新田義貞のタグまとめ

新田義貞」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには新田義貞に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「新田義貞」タグの記事(15)

  1. 太平記を歩く。 その122 「新田義貞首塚(滝口寺)」 京都市右京区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その122 「新田義貞首塚(滝口寺)」...

    新田義貞の墓所は「その120」で紹介した福井県坂井市の称念寺にありますが、あちらの墓は胴塚で、京都嵯峨野にある小さな山寺・滝口寺の境内に、義貞の首塚と伝わる墓石があります。 境内入口です。中央に「NO PHOTO」と書かれた立て札がありますが、これは、参拝料を払わない人は撮影禁止という意味で、ちゃんとお金を払ったわたしは撮影オッケーです。 この苔むした墓碑が、新田義貞の首塚だそうです。 燈明...

  2. 太平記を歩く。 その121 「藤島神社」 福井県福井市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その121 「藤島神社」 福井県福井市

    福井県福井市の足羽山にある藤島神社を訪れました。ここの主祭神は新田義貞で、副祭神は弟の脇屋義助、息子の新田義顕・新田義興・新田義宗。「建武中興十五社」の一社で、旧社格は「別格官幣社」でした。 「別格官幣社」とは、国家のために功労のあった人臣を祭神とする神社のことで、明治5年(1872年) に神戸の湊川神社が定められたのに始まり、昭和21年(1946年)に社格が廃止されるまで、日本全国に28社...

  3. 太平記を歩く。 その120 「新田義貞墓所(称念寺)」 福井県坂井市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その120 「新田義貞墓所(称念寺)」...

    前稿で紹介した燈明寺畷新田義貞戦歿伝説地から8kmほど北上した坂井市にある称念寺に、新田義貞の墓があります。 山門の横には、「新田義貞公墓所」と刻まれた大きな石碑が。 広い境内です。 境内には、かつて「近衛中将新田義貞公贈位碑」と刻まれていた大きな石碑があるのですが、上の方の「近衛」の部分が欠けてしまっています。 これは、昭和23年(1948年)に発生した福井地震の際に折れてしまった跡だそう...

  4. 太平記を歩く。 その119 「燈明寺畷新田義貞戦歿伝説地」 福井県福井市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その119 「燈明寺畷新田義貞戦歿伝説...

    福井市にある新田義貞戦没地と伝わる地を訪れました。このあたりはかつて燈明寺畷といい、「燈明寺畷新田義貞戦歿伝説地」として大正13年(1924年)に国の史跡に指定されています。 敷地は公園整備されていて誰でも入れますが、一応、入口には門扉があり、厳かな雰囲気が漂います。 門扉には、新田氏家紋の「一つ引」が。 前稿、前々稿でもふれましたが、延元3年/建武5年(1338年)7月2日、足利方の大将・...

  5. 太平記を歩く。 その118 「藤島城跡(超勝寺)」 福井県福井市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その118 「藤島城跡(超勝寺)」 福...

    前稿で紹介した小黒丸城跡から7kmほど東にある藤島城跡を訪れました。現在は超勝寺という寺院が立ちます。 ここも、越前国守護の斯波高経が築いたといわれる足羽7城のひとつと伝わります。 山門の横には「藤島城址」と刻まれた石碑と、説明板が設置されています。 『太平記』巻20にある「足羽七城の戦い」の中心となったのが、小黒丸城とここ藤島城でした。小黒丸城には足利方の大将・斯波高経が籠って全軍の指揮を...

  6. 太平記を歩く。 その117 「小黒丸城跡」 福井県福井市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その117 「小黒丸城跡」 福井県福井市

    日野川の戦いに勝利した新田義貞軍は、越前国府を占領します。『太平記』では、この報が越前国中に伝わると、足利方の73の出城が降伏を申し出たと伝えます。気運に乗った義貞は、越前国を完全掌握するため北上。足利方で越前国守護の斯波高経の籠る小黒丸城を包囲します。 現在、小黒丸城は住宅地と田園のなかに石碑が立つのみで、遺構などは残っていません。 小黒丸城は黒丸城ともいい、足利方の足羽7城のなかの本城と...

  7. 太平記を歩く。 その116 「新善光寺城跡(正覚寺)」 福井県越前市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その116 「新善光寺城跡(正覚寺)」...

    「その114」で紹介した杣山城跡から6kmほど北上した場所にある新善光寺城跡を訪れました。ここは現在、正覚寺という寺院になっています。 山門の手前にある「正覚寺」の寺号碑には、「新善光寺城跡」という文字も刻まれています。 山門には、「旧府中城表門」という立札があります。府中城とは、戦国時代に前田利家が築いた城で、新善光寺城とは別のものです。 山門の横には「新善光寺城址」の石碑が。 新善光寺城...

  8. 太平記を歩く。 その115 「瓜生保戦死の地・墓所」 福井県敦賀市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その115 「瓜生保戦死の地・墓所」 ...

