愛宕灯籠のタグまとめ

愛宕灯籠」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには愛宕灯籠に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「愛宕灯籠」タグの記事(38)

  1. 一乗寺の愛宕灯籠、追加 - 手抜かりでした

    一乗寺の愛宕灯籠、追加

    灯台下暗し。一乗寺で見つかりました。しかも、一番最初の頃に見つけた003_から5歩くらいの場所です。移設でしょうけど、そんなに近いのって、まぁないです。しかも、薬師堂という施設の敷地内。北白川の薬師堂にはなかったので油断しておりました。お恥ずかしい。しかしそれにしても、この発見によって100_、321_、003_、が一直線につながりました。その延長上にある101_は、やっぱり愛宕灯籠の名残・...

  2. 桂周辺の愛宕灯籠、追加 - 手抜かりでした

    桂周辺の愛宕灯籠、追加

    桂にまだありました。見落としというか、そんなところにあるのか、という感じ。人んちの軒先です。こういうのって、個人の所有物になるのでしょうか。だとしたら撮影にも掲載にも許可がいるんでしょうけど、誰から買ったんだろう。おおもとの土地の所有者ですかね。そのあたりちゃんと調べないと後々まずい事になるのだろうか。。309_西京区川島滑樋町目次へ

  3. 宇治田原町の愛宕灯籠 - 手抜かりでした

    宇治田原町の愛宕灯籠

    「広報うじたわら」に掲載の2基を見に行ってきました。行って初めて知ったんですが、宇治田原町の宇治茶押しはすごいですね。というか、お茶以外のことが書かれた看板がなかった。モダンなお茶屋さんで抹茶ソフトを食べたとき、小さな湯飲みに緑茶をサーブしてくれました。その色のきれいなこと、そして味のおいしいこと。妻のノンカフェイン趣味により、日ごろ茶色いお茶一本やりの娘が、おいしそうにすすっておりました。...

  4. 大津市堅田の愛宕灯籠 - 手抜かりでした

    大津市堅田の愛宕灯籠

    滋賀県大津市の堅田というところです。カタタと読みます。琵琶湖沿岸の町で、こちら側から向こう岸までの距離が琵琶湖の中で一番せまい場所だそう。なるほど、今は琵琶湖大橋がかかっていますね。通行料は150円です。そういうわけで、かなりの大昔から水運や漁業の要衝地となっていたようで、ウィキペディアで見るだけでも11世紀後半には何とかという記載があります。11世紀というと1000年代ですから、イイクニ作...

  5. 岩倉の愛宕灯籠、大量追加 - 手抜かりでした

    岩倉の愛宕灯籠、大量追加

    岩倉には東側にしか愛宕灯籠がない、と言っておりましたが大いなる誤りでした。西側にもありました。そして、西側とはつまり岩倉実相院の周りを念頭に置いていましたが、岩倉実相院よりも南側にたくさんありました。小一時間歩いて約10基。釣果でいえば入れ食いです。総数でいうと、あの広大な大原、左京区のラスボスをさえ上回っています。これは奇怪。それで初めて岩倉について少し調べました。ネットサーフィンだけど。...

  6. 大津市葛川の愛宕灯籠 - 手抜かりでした

    大津市葛川の愛宕灯籠

    葛川と書いて「かつらがわ」と読みます。川のことかと思ったら地名で、比良山系の裏側(琵琶湖と反対側)にある山間地です。谷に安曇川(あどがわ)が流れ、山と谷との間のわずかな平地に小さな集落があるという、大げさに言えば深山幽谷の世界。京都市の北東の果てであり、日本海へと抜ける細道いわゆる鯖街道上の朽木の手前。失礼ながら、産業といえば林業くらいしかおよそ思いつきません。※網かけ部分は既出です(湖西)...

  7. 長岡京市の愛宕灯籠 - 手抜かりでした

    長岡京市の愛宕灯籠

    いよいよ長岡京市へやってまいりました。この地に長岡京という都が置かれたのは784年で、はるばる奈良から持ってきたのは桓武天皇という剛腕天皇でした。即位からわずか3年後のことです。しかし、たった10年後の794年に都は再び移されて有名な平安京が開かれました。この遷都をしたのもまた桓武天皇で、長岡京では色々うまくいかなくなってのことでした。ここまで、物集女の時にあれこれ知りました。で、ここから。...

