後醍醐天皇のタグまとめ

後醍醐天皇」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには後醍醐天皇に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「後醍醐天皇」タグの記事(18)

  1. 太平記を歩く。 その150 「北畠顕家墓所」 大阪市阿倍野区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その150 「北畠顕家墓所」 大阪市阿倍野区

    北畠顕家の墓所と伝わる場所に来ました。現在は北畠公園として整備されています。 公園入口の石碑は、昭和14年(1939年)に建てられたものです。 由緒書です。 墓石の周りは塀と柵で囲われていて、なかに入ることはできません。 墓所の前の石碑は大正8年(1919年)のものです。 こちらはの看板には、阿倍野合戦之図と、同合戦に顕家が出陣の際に後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)に送ったとされる上...

  2. 太平記を歩く。 その148 「北畠親房の墓」 奈良県五條市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その148 「北畠親房の墓」 奈良県五條市

    前稿で紹介した賀名生の里の裏山に、南朝方の公卿・北畠親房の墓と伝わる古い墓石があります。 北畠親房は、当時、学識の高い万里小路宣房、吉田定房とともに「後三房」と称された公卿で、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)の信頼厚く、その第二皇子である世良親王の養育を任されるほどでした。また、大塔宮護良親王の妃は親房の娘で、親王から見れば親房は義父にあたります。北畠親房といえば、「大日本ハ神国ナリ...

  3. 太平記を歩く。 その147 「賀名生南朝皇居跡」 奈良県五條市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その147 「賀名生南朝皇居跡」 奈良...

    吉野山から西南西に15kmほどのところに、「賀名生の里」と呼ばれる場所があるのですが、ここにも、かつて南朝の行宮があったと伝えられます。 延元元年/建武3年(1336年)12月28日、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)は京を逃れて吉野山に潜行しますが、その途中、天皇は一時この地に滞在したと伝えられます。 現在、ここは「賀名生の里歴史民俗資料館」と称して観光用に公園整備されています。 後...

  4. 太平記を歩く。 その146 「花矢倉展望台」 奈良県吉野郡吉野町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その146 「花矢倉展望台」 奈良県吉...

    吉野山シリーズの最後は、吉野朝廷の舞台がほぼ見渡せる花矢倉展望台からの眺望です。桜のシーズンは観光客でにぎわう絶景スポットですが、真夏のこの日はわたしひとりでした。標高約600mで、ここまで上がってくるのは結構たいへんですからね。 眼下に目を落とすと、吉野山の町並みが南北に馬の背のような格好で尾根伝いに浮かびます。 尾根伝いのいちばん向こうにひときわ高くそびえ立つ大建築が、「その127」で紹...

  5. 太平記を歩く。 その145 「後醍醐天皇陵」 奈良県吉野郡吉野町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その145 「後醍醐天皇陵」 奈良県吉...

    前稿で紹介した如意輪寺本堂の裏山に、後醍醐天皇陵があります。この長い階段の上です。 吉野山に自ら主宰する朝廷を開くも、日夜、京都に戻る日を夢見ていた後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)でしたが、しかし、天下の形勢は天皇に利あらず、さらには、そば近くに仕えていた吉田定房、坊門清忠などの重臣が次々とこの世を去り、延元4年(1339年)8月9日、ついに病に伏します。 自らの余命幾許もないことを...

  6. 太平記を歩く。 その144 「如意輪寺」 奈良県吉野郡吉野町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その144 「如意輪寺」 奈良県吉野郡吉野町

    前稿で紹介した勝手神社から、中の千本の谷を隔てた山の中腹に、如意輪寺があります。ここは、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)が吉野に行宮を定めた際、勅願所となった寺院です。本堂裏山には、後醍醐天皇陵があります。 寺の歴史は古く、醍醐天皇(第60代天皇)の延喜年間(900~922年)に、日蔵上人により開かれたと伝わります。 正平2年/貞和3年(1347年)12月27日、楠木正行、正時兄弟が...