    前稿で紹介した杣山城の城主・瓜生保が戦死したと伝わる地を訪れました。ここは、杣山城跡から20kmほど南下した場所で、すぐ近くに「その110」で紹介した金ヶ崎城跡があります。 戦死の地と伝わる場所には、「贈正四位瓜生判官保公戦死之地」と刻まれた石碑と説明板が。 瓜生保が戦死したのは延元2年/建武4年(1337年)正月12日、金ヶ崎城に籠る新田義貞軍を援護すべく5千の兵を率いて杣山城を出た瓜生保...

  9. 太平記を歩く。 その114 「杣山城跡」 福井県南条郡南越前町 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その114 「杣山城跡」 福井県南条郡...

    「その110」で紹介した金ヶ崎城跡から直線距離にして20kmほど北西にある杣山城跡を訪れました。ここは、金ヶ崎城の戦いで新田義貞軍に加担した瓜生氏の居城でした。 杣山城は標高492m、比高402mの山頂にあり、登山道は険峻でガッツリ登山系の城跡です。 この日は早朝に神戸を出て、車で2時間半かけて敦賀市に入り、午前中に金ヶ崎城跡をめぐり、午後から約30分かけてここに来ました。結構つかれていたの...

  10. 太平記を歩く。 その110 「金ヶ崎城跡」 福井県敦賀市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その110 「金ヶ崎城跡」 福井県敦賀市

    福井県敦賀市にある金ヶ崎城跡までやってきました。これまで関西を中心にめぐってきたため(山陰も行きましたが)、ここはちょっと遠いのでどうしようか迷ったのですが、やはり、『太平記』には福井県は欠かせないと思い至りました。というわけで、しばらく越前国シリーズが続きます。 足利尊氏が京の都を占領し、後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)との講和が始まると、徹底抗戦を主張していた新田義貞は恒良親王、...

  11. 太平記を歩く。 その109 「東寺」 京都市南区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その109 「東寺」 京都市南区

    後醍醐天皇(第96代天皇・南朝初代天皇)が比叡山に入ると、京を占拠した足利尊氏は、はじめ男山八幡に陣を布いて比叡山に総攻撃を仕掛け、その後、延元元年/建武3年6月14日に、ここ東寺に布陣しました。東寺は、世界文化遺産に登録されている京都の顔です。 九条通りに面した正門・南大門です。 そして南大門を潜ると、国宝・金堂が正面に見えます。 金堂は1200年以上前からあったとされますが、現在のものは...

  12. 太平記を歩く。 その99 「処女塚古墳」 神戸市東灘区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その99 「処女塚古墳」 神戸市東灘区

    神戸市東灘区御影町にある「処女塚古墳」にやってきました。「処女塚」と書いて「おとめづか」と読みます。前稿で紹介した「生田の森の戦い」から敗走した新田義貞軍が、追撃してきた足利軍に追いつかれたのが、ここ処女塚古墳だったと伝わります。 義貞は味方の軍勢を落ち延びさせるため一人踏ん張りますが、義貞の乗る馬が敵の矢に射られて倒れてしまいます。『太平記』巻16「新田殿湊河合戦事」では、このときの様子を...

  13. 太平記を歩く。 その98 「生田の森」 神戸市中央区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その98 「生田の森」 神戸市中央区

    足利尊氏の水軍を討つべく経ケ島に陣を布いた新田義貞でしたが、足利軍の巧みな戦略の前に押され、中央区の生田の森まで後退することになります。 すでに楠木正成軍を討った足利軍は、ここ生田の森で三方から集中して新田軍に襲いかかります。『太平記』巻16「新田殿湊河合戦事」によると、新田軍は奮戦し、合戦は「新田・足利の国の争ひ今を限りとぞ見えたりける」との激しさを見せます。 合戦の規模からすると、ここ生...

  14. 太平記を歩く。 その97 「本間重氏遠射之跡」 神戸市兵庫区 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その97 「本間重氏遠射之跡」 神戸市兵庫区

    「湊川の戦い」で足利の陸軍と対峙したのは楠木正成軍でしたが、海から攻め寄せてくる水軍と戦ったのが、新田義貞軍でした。義貞は弟の脇屋義助とともに、足利尊氏水軍の上陸地点を経ヶ島と考え、これを迎え討つべく、大輪田ノ泊・経ヶ島付近に陣を布きます。経ヶ島とは、平清盛がこの地に築いた人工の島です。 戦いの舞台となった和田岬は、現在は三菱重工の敷地となっていて史跡といえるものはありませんが、近くの和田岬...

  15. 太平記を歩く。 その82 「大嶋城跡」 兵庫県相生市 - 坂の上のサインボード

    太平記を歩く。 その82 「大嶋城跡」 兵庫県相生市

    「その72」で紹介した白旗城から南東7kmほど下った相生湾の入江にある大嶋城跡を訪れました。ここも、赤松則村(円心)に関係する城です。 写真に写るおわん型の山が、大嶋城跡と伝わる大島山です。かつて大島山は蝦江(相生湾)に浮かぶ離れ島だったそうで、長治元年(1104年)、播磨国の海老名家季がここに城郭を築いたのがはじまりといわれています。海老名氏は、代々矢野荘別名の下司職、矢野荘例名の地頭職等...

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