明智光秀のタグまとめ

明智光秀」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには明智光秀に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「明智光秀」タグの記事(135)

  1. 麒麟がくる第41話「月にのぼる者」~丹波の光秀、播磨の秀吉~ - 坂の上のサインボード

    麒麟がくる第41話「月にのぼる者」~丹波の光秀、播磨の秀吉~

    天正5年(1577年)10月16日、明智光秀は第二次丹波攻略に取り掛かります。同月10日に信貴山城の戦いで松永久秀を自刃に追い込み、その後、返す刀で兵を休める間もない出陣でした。ドラマでは描かれませんでしたが、丹波に侵攻した光秀は、まず、細川藤孝・忠興父子とともに亀山城を攻めます。亀山城では、この直前、城主の内藤定政が病死し、軍の指揮は家老の安村次郎右衛門が執っていました。亀山城を包囲した光...

  2. 明智光秀ゆかりの愛宕山登山記。その2<清滝登山口~3合目> - 坂の上のサインボード

    明智光秀ゆかりの愛宕山登山記。その2<清滝登山口~3合目>

    「その1」のつづきです。清滝の紅葉を堪能したので、山頂の愛宕神社を目指して登山開始です。 表参道の登山口には、愛宕神社の鳥居があります。 誘導看板の表示では、愛宕神社まで4.2km。スマホのアプリでこの地点の標高を調べると、標高76m。愛宕山は標高924mなので、比高850mほどということですね。ガッツリ登山です。 いざ、出陣! 坂は険しいですが、有名な山ということで、登山道はちゃんと整備さ...

  3. 明智光秀ゆかりの愛宕山登山記。その1<清滝登山口> - 坂の上のサインボード

    明智光秀ゆかりの愛宕山登山記。その1<清滝登山口>

    ときハ今 あめが下しる 五月哉 本能寺の変の直前、明智光秀が山城国愛宕山山上で催した連歌会で、光秀が詠んだ有名な『愛宕百韻』の発句です。大河ドラマ『麒麟がくる』の放送が決まってから、約2年間、週末の休みを利用して光秀に関連する丹波の山城めぐりをしてきた私としては、その締めくくりとして、やはり愛宕山に登らないわけにはいかないと思い、満を持してやってきました。 写真は南東の桂川沿いから撮影した愛...

  4. 麒麟がくる第39回「本願寺を叩け」~丹波攻略と天王寺合戦、光秀の病と熙子の死~ - 坂の上のサインボード

    麒麟がくる第39回「本願寺を叩け」~丹波攻略と天王寺合...

    前話のエンディング間際で丹波攻めの戦端が開かれたかと思えば、今回、その戦いぶりはまったく描かれませんでしたね。明智光秀最大の戦功である丹波攻略をこのまま描かないつもりでしょうか?今回すっとばされた丹波攻略の経緯を、少しだけ解説します。 天正3年(1575年)6月、光秀は織田信長から丹波攻略を命じられます。この当時、丹波国には一国全域を支配できるほどの勢力を持った国衆がおらず、小領主がひしめき...

  5. 麒麟がくる第36話「義昭、まよいの中で」~近江坂本城築城~ - 坂の上のサインボード

    麒麟がくる第36話「義昭、まよいの中で」~近江坂本城築城~

    今回はほとんど創作の回だったので、特に解説するところがありません。なので、ドラマでは築城中だった近江坂本城の話をしましょう。 明智光秀による坂本城の築城は、比叡山焼き討ちの3か月後の元亀2年(1571年)12月には始まっていたようで、『年代記抄節』の12月のところに、「明智坂本ニ城ヲカマヘ、山稜ヲ知行ス、山上ノ木マデキリ取」とあり、また、光秀のマブダチだった吉田兼見の日記『兼見卿記』の元亀3...

  6. 明智光秀が再興した須知城麓の玉雲寺。 - 坂の上のサインボード

    明智光秀が再興した須知城麓の玉雲寺。

    丹波須知城跡のある山の南麓に、玉雲寺という寺院があります。ここは、明智光秀が再興したと伝わるお寺です。 玉雲寺は紅葉の名所として知られます。ここを訪れたのは令和2年(2020年)11月22日。紅葉も終わりかけでしたが、ギリギリ間に合ったという感じでした。 玉雲寺の由緒書です。 玉雲寺は応永23年(1416年)、太容梵清禅氏が須知出羽守慶吉の慈請を受けて開山したと伝わる古刹です。須知出羽守慶吉...

