星亨のタグまとめ

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「星亨」タグの記事(82)

  1. 星亨傳ついに完成発売へ - 星亨伝

    星亨傳ついに完成発売へ

    此度「復刻改訂星亨傳明治期日本の政党の基盤を創った怪傑」という本を編纂し発行する運びとなりました。日本の政党の発生期に、自由民権運動から組織としての政党に育てた中心人物に「星亨・ほしとおる」という政治家がいます。政党の首領として初めて内閣を組織した原敬は知っていても、星亨のことは忘れ去られております。本書は前田蓮山が昭和23年に「星亨傳」(高山書院)として発行したものを、復刻改訂し、「明治期...

  2. 15-6■凶変 - 星亨伝

    15-6■凶変

    星亨はこの年明治三四年一月東京市会議長に当選した。市長松田秀雄は、恰も彼の部下のようであった。そして彼に対する新聞紙の攻撃は尚止まなかった。彼は心の底から、生まれ故郷の東京を愛した。彼は、東京築港にその全力を傾け、フランスから資金を輸入する計画もほとんど成功の見込みが付き、いよいよ近く実行に着手することになった。また、当時は全国各府県に教員の団体として、府県知事の監督の下に教育会が設けられて...

  3. 15-5■政府の反撃 - 星亨伝

    15-5■政府の反撃

    かくて十日問の停会期が切れたので、政府はさらに五目問の停会を命じた。そして伊藤首相は閣議を開き、この上は最後の手段をとるよりほかはないから、貴族院令改正の件を四元老に持ち出したと告げ、これに関する上奏書の草案を示した。伊藤はこの上奏書の草稿や貴族院改革の具体案を元老に告げたわけではなかったから、これは従来世問に漏れていなかったが、「原敬日記」に記されている。上奏書の大要は、『貴族院は臣が政友...

  4. 15-4■貴族院の横暴 - 星亨伝

    15-4■貴族院の横暴

    いうまでもなく此の六派連合の主導者は山縣系の官僚派であったから、伊藤は大いに怒り、京都に静養中の山縣に対して、『閣下の統率に属する議員ら、重なる反対論者の中にあるが如きは、甚だ遺憾とするところなり。・・・前途国家の通路を疎通する方法は、少子に於ては尽き果てたり。閣下も元勲として、前総理大臣として、特に閣下の薫陶に属する連中、反対の主動力たるにおいては、御考慮を煩わさざるを得ず。謹んで貴答を請...

  5. 15-4■野に下った星亨 - 星亨伝

    15-4■野に下った星亨

    政友会では第十五議会(明白二三年一二月二十二二日から三四年三月二五日)の院内総務として星亨、松田正久、尾崎行雄、長谷場純孝、大岡育造の五人が、伊藤総裁から指名されたが、星亨はこのような顔ぶれでは、到底統一ある行動ができないといって辞任したので、他の四人も辞任した。そこで止む無く院内総務を一人として、改めて星亨が指名された。 次年度(三十四年度)予算編成はきわめて困難であった。山県内閲は北清事...

  6. 15-3■星逓信大臣を辞任 - 星亨伝

    15-3■星逓信大臣を辞任

    伊藤はその期日までに星亨に勧めて辞職させるつもりであった。伊藤は逓信省官房長である岡崎邦輔を招き、星亨に辞職を勧めさせた。彼は、星亨がおとなしく辞職するかどうか、非常に心配していた。ところが岡崎邦輔が私に話したところによると、星亨は『自分は辞職すべき理由はないと思うけれども、首相に迷惑をかけてはすまない』」と言って即諾した、ということである。伊東巳代治は『星亨が岡崎を伴って自分を訪ね、首相が...

  7. 15-2■官僚派の大反撃 - 星亨伝

    15-2■官僚派の大反撃

    その事件というのは、東京市の汚物掃除請負人から、多数の市会員が賄賂を取ったと言う疑惑にかかるものであり、結局判明した収賄金額は一人二百円であった。その二百円が星亨の手にも渡ったかどうかというのが問題であったのである。藩閥官僚と戦うために、多数の団結を急いだ星亨は、清濁併せ飲まざるを得なかったので、郡市懇話会中