徳川家康のタグまとめ

徳川家康」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには徳川家康に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「徳川家康」タグの記事(22)

  1. 戦国銘菓~三河葵(備前屋) - Suiko108 News

    戦国銘菓~三河葵(備前屋)

    こちらも刈谷市の展示会でいただきました!さすが徳川家康の地元、葵の御紋も神々しい「三河葵」です。箱に徳川家の系図が書かれているのも、戦国銘菓にふさわしいですね。お菓子にも葵のご紋が。お菓子は、由緒正しい薄皮もなかです。正統派のもなか……と思いきや、中には大きなお餅が!小ぶりなのに、食べれば大満足……今日も重い荷を背負って遠い道のりを歩けそうです。ごちそうさまでした!ちなみに、この備前屋さん、...

  2. おんな城主 直虎 第45話「魔王のいけにえ」 ~松平信康自刃事件(前編)~ - 坂の上のサインボード

    おんな城主 直虎 第45話「魔王のいけにえ」 ~松平信...

     諸説あって謎が多い徳川(松平)信康の自刃事件ですが、ドラマでは長年通説となっていた『三河物語』の記述をベースに構成されていました。前回の徳川家康暗殺未遂事件のあとの信康と石川数正のやりとりを見ていて、何か違う解釈で描くのかなぁと思っていたのですが、違いましたね。まあ、ほとんどの物語では、『三河物語』の通説を採用していますから、やはり、それがいちばんドラマチックだということでしょう。わたしは...

  3. 大政奉還150年記念に訪れた二条城。 その1 ~外堀・城門~ - 坂の上のサインボード

    大政奉還150年記念に訪れた二条城。 その1 ~外堀・城門~

    平成29年(2017年)の今年は、大政奉還から150年にあたります。京都では「大政奉還150年周年記念プロジェクト」と題したイベントが各所で行われていますが、大政奉還といえば、いちばんはやはりその発表の舞台となった二条城を訪れるべきでしょう。というわけで、先日、朝から夕方まで二条城をみっちり歩いてきました。 写真は東大手門前に設置された金屏風風の看板。いまから150年前の慶応3年10月14日...

  4. おんな城主 直虎 第44話「井伊谷のばら」 ~井伊万千代の初陣~ - 坂の上のサインボード

    おんな城主 直虎 第44話「井伊谷のばら」 ~井伊万千...

     井伊万千代の初陣の回でしたね。ドラマでは、天正6年(1578年)の田中城攻めを初陣としていましたが、通説では、天正4年(1576年)の芝原の戦いが初陣だったとしています。その詳細は、『井伊家伝記』が次のように伝えます。 天正四年の春、甲州勝頼、遠州高天神近所柴原にをいて御合戦の時、権現様陣小屋の中に御休息被遊候所に夜中忍びの敵近藤武助と申者を直政公御次之間にて御討取被成候故、権現様殊の外御...

  5. おんな城主 直虎 第43話「恩賞の彼方に」 ~戦の論功行賞~ - 坂の上のサインボード

    おんな城主 直虎 第43話「恩賞の彼方に」 ~戦の論功行賞~

     長篠の戦いの手柄あらため(論功行賞)に頭を悩ませる徳川家康。徳川・織田連合軍の圧勝に終わったこの戦いでしたが、この敗北によって武田氏がたちまち滅亡したわけではなく、したがって、徳川の領地が急増したというわけでもありません。ところが、戦は大勝利だったわけですから、戦功をたてた武将はたらふくいたわけです。そんな中でバランスよく恩賞を与えるというのは、さぞかし難しい仕事だったことでしょう。  劇...

  6. おんな城主 直虎 第42話「長篠に立てる柵」 ~長篠の戦い~ - 坂の上のサインボード

    おんな城主 直虎 第42話「長篠に立てる柵」 ~長篠の戦い~

     虎松が徳川家康の小姓となって井伊万千代と名乗りだした3ヶ月後(ドラマではまだ草履番ですが)、家康は織田信長に援軍を頼み、長篠城に出陣しました。武田信玄の死後、家康が武田氏から奪回した長篠城を信玄の息子・武田勝頼が囲んだからでした。長篠城は遠江と三河の国境付近に位置し、交通の要衝地にありました。 天正3年(1575年)4月に三河攻略を開始した勝頼は、5月に長篠城を包囲。長篠城を守っていた徳川...

  7. おんな城主 直虎 第41話「この玄関の片隅で」 ~鷹匠・本多正信~ - 坂の上のサインボード

    おんな城主 直虎 第41話「この玄関の片隅で」 ~鷹匠...

