後醍醐天皇のタグまとめ

後醍醐天皇」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには後醍醐天皇に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「後醍醐天皇」タグの記事(16)

  1. 太平記を歩く。その198「後村上天皇陵(観心寺)」大阪府河内長野市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その198「後村上天皇陵(観心寺)」大阪...

    「その102」で紹介した楠木正成の首塚がある観心寺に、後村上天皇(第97代天皇・南朝第2代天皇)の陵があります。 観心寺の山門をくぐってすぐ右手に池があり、その向こうに、「後村上天皇御奮跡」と刻まれた大きな石碑が立っています。観心寺は、正平14年/延文4年(1359年)から約10年間、南朝の行在所となりました。 後村上天皇陵は別名、檜尾陵といいます。公式形式は円丘。この長い階段を上ったところ...

  2. 太平記を歩く。その150「北畠顕家墓所」大阪市阿倍野区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その150「北畠顕家墓所」大阪市阿倍野区

    北畠顕家の墓所と伝わる場所に来ました。現在は北畠公園として整備されています。 公園入口の石碑は、昭和14年(1939年)に建てられたものです。 由緒書です。 墓石の周りは塀と柵で囲われていて、なかに入ることはできません。 墓所の前の石碑は大正8年(1919年)のものです。 こちらはの看板には、阿倍野合戦之図と、同合戦に顕家が出陣の際に後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)に送ったとされる上...

  3. 太平記を歩く。その141「吉永院宗信法印の墓」奈良県吉野郡吉野町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その141「吉永院宗信法印の墓」奈良県吉...

    前稿で紹介した吉水神社から南へ1kmほどの登山道の木立のなかに、吉水院宗信法印の墓がひっそりとあります。 「吉水院宗信法印御墓」と刻まれた石碑の建つ階段を登ると、「忠誠義烈」と刻まれた大きな石碑が建てられています。 その奥にある苔むした墓が、宗信法印の墓所です。 吉水院の僧、宗信は金峯山寺の執行でしたが、延元元年/建武3年(1336年)12月28日、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)が...

  4. 太平記を歩く。その129「後醍醐天皇導之稲荷」奈良県吉野郡吉野町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その129「後醍醐天皇導之稲荷」奈良県吉...

    「その127」で紹介した金峯山寺の南側入口の脇に小さなお稲荷さんがあります。 近づいてみると、「後醍醐天皇導之稲荷」と刻まれた石柱が建てられています。「導之稲荷」とはどういう意味か・・・。 説明板によると、延元元年(1336年)12月21日、足利尊氏によって幽閉されていた京の花山院を脱出した後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)は、12月28日、ここ吉野山の行宮(仮の宮)に入りますが、その...

  5. あれっ、既得権益を破る方についた者勝ち? - 元証券マンが「あれっ」と思ったこと

    あれっ、既得権益を破る方についた者勝ち?

    「日本人なら知っておきたい皇室のしくみ」 (著/五味洋治ほか、宝島社)以下は、掲題書(第七章「時代をつくった天皇」)からの一部抜粋。後醍醐天皇建武の新政足利尊氏の武士政権と対立して南朝を打ち立てる武家政権を倒すために、一生をかけた天皇が後醍醐天皇である。鎌倉時代半ば、持明院統と大覚寺統が皇位の継承をめぐって争っていた。その対立を解決するため、鎌倉幕府が、皇位は両党が交代で継承すると決めた。こ...

  6. 「現代版後醍醐天皇」としての安倍総理 - 広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)

    「現代版後醍醐天皇」としての安倍総理

    「現代版後醍醐天皇」としての安倍総理安倍総理とは、後醍醐天皇のようなものである。後醍醐天皇は、公家が築き上げてきた官僚制も、武家が鎌倉幕府※による「武家革命」以来築き上げてきたシステムも否定。※鎌倉幕府は公家から武士が権力を奪った、階級間の権力移動という革命であり、2ちゃんねるでは、鎌倉幕府=日本史上ほぼ唯一の左翼政権という見方をする人もいる。後醍醐天皇自らが行政をすべて決裁するという仕組み...

  7. 太平記を歩く。その63「二条富小路内裏址」京都市中央区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その63「二条富小路内裏址」京都市中央区

    京に戻った後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)は、翌年の建武元年(1334年)1月より「建武の新政」を開始します。その政令が発せられたのが、京都御所の少し南にある「二条富小路内裏址」です。現在は御所南小学校第二運動場前に、石碑のみが建てられています。 「建武の新政」は「建武の中興」とも呼ばれ、武家政権から朝廷に政権を移し、関白や摂政、院政も排除し、天皇自らが政治を行うというもの。「大化の...

  8. 太平記を歩く。その58「書寫山圓教寺」兵庫県姫路市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その58「書寫山圓教寺」兵庫県姫路市

    兵庫県姫路にある、西の比叡山と称される天台宗の古寺「書寫山圓教寺」を訪れました。書写山は、姫路市の北部にある標高370mの山で、圓教寺はその山上にあります。 大塔宮護良親王や楠木正成、さらには播磨国の赤松則村(円心)らが各地で倒幕の兵を上げると、その機に乗じて後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)は名和長年ら名和一族を頼って隠岐島から脱出し、伯耆船上山で挙兵します。やがて六波羅陥落の知らせ...

