徳川慶喜のタグまとめ

徳川慶喜」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには徳川慶喜に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「徳川慶喜」タグの記事(15)

  1. 3-1■薩土協定 - 星亨伝

    3-1■薩土協定

    徳川慶喜が政権を返上したため、星亨が英語を教えていた海軍所は閉鎖され、失業状態になった。明治天皇(慶応三年正月即位)は列藩会議を開いて事後を諮問すべく、各藩主に召集状を発せられた。彼らは、形勢を観望し、天皇から召集される筋合はないという考えで、なかなか召集に応じなかった。数回催促の後、やっと京都付近の弱小藩主一〇数人が入京した外、大藩としては、薩、備、越の数藩主が入京したにとどまり、荘内、姫...

  2. 西郷どん第37話「江戸無血開城」その2~彰義隊と上野戦争~ - 坂の上のサインボード

    西郷どん第37話「江戸無血開城」その2~彰義隊と上野戦争~

    昨日の続きです。勝海舟との会談で慶応4年3月15日(1868年4月8日)に予定していた江戸総攻撃はひとまず中止した西郷吉之助(隆盛)でしたが、徳川慶喜の処遇に関しては、西郷ひとりの判断では決めかねるとして、いったん保留にして朝議にかけるべく京都に持ち帰ります。そして3月20日、二条城において緊急会議が開かれました。メンバーは、三条実美、岩倉具視、大久保利通、木戸孝允、広沢真臣、後藤象二郎、そ...

  3. 西郷どん第35話「慶喜の首」その1~鳥羽・伏見の戦い~ - 坂の上のサインボード

    西郷どん第35話「慶喜の首」その1~鳥羽・伏見の戦い~

    慶応4年1月2日(1868年1月26日)、薩摩藩との戦いを決意した徳川慶喜は、朝廷の判断を仰ぐために1万5千の大軍を大坂から京へ進めます。これに対して薩摩藩を中心とした新政府軍は、鳥羽の鴨川に架かる小枝橋から東にある城南宮に向けて東西に長い陣を布いて北上軍への備えとし、また、伏見の御香宮にも砲兵部隊を配置します。3日午前、旧幕府軍と新政府軍が小枝橋で接触します。旧幕府軍を率いていたのは大目付...

  4. 西郷どん第35話「戦の鬼」その2~江戸薩摩藩邸焼き討ち事件~ - 坂の上のサインボード

    西郷どん第35話「戦の鬼」その2~江戸薩摩藩邸焼き討ち事件~

    昨日の続きです。王政復古のクーデターの報告を受けた徳川慶喜は善後策に苦慮します。辞官はともかく、納地の命令は、徳川家15代当主として簡単に受け入れられるものではありません。それならば薩摩と一戦交えるか・・・・。幕兵、会津兵、桑名兵を合算すれば、薩長の在京兵力を打ち破れないことはない。しかし、いったん朝敵となってしまえば、尾張、越前、土佐が推し進める調停が水の泡になる。さりとて、激高した部下た...

  5. 西郷どん第34話「将軍慶喜」~慶喜の将軍就任と大政奉還~ - 坂の上のサインボード

    西郷どん第34話「将軍慶喜」~慶喜の将軍就任と大政奉還~

    第二次長州征伐、第14代将軍・徳川家茂の急死、孝明天皇の崩御、一橋慶喜の将軍就任から、一気に翌年秋の大政奉還まで話が進みました。約1年間が一瞬で過ぎてしまいましたね。薩摩視点の物語ですから、その全てを描く必要はなかったかもしれませんが、この1年間というのは幕府にとっても雄藩にといっても激動の1年間で、普通なら3~4話ほどかけて描くべきところです。慶喜にしても、これまでヒー様として本来は面識な...

  6. 西郷どん第32話「薩長同盟」その1~非義の勅命は勅命にあらず~ - 坂の上のサインボード

    西郷どん第32話「薩長同盟」その1~非義の勅命は勅命に...

    「非義の勅命は勅命にあらず」 2度目の長州征伐の勅命が下った際の大久保利通の有名な言葉ですが、ドラマでは省かれていましたが、この言葉に至るまでに、大久保は長州再征の中止を訴える朝廷工作に奔走していました。 慶応元年(1865年)9月、上京していた大久保は、長州再征の決議は諸侯の衆議で決めるべきだと、内大臣・近衛忠房や山階宮晃親王に説いてまわりますが、しかし、20日から21日明け方にかけての朝...

  7. 西郷どん第27話「禁門の変」~蛤御門の変~ - 坂の上のサインボード

    西郷どん第27話「禁門の変」~蛤御門の変~

    今話はあまりにも史実とかけ離れた内容でしたね。まずは史実の解説から。 「八月十八日の政変」によって、長州藩を中心とする尊王攘夷派は都を追放されていましたが、京・大坂に潜伏していた残党と提携しながら、しきりに失地回復をはかり、ふたたび都への進出と勢力の奪還を目指していました。といっても、長州藩内が必ずしも挙党一致だったわけではなく、京都に乗り込もうとの進発論の急先鋒は、来島又兵衛、真木和泉らで...