     やはり鷹匠ノブは本多正信でしたね。本多正信といえば、常に徳川家康の側にいて智謀をめぐらす側近中の側近といったイメージがありますが、実は、正信が家康から重用されるようになるのは天正10年(1582年)の本能寺の変以後のことで、天正3年(1575年)頃かと思われるドラマのこの時期は、まだ歴史の表舞台には出てきていません。  家康より5歳上の正信は、はじめは鷹匠として家康に仕えますが、身分は低く...

  8. おんな城主 直虎 第40回「天正の草履番」 ~日の本一の草履番~ - 坂の上のサインボード

    おんな城主 直虎 第40回「天正の草履番」 ~日の本一...

     天正3年(1575年)2月、徳川家康と面会した虎松は、名を家康から与えられた井伊万千代と改め、家康に仕えます。ドラマでは、「井伊」を名乗ることを手放しに喜べないおとわ(井伊直虎・次郎法師)でしたが、武家にとって何よりも屈辱なことは家名を失うことで、家名を失った武家がもっとも望むのは家名再興でした。家康のこのはからいは、井伊一族にとっては何よりのプレゼントだったはずです。  一方、とんだ思惑...

  9. おんな城主 直虎 第39話「虎松の野望」 ~井伊直政出世物語のはじまり~ - 坂の上のサインボード

    おんな城主 直虎 第39話「虎松の野望」 ~井伊直政出...

     天正2年(1574年)12月14日、井伊谷の龍潭寺において井伊直親の十三回忌の法要が行われました。『井伊家伝記』によると、このとき15歳になった虎松(のちの井伊直政)も呼び戻され、祐椿尼、次郎法師(井伊直虎)、南渓瑞聞和尚らが集まって相談し、井伊家再興のため、虎松を徳川家康に出仕させる方針が決まったとあります。ドラマでは、直虎は井伊家を再興するつもりはないと言っていましたが、実際には、直親...

  10. 映画『関ヶ原』鑑賞記 - 坂の上のサインボード

    映画『関ヶ原』鑑賞記

    映画『関ヶ原』を今日、ようやく観てきました。歴史ファンとしては観ておかないといけない作品で、およばずながら、素人なりの寸評を述べさせてください。ここからはネタバレになりますので、これから観る予定でまだ観てない方は、読むか読まないかは自己責任でお願いします。 観る前からある程度予想はしていましたが、やっぱりな・・・というのが率直な感想です。ていうか、想像以上(以下?)だったかも。やっぱ、無理が...

  11. おんな城主 直虎 第38話「井伊を共に去りぬ」 ~武田信玄死去~ - 坂の上のサインボード

    おんな城主 直虎 第38話「井伊を共に去りぬ」 ~武田...

     三方ヶ原の戦いで徳川家康をこてんぱんにやっつけた武田信玄は、まさに破竹の勢いといえる快進撃で西上を進めますが、その途中、信玄は血を吐いて倒れ、そのまま病死したと伝わります。歴史は武田信玄を時代の覇者に選びませんでした。 ドラマでは突然死のように描かれていましたが、通説では、信玄は若い頃からたびたび体調を崩すことがあったといわれ、このときも、三方ヶ原の戦いから約1ヶ月半後の野田城の戦いあたり...

  12. YOUは何しに東金へ? 家康ゆかりの最福寺 - テニスのおじさま日記

    YOUは何しに東金へ? 家康ゆかりの最福寺

    最近仕入れたネタの受売りですが、徳川家康が鷹狩りで東金を訪れたのは1614年1月8日。17日まで東金御殿に滞在して、鷹狩りを楽しんだとのこと。1月14日は雨だったので、八鶴湖畔の最福寺住職・日善上人を東金御殿に呼んで懇談。二人は意気投合したとの幕府側の記録が残っています。その後、家康は同年の9月20日に日善上人を駿府城(静岡)に招き、二人だけで密談したと「駿府記」や「台徳院日記」に記載されて...

  13. おんな城主 直虎 第37話「武田が来たりて火を放つ」 ~三方ヶ原の戦い~ - 坂の上のサインボード

    おんな城主 直虎 第37話「武田が来たりて火を放つ」 ...

    若き日の徳川家康が無謀にも武田信玄に戦いを挑み、大敗北を喫したことで知られる「三方ヶ原の戦い」の回です。 元亀2年(1571年)、室町幕府15代将軍・足利義昭は織田信長討伐令を出し、これに応えるかたちで武田信玄は、徳川の領国である遠江国、三河国に侵攻する西上作戦を行います。信玄の西上を可能にしたのは、相模国の北条氏康が死んだことで再び北条氏と和睦して甲相同盟を結び、後顧の憂いが絶たれたことに...

