戊辰戦争のタグまとめ

戊辰戦争」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには戊辰戦争に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「戊辰戦争」タグの記事(30)

  1. 2020年戊辰殉難者秋季祭典 - 漆器もある生活

    2020年戊辰殉難者秋季祭典

    コロナウィルスのため、春に続き、本年の戊辰殉難者秋季祭典は会津弔霊義会の役員のみで開催しました。午前9時より、長命寺本堂で厳粛に執り行いました。コロナウィルス感染防止のため、ソーシャル・ディスタンスを保っての着座です。

  2. 爪痕 - summicron

    爪痕

    ここは戊辰戦争のとき(上野戦争)の戦場だった彰義隊260名が戦死谷中の墓地の近くのお寺さんには門の扉に今でも鉄砲の玉の跡がの残ってる穴は元々小さかった、近所の子供達が指を入れて遊んでいたらしく今の穴になったらしい

  3. 容保公の歌碑には、御成の日が刻んであった! - 攬勝亭(らんしょうてい)物語

    容保公の歌碑には、御成の日が刻んであった!

    安政六御成己未年十月十九日.以前ご紹介した2009年刊行の「福島の歌碑」。筆者の今野さんの証言によれば、当時の手帳に上記のように書いてあり、碑に刻まれていたと記憶している、とのことでした。容保公の歌碑は、倒れて埋もれかけた状態で見つかりました。その時右肩部分は苔が生えていました。その後、もりの案内人さんが手入れされたときでしょうか起こしてくださったお蔭で苔が乾いてきました。今回、そっと苔を払...

  4. 奥羽越列藩同盟と攬勝亭その3  磐渓と艮斎 - 攬勝亭(らんしょうてい)物語

    奥羽越列藩同盟と攬勝亭その3 磐渓と艮斎

    この詩が作られたのはいつ頃か?それが判る文献を、これも又S先生が見つけられたと、昨日お知らせ頂きました。弘化三年(1846年)に刊行された「磐渓詩鈔巻三」に載っていたのです!「会津丹羽大夫攬勝亭十景應索賦寄」つまり、会津の丹羽家老の攬勝亭十景を求めに応じて詩にした、ということですね。五首が収録されています。つまり、磐渓の十景詩は、戊辰戦争前後ではなく、未だ平和だった時期に詠まれた物でした。で...

  5. 武士に忠義を求めるな⑥~楢山佐渡武士道を世界にきっかけになった侍②~ - Shinanonobushi's Blog

    武士に忠義を求めるな⑥~楢山佐渡武士道を世界にきっかけ...

    前回の続きに候。楢山佐渡は、新政府の動向や実態を探るため京都に入ったところまでお話し申した。で、京都に入った佐渡が見たものは、薩長などのいわゆる新政府軍側の兵士が京都で横暴を働いている有様にござった。一部を除けば地方の下士や郷士といった者たちが時流にのって勝った側に立ったわけにて候。ゆえに、驕りもあったのでござろう。酒に女に金に汚くない連中が跋扈している状態でござった。……これが天朝様の軍の...

  6. 奥羽列藩同盟と攬勝亭その1 - 攬勝亭(らんしょうてい)物語

    奥羽列藩同盟と攬勝亭その1

    25日から「攬勝亭十景炙背秋月」が見られますよ~ということで、再び渡辺東郊のあの画に話題は戻ります。おさらいになりますが、攬勝亭十景に因んだ詩歌は何種類かあって、主な物は鈴木茂雄著「会津の名園攬勝亭」(公民館本)に収録されています。あの画に添えられた漢詩と和歌。和歌の方は、会津史談会誌20号(S15)と全く同じです。作者は野矢常方とされています。ところが、漢詩の方は、旧若松市史収録の物とも、...

  7. 容保公の歌碑は存在した! - 攬勝亭(らんしょうてい)物語

    容保公の歌碑は存在した!

