墓所のタグまとめ

墓所」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには墓所に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「墓所」タグの記事(11)

  1. 太平記を歩く。 その145 「後醍醐天皇陵」 奈良県吉野郡吉野町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その145 「後醍醐天皇陵」 奈良県吉...

    前稿で紹介した如意輪寺本堂の裏山に、後醍醐天皇陵があります。この長い階段の上です。 吉野山に自ら主宰する朝廷を開くも、日夜、京都に戻る日を夢見ていた後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)でしたが、しかし、天下の形勢は天皇に利あらず、さらには、そば近くに仕えていた吉田定房、坊門清忠などの重臣が次々とこの世を去り、延元4年(1339年)8月9日、ついに病に伏します。 自らの余命幾許もないことを...

  2. 太平記を歩く。 その141 「吉永院宗信法印の墓」 奈良県吉野郡吉野町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その141 「吉永院宗信法印の墓」 奈...

    前稿で紹介した吉水神社から南へ1kmほどの登山道の木立のなかに、吉水院宗信法印の墓がひっそりとあります。 「吉水院宗信法印御墓」と刻まれた石碑の建つ階段を登ると、「忠誠義烈」と刻まれた大きな石碑が建てられています。 その奥にある苔むした墓が、宗信法印の墓所です。 吉水院の僧、宗信は金峯山寺の執行でしたが、延元元年/建武3年(1336年)12月28日、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)が...

  3. 太平記を歩く。 その137 「村上義隆の墓」 奈良県吉野郡吉野町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その137 「村上義隆の墓」 奈良県吉...

    「その127」で紹介した金峯山寺蔵王堂より南に約1.5km、勝手神社から下市町才谷へと抜ける奈良県道257号線沿いに、前稿で紹介した村上義光の息子・村上義隆の墓があります。地図では勝手神社の交差点から近いと思ったのですが、結構歩きました。 義隆は父とともに大塔宮護良親王に従い、吉野城の戦いにも加わっていました。元弘3年(1333年)閏2月1日、父は大塔宮の身代わりとなって壮絶な戦死を遂げ、息...

  4. 太平記を歩く。 その136 「村上義光の墓」 奈良県吉野郡吉野町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その136 「村上義光の墓」 奈良県吉...

    「その126」で紹介した吉野神宮から1kmほど北へ坂を上りつめた右側の丘の上に、村上義光の墓と伝えられる宝篋印塔があります。 道路わきに古い石碑があり、その側に説明板が設置されています。 その横にある石段を上ります。 石段の上に上ると、広い空間にポツンとものさびた宝篋印塔と石碑が見えます。どうやら、あれが義光の墓のようです。 これが、義光の墓です。 村上義光は信州の人で、『太平記』には、大塔...

  5. 太平記を歩く。 その123 「尊良親王墓所」 京都市左京区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その123 「尊良親王墓所」 京都市左京区

    金ヶ崎城の戦いで自害した尊良親王の墓が、紅葉の名所として知られる京都の禅林寺(永観堂)の近くにあると知り、訪れました。 尊良親王は後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)の皇子で、『太平記』『梅松論』などには「一宮」と記されていることから、後醍醐天皇の数多い皇子のなかで最初に生まれた皇子と考えられています(大塔宮護良親王の方が先という説もあり)。母は権大納言二条為世の娘・為子で、宗良親王が同...

  6. 太平記を歩く。 その122 「新田義貞首塚(滝口寺)」 京都市右京区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その122 「新田義貞首塚(滝口寺)」...

    新田義貞の墓所は「その120」で紹介した福井県坂井市の称念寺にありますが、あちらの墓は胴塚で、京都嵯峨野にある小さな山寺・滝口寺の境内に、義貞の首塚と伝わる墓石があります。 境内入口です。中央に「NO PHOTO」と書かれた立て札がありますが、これは、参拝料を払わない人は撮影禁止という意味で、ちゃんとお金を払ったわたしは撮影オッケーです。 この苔むした墓碑が、新田義貞の首塚だそうです。 燈明...

  7. 太平記を歩く。 その120 「新田義貞墓所(称念寺)」 福井県坂井市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その120 「新田義貞墓所(称念寺)」...

    前稿で紹介した燈明寺畷新田義貞戦歿伝説地から8kmほど北上した坂井市にある称念寺に、新田義貞の墓があります。 山門の横には、「新田義貞公墓所」と刻まれた大きな石碑が。 広い境内です。 境内には、かつて「近衛中将新田義貞公贈位碑」と刻まれていた大きな石碑があるのですが、上の方の「近衛」の部分が欠けてしまっています。 これは、昭和23年(1948年)に発生した福井地震の際に折れてしまった跡だそう...

  8. 太平記を歩く。 その115 「瓜生保戦死の地・墓所」 福井県敦賀市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その115 「瓜生保戦死の地・墓所」 ...

    前稿で紹介した杣山城の城主・瓜生保が戦死したと伝わる地を訪れました。ここは、杣山城跡から20kmほど南下した場所で、すぐ近くに「その110」で紹介した金ヶ崎城跡があります。 戦死の地と伝わる場所には、「贈正四位瓜生判官保公戦死之地」と刻まれた石碑と説明板が。 瓜生保が戦死したのは延元2年/建武4年(1337年)正月12日、金ヶ崎城に籠る新田義貞軍を援護すべく5千の兵を率いて杣山城を出た瓜生保...

  9. 太平記を歩く。 その105 「楠木正季・和田和泉守重次の墓(寶國寺)」 大阪府和泉市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その105 「楠木正季・和田和泉守重次...

    大阪府和泉市にある寶國寺にやってきました。ここに、延元元年/建武3年(1336年)5月25日の湊川の戦いで、兄・楠木正成と刺し違えて自決した弟・楠木正季の墓があります。 自決後、兄・正成の首級は京都六条河原で晒された後、足利尊氏の命で河内国の観心寺に届けられ、首塚として祀られたと伝えられますが(参照:その101)、正成に殉じた者たちがどうなったかは伝わっていません。普通に考えれば、兄と一緒に...

  10. 太平記を歩く。 その104 「楠木正成首塚(杜本神社)」 大阪府羽曳野市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その104 「楠木正成首塚(杜本神社)...

    大阪市羽曳野市にある杜本神社にも、楠木正成の首塚があると聞いて訪れました。 神社入り口には、「水分神社併楠公遺物陳列場」と刻まれた石柱があります。「水分神社」とは、「その21」の稿で紹介した千早赤阪村にある建水分神社のことだと思いますが、「楠公遺物陳列」というのは、正成の首ってことでしょうか? 鳥居をくぐって丘の上にある本殿を目指します。 こちらは拝殿です。 由緒書きには、たしかに「大楠公首...

  11. 太平記を歩く。 その94 「楠木正成墓所(湊川神社内)」 神戸市中央区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その94 「楠木正成墓所(湊川神社内)...

    前稿、前々稿で紹介した湊川神社の境内には楠木正成の墓所があります。 墓所の入口門です。墓所です。 この正成の墓は、正成の死から350年以上経った元禄5年(1692年)に、水戸黄門の呼び名で知られる徳川光圀によって建てられたものです。 墓碑に刻まれた「嗚呼忠臣楠子之墓」の文字は、光圀公の揮毫だそうです。裏面には明の遺臣・朱舜水の作った賛文が刻まれているそうです。この墓碑建立の実務を担当したのは...

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