岩倉具視のタグまとめ

岩倉具視」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには岩倉具視に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「岩倉具視」タグの記事(15)

  1. 西郷どん第44話「士族たちの動乱」その1~喰違の変と愛国公党~ - 坂の上のサインボード

    西郷どん第44話「士族たちの動乱」その1~喰違の変と愛...

    明治6年の政変によって西郷隆盛を始めとする征韓派が下野しますが、この政府分裂は世の不平士族たちをいっそう刺激することとなり、当時、盛んになり始めていた新聞や雑誌などでも、激しく新政府を言論攻撃するようになります。その攻撃の矛先は、政変を指導した大久保利通や岩倉具視に向けられました。 明治7年(1874年)1月14日、宮中での晩餐会を終えて帰路についていた岩倉が、何者かによって襲撃されました。...

  2. 西郷どん第43話「さらば、東京」その3~明治6年の政変<政局の結末>~ - 坂の上のサインボード

    西郷どん第43話「さらば、東京」その3~明治6年の政変...

    昨日の続きです。ドラマでは閣議は1日で終わっていたかのようでしたが、実際には10月14日の閣議では結論に至らず、翌15日、改めて閣議が開かれました。しかし、通説では、この日、西郷隆盛は閣議を欠席したといいます。その理由は、自身の言い分は前日の閣議ですべて吐き尽くしたと判断し、採否は太政大臣をはじめとする他のメンバーに委ねたのではないかと言われています。この欠席が、西郷にとって功を奏することに...

  3. 西郷どん第43話「さらば、東京」その1~明治6年の政変<前編>~ - 坂の上のサインボード

    西郷どん第43話「さらば、東京」その1~明治6年の政変...

    ドラマはいきなり征韓論閣議から始まりましたが、ここに至るまでにも様々なドラマがありました。本稿では、その経緯をできるだけ手短に解説します。 征韓論が閣議の議題にはじめてのぼったのは明治6年(1873年)6月12日で、その2ヶ月後の8月17日の閣議で西郷隆盛の朝鮮国派遣が内定しましたが、前話で描かれていたように、征韓論が唱えられる以前の5月26日に、すでに大久保利通は帰国していました。木戸孝允...

  4. 西郷どん第41話「新しき国へ」その1~岩倉使節団~ - 坂の上のサインボード

    西郷どん第41話「新しき国へ」その1~岩倉使節団~

    廃藩置県の改革が大きな反動を見ることなく施行されると、それから3ヵ月足らずの明治4年10月8日(1871年11月20日)、明治新政府は右大臣兼外務卿の岩倉具視を特命全権大使とする使節団を欧米に派遣するという策を決定します。いわゆる「岩倉使節団」ですね。そのメンバーは、副使に任命された木戸孝允(参議)、同じく副使となった新政府の事実上の首相である大久保利通(大蔵卿)、同伊藤博文(工部大輔)、同...

  5. 幕末京都逍遥その156「戊辰役東軍戦死者埋骨地(愛宕茶屋埋骨地)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その156「戊辰役東軍戦死者埋骨地(愛宕茶...

    下鳥羽から桂川沿いに鳥羽街道を4kmほど南下した淀にも、「戊辰役東軍戦死者埋骨地」と刻まれた墓碑があります。 かつてこの地には鳥羽街道の愛宕茶屋があったそうで、その傍に愛宕神社の分祀された祠があったそうです。鳥羽・伏見の戦いの際、この場所でも激しい戦闘が繰り広げられたと伝わり、ここに墓碑が建てられました。この墓碑も前稿で紹介した悲願寺墓地内のものと同じく、明治40年(1907年)に京都十七日...

  6. 幕末京都逍遥その153「鳥羽伏見の戦い 下鳥羽戦跡」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その153「鳥羽伏見の戦い 下鳥羽戦跡」

    慶応4年1月3日(1868年1月27日)の夕方に始まった鳥羽・伏見の戦いは、日没を迎えてもなお戦闘は続きました。兵力は旧幕府軍が約1万5000だったのに対し、新政府軍は約5000と明らかに劣勢でしたが、それを補える高性能の武器を揃えていたこと、また陣形、戦術ともに新政府軍が勝っていたことなどから、旧幕府軍は死傷者が続出し、やむなく下鳥羽方面に退却します。現在、その下鳥羽の桂川に面した道路沿い...

  7. 西郷どん第35話「慶喜の首」その1~鳥羽・伏見の戦い~ - 坂の上のサインボード

    西郷どん第35話「慶喜の首」その1~鳥羽・伏見の戦い~

    慶応4年1月2日(1868年1月26日)、薩摩藩との戦いを決意した徳川慶喜は、朝廷の判断を仰ぐために1万5千の大軍を大坂から京へ進めます。これに対して薩摩藩を中心とした新政府軍は、鳥羽の鴨川に架かる小枝橋から東にある城南宮に向けて東西に長い陣を布いて北上軍への備えとし、また、伏見の御香宮にも砲兵部隊を配置します。3日午前、旧幕府軍と新政府軍が小枝橋で接触します。旧幕府軍を率いていたのは大目付...