  7. 太平記を歩く。 その142 「後醍醐天皇御幸の芝・慰霊歌碑」 奈良県吉野郡吉野町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その142 「後醍醐天皇御幸の芝・慰霊...

    前稿で紹介した吉水院宗信法印の墓から南へ急坂を登ると、右側の桜が茂る小さは平地に、「後醍醐天皇御幸の芝」があります。 後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)が吉野山の皇居にいた延元4年/暦応2年(1339年)5月のある日、大勢のお供を連れてこのあたりまで御幸した際、空模様が怪しくなり、雨が降り始めたそうです。 そこで、かたわらの観音堂に入ってしばらく休まれるうち、 ここはなほ 丹生の社にほ...

  8. 太平記を歩く。 その141 「吉永院宗信法印の墓」 奈良県吉野郡吉野町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その141 「吉永院宗信法印の墓」 奈...

    前稿で紹介した吉水神社から南へ1kmほどの登山道の木立のなかに、吉水院宗信法印の墓がひっそりとあります。 「吉水院宗信法印御墓」と刻まれた石碑の建つ階段を登ると、「忠誠義烈」と刻まれた大きな石碑が建てられています。 その奥にある苔むした墓が、宗信法印の墓所です。 吉水院の僧、宗信は金峯山寺の執行でしたが、延元元年/建武3年(1336年)12月28日、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)が...

  9. 太平記を歩く。 その140 「吉水神社」 奈良県吉野郡吉野町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その140 「吉水神社」 奈良県吉野郡吉野町

    「その127」で紹介した金峯山寺蔵王堂から南東に300mほど下ったところに、吉水神社という由緒ある神社があるのですが、ここはかつて吉水院といわれ、吉野山を統率する修験宗の僧坊でした。 延元元年/建武3年(1336年)12月21日、京都の花山院を秘かに逃れた後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)は、いったん吉野山に入ってから23日に賀名生(西吉野)に移り、28日に再び吉野山に入ると、吉水院の...

  10. 太平記を歩く。 その139 「吉野朝宮跡」 奈良県吉野郡吉野町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その139 「吉野朝宮跡」 奈良県吉野...

    「その127」で紹介した金峯山寺蔵王堂から西側を望む台地に、南朝妙法殿という塔のような建物が見えるのですが、このあたりが、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)が開いた吉野朝廷、いわゆる南朝が営まれた皇居跡と伝えられるところです。 皇居跡の台地には、「吉野朝宮址」と刻まれた大きな石碑があります。 延元元年/建武3年(1336年)12月21日、京都の花山院を秘かに逃れた後醍醐天皇は、いったん...

  11. 太平記を歩く。 その129 「後醍醐天皇導之稲荷」 奈良県吉野郡吉野町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その129 「後醍醐天皇導之稲荷」 奈...

    「その127」で紹介した金峯山寺の南側入口の脇に小さなお稲荷さんがあります。 近づいてみると、「後醍醐天皇導之稲荷」と刻まれた石柱が建てられています。「導之稲荷」とはどういう意味か・・・。 説明板によると、延元元年(1336年)12月21日、足利尊氏によって幽閉されていた京の花山院を脱出した後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)は、12月28日、ここ吉野山の行宮(仮の宮)に入りますが、その...

  12. 太平記を歩く。 その126 「吉野神宮」 奈良県吉野郡吉野町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その126 「吉野神宮」 奈良県吉野郡吉野町

    桜の名所で有名な奈良県の吉野山にやってきました。といっても、訪れたのは真夏の7月のことで、桜はまったくありまぜん。桜の季節は観光客でいっぱいですからね。 『太平記』における吉野山は、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)が足利尊氏の擁立する京の北朝に対して南朝を樹立したところとして重要な場所ですが、『太平記』の描く吉野山はそれだけではなく、巻7「吉野城軍の事」、巻18「先帝吉野潜幸の事」、...