  7. 丹波須知城(市森城・志宇知城)攻城記。その3<主郭~西郭> - 坂の上のサインボード

    丹波須知城(市森城・志宇知城)攻城記。その3<主郭~西郭>

    「その2」のつづきです。琴滝から登ること約30分、須知城主郭の高石垣に到着しました。 見事な高石垣です。 圧巻ですね。 こんな見事な石垣が残る城跡の存在を最近知ったわたしは、まだまだ山城マニアと名乗るには程遠いです。 石垣は鈍角に折れ曲がった出隅が3ヶ所あります。これは、おそらく「しのぎ積み」の呼ばれる古い工法ですね。但馬の有子山城跡でも同じ工法が見られました。 天正3年(1575年)に織田...

  8. 丹波須知城(市森城・志宇知城)攻城記。その1<琴滝> - 坂の上のサインボード

    丹波須知城(市森城・志宇知城)攻城記。その1<琴滝>

    周山城から西へ約17km、塩貝城から南西約12km、宇津城から西へ約14km、八木城から北西約12kmのところに、かつて須知城(しゅうちじょう)がありました。ここも、天正7年(1579年)の明智光秀の丹波攻めの際、攻め落とされた城です。この2年ほど、週末の休日を利用して明智光秀関連の丹波の山城をめぐってきた私でしたが、この城は、当初、わたしが調べたリストに入っていなかったため、存在を知りませ...

  9. 明智光秀のゆかりのお寺、比叡山 西教寺 - ライブ インテリジェンス アカデミー(LIA)

    明智光秀のゆかりのお寺、比叡山 西教寺

    昨夜のNHKの大河ドラマ「麒麟がくる」で、織田信長の比叡山焼き討ちのシーンが放映された。一年前の今日、比叡山と、明智光秀とゆかりが深い西教寺に行った時のことをブログやSNS等で触れていたので、昨夜放送の大河ドラマとの内容が一年違いではあるが偶然にも重なり少々驚いている。 一年前に書いた記事を読み返してみると 先日、比叡山延暦寺を訪ねた帰りに西教寺を参拝した。ご存知の方も多いと思うが、同寺は来...

  10. 麒麟がくる第34話「焼討ちの代償」~比叡山焼き討ち~ - 坂の上のサインボード

    麒麟がくる第34話「焼討ちの代償」~比叡山焼き討ち~

    元亀2年9月12日(1571年9月30日)、有名な織田信長の比叡山焼き討ちが行われました。その日は時折小雨の降る天候だったといいます。早朝から信長は軍勢を動かし、まず、比叡山西麓の坂本の町を焼き払いました。坂本は当時、近江国でもっとも栄えていた町で、平安時代から比叡山延暦寺とも関係が深く、多くの堂舎が山頂からここに移され、大勢の僧侶が住んでいたといいます。織田軍は町家も堂舎も見境なく火を放ち...

  11. 丹波紅葉三山めぐり~円通寺~ - 坂の上のサインボード

    丹波紅葉三山めぐり~円通寺~

    高源寺をあとにして、午後から丹波市氷上町の円通寺を訪れました。ここも「丹波紅葉三山」のひとつです。 いきなり紅葉のアーケードです。これは期待できそう。 円通寺は、南北朝時代の永徳2年(1382年)正月、室町幕府3代将軍・足利義満が後円融天皇(北朝第5代天皇)の勅命により創建した曹洞宗の名刹です。年号の首字より「永谷山」、天皇の宝号より「円通寺」と名付けられ、勅願寺と定めました。開山の英仲法俊...

  12. 明智光秀が築いた周山城を攻める。その4<鷹屋ノ丸・馬屋ノ丸・小姓丸> - 坂の上のサインボード

    明智光秀が築いた周山城を攻める。その4<鷹屋ノ丸・馬屋...

    「その3」の続きです。周山城本丸の南側の曲輪、鷹屋ノ丸にやってきました。 鷹屋ノ丸は本丸のすぐ南下に直結した曲輪なので、主郭同様の機能を果たしていたのではないでしょうか。向こうに見える一段高いところが本丸です。 鷹屋ノ丸の南側はこんなふうに断崖になっています。 鷹屋ノ丸の東側に、石段跡の様な痕跡が見られます。 明らかに石段跡ですよね。おそらく、ここが鷹屋ノ丸の虎口跡でしょう。北側から見た虎口...

  13. 明智光秀が築いた周山城を攻める。その3<本丸> - 坂の上のサインボード

    明智光秀が築いた周山城を攻める。その3<本丸>

    「その2」の続きです。周山城を登り始めて約70分、ようやく本丸にたどり着きました。 周山城本丸は標高480m、比高230mの山頂にあり、その規模は東西約40m、南北約40mの方形をしています。 山頂の木には、手作り感満載の木札が掛けられていました。 説明板もあるのですが、字が消えてしまっていて読解不可能です。 その横には、木の切り株を利用した縄張り図がありますが、保護アクリル板が汚れていて読...