  8. 岩倉具視と500円。 - あすか司法書士事務所 補助者の日記<東京都台東区>

    岩倉具視と500円。

    今日も終日雨だった東京都台東区のあすか司法書士事務所の司法書士補助者の西綾香です。◆あすか司法書士事務所のホームページはこちらです◆相変わらず、司法書士事務所の出来事とはまーったく違ったことばかり書いている日々です。今日は、先日のバスハイクで乗ったバスのガイドさん(女性)のお話しです。バスハイクの途中、ランチをする予定の「牛久シャトー」へ向かうバスで、ガイドさんがどんな食べ物があるかを説明を...

  9. 西郷どん第35話「戦の鬼」その1~小御所会議(王政復古の大号令)~ - 坂の上のサインボード

    西郷どん第35話「戦の鬼」その1~小御所会議(王政復古...

    慶応3年11月15日(1867年12月9日)、京都河原町の近江屋において、坂本龍馬と中岡慎太郎が何者かの手によって襲撃されました。龍馬はほぼ即死。中岡は蘇生して2日間生き延びますが、その後、容体が悪化して死去します。龍馬33歳、慎太郎30歳でした。この近江屋事件については、過去、拙ブログでは何度も取り上げてきていますので、今回はスルーします。ご興味があれば、襲撃当日の様子については、過去の拙...

  10. 幕末京都逍遥その125「岩倉具視公旧蹟九兵衛宅址碑」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その125「岩倉具視公旧蹟九兵衛宅址碑」

    「その123」で紹介した「岩倉具視幽棲旧宅」から直線距離で1kmほど南東に、「岩倉具視公旧蹟九兵衛宅址」と刻まれた石碑があります。九兵衛とは、岩倉具視の乳父の山本九兵衛のことだそうです。 乳母ならよく知っていますが、乳父ってあまり聞いたことがないですよね。そもそも、なんて読むのでしょう?ちちちち?(笑)父は乳出ないし!(笑)武家社会では、傅役といった父親代わりになって躾ける家臣がいましたが、...

  11. 幕末京都逍遥その124「実相院」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その124「実相院」

    前稿で紹介した「岩倉具視幽棲旧宅」のすぐ北西に、鎌倉時代創建の寺院・実相院があります。ここも、かつて岩倉村に隠棲していた岩倉具視ゆかりの寺院です。 実相院は門跡寺院のひとつです。門跡寺院とは、皇族や公家が住職を務める特定の寺院で、かつては位階の高い寺院とされていました。 実相院は紅葉の名所で知られています。わたしがここを訪れたのは、晩秋の12月2日でした。 文久2年(1862年)10月に岩倉...

  12. 幕末京都逍遥その123「岩倉具視幽棲旧宅」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その123「岩倉具視幽棲旧宅」

    洛北の旧岩倉村地区やってきました。この村には、幕末、都から追放された岩倉具視が幽棲した屋敷がありました。 現在、その屋敷は国の史跡に指定されています。 門の前には、「岩倉具視幽棲舊宅」と刻まれた石碑があります。 文政8年(1825年)に参議正三位・堀河康親の次男として生まれた具視は、天保9年(1838年)に公卿・岩倉具慶の養子になります。安政元年(1854年)には孝明天皇(第121代天皇)の...

  13. 西郷どん第30話「怪人 岩倉具視」~岩倉具視の蟄居生活~ - 坂の上のサインボード

    西郷どん第30話「怪人 岩倉具視」~岩倉具視の蟄居生活~

    500円札の肖像で知られる岩倉具視が主人公の回でしたね。ドラマ中、自身をヤモリと卑下していましたが、実際に、当時、岩倉は「守宮(やもり)」とあだ名されていました。すばしこくて出没を予測できない策謀ぶりを評したあだ名だったようですが、当時の軟弱な公家のなかで、珍しく智謀と胆力を兼ね備えた人物だったといいます。文政8年(1825年)に参議正三位・堀河康親の次男として生まれた岩倉は、天保9年(18...

  14. 幕末京都逍遥その58「九条邸跡(京都御苑)」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その58「九条邸跡(京都御苑)」

    前稿で紹介した「鷹司邸跡」の西隣にあった「九条邸跡」を訪れました。九条家は藤原氏の流れをくむ鎌倉時代の公卿・九条兼実を祖とする家系で、五摂家(近衛、鷹司、九条、一条、二条)のひとつです。「幕末」と呼ばれる時代の当主は九条尚忠で、前稿で紹介した鷹司政通のあと、関白に就任します。 安政5年(1858年)の日米和親条約締結にあたり、関白だった尚忠は幕府との協調路線を推進して条約許可を求めますが、不...

  15. 500円札の人に触れてみた - SAMとバイクとpastime

    500円札の人に触れてみた

    日本初の癌告知、日本初の国葬、享年59歳。500円札の肖像岩倉具視。その岩倉具視が政治的背景から命を狙われることになったため、38歳から蟄居をしいられ、うち3年間を隠れ住んだのが京都岩倉の集落だった。その当時の旧宅が今も残ると知り見学に行ってきた。 とその前に腹ごしらえ。京都府立洛北高校の西側を南北に走る下賀茂本通りを挟んで筋向い。「カレーうどん」の看板発見。絶対的先入観として、高校の近く...

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