  14. おんな城主 直虎 第35話「蘇えりし者たち」 ~戦国大名・今川氏の滅亡~ - 坂の上のサインボード

    おんな城主 直虎 第35話「蘇えりし者たち」 ~戦国大...

     徳川家康が堀川城で起きた気賀の農民たちの一揆を大虐殺でもって鎮圧したちょうど同じ頃、駿府を逃れた今川氏真が籠る掛川城を徳川方の本多忠勝らが攻撃していました。しかし、こちらも今川方が執拗な粘りを見せ、戦いは五分五分といったところで双方に多数の犠牲者を出します。また、今川方の大沢基胤も浜名湖の東岸のある堀江城に籠って徳川軍の攻撃に抵抗しつづけ、家康を悩ませていました(ドラマでは、堀川城の大虐殺...

  15. 大高城址 - 緑区周辺そぞろ歩き

    大高城址

    大高駅の南西500mくらいのところにある大高城の跡、こんもりとした丘の上にあります。今は昔の遺構はあまり残っていませんが、有名な「桶狭間の戦い」の重要な戦略拠点で、現在は国の史跡に指定されています。桶狭間の戦いの時には、今川方の家臣だった松平元康(後の徳川家康)がこの城を守っていて、今川義元はこの城を目指して進軍していました。桶狭間の古戦場はこの城から3kmくらいの距離にあり、義元は入城間近...

  16. おんな城主 直虎 第34話「隠し港の龍雲丸」 ~堀川城の戦い~ - 坂の上のサインボード

    おんな城主 直虎 第34話「隠し港の龍雲丸」 ~堀川城...

     前回、あまりにも衝撃的な結末に、歴史の話をまったくしなかった(する気にならなかった)ので、今回は史実解説を中心にいきます。  永禄11年(1568年)12月、井伊谷城を攻略した徳川家康は、駿河国の今川領を侵攻する武田信玄に加勢すべく遠江国の今川領へ侵攻し、年内に引間城を攻略。その後も家康は今川氏真の籠る掛川城を包囲すべく、侵攻を続けます。しかし、今川方も粘りを見せ、久野城の久野宗能と高天神...

  17. 松平郷に行ってきた - 歴史と素適なおつきあい

    松平郷に行ってきた

    歴史と素適なおつきあい番外編   2017・7・31岡崎から近いのになかなか訪問できず早朝だったが行ってきた東照宮徳川家康の先祖がやってきた地である岡崎城で生まれた家康の為にこの井戸の水を運んだという産湯の井戸が神様になっている高月院位牌家康とかお大様(母)とか初代親氏さんもいたのかなオープンで中まで入れていただけるのは感謝感謝だったがそのため蚊が多くて早めに退散してしまった家康お手植えの松

  18. おんな城主 直虎 第33話「嫌われ政次の一生」 ~小野但馬守政次の最期~ - 坂の上のサインボード

    おんな城主 直虎 第33話「嫌われ政次の一生」 ~小野...

     すごいものを見てしまった・・・というのが今の率直な感想です。今話に限っては、ここでわたしごときが何を語っても安っぽくなるだけで、正直、あまり起稿意欲がわきません。まさに、筆舌に尽くしがたいとはこのことですね。長年大河ドラマを観てきましたが、昔は壮絶な最期や惨い処刑シーンは結構あったものの、これほどの衝撃を受けたのははじめてかもしれません。  『井伊家伝記』にみる小野但馬守政次は、謀略によっ...

  19. おんな城主 直虎 第32話「復活の火」 ~井伊谷三人衆と小野但馬守政次~ - 坂の上のサインボード

    おんな城主 直虎 第32話「復活の火」 ~井伊谷三人衆...

     永禄11年(1568年)12月6日、甲斐国の武田信玄は甲府を出発して駿河への侵攻を開始します。対する今川氏真は、12月12日、武田軍を迎撃するため重臣の庵原忠胤に1万5千の軍勢を与えて、薩埵峠へ向かわせました。しかし、ここで今川は有力な国衆21人の裏切りにあい、12月13日、今川軍は潰走し、駿府は武田軍に占領されます。今川氏滅亡劇が始まりました。  一方、三河国の徳川家康も、信玄に呼応する...

  20. 久能山東照宮 - 春夏秋冬

    久能山東照宮

    晩年を駿府で過ごした徳川家康が死去した時、遺命によりこの地に埋葬され(後に改葬され日光の日光東照宮に移された)ました。 久能山東照宮は家康の遺言により2代将軍秀忠公が建立し、家康公を祀りました。権現造りの社殿は、楼門や神楽殿などとともに国の重要文化財に指定されていて、本殿の裏手には家康の墓所があります。 案内板にあった久能山東照宮の全体図です。社務所付近から楼門(重要文化財)方向で...

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