  8. 幕末京都逍遥その89「若州小浜藩邸跡」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その89「若州小浜藩邸跡」

    二条城南門から100mほど南下したあたりに、「若州小浜藩邸跡」と刻まれた石碑があります。このあたりには、かつて若狭小浜藩の京屋敷がありました。 小浜藩主の酒井家は、江戸時代、京都所司代を3代が務めた譜代大名家でした。特に、幕末の最後の14代当主・酒井忠義は、天保14年(1843年)から嘉永3年(1850年)の8年間と、安政5年(1858年)から文久2年(1862年)の4年間の計12年間の長き...

  9. 幕末京都逍遥その86「二条城二の丸御殿」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その86「二条城二の丸御殿」

    二条城にやってきました。現在に伝わる二条城は、関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康が、上洛時の宿所として慶長7年(1602年)から翌年にかけて造営されたものですが、幕末、ここ二条城の二の丸御殿において、大政奉還の宣言が行われました。 ここを訪れたのは昨年の9月で、ちょうど「大政奉還150年周年記念プロジェクト」が行われており、東大手門前には金屏風風の看板が設置されていました。 そして、こちらが大政...

  10. 幕末京都逍遥その81「京都守護職屋敷門」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その81「京都守護職屋敷門」

    平安神宮の西側にある観光バスの駐車場に、古い門だけがポツリとあります。この門は、幕末の京都を警備した京都守護職屋敷門が移築されたものだそうです。 京都守護職の屋敷は、現在の京都府庁と京都府警察本部のあたりにありました。明治に入って、その跡地には京都府庁の庁舎が建てられ、明治32年(1899年)にこの地に建てられた大日本武徳会の本部道場「武徳殿」の正門として、この門が移築使用されたそうです。現...

  11. 幕末京都逍遥その1「東山霊山護国神社~維新の道」 - 坂の上のサインボード

    幕末京都逍遥その1「東山霊山護国神社~維新の道」

    平成30年(2018年)の今年は、明治維新150年にあたります。そこで、今回、維新胎動の舞台のとなった京都のまちを、幕末維新のみに限定してゆかりの地をめぐってみました。幕末といえば、志士。そこで、まずはじめに幕末の動乱を生きた志士たちの墓参りをすべく、東山霊山護国神社を訪れました。 東山霊山護国神社は、幕末、各藩がここ東山霊山にそれぞれ殉難者を祀ったのがはじまりで、その後、慶応4年(1967...

  12. “せごどん”は何故手のひらを返したのか - SAMとバイクとpastime

    “せごどん”は何故手のひらを返したのか

    今回の静岡訪問は100名城だけじゃなく大政奉還150周年(正確には151周年)も訪れてみた。 1868年、山岡・西郷会見の地。(竜馬が暗殺された4ケ月後) 鳥羽・伏見の戦いで勝利した新政府軍の参謀西郷隆盛(今風に言うと“せごどん”)と徳川家の陸軍総裁勝海舟が遣わせた山岡鉄舟が江戸城無血開城に向け会見を持った地。十五代将軍徳川慶喜の切腹を迫った西郷はこの会見と江戸で持たれた会談で態度を軟化さ...

  13. 大政奉還150年記念に訪れた二条城。その4~本丸・天守台~ - 坂の上のサインボード

    大政奉還150年記念に訪れた二条城。その4~本丸・天守台~

    二条城本丸へは、二ノ丸御殿との間の内堀に架かる東橋を渡り、本丸櫓門(本丸東櫓門)から入ります。 本丸櫓門は入母屋造、本瓦葺きの櫓門で、寛永3年(1626年)に徳川家光が造営した本丸内の建物のうち、天明8年(1788年)に起きた天明の大火で唯一焼け残った遺構だそうで、国の重要文化財に指定されています。 寛永3年(1626年)9月の後水尾天皇(第108代天皇)行幸の際、そのときの木橋は2階橋だっ...

  14. 大政奉還150年記念に訪れた二条城。その2~二ノ丸御殿・二ノ丸庭園~ - 坂の上のサインボード

    大政奉還150年記念に訪れた二条城。その2~二ノ丸御殿...

    二条城東大手門から城内に入り、南側から二ノ丸御殿に向かいます。写真は城内に設置された案内図です。 南へ進むと、国の重要文化財に指定されている東南隅櫓が目に入ります。「その1」では、外から見た東南隅櫓を紹介しています。 そして、こちらが二ノ丸御殿入口にある唐門です。 この唐門は、寛永3年(1626年)9月の後水尾天皇(第108代天皇)の行幸にあわせて造られたと伝わります。二ノ丸御殿の正門にあた...

  15. 静岡・徳川慶喜屋敷跡。 - 馬耳Tong Poo

    静岡・徳川慶喜屋敷跡。

    前回の続きで。静岡駅前の北口、葵タワーのすぐそばにある「徳川慶喜屋敷跡」。現在は「浮月楼」という料亭になっている。中には入れなかったが庭園には入れた。

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