  9. 太平記を歩く。その50「後醍醐天皇御腰掛の岩」鳥取県西伯郡大山町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その50「後醍醐天皇御腰掛の岩」鳥取県西...

    せっかく伯耆国まで足を伸ばしたので、船上山周辺の『太平記』にまつわる史跡を巡ってみます。まずは、御来屋漁港にある「後醍醐天皇御腰掛の岩」。 元弘3年/正慶2年(1333年)閏2月、側近の千種忠顕らと共に配流先の隠岐の島を脱出した後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)は、当初、出雲国を目指すも風に流され、ここ名和の湊にたどり着き、ここで、この地で海運業を営んでいた名和長年を頼ります。 このと...

  10. 太平記を歩く。その49「船上山行宮跡(後編)」鳥取県東伯郡琴浦町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その49「船上山行宮跡(後編)」鳥取県東...

    前稿の続きです。標高616.5m地点に建つ「船上山行宮之碑」の丘をあとにし、「後醍醐天皇行宮跡」への誘導案内板に従ってさらに尾根道を奥に進みます。 船上山は、平安時代の初期ごろ(約1,200年前)から山岳仏教が栄え、大山、美徳(三徳)山とともに伯耆三嶺とよばれた修験道の零場だったといいます。後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)と名和長年らがこの地で挙兵した頃、この山には金石寺という寺院が...

  11. 雲居の桜 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    雲居の桜

    ここにても雲居の桜咲きにけり後醍醐天皇は吉野に逃れても決して都を忘れることはありませんでした。ある日、雲居の桜という名の桜を献上された時、都を思い出して詠まれた御製歌と以前聞いたことがあります。こんな吉野の山の中でも、雲居の桜が咲いた。雲居とは「遠く離れた所」「宮中や皇居」「皇居のある都」のことを云いました。「雲居の桜」と聞いて、都が思い出されていよいよ都への思いが強くなったことでしょうね。...

  12. 花の吉野の別れ歌 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    花の吉野の別れ歌

    花の吉野の別れ歌今年四月十二日、吉野山は中千本が満開でした。吉野と云えば、後醍醐天皇の所縁の地でもあります。桜に見とれながら如意輪寺を訊ねました。桜に埋もれた宝塔も見事でしたね。数年前に来た時もほんとうにきれいでしたが、今年も何処も素晴らしかったです。帰りのシャトルバスで出会ったお嬢さん、義経に惹かれて吉野に来られたようでした。短い間におしゃべりできてちょっと嬉しかったです。その方、後醍醐天...

  13. 太平記を歩く。その12「院庄館跡(作楽神社)」岡山県津山市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その12「院庄館跡(作楽神社)」岡山県津山市

    岡山県津山市にある作楽神社にやってきました。ここは、かつて美作国守護の館「院庄館」があった地で、元弘2年(1332年)、元弘の乱に敗れて隠岐に配流される途中の後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)が宿泊したと伝わる場所です。 ここを訪れたのは11月6日、木々が色づくいい季節だったのですが、残念ながら天気はあいにくの曇り空で、見てのとおり暗い写真ばかりです。 前稿、前々稿で紹介した船坂峠、杉...

  14. 太平記を歩く。その11「杉坂峠関所跡」兵庫県佐用郡佐用町と岡山県美作市の境 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その11「杉坂峠関所跡」兵庫県佐用郡佐用...

    兵庫県佐用郡佐用町と岡山県美作市の県境にある杉坂峠を訪れました。ここは、旧令制国における播磨国と美作国の国境にあった関所跡です。 元弘2年(1332年)、元弘の乱に敗れて隠岐に配流される途中の後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)を、備前国の武士、児島高徳が奪回すべく立ち上がり、前稿で紹介した船坂峠で待ち伏せますが、天皇護送団一行の移動ルートを見誤り、計画は失敗に終わります。その後、天皇一...

  15. 太平記を歩く。その8「布引の滝」神戸市中央区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その8「布引の滝」神戸市中央区

    神戸市中央区にある「布引の滝」を訪れました。ここは元弘元年(1331年)に隠岐島に配流となった後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)が、その道中に立ち寄ったとされます。場所は、JR新幹線の新神戸駅の北側の山中にあります。 布引の滝は、日光の華厳の滝、那智勝浦の那智の滝と並んで、日本三大神滝のひとつに数えられていますが、他のふたつの滝と違って、現在は人工的に水量をコントロールされています。 ...

  16. 太平記を歩く。その6「大塔村」奈良県五條市大塔町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。その6「大塔村」奈良県五條市大塔町

    後醍醐天皇(第96代天皇)が笠置山にて兵をあげると、その第2皇子・大塔宮護良親王も参向して父を助けます。しかし、笠置山が落ちて父・後醍醐天皇が捕らえられると、大塔宮護良親王は幕府軍の追捕を逃れ、吉野、十津川、熊野などを転々とします。その親王の名前が地名になった場所が、奈良県五條市の山奥にあります。 和歌山県との県境に位置するこの地は、かつては奈良県吉野郡大塔村とされていましたが、現在は五條市...

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