持統天皇のタグまとめ

持統天皇」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには持統天皇に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「持統天皇」タグの記事(40)

  1. 天武朝の悲劇は天武天皇から始まった - 地図を楽しむ・古代史の謎

    天武朝の悲劇は天武天皇から始まった

    6月11日(火)の筑紫古代文化研究会でのお話は「天武天皇」です。壬申の乱で勝利した天武天皇は、『万葉集ではどのように位置づけられているか』を考えます。写真の大きな礎石は、本薬師寺(もとやくしじ)の金堂の礎石出す。ここは、天武天皇が皇后の病気平癒を祈念して建立を発願した寺です。天武九年(680年)のことでした。伽藍が完成したのは十数年後になります。寺は金堂から造営をはじめますが、開眼会(かいげ...

  2. 690年の紀伊国行幸で持統天皇は有間皇子の霊魂に対面した - 地図を楽しむ・古代史の謎

    690年の紀伊国行幸で持統天皇は有間皇子の霊魂に対面した

    元号が令和に代わって早くも11日が経ちました。今日に続く元号が初めて建てられた(建元という)のは、文武天皇五年・701年3月です。「大宝」から慶雲・和銅・霊亀・養老・神亀・天平…と元号は改められて(改元という)きました。建元と改元は違うのです。文武天皇は十五歳で即位していましたから、文武天皇五年=大宝元年(701年)には二十歳になっています。この年に、藤原宮子との間に首(おびと)皇子も生まれ...

  3. 歴史カフェ阿蘇「令和元年・万葉集を読む」 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    歴史カフェ阿蘇「令和元年・万葉集を読む」

    今年も、「歴史カフェ」を熊本県西原村でします。今年は、5回計画しています。昨年はつめて4回やりましたが、今年は4月・5月・7月・8月・9月に予定しています。昨年の最終回に「次の歴史カフェは、万葉集です」とお知らせはしていましたが、みなさんあまり興味のある様子ではありませんでした。元号が「令和」に変わりますので、万葉集に興味を持っていただいたかもしれません。今は、万葉集にしていてよかったと思っ...

  4. 持統天皇と天山1岩蔵の天山神社702年 - ひもろぎ逍遥

    持統天皇と天山1岩蔵の天山神社702年

    旧「ウーナ」をテーマ別に分類中していましたが、「ワダツミ」は最後の方で、どうやら違う時代を混入させていることに気づいて、ひとまずウェイティングにしました。今日からは「持統天皇と天山」というタイトルで、持統天皇の話を旧「ウーナ」から独立させていきます。持統天皇の存在は福岡や佐賀ではなじみが薄いのですが、斉明天皇が白村江戦の時に福岡に来た時、同行しています。その足跡は唯一、那珂川市に残っています...

  5. 女帝の平和 (PART 1) - デンマンのブログ

    女帝の平和 (PART 1)

    女帝の平和 (PART 1)(himiko7.gif)(himiko002b.jpg)(himiko92.jpg)デンマンさん。。。、どういうわけで 女帝の平和 というタイトルにしたのでござ~♪~ますかァ?実は、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。。。天武新政権673年2月27日に即位した天皇は、妻を皇后に立て、太政官のメンバー6人のうち右大臣中臣...

  6. 万葉集は持統天皇の勅で編纂された史書だった - 地図を楽しむ・古代史の謎

    万葉集は持統天皇の勅で編纂された史書だった

    昨日、わたしも所属する筑紫古代史の会で、万葉集について話をする機会を戴きました。私としては万葉集を好きになってもらいたいという極めて単純な思いで話をさせていただきました。その時のスライドをブログでも紹介したいと思います。「すぎにし人の形見とぞ」お話の題は、上記のように付けました。「すぎにし人の形見とぞ来し」の言葉は、人麻呂の歌に使われた万葉集を解く重要な「詞」です。では、資料として作ったプリ...

  7. 雄略天皇の御製歌は万葉集の冒頭歌 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    雄略天皇の御製歌は万葉集の冒頭歌

    「すぎにし人の形見とぞ」2⑥では、万葉集の冒頭歌の紹介。泊瀬朝倉宮御宇天皇=雄略天皇の歌である。この冒頭歌で雄略天皇は、菜を摘む娘に敬語を使っている。『菜摘ます子=菜をおつみになっている娘』と『家をおっしゃってください。名を名のってください』求婚の儀式だろう。古代では名前を呼べるのは、特別な間柄か親族で、他人に名を知られるのを嫌った。此の菜を摘む女性は高貴な家柄の姫で、儀式により婚姻が整おう...

