孝徳天皇のタグまとめ

孝徳天皇」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには孝徳天皇に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「孝徳天皇」タグの記事(5)

  1. 間人皇后の華麗なる生涯・光と影 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    間人皇后の華麗なる生涯・光と影

    間人皇女は十代で孝徳帝の皇后に立つ間人皇女は、舒明天皇と斉明天皇の間に生まれました。乙巳の変(645)で蘇我氏本家が滅んだ時、中大兄皇子は十九歳の青年でした。間人皇女は中大兄の妹ですから、立后された時はうら若い乙女だったのです。孝徳天皇は推古五年(597)の生まれですから、間人皇女との結婚はかなりの年の差婚でした。高貴な姫君が恋をすることもなく、老人のもとへ輿入れしたと云うことです。ですから...

  2. 孝徳天皇の難波宮から聖武天皇の難波宮へ激動の百年 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    孝徳天皇の難波宮から聖武天皇の難波宮へ激動の百年

    孝徳天皇の難波宮から聖武天皇の難波宮へ激動の百年藤原宮は15年で捨てられたが、難波宮は生き延びた(大阪城南・難波宮址)(歴史博物館画像・難波宮)難波宮は交通の要衝にあり、外交・経済活動の要の地にありました何処と深くつながっていたか、ラインで見ましょう東西に意味があるなら、藤原氏が難波宮の真東に社殿を建てた理由はひとつ藤原宮は捨てられましたが、難波宮は長く使われ続けています。平城京遷都を計画し...

  3. 飛鳥の明日香と呼ばれた霊魂の地が二ヵ所ある理由 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    飛鳥の明日香と呼ばれた霊魂の地が二ヵ所ある理由

    飛鳥はいつからアスカと呼ばれたのか(藤原宮から天香具山)和銅三年、「飛鳥の明日香の里を置きていなば」と別れを惜しみ、元明天皇は明日香を去りました。和銅三年(710)には、[飛鳥(とぶとり)の明日香]という言葉が定着していたのですね。しかし、古事記(712年撰上)・日本書紀(720年撰進)では、アスカは「飛鳥」で統一されてます。712年頃までに「飛鳥」は、「とぶとり」ではなく「アスカ」に変わっ...

  4. 190間人皇后の愛と悲劇(2) - 地図を楽しむ・古代史の謎

    190間人皇后の愛と悲劇(2)

    190間人皇后の恋なぜ、間人(はしひと)皇后は孝(こう)徳(とく)帝の許を去ったのでしょう。書紀によると、孝徳帝は皇后に歌を送って言われました。金木(かなき)つけ吾(あ)が飼ふ駒(こま)は引(ひ)き出(で)せず吾が飼ふ駒を人見(ひとみ)つらむかあれほど大事に後宮の奥深くに置いて人目に触れないようにしていたのに、貴女を人が見たというのか(誰かがあなたに手を出したというのか、その事で貴女は後宮を...

  5. 188孝徳天皇の難波宮を寿ぐ - 地図を楽しむ・古代史の謎

    188孝徳天皇の難波宮を寿ぐ

    188孝徳天皇の難波長柄豊崎宮を寿ぐ歌 わたしには、大化の改新の中心的存在であった孝徳天皇の御代の歌が万葉集中に一つもないことに疑問を持っていました。それは、何故か? ①孝徳天皇に歌の素養が無く、残されるべき歌がなかった。しかし、書紀には孝徳天皇自身の歌が残されている。➁万葉集編集者は、孝徳天皇の御代の歌を取り上げたくなかった。孝徳帝の息子の有間皇子は繰り返し追慕され、後の世まで偲ばれている...

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