季節だよりのタグまとめ

季節だより」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには季節だよりに関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「季節だより」タグの記事(39)

  1. 蓮池は今が花盛り! - 休日登山日記

    蓮池は今が花盛り!

    何時もの蓮池は今が最盛期のようです。例年と比べると10日ほど遅れ気味のようです。山の麓では、秋の気配。カリガネソウも開花が始まっていました。このブログも容量が一杯になりそうです。そろそろ、新しいブログにお引越ししようかと思っています。同じエキサイト内に心機一転、新しいタイトルで!決まりましたらお知らせさせて頂きます。皆様、良い週末をお過ごし下さい。

  2. 撮り溜めた写真から24~医王寺の石造供養塔群⑤ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から24~医王寺の石造供養塔群⑤

    こちらは、佐藤基治・乙和ご夫妻墓碑とされる。こちらも「医王寺の石造供養塔群」の一部という見え方もあれば、こちらがスポットライトを浴びせるメインの石塔という見え方もある。医王寺のホームページでは、その視点から以下のように紹介されている。「奥の院薬師堂の境内に見られる板碑群は、信夫荘司一族の墓域と伝えられ、中央に佐藤基治・乙和、右側に継信・忠信の墓碑といわれる石碑があり県指定重要文化財に指定され...

  3. 撮り溜めた写真から23~医王寺の石造供養塔群④ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から23~医王寺の石造供養塔群④

    この大型の長方形の板碑とその手前の板碑がセットで、父母の逆修碑とのことだ。ただ、案内板の解説だけでは母の供養塔でもあるとする部分が読み取れないでいた。「ふくしまの歴史(2中世)」の「医王寺の板碑」にそのヒントが記されているのに気がついた。ここに「このうち正和2年(1313)の2基には、真言宗系の仏をたたえ、その教えを述べた文が記されているほか、それぞれ「慈父蓮仏逆修」「悲母逆修」とあります」...

  4. 撮り溜めた写真から22~医王寺の石造供養塔群③ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から22~医王寺の石造供養塔群③

    案内によるとやや後ろにのけぞっているように建っている大型の長方形の板碑とその右側の石塔はセットで父母の逆修供養塔と解説していると読み取る。解説の「なかに、松平楽翁の「集古十種」にのっているものが中央より左にあります。上部が欠けた正和2年の板碑」と大型の長方形の板碑とセットで父母の逆修供養塔だとする石塔が同じものなのだと解釈した。「国立国会図書館デジタルコレクション」で松平楽翁の「集古十種」を...

  5. 撮り溜めた写真から21~医王寺の石造供養塔群② - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から21~医王寺の石造供養塔群②

    やや後ろにのけぞっているように建っている大型の長方形の板碑について、次のような図解入りで解説されている。説明では、梵字の部分については、「一字金輪仏の種子『ボローン』」と表現される。知識が無いので確認する。「一字金輪」は、密教で、大日如来が最高の境地に入って説いた真言である (梵bhrūṃで、勃嚕唵(ぼろん)と音写)の一字を人格化した仏頂尊。像は結跏趺坐(けっかふざ)して手に印を結ぶ姿に表さ...

  6. 撮り溜めた写真から⑳~医王寺の石造供養塔群 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から⑳~医王寺の石造供養塔群

    奥之院薬師堂の西側に「医王寺の石造供養塔群」の案内板が建っている。その案内によると、そばの荘司夫婦の墓塔と伝えられる石塔も、右端の佐藤継信・忠信の墓塔と伝えられる石塔も含めて「医王寺の石造供養塔群」ということのようだ。前回ここを訪ねた時は、この墓塔と伝えられ石塔を確認しただけで、医王寺の石造供養塔群全体を見ていなかったような気がする。若い頃、地層の観察の実地学習で、直ぐにその岩場に近づこうと...

