幕末京都逍遥 その3 「東山霊山護国神社~木戸孝允・幾松の墓」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥 その3 「東山霊山護国神社~木戸孝允・幾...

    東山霊山のなかで、最も特別扱いとなっているのは、維新三傑のひとり、桂小五郎こと木戸孝允の墓です。木戸は、ここ東山霊山の創建にも尽力したそうですから、当然の扱いですね。霊山に入るとすぐに、木戸公神道碑という大きな石碑があります。 「神道碑」とは、国家に功績のあった人物の墓所参道に建てられた碑で、その人物を顕彰する意味だそうです。 明治維新以降、木戸の他には、大久保利通、毛利敬親、大原重徳、岩倉...

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