戦後のタグまとめ

戦後」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには戦後に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「戦後」タグの記事(12)

  1. 榊原君どうしてる - 難病日記

    榊原君どうしてる

    小学六年のクラスメイトに榊原君という男子がいた。瘦せて背が高く、喧嘩っ早いが女子にはやさしい?一家あげて北朝鮮に行ってしまった。巷では<この世の天国、理想郷>と流布されていたころだ。暫くして担任の先生宛に手紙が来た。(何でもいいから日本の物を送ってほしい)クラスで話し合った。ノー天気な私達。(絵を描いたら?励ましの寄せ書きは?挙句は校庭の土を送っては)なんて・・・今は判る!無知は罪ってこと。...

  2. ㊹本川町2番 - 被爆「後」建物記録委員会

    ㊹本川町2番

    相生通りの広電本川町駅南に、大畠管継手製作所がある。建物の醸し出す雰囲気や窓枠や細かな仕上げでほぼ間違いないと、読者の情報提供もあり長らく目を付けていた?管継手製作所の建物だったが、先日その製作所の社長さんに詳細をようやくお伺いすることができた。先代がこの建物に移ってきたのは昭和34~5年の頃。だけど、その時この建物はすでに10年は新築時より経過しとったという。すなわち昭和25年前後竣工の建...

  3. 43土橋町 - 被爆「後」建物記録委員会

    43土橋町

    土橋町8番に小さな社がある。西本川濱美須神社だ。場所柄戦後の再建建物ということは違いないと思えたのだが、確証がない。が、空鞘稲生神社の摂社ということが判明したので、そこの宮司さんに再建時期を幸いお聞きすることができた。もともと文政年間創建時より、神仏習合時代だったことから西地方町の寺が祭祀を担当していたが、維新後は当社となったという。原爆により消失したが、昭和26年11月10日に地域の皆さん...

  4. ㊷東観音町 - 被爆「後」建物記録委員会

    ㊷東観音町

    東観音町一丁目の被爆後建物。現役の2階建てアパートのようだが、荒れた部屋もある。この建物の近所には小鳥の名前を冠した有名ラーメン店がある平和大通りから少し南に下ったエリアだ。そこで堂々と威風を靡かせている。建物の後ろは平和大通り、高層ビルと色づいたイチョウが見えた。住んでいる人のいる部屋と空いている部屋のギャップはいささか激しい。

  5. 敗戦時に起きたこと連合の原理と社会的証明の誤動作 - 荒御魂・和御魂

    敗戦時に起きたこと連合の原理と社会的証明の誤動作

    チャルディーニ著「影響力の武器」の「連合の原理」では地元の野球チームが勝利したときは「我々(We)が勝った」というが負けたときは「彼ら(they)は負けた」ということが多いらしい。成功等の好意的な状況は自分に結び付けようとする意識が働き、悪い状況は遠ざけようとする傾向があるということがいえる。敗戦直後の日本でもこのようなことが起きたのではないか。日本は負けたが、これを「我が国は負けた」とは言...

  6. ㊶舟入川口町 - 被爆「後」建物記録委員会

    ㊶舟入川口町

    この被爆後建物は舟入川口町(川公町)13番にある。同じタイプの木造建物が4軒セットで建っており、おそらく広島市によって当時積極的に建てられた、戦後の『市営住宅』と思われる。昭和30年代には例の『京橋アパート』タイプがひろまり、今では貴重な『戦後遺産』だ。4軒の間には、はば1メートル弱の路地がある。草花の手入れが行き届いている路地が多い。ここもそうだ。奥の住宅も生きている。ここも、マンションの...

  7. ㊱東観音町 - 被爆「後」建物記録委員会

    ㊱東観音町

    東観音町13番のせっちゃんを今日は取り上げたい。なんだか威勢よく寅さんが暖簾をくぐって入っていきそうな焼肉屋さんが、天満川の西側にある。夕暮れになると存在感が一層出てくる。この日も賑やかな声が早くから通りに漏れていた。ぱっと見、前面は”半”モルタル作りか。渋い。

  8. ☆袋町4番 - 被爆「後」建物記録委員会

    ☆袋町4番

    本通り商店街から徒歩3分の距離に、このお寺はある。広島市内のお寺は、戦後の教訓があったのだろうか、その多くがコンクリート造りとなっているが、このこの妙蓮寺は木造のままだ。お寺の名から日蓮宗系かと思ったら、浄土真宗のお寺だった。通りの奥は、被爆時にメッセージボードと化した、あの黒板の残る袋町小学校。だけど、このお寺の門はどうして部分的に残っているのだろう。本堂の奥は墓地となっている。

  9. ㉞吉島西一丁目 - 被爆「後」建物記録委員会

    ㉞吉島西一丁目

    吉島稲荷のちかくに吉島湯があるが、その隣にこの被爆後建物はある。となりに銭湯があるなんてなんて良いロケーションなんだ、と思いながら、戦後のお風呂事情について少し考えたりもする。その吉島湯との間に、みどり小路をみつけた。ついつい歩いてみた。すると、ほぼ木張りの質感溢れる建物があらわれて、すこし嬉しくなった。

  10. 服より笑顔 - 野草を摘みに

    服より笑顔

    何かの雑誌で特集されてた写真です。日本は貧しかった。でも子供たちはボロを着ても逞しく、遊び、生きていたんですよね。この特集に載ってる子供たちの笑顔のなんと良いことか。そういえば、その昔は昔、日本に来た外国人たちが、日本人は貧しいが、何と子供たちが幸せなことかを書き記しています。身なりがどうでもいいとは言いませんが、でも一番大切なのは、まずは子供の幸せ、笑顔...なんですよね...。息子を送り...

  11. ㉝舟入南1丁目 - 被爆「後」建物記録委員会

    ㉝舟入南1丁目

    舟入南1丁目1番にある被爆後建物は、木々に被われ前側には白いクルマが廃棄されている。半ば崩壊しつつあるが、切れ目無く隣接している住居のほうの手入れは行き届いている。この落差は何?と前を通るたびに思う。

  12. ㉛大手町5丁目 - 被爆「後」建物記録委員会

    ㉛大手町5丁目

    大手町5丁目12番。鷹野橋商店街の南側。かつてサロンシネマや日活の映画館、学生向け下宿屋が軒を連ねていた一角にその建物は在る。いつしか周りは駐車場になってしまっていたが、その建物は周囲の環境と反比例するかのように植木や蔦に覆われて、界隈では唯一、緑の「オアシス」にもなっていた。

総件数:12 件

似ているタグ