  7. 撮り溜めた写真から⑱~医王寺薬師堂④ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から⑱~医王寺薬師堂④

    薬師堂の欄干に石が吊るされるのは、「7日本の民族『福島』(岩崎敏夫)【第一法規】」が紹介する伊達郡保原町の耳石の呪いのようなものなのだろうと想像する。ただ、右側の欄干に吊るされる石に交じって、願い事を書いた絵馬も下がっていた。また、この写真の左側の欄干に吊るされる石の中に、願い事としてここでの出会いを記されているものも見える。耳石からの転化だと思うが、これらも受け入れられているという事なのだ...

  8. 撮り溜めた写真から⑰~医王寺薬師堂③ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から⑰~医王寺薬師堂③

    薬師堂の欄干に石が吊るされている。これが気になるところだが、「7日本の民族『福島』(岩崎敏夫)【第一法規】」の「8民族知識」の「3呪(まじな)い」の項に、いろいろな呪いの例が列記される。その本文には記述されないのだが、たくさんの石が吊り下げられている写真があって、その解説に「耳石薬師様に耳の悪い人があげる(伊達郡保原町)」とある。伊達郡保原町は現伊達市保原町で、近くの町村だ。この事とかかわる...

  9. 庭散歩! - 休日登山日記

    庭散歩!

    四葉のクローバーを探していると、久しぶりの雨に誘われてサワガニがお散歩してました白いナデシコをモノクロで紫陽花もようやく元気になって来ました皆様は、どんな日曜日を過ごされたでしょうか?

  10. 撮り溜めた写真から⑰~医王寺薬師堂② - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から⑰~医王寺薬師堂②

    今回は、この寺の歴史的な背景にかかわる意識をできるだけ取り除いて、この寺の雰囲気を感じてみたいという思いがある。そういう視点で「薬師堂」の案内板の写真を眺めていたら、医王寺に歴史上かかわりのある方も深く信仰なされた霊験あらたかな薬師如来であるとの解説の後の次の解説が気になった。「声がたたねば鯖野の薬師七日こもれば声がたつ等々と唱えられ」との部分だ。今のところ確認できていないが、そういう里歌が...

  11. 撮り溜めた写真から⑯~医王寺薬師堂 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から⑯~医王寺薬師堂

    「平野の伝承とくらし」では、「大鳥城記」で「奥の院薬師堂」と紹介される薬師堂を「鯖野薬師堂」と称している。奥の院薬師堂にお祀りされる薬師如来が「鯖野の薬師様」と呼ばれるのは、この地域が小字鯖野だからだ。「医王寺」のホームぺージでは、その地名が鯖野と呼称されるのは、福島市飯坂町に温泉を発見した鯖湖親王を祭るお宮があったからだとする。このことによって、鯖湖温泉の薬効や歴史のイメージが付加されるこ...

  12. 撮り溜めた写真から⑮~医王寺③ - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から⑮~医王寺③

    今回の散策でよく見てきたかったのは「薬師堂」だ。その主たる理由は小笠原國太郎氏とのかかわりだが、医王寺の奥の院としての「薬師堂」の雰囲気を感じたかった。その事ことについては、「亀岡邸の大工棟梁は小笠原國太郎⑧:福島の建築(12の2)」の中に記している。ただ、この記事の「薬師堂」の写真は、自分の撮った写真ではない。その写真を入れ替えたいということで、今回の散策の趣旨はこの時と変わらない。htt...

  13. 撮り溜めた写真から⑭~医王寺② - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から⑭~医王寺②

    寛文4年(1664)信夫郡と伊達郡が上杉領から天領となった時点で、後ろ盾が弱まったことが想像できる。「奥の細道臨地研究資料(福島県教育センター)」では、芭蕉が訪れたという元禄2年(1689)には、医王寺はわびしい古寺でしかない景色になっていたのではないかと想像していることと符合する。そんな中、「亀岡邸の大工棟梁は小笠原國太郎⑦:福島の建築(12の2)」で整理したように、この寺は何度も火災に遭...

  14. 撮り溜めた写真から⑬~医王寺 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から⑬~医王寺

    先に確認したように、今年になって散歩で医王寺へ出かけたのは2017/4/27のようだ。地元の散策資料では「医王寺」についての確認をしているが、もうちょっと引いてwebで確認してみる。ウィキペディアでは「真言宗の寺院で、山号は瑠璃光山。中性初期に信夫郡を支配した佐藤氏の菩提寺」と紹介され、地元の紹介と変わりない。その沿革についても、ほぼ地元の資料で確認できることだが、その中興にかかわる紹介の一...