  8. 高槻市・島本町の愛宕灯籠 - 手抜かりでした

    高槻市・島本町の愛宕灯籠

    京都を脱して大阪へやってきました。高槻市です。大阪にまであるのか!という驚きが走る一方で、すぐ隣は京都だし、山の向こうは亀岡ですので、言われてみればさもありなん、なのかもしれません。面白いのは島本町で、島本町自体のことはよくわからないのですが、その愛宕灯籠の位置です。淀川の堤防のすぐ下にあります。高槻や島本や山崎で「歴史」というキーワードを使えば、間髪入れずに「西国街道(山崎街道)」が返って...

  9. 向日市の愛宕灯籠 - 手抜かりでした

    向日市の愛宕灯籠

    向日市です。「むこうし」と読みます。激辛商店街として関西ではちらほらローカル番組に登場します。が、敬意や親しみを込めて激辛の向日に言及し、あるいは訪ねたりする関西人を、ぼくは知りません。残念です。かつては長岡京という都が置かれた場所でした。なのに「長岡京」という言葉は隣の長岡京市に取られてしまったし(なんで?)、そもそも都自体が10年しか置かれてなかったしで、イマイチ盛り上げきれない感が強い...

  10. 大原野・沓掛の愛宕灯籠 - 手抜かりでした

    大原野・沓掛の愛宕灯籠

    灯籠を追いかけ回しているうちに、あっさりと秋になってしまいました。先日は十五夜の月がまぶしく、取り囲む雲には鈍い虹色が反映されていました。幽玄丸出しです。冷えた夜気を感じながら熱燗を飲んでいると、炎天下の嵯峨・太秦がますます懐かしく、愛おしく思えてきます。秋の郷愁ですね。さて、大原野です。長岡京市と京都市西京区洛西タウンの間に広がる、まさに大きな原野ともいうべき一帯。長い間、長岡京市に出入り...

  11. 山科の更新 - 手抜かりでした

    山科の更新

    山科で新たに一つ見つかりました。勧修寺という大きなお寺の入り口に何気なく立っていて、どうして見過ごしたかな、というのが正直なところです。254_山科区勧修寺仁王堂町火袋(火をつける四角い部分)も笠石(火袋の上に載っているふた的な部分)も宝珠(笠石の上に載ってるつまみみたいな部分)もなく、もはや灯籠の体をなしてません。さすがにこれは「各地に残る愛宕常夜灯」に載っていなくても仕方がない気がします...

  12. 物集女周辺の愛宕灯籠 - 手抜かりでした

    物集女周辺の愛宕灯籠

    桂駅から西に漸進すると南北に通っている道があります。それが物集女(もずめ)街道で、東西に走る山陰街道と西国街道を、京都盆地全体のほぼ西端でバイパスする役割を果たしています。物集女周辺というのは、より正しくは物集女街道沿いの、ということになるでしょう。物集女という名前ですから、有名な大原女と同じように、そういう女の人たちがいて、それが地名に変わっていったのかと何となく思っていたのですが、どうも...

  13. 久世周辺の愛宕灯籠 - 手抜かりでした

    久世周辺の愛宕灯籠

    桂駅から少し南下し、桂川に沿って東に寄ったエリアです。桂川の向こうは吉祥院です。国道171号線と東海道新幹線が並行して南北を貫いており、感覚的には、生活の息吹なんてあり得ない場所だと思っていました。が、ここでもだいぶ驚きました。いざ行ってみると、生活感がありありとしています。すごい。有名な西国街道が通っている場所ですから、交通の要衝だったのですね。橋のたもとには今も(元は)川魚料理屋(だった...

