墓所のタグまとめ

墓所」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには墓所に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「墓所」タグの記事(15)

  1. 幕末京都逍遥 その115 「泉涌寺・久邇宮朝彦親王の墓」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥 その115 「泉涌寺・久邇宮朝彦親王の墓」

    前稿でも紹介したとおり、東山の泉涌寺は歴代天皇家の菩提所として天皇陵、皇妃、親王陵墓が数多くありますが、幕末の人物としては、前稿で紹介した孝明天皇(第121代天皇)陵の他に、久邇宮朝彦親王の墓があります。 同じ敷地内に、桂宮淑子内親王と梨本宮守脩親王の墓もあります。 こちらが久邇宮朝彦親王の墓。 久邇宮朝彦親王というより、通称の中川宮と言ったほうがよく知られているかもしれませんね。伏見宮邦家...

  2. 幕末京都逍遥 その114 「泉涌寺・孝明天皇陵(後月輪東山陵)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥 その114 「泉涌寺・孝明天皇陵(後月輪...

    東山にある泉涌寺を訪れました。泉涌寺は、歴代天皇家の菩提所で、鎌倉時代の四条天皇(第87代天皇)以来14代の天皇陵をはじめ、皇妃、親王陵墓など39の陵墓があります。 大門は慶長年間(江戸時代初頭)造営の御所の門を移築したもので、重要文化財です。 こちらは、江戸幕府4代将軍徳川家綱によって再建されたという仏殿。重要文化財です。 こちらは御座所。建物内には、天皇皇后が来寺した際に休息所として使用...

  3. 幕末京都逍遥 その104 「光縁寺(新選組墓所)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥 その104 「光縁寺(新選組墓所)」

    前々稿で紹介した壬生寺に、新選組隊士の墓がありましたが、そこから西へ400mほどのところにある光縁寺にも、新選組隊士の墓があります。 山門の横には、「新選組之墓」と刻まれた石碑があります。 山門の柱にも、「新選組之墓所」の文字が。 光縁寺の門前近くには新選組の馬小屋があったそうで、毎日、門前を隊士たちが往来していました。ある日、総長の山南敬助が山門の瓦の家紋に目をやると、山南家の家紋と同じ「...

  4. 幕末京都逍遥 その102 「壬生寺(壬生塚)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥 その102 「壬生寺(壬生塚)」

    前々稿で紹介した八木邸のすぐ南に壬生寺というお寺があるのですが、その境内に、新選組の隊士を祀る壬生塚があります。 壬生寺は正暦2年(991年)、園城寺(三井寺)の僧・快賢が創建したと伝わります。ご本尊に延命地蔵菩薩像(重要文化財)が安置されているほか、水掛け地蔵や夜啼き地蔵など、多くのお地蔵様をおまつりしていることから、「お地蔵さんの寺」として知られています。 ここが壬生塚の入口です。参拝料...

  5. 幕末京都逍遥 その97 「古高俊太郎遺髪墓(福勝寺)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥 その97 「古高俊太郎遺髪墓(福勝寺)」

    前稿、前々稿で紹介した教善寺・浄圓寺から北東に300mほどのところにある福勝寺に、古高俊太郎の遺髪墓があります。古高は攘夷派の志士で、池田屋事件の発端となった人物です。 古高俊太郎は近江国大津出身で、京都に移住したのち梅田雲浜に師事し、尊皇攘夷思想を学びます。その後、同士のひとりだった湯浅五郎兵衛の依頼で、湯浅喜右衛門の養子となり、小道具の「桝屋」を継いで枡屋喜右衛門と名乗ります。その「桝屋...

  6. 幕末京都逍遥 その96 「池田屋惣兵衛の墓(浄圓寺)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥 その96 「池田屋惣兵衛の墓(浄圓寺)」

    前稿で紹介した教善寺のすぐ隣にある浄圓寺に、幕末期の商人・入江屋惣兵衛の墓があります。別名、池田屋惣兵衛ともいいます。そう、あの池田屋事件の舞台となった京都三条小橋西の池田屋の主人です。江戸時代、商人は屋号を姓として称していたため、一般には池田屋惣兵衛の名で知られていました。「池田屋事件」とは、元治元年6月5日(1864年7月8日)夜、在洛の長州、土州など諸藩の尊王攘夷派志士たちが謀議中に新...

  7. 幕末京都逍遥 その95 「渡辺篤の墓(教善寺)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥 その95 「渡辺篤の墓(教善寺)」

    前稿で紹介した松林寺から西へ600mほどのところにある教善寺の墓地に、坂本龍馬暗殺の実行犯のひとり、渡辺篤の墓があると知って訪れました。 渡辺篤は京都生まれの剣客で、京都見廻組の一員として禁門の変の折には二条城の警備を担当し、その役付けも、京都見廻組御雇七人扶持を皮切りに肝煎介・肝煎と昇進。当時は渡辺一郎と名乗っていたそうです。その後、鳥羽・伏見の戦いに旧幕府軍側として参戦。この頃に名前を「...

  8. 幕末京都逍遥 その92 「平野國臣以下三十七士之墓(竹林寺)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥 その92 「平野國臣以下三十七士之墓(竹...