  13. 太平記を歩く。 その125 「内山永久寺跡(萱御所跡)」 奈良県天理市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その125 「内山永久寺跡(萱御所跡)...

    延元元年/建武3年(1336年)12月21日、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)は足利尊氏によって幽閉されていた花山院を抜け出し、吉野山で新たな朝廷を樹立するに至るのですが、吉野山に向かう道中、大和路の内山永久寺に一時身を隠していたと伝えられます。 内山永久寺は平安時代後期の永久2年(1114年)に鳥羽天皇(第74代天皇)の勅願により興福寺の僧・頼実が創建したと伝えられ、往時は壮麗な大...

  14. 太平記を歩く。 その124 「花山院邸跡(宗像神社)」 京都市上京区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その124 「花山院邸跡(宗像神社)」...

    京都御苑内にある宗像神社を訪れました。ここは、かつて花山院邸があった場所で、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)が、一時幽閉されていた場所です。 建武の新政が崩壊し、延元元年/建武3年(1336年)10月10日、足利尊氏に降伏した後醍醐天皇は、ここ花山院に幽閉されることになります。ここで天皇は厳しく監視され、これまで従っていた側近たちは引き離され、接触できるのは女房達だけだったといいます...

  15. 太平記を歩く。 その113 「下長谷の洞窟」 福井県南条郡南越前町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その113 「下長谷の洞窟」 福井県南...

    「その110」で紹介した金ヶ崎城跡から敦賀湾沿いに海岸線を25kmほど北上した国道305号線沿いの崖に、「下長谷の洞窟」と呼ばれる小さな洞窟があるのですが、ここは、かつて後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)の皇子・恒良親王が身を隠したという伝承があります。 延元元年/建武3年(1336年)10月13日より約半年間続いた新田義貞軍と足利方・斯波高経軍の攻防戦は、翌年の3月6日、義貞の息子・...

  16. 太平記を歩く。 その108 「名和長年殉節之地」 京都市上京区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その108 「名和長年殉節之地」 京都...

    西陣と呼ばれる京都市上京区の一角に、名和長年の終焉の地と伝わる場所があります。現在、名和児童公園としてブランコなどの遊具がある小さな公園となっていますが、その一角に、大きな石碑が残されています。 公園の入口には、石の鳥居と「名和長年公遺蹟」と刻まれた大きな石碑、そして「此附近名和長年戦死之地」と刻まれた小さな石碑があります。 石碑の裏には「昭和十四年四月建 名和會」とあります。 公園内には、...

  17. あれっ、既得権益を破る方についた者勝ち? - 元証券マンが「あれっ」と思ったこと

    あれっ、既得権益を破る方についた者勝ち?

    「日本人なら知っておきたい 皇室のしくみ」 (著/五味洋治ほか、宝島社) 以下は、掲題書(第七章「時代をつくった天皇」)からの一部抜粋。  後醍醐天皇 建武の新政  足利尊氏の武士政権と対立して南朝を打ち立てる 武家政権を倒すために、一生をかけた天皇が後醍醐天皇である。 鎌倉時代半ば、持明院統と大覚寺統が皇位の継承をめぐって争っていた。その対立を解決するため、鎌倉幕府が、皇位は両党が交代で継...

  18. 太平記を歩く。 その102 「観心寺」 大阪府河内長野市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その102 「観心寺」 大阪府河内長野市

    大阪府河内長野市にある観心寺を訪れました。ここは、観心寺は楠木正成一族の菩提寺で、正成の少年時代の学問所だったという伝承もあります。 山門横では、正成の騎馬像が迎えてくれます。神戸の湊川公園の騎馬像よりは小振りなものです。 逆光の撮影なのでわかりにくいですが、精悍な顔をしています。 観心寺の寺伝によると、大宝元年(702年) に役小角によって開かれ、当初は雲心寺と称したとされますが、天長4年...

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