  14. 桂周辺の愛宕灯籠 - 手抜かりでした

    桂周辺の愛宕灯籠

    さぁ、いよいよ桂川を渡ります。橋を渡るといえば、(少なくとも初期の)ドラゴンクエストでは橋を渡ると途端に敵が強くなりました。北斗の拳では、橋ではないけど小舟で渡った修羅の国で、それまで相当強かった人がいきなり脚を一本もがれて登場し、次いで、煙の先からその片脚を手に仮面の男が現れました。どういうわけか、それらの印象がやたらと強く残っていて、大きな水を渡るのは今もいたずらに緊張を強いられます。こ...

  15. 左京区の愛宕灯籠 まとめ - 手抜かりでした

    左京区の愛宕灯籠 まとめ

    左京区全図とともに。右京区の山の上の愛宕神社の灯籠が左京区にもある。何と不思議なことだ。そう思って捜索を始めましたが、いやはや、全部で80基もありました。一部「愛宕」の確証のないものもありますが規模感としては力強いですし、網羅性という点では完ぺきに近いと思われます。都市部を除けば集落は基本的に山沿いにあって、本当に山間部的な場所を除けば、愛宕灯籠のない山あいの集落はおよそ見当たらないわけです...

  16. 大津市南船路の愛宕灯籠と湖西のまとめ - 手抜かりでした

    大津市南船路の愛宕灯籠と湖西のまとめ

    南船路という場所があること自体が不思議じゃないでしょうか。北側に隣接するのは北船路で、南北に「船の道」がある、と。大きな湖があるし、実際、漁港もあるので船がたくさんあるのはわかるとしても、それにしたって「船路」なんて名前にするほどでしょううか。同じことばっかり言ってますが、不思議です。見取り図は、湖西一帯のものにしました。上から、荒川3、木戸6、南船路1、和邇5+1です。こうしてみると、なる...

  17. 大津市荒川の愛宕灯籠 - 手抜かりでした

    大津市荒川の愛宕灯籠

    滋賀県大津市の木戸から、西近江路に沿ってさらに北上するとあるのが荒川というところです。ただし、木戸市民センターや木戸小学校が、この荒川の領内と思しき一帯にあります。ということは、荒川自体が木戸の一部なのでしょうか。ものすごくよくわかりません。ネット検索だけしている分には全然情報も拾えないし、とりあえず謎を謎として受け入れておこうと思います。ちなみに、愛宕灯籠のあり方は木戸のそれとは異なってい...

  18. 大津市木戸の愛宕灯籠 - 手抜かりでした

    大津市木戸の愛宕灯籠

    またまた滋賀県湖西地方です。大津市木戸。和邇よりも少し北にあって、西近江路という旧街道でここもつながっています。相撲の行司の始祖だという志賀清林の出身地でもあり、清林パークという、密かに趣向の凝らされた大きな公園もあります。お話し好きなおじさんに色々教えてもらったところ、昔は辺り一帯全部が茅葺屋根の家だったそうで、毎日、隣近所の葺き替え作業の手伝いだったそう。そして町内に一つ愛宕さんがある、...

  19. 桂川沿い(東岸)の愛宕灯籠 - 手抜かりでした

    桂川沿い(東岸)の愛宕灯籠

    四条通と五条通(国道9号)に挟まれた、嵯峨・太秦と西京極の中間地帯です。カテゴライズしようがないというのが正直なところ。いずれも桂川沿いであることを考えると、川が線(例:街道)になって、嵯峨野の密集ディープな愛宕熱が伝わってきたという事かもしれません。どちらも神社の中にありますが、元からそこにあったという風には見えず、そういう意味でも実態のつかみがたい一帯です。145_右京区梅津東溝口町14...

  20. 嵯峨・太秦の愛宕灯籠 - 手抜かりでした

    嵯峨・太秦の愛宕灯籠

    嵯峨もまた、吉祥院のように広いです。というか、どこからどこまでが嵯峨とか嵯峨野と呼ばれる場所なのか、ここもよくわかりません。市内の西側は、東側に比べてエリアあたりの基本的な面積が大きいのかもしれません。何かと歴史的な影響があるのでしょう。ウィキペディアによると、吉祥院は菅原道真の曽祖父・土師古人が、平安遷都に際して天皇からもらった土地だそう。嵯峨はそれよりも古くて、太秦を根拠としていた秦氏に...

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