    一時は無くなってしまったか?と危惧されていた容保公の歌碑ですが、市の資料にも出ていました。よかった、よかった。多分大震災の時でしょうか、倒れてしまっていたそうです。ちゃんと調べている方はいらっしゃるもので、2009年刊行の「福島の歌碑」に写真入りで出ています。今回著者に御連絡が採れて取れて、快く元写真をお貸し戴きました。薄れてはいますが、写真からでも、始めに「源容保」のお名前、詩の書き出しの...

  8. 2020年戊辰殉難者春季慰霊祭 - 漆器もある生活

    2020年戊辰殉難者春季慰霊祭

    4月23日、2020年戊辰殉難者春季祭典が執り行われました。激戦地だった長命寺の桜が一段ときれいです。今年は、新型コロナウィルスの感染防止のため、16名の役員のみで執り行いました。

  9. 攬勝亭は会津藩と密接な関係のある庭福島民報 - 攬勝亭(らんしょうてい)物語

    攬勝亭は会津藩と密接な関係のある庭福島民報

    今朝(4月21日)の福島民報の記事です。攬勝亭が会津藩と密接な関係のある庭であったことを、渡辺東郊が戊辰後に描いた画と、江戸後期の儒学者安積艮斎(ごんさい)が記した「攬勝亭記」から裏付ける記事が載りました。安積国造神社の宮司様からは、攬勝亭を守る会に「艮斎文略続巻一」所収の「攬勝亭記」部分の画像をご提供いただいております。漢文なので😅読み方も詳しく教えていただきました...

  10. 2019年戊辰殉難者秋季慰霊祭 - 漆器もある生活

    2019年戊辰殉難者秋季慰霊祭

    9月23日10時から、長命寺の戦死墓前にて、2019年戊辰殉難者秋季慰霊祭が執り行われました。今回は、初めて副住職が読経です。衣の色も変わりました。同じく11時からは、阿弥陀寺本堂で慰霊祭が執り行われました。台風の影響か、かなり蒸し暑い日でした。

  11. 戊辰戦争と与板藩 4 - 東京徒士組の会

    戊辰戦争と与板藩 4

    戊辰戦争と与板藩祝扶持真盛死傷者多数も城を死守しかし、水害が治まると賊軍は動き出した。五月二六日には、賊軍が与板を攻撃するという情報が入り、金ヶ崎、塩入、富岡、浜道の四ヵ所に兵を配置し、さらに官軍に救援の要請を行った。金ヶ崎守備隊長小野八郎左衛門は攻撃してくる賊軍に発砲したが勢いに乗る賊軍は強力で与板軍、官軍は劣勢に立ち各所で退却した。同月二八日、ついには城下町への侵入を許し、賊軍の弾丸が降...

  12. 戊辰戦争と与板藩 3 - 東京徒士組の会

    戊辰戦争と与板藩 3

    一方、藩主が不在の与板では戦乱が待ち構えていた。与板城を守備していたのは家老の松下源左衛門定永以下の藩士と民間人の有志で、江戸表から帰着した藩士をも含めて一五〇名に満たなかった。現場の指揮官に松宮雄次郎を当て、城下の三輪権平、山田四郎左衛門、大橋小左衛門、新木與五右衛門の屋敷に一〇〇名余を割り当て、残りを幹線道路、渡船場など九ヵ所に警備所を設けて兵を配置していたところ、まず四月一一日から一二...

  13. 戊辰戦争と与板藩 2 - 東京徒士組の会

    戊辰戦争と与板藩 2

    戊辰戦争と与板藩祝扶持真盛与板城下に響く砲声 井伊家の暴発、しいては徳川家の権威失墜を恐れた幕府は暗殺を公表せずに、病気ということにして三月三〇日に病死した旨を発表し、遺体は四月一〇日に豪徳寺に埋葬された。しかし、文久二年(一八六二)七月、将軍後見職となった一橋慶喜は直弼の死去に虚偽があったと言いがかりを付け、一一月に彦根藩を継いだ直憲を謹慎処分、領地一〇万石を減封し、さらに京都守護職をも罷...