  14. 明智光秀が築いた周山城を攻める。その2<東帯曲輪~二ノ丸> - 坂の上のサインボード

    明智光秀が築いた周山城を攻める。その2<東帯曲輪~二ノ丸>

    「その1」の続きです。周山城を登り始めて約45分、東出曲輪からさらに西側に向かって進みます。 東出曲輪の西側にも長い帯曲輪がつづきます。馬場跡でしょうか? 帯曲輪の脇には土塁跡があります。 その土塁跡の側面には、石垣跡と思われる遺構が見えるのですが、倒れ込んだ木が邪魔です。 でも、明らかに石積みの跡ですね。 土塁を越えて、帯曲輪の切岸の斜面に降りてきました。 あるある、石垣の跡。 こっちにも...

  15. 明智光秀が築いた周山城を攻める。その1<登山口~東出曲輪> - 坂の上のサインボード

    明智光秀が築いた周山城を攻める。その1<登山口~東出曲輪>

    明智光秀の丹波攻略の拠点は亀山城でしたが、丹波国平定後は、織田信長の命でいくつかの新しい城を築き、丹波の領国経営を進めました。そのひとつが、北丹波に築かれた福知山城。そしてもうひとつが、京都から若狭へ抜ける街道沿いの東丹波の山上に築かれた周山城です。 周山城登山口へは、城山の東側にある道の駅「ウッディ京北」に車を停めて歩きます。ここで城跡への案内図がもらえるので、必ず立ち寄りましょう。 光秀...

  16. もうひとつの御霊神社、稲畑御霊神社を参拝。 - 坂の上のサインボード

    もうひとつの御霊神社、稲畑御霊神社を参拝。

    京都府福知山市に明智光秀を祭神とする御霊神社がありますが、兵庫県丹波市にも同じく「御霊神社」という名称の神社があります。ここも、同じく明智光秀を祀った神社だと伝わり、丹波市氷上町稲畑の山中にあることから、稲畑御霊神社と呼ばれています。 稲畑御霊神社は宝光寺というお寺の東の山中にあります。以前、紹介した穂壺城跡のすぐ近くです。 北に穂壺城跡が見えます。 おそらく少し前までは知る人ぞ知る神社だっ...

  17. 明智光秀を祭神とする御霊神社。 - 坂の上のサインボード

    明智光秀を祭神とする御霊神社。

    福知山城から北西に直線距離で800mほどのところに鎮座する御霊神社は、福知山の町を整備した明智光秀を祭神とする神社です。 元々は宇賀御霊大神を祀る稲荷社があったそうですが、光秀の死から100年以上経った宝永2年(1705年)、当時の福知山城主・朽木稙昌が、領民の願いを受けて光秀の御霊を合祀し、御霊神社を創建しました。光秀の死後、福知山では大きな災害が度重なったことから、その災害は非業の死を遂...

  18. 明智光秀が築いた蛇ヶ端御藪(明智藪)。 - 坂の上のサインボード

    明智光秀が築いた蛇ヶ端御藪(明智藪)。

    丹波国を平定した明智光秀は、天正8年(1580年)、新たな丹波国の拠点として福知山城を築城して城下町を整備しますが、その際、福知山の町を流れる由良川に大きな堤防を築いたと伝わります。その名残が、いまも残っています。 それが、これ。かつてはその地名から「蛇ヶ端御藪」と呼ばれていましたが、現在は通称「明智藪」とも呼ばれます。 福知山の町を流れる由良川は、台風が起こるたびに水害を引き起こすなど、古...

  19. 丹波福知山城を歩く。その4<遠景> - 坂の上のサインボード

    丹波福知山城を歩く。その4<遠景>

    「その3」の続きです。シリーズ最後に、福知山城本丸のある丘を降りていろんな角度から天守を見てみましょう。 まずは東側の駐車場から見た天守です。 ズームします。 その少し北側から撮影。手前の櫓のような建物は、佐藤太清美術館。左側のアーチ型の橋は、「その1」で紹介した昇龍橋です。 せっかくなので、佐藤太清美術館も載せておきましょう。佐藤太清とは、福知山出身の日本画家だそうです。左側に少しだけ見え...

  20. 丹波福知山城を歩く。その3<天守> - 坂の上のサインボード

    丹波福知山城を歩く。その3<天守>

    「その2」のつづきです。いよいよ福知山城天守を攻略します。 まずは天守西側から。福知山城天守は三重四階建ての大天守と二重二階建ての小天守が連結された構造になっていますが、上の写真はその大天守を西側から見たものです。左側奥にちょっとだけ見えているのが小天守。 日本各地の城跡に天守がありますが、そのほとんどが再建であることは周知のところだと思います。江戸時代の城がそのまま残る「現存天守」は、世界...

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