  8. 万葉集の二番歌は舒明天皇の国見歌 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    万葉集の二番歌は舒明天皇の国見歌

    「すぎにし人の形見とぞ」の続きです。此の話の主題は「万葉集は、持統天皇が孫の文武天皇のために皇統の正当性とその苦難の歴史を伝えるために、柿本人麻呂に編集させた皇統の歴史書であり、教育書である。」でした。では、万葉集巻一には、何が書かれているのか。その事で何が分かるのか、ですね。少しずつ紹介しています。前回は、雄略天皇(泊瀬朝倉宮御宇天皇)の万葉集冒頭歌の紹介をしました。この歌が本来の「初期万...

  9. 万葉集3・4番歌は、もともと難波天皇の儀式歌だったのではないか - 地図を楽しむ・古代史の謎

    万葉集3・4番歌は、もともと難波天皇の儀式歌だったので...

    「すぎにし人の形見とぞ」の続きです。「初期万葉集」を一言でいえば「皇統の歴史書」であり、持統天皇の意思が込められた教育書であります。それを人麻呂の歌に使われた詞、魂を呼び寄せる詞「すぎにし人の形見とぞ」が解き明かしてくれるのです。今、読んでいるのは、万葉集の巻一です。皇統の歴史書として読んでいます。「舒明・天智・持統とつながる天香具山の皇統」を文武天皇につなげようとしていたと、理解して読みを...

  10. 天智天皇御代には優雅な歌、天武天皇御代には壬申の乱の後遺症 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    天智天皇御代には優雅な歌、天武天皇御代には壬申の乱の後遺症

    万葉集は、文武天皇のために編纂された「皇統の正当性と歴史」を伝える教育書であり、歌物語であるという立場で「すぎにし人の形見とぞ」を紹介しています。今日は、㉙から始めます。16~21番歌が天智天皇の御代の歌であり、22~27番歌が天武天皇の御代の歌である。そこには、詩歌はどのように詠まれているのだろうか。万葉集巻一・天智帝御代と天武帝御代では、詩歌の編集意図が異なる16~21番歌は、額田王(4...

  11. 持統天皇の御代に人麻呂は登場し、天皇の傍近くで活躍した - 地図を楽しむ・古代史の謎

    持統天皇の御代に人麻呂は登場し、天皇の傍近くで活躍した

    初期万葉集は、柿本人麻呂が編纂した。持統天皇の勅を受けて文武天皇のために「分かりやすい皇統の歴史書」として完成させたが、文武天皇の崩御により元明天皇に献上する他なかった。然し、元明天皇は激怒し、人麻呂は刑死することになった…という立場で、「すぎにし人の形見とぞ」を紹介しています。今回は㉟からで、持統天皇の御代の歌になります。持統天皇の御代にはどんな出来事があり、どんな歌が詠まれたのか㉟持統天...

  12. 万葉集の不思議・持統天皇は近江朝と有間皇子を偲び続けた - 地図を楽しむ・古代史の謎

    万葉集の不思議・持統天皇は近江朝と有間皇子を偲び続けた

    今日の辺りは、すでに何度か書いたことと70%ほど重なります。初期万葉集は、端的にいうと「持統天皇が編纂させた史書である」としてブログを進めています。長いので少しずつ紹介しています。今日は、「すぎにし人の形見とぞ」の㉟からです。持統4年の紀伊国行幸は、草壁皇子の薨去の翌年ですから、妻の阿閇皇女は夫の草壁皇子を当然偲ぶでしょうね。草壁皇子の妃・阿閇皇女・前年に薨去した夫を偲ぶ歌㊵持統四年の紀伊国...

  13. 柿本朝臣人麻呂が詠んだ「安騎野の冬猟」すぎにし人の形見とぞ - 地図を楽しむ・古代史の謎

    柿本朝臣人麻呂が詠んだ「安騎野の冬猟」すぎにし人の形見とぞ

    ㊻人麻呂こそが勅を受けて万葉集の編纂をした。いよいよ、この事に迫らなければならない。 万葉集巻一の主題は「軽皇子、安騎の野に宿リます時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌」に込められた㊼万葉集の中心歌は45~49番歌である。原万葉集=初期万葉集は、この歌がクライマックスとなるように編集されていた。「やすみしし我が大王高照らす日の皇子」と、軽皇子を詠んでいる。「高光る」ではなく「高照らす」だから、統治者...

  14. 万葉集を編纂した柿本人麻呂は何故死んだのか - 地図を楽しむ・古代史の謎

    万葉集を編纂した柿本人麻呂は何故死んだのか

    万葉集によれば「柿本朝臣人麻呂は石見国で死に臨んだ」という死因は何か?行き倒れか?刑死か?自然死か?死に臨んでの「自ら傷みて作る歌」が223番歌です。有間皇子と同じように人麻呂も「自傷歌」を残しました。旅の途中で「人麻呂は行き倒れ」死したという説がありますが、そうでしょうか。「自傷歌」という文字からして死に臨まされて、有間皇子と同じように刑死となったと、わたしは思います。今日は、「すぎにし人...