  14. 桑名観光「七里の渡し」、締めはやっぱりスイーツだな - SAMとデルソルの「お日様がまぶしい」

    桑名観光「七里の渡し」、締めはやっぱりスイーツだな

    この日は桑名市博物館で「戊辰戦争と桑名藩」展が開催中、これは見ないとだめでしょと訪問した。桑名藩の立場から戊辰戦争を詳しく紹介していてとても興味深いものだった。(今風に言うとスピンオフかな?) 桑名と言えば「焼きハマグリ」と言うことで、マンホールは蛤。そして次なる観光史跡はここ「七里の渡し」京都三条大橋から江戸日本橋に続くで唯一海路があった、それが桑名宿から宮宿(愛知県熱田区)の間。この間が...

  15. 会津藩家老萱野権兵衛150回忌 - 漆器もある生活

    会津藩家老萱野権兵衛150回忌

    5月19日、戊辰戦争の会津藩の責任を一身に負って刑死した萱野権兵衛の150回忌が、芝白金の興禅寺で執り行われました。昨年は戊辰150年でしたが、戊辰から明治に変わった年は戊辰の役が終了したのではなく、会津にとっては新たな苦難の始まりだったとも言えます。

  16. 新潟大神宮「殉節之碑」再発見の物語ロビー展 - 漆器もある生活

    新潟大神宮「殉節之碑」再発見の物語ロビー展

    「写真でたどる知られざる戊辰史新潟大神宮「殉節之碑」再発見の物語」展が始まりました。第四銀行会津支店ロビーにて、11月末までの開催です。「戊辰役東軍慰霊碑」建立と、旧新潟大学本部跡地で発掘された92柱を埋葬した慰霊碑、会津藩士慰霊碑殉節之碑の2つの再発見と、3つの話が錯綜して、なかなか難しい説明となってしまいました。そして発見以降、殉節之碑慰霊祭を毎年執り行っていただいている新潟県の方々の話...

  17. 会津藩公行列へ行く!⑧ 150周年(2018.9.23) - 風の中で~

    会津藩公行列へ行く!⑧ 150周年(2018.9.23)

    さてさて、お彼岸の時に行われた、会津藩公行列。思うところがあって、今年は綾瀬はるかが来なくても行こうと決めていました。思うところとは、去年の末に、絵の先生がカレンダー作成の依頼があり、南会津の地を訪ねたそうです。カレンダー依頼は、150周年と言う事で…巷では、150年と言うと”維新”と言う事ですが、会津では”戊辰”と言う事になります。戊辰戦争の跡地を訪ねスケッチして、古老の話しを聞いてきたそ...

  18. 戊辰150年平成30年度戊辰殉難者秋季祭典 - 漆器もある生活

    戊辰150年平成30年度戊辰殉難者秋季祭典

    9月23日10時より、長命寺で戊辰殉難者秋季祭典が執り行われました。本年は戊辰150年、節目の年でもあります。戦死墓とのみ記された墓石を前に、本年も戊辰戦争で無念の戦死をした会津藩士を弔います。戦死者の霊を弔うかのように、彼岸花がきれいに咲いていました。

  19. 毘沙門通りの町屋の解体 - 浦佐地域づくり協議会のブログ

    毘沙門通りの町屋の解体

    浦佐地域づくり協議会の事務室には、毎日多くに人が訪れます。今日も何組かの方が事務室で打ち合わせや、情報提供をされていきます。本当はもっとゆっくり"茶飲み話"を楽しめると・・・良いのですが。今夜の"月齢は2.7"満月は先月末でしたが、今月が"中秋の名月"となるのでしょうか?陽も随分と短くなって、ゆっくりお月さまを眺める時間欲しいと思う...

  20. 殉節之碑を発見! - 漆器もある生活

    殉節之碑を発見!

    昭和63年に新潟県護国神社に戊辰役東軍慰霊碑を建立にするにあたり、石材店主に相談したところ、「子供の頃、祖父から新潟大神宮の境内に会津の碑を建てた、と聞いた覚えがある」と、意外な話になりました。新潟大神宮の宮司も知らないと言います。境内を調べたところ、それらしき碑を発見するも、一面苔むして字は砂に埋まってしまっていて全く読めません。石材店に頼み、碑をきれいに洗ってもらいます。

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