  15. 撮り溜めた写真から⑫~医王寺までの道筋 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から⑫~医王寺までの道筋

    現農業総合センター果樹研究所内となる福島県生活改善展示実験室は、小字下原で、その北面の道筋が、その小字下原と小字田下との字界道になっている。その小字田下と小字北原と続く集落と接する小字下ノ壇、上ノ原、中原との字界道を進む。その道筋が、小字道添との字界まで進むと、医王寺前から「医王寺が案内される小字道添と字界道に出て、ここから医王寺まではお馴染みの道筋を進むことになる。この道筋は、先に「飯坂古...

  16. 撮り溜めた写真から⑪~福島県生活改善展示実験室 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から⑪~福島県生活改善展示実験室

    写真を確認したら、散歩で医王寺へ出かけたのは2017/4/27のようだ。いつもなら飯坂古道を中心に散策をしながら医王寺を目指すのだが、この時はわざとその東側の道筋を進んでみた。何か別な見え方をするかもしれないという期待感だ。この道筋、果樹試験場の裏側の道筋になるのだが、その角の建物の表札が「福島県生活改善展示実験室」となっている。家に戻って、その仰々しい「福島県生活改善展示実験室」なるものを...

  17. 撮り溜めた写真から⑩~才の神? - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から⑩~才の神?

    鎌倉権五郎影政と片目清水にかかわる伝承は、「信達一統志」も「信達郡村史」も、そして、「日本の伝説(柳田國男)」も南矢野目村あるいは南矢野目村邨として紹介される。しかし、今回は笹谷地区の伝承として整理してきた。元々、このあたりは、南矢野目・笹谷・北沢又・南沢又地区の複雑な境界地域だが、地図上では、ここは笹谷になっている。座学を中心に散策する人にとっては南矢野目の意識が強いと思うが、地図を片手に...

  18. 撮り溜めた写真から⑧~鎌倉権五郎影政と片目清水② - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から⑧~鎌倉権五郎影政と片目清水②

    本当は、「鎌倉権五郎影政公のその後」の前に、福島の伝承と「日本の伝説(柳田國男)」が紹介する「片目清水」の微妙な違いを整理してみたかった。順序が逆になったが、「鎌倉権五郎影政と片目清水②」として整理する。片目清水に戻るのに、2006/3/26の片目清水の写真を張り付ける。この時は、公園として整備している最中で、ここから清水に近づけないように柵で囲われていた。さて、微妙な違いの一つは、福島市史...

  19. 撮り溜めた写真から⑨~鎌倉権五郎影政公のその後 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から⑨~鎌倉権五郎影政公のその後

    「吾妻の里の自噴泉と伝説」を整理した時点で、この「ふくしま散歩(小林金次郎)」が紹介する鎌倉権五郎影政と家臣の墓の写真を手掛かりにここにたどりついてはいたのだが、そのままにしていたところだった。「ふくしま散歩」では、片目清水の紹介の前に「現在、鳥川の成川に住む矢吹友右衛門氏といわれる」として、権五郎影政の子孫が紹介されていたのだ。しかし、時系列に沿って整理してみると、片目清水の頃の鎌倉権五郎...

  20. 撮り溜めた写真から⑦~鎌倉権五郎影政伝説と片目清水 - 風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み)

    撮り溜めた写真から⑦~鎌倉権五郎影政伝説と片目清水

    この写真は、2013/1/13に撮った片目清水。先にこの片目清水について「吾妻の里の自噴泉と伝説」で整理しているが、この時は地元の記念誌の片目清水伝説紹介を記した。http://kazenoshin.exblog.jp/4962802/この言い伝えだと、八幡太郎義家の家臣鎌倉権現五郎景政が、後三年の役(1083~1087)で、敵の弓の名人鳥海弥三郎に矢を射られたのがこの地であるような印象にな...

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