  15. 持統天皇の紀伊国行幸・紀伊路を歩けば見えてくる謎 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    持統天皇の紀伊国行幸・紀伊路を歩けば見えてくる謎

    玉津嶋磯の浦見の真砂にもにほひにゆかな妹も触れけむと、紀ノ国で四首を詠んだ人麻呂。こ歌の女性は人麻呂の妻とされています。しかし、私には妻とは思えません。確かめてみましょう。人麻呂は紀伊国で生活したのではないのです。此の歌の人麻呂は、旅の途中です。紀伊国は、黄葉(もみじば)のようにはかなく逝ったその人の思いでの地ですその人と過ごした(遊んだ)磯を再び訪れるのは、人麻呂にとって悲しく寂しい…そこ...

  16. 難波天皇と持統天皇の運命の人・間人皇后 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    難波天皇と持統天皇の運命の人・間人皇后

    持統天皇の難波宮行幸持統天皇と難波宮とは深い因縁があるということでしょう。朱鳥元年に前期難波宮は全焼したと書かれていますし、発掘の結果でも掘立柱の焼け跡が確認されています。その後に建てかえられたのでしょう。持統天皇即位以後も、節目ごとに各天皇の難波宮行幸がありました。各天皇と難波宮のかかわりを見ましょう。白雉三年~五年(652~654)孝徳天皇の皇居(五年に崩御)斉明六年十二月(660)斉明...

  17. 万葉集巻二の難波天皇・持統天皇の出自を暗示する - 地図を楽しむ・古代史の謎

    万葉集巻二の難波天皇・持統天皇の出自を暗示する

    皇都の遷都は政変と重なる欽明・敏達・推古・舒明帝の時代は、大王の館が政治の中心でしたから皇居は次々に変わりました。が、難波宮・近江京・藤原宮・平城京・長岡京・平安京などの遷都は、いずれも政治の転換点であり、政変が絡んでいました。また、最初の皇都である孝徳天皇の難波宮(652年完成)は、先達として後世の都のモデルとなりました。天武十二年(683年)、天武天皇は難波宮を第一の陪都と定めました。難...

  18. 草壁皇子と天智天皇の関係は秘密ではなかった - 地図を楽しむ・古代史の謎

    草壁皇子と天智天皇の関係は秘密ではなかった

    天智天皇は草壁皇子と義淵を共に岡宮で育てた竜蓋寺(岡寺)は吉野の竜門寺と共に義淵僧正が国家の隆泰と藤原氏の栄昌を祈って建立したものであると、「竜門寺縁起」に書かれています。岡寺(竜蓋寺)には草壁皇子の宮跡を賜って、義淵が寺にしたと伝わります。が、寺の建立の目的が国家と藤原氏のためだったと「竜門寺縁起」はいうのです。ここで分かるのは、義淵と藤原氏を結びつける何かがあった、草壁皇子の宮跡を賜る縁...

  19. 天武天皇の後宮に召されなかった明日香皇女・持統天皇との深い関係 - 地図を楽しむ・古代史の謎

    天武天皇の後宮に召されなかった明日香皇女・持統天皇との...

    天武天皇の後宮に召されなかった明日香皇女人麻呂の挽歌にわが王おほきみの御名忘れせぬ特別だった明日香皇女・それは何故?柿本朝臣人麻呂に歌を献じられた皇子皇女は、天智天皇の皇統につながる子女で、持統天皇の覚えめでたき高貴な人たちだったと書きました、前回までに。草壁皇子(689没)川嶋皇子(691没)明日香皇女(700没)高市皇子(696没)のための人麻呂が献じた挽歌が万葉集に残されていますが、挽...

  20. 人麻呂の挽歌に詠まれた天智帝の皇統・持統天皇は見捨てなかった - 地図を楽しむ・古代史の謎

    人麻呂の挽歌に詠まれた天智帝の皇統・持統天皇は見捨てなかった

    古事記・日本書紀は「飛鳥」、万葉集には「飛鳥の明日香」…今日は、歌に込められた「飛鳥」の意味を考えます。万葉集には「飛鳥の明日香」は四例あり、先に紹介した「元明天皇の御製歌」ともいわれる歌一首と、柿本人麻呂の挽歌二首と由縁雑歌(巻十六)の一首です。では、「飛鳥」について人麻呂の歌で考えましょう。(飛鳥川・豊浦)人麻呂は天武朝の皇子のために挽歌を読んだのではなく天智帝の皇統のために挽歌を献じた...

総件数:40 件

似ているタグ