    京都西陣にある竹林寺に、「その90」で紹介した六角獄舎で処刑された平野國臣をはじめとする37士の墓があると知り、足を運びました。 幕末、六角獄舎には多くの政治犯が投獄されていましたが、元治元年7月19日(1864年8月20日)の禁門の変(蛤御門の変)によって起きた大火災によって京都の町は火の海となり、火災に乗じて囚人が逃亡することを恐れた西町奉行所の役人・滝川具挙が、判決が出ていない状態のま...

  9. 幕末京都逍遥 その85 「赤松小三郎の墓(金戒光明寺)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥 その85 「赤松小三郎の墓(金戒光明寺)」

    金戒光明寺の墓地内には、會津墓地以外にも多くの歴史上の人物の墓がありますが、幕末の人物でいえば、「その53」で紹介した信州上田藩士の赤松小三郎の墓があります。 赤松は大政奉還の約半年前の慶応3年(1867年)5月に、二院制の議会の創設、選挙による議会政治、内閣総理大臣(赤松の訳語では「大閣老」)以下6人の大臣を議会が選出するという議院内閣制度など、現代にも通じる具体的な新国家構想が書かれた「...

  10. 幕末京都逍遥 その84 「会津墓地(金戒光明寺)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥 その84 「会津墓地(金戒光明寺)」

    前稿で紹介した金戒光明寺の敷地内に、幕末に京のまちで命を落とした会津藩士たちが眠る墓地があります。参道の高麗門横には、「會津藩殉難者墓所」と刻まれた石碑があります。 道中には、「会津墓地参道→」と刻まれた誘導碑が到るところに建てられています。 そして、ここが会津墓地の入口。 金戒光明寺のホームページによれば、敷地面積は約300坪だそうで、文久2年(1862年)から慶応3年(1867年)の6年...

  11. 幕末京都逍遥 その79 「菊屋峯吉(鹿野安兵衛)の墓(了連寺)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥 その79 「菊屋峯吉(鹿野安兵衛)の墓(...

    前稿、前々稿で紹介した京都大学キャンパスのすぐ近くに百万遍知恩院があるのですが、その塔頭の了蓮寺に、鹿野安兵衛という人物の墓があります。鹿野安兵衛は幕末、菊屋峯吉といいました。そう、あの坂本龍馬と中岡慎太郎の暗殺の第一発見者の少年、峯吉です。 菊屋峯吉は「その24」で紹介した書店・菊屋の長男で、龍馬や慎太郎から「峰やん」と呼ばれて可愛がられていました。菊屋は慎太郎の京都における活動の拠点とな...

  12. 幕末京都逍遥 その69 「禁門変戦死長州人八名首塚碑(上善寺)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥 その69 「禁門変戦死長州人八名首塚碑(...

    相国寺北門から北へ300mほど歩いたところにある上善寺には、元治元年7月19日(1864年8月20日)の「禁門の変」(蛤御門の変)で命を落とした長州藩士の首塚がります。山門の横には、「贈 正四位入江九一外七名首塚」と刻まれた石碑があります。ここに葬られているのは、石碑に刻まれていた入江九一をはじめ、原道太、半田門吉、奈須俊平、田村育蔵、緒方弥左衛門、小橋友之輔、そして無名藩士1名の計8名の長...

  13. 幕末京都逍遥 その68 「薩摩戦死者墓」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥 その68 「薩摩戦死者墓」

    前稿で紹介した長州藩士の墓は相国寺の西側の墓地にありますが、同じく相国寺の東側には、薩摩藩士の墓があります。ここは、相国寺塔頭・林光院の境外墓地で、相国寺東門を抜けて40mほど東にあります。 玉垣に囲われた広い敷地の墓所は、門扉に鍵がかかっていて中には入れません。 敷地内には、中央に大きな墓石が一基あり、その後ろの玉垣の向こうには、たくさんの小さな墓石が見えます。 中央の墓石には、「甲子役 ...

  14. 幕末京都逍遥 その67 「禁門変長州藩殉難者墓所(相国寺内)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥 その67 「禁門変長州藩殉難者墓所(相国...

    京都御苑北側にある相国寺境内西側の墓地に、元治元年7月19日(1864年8月20日)の「禁門の変」(蛤御門の変)で戦死した長州藩士の墓があります。 墓地の入口には、「禁門変長州藩殉難者墓所」と刻まれた石碑があります。 禁門の変で戦死した長州藩士は200名を数えたといいますが、そのうちの20名がここに葬られたそうです。しかし、その20名のうち氏名が判明しているのは、湯川庄蔵、有川常槌の2人だけ...

  15. 幕末京都逍遥 その64 「姉小路公知の墓(清浄華院)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥 その64 「姉小路公知の墓(清浄華院)」

    京都御苑を出て、その周辺を歩きます。京都御苑東の清和院門を出て150mほど北西にある清浄華院の墓地に、前稿で紹介した猿ヶ辻の変(朔平門外の変)で暗殺された公家の姉小路公知が眠っています。清浄華院は浄土宗七大本山のひとつであり、同宗の知恩院、知恩寺、金戒光明寺と並んで京都四箇本山のひとつです。貞観2年(860)、清和天皇(第56代天皇)の勅願によって創建されたと伝わりますが、当初は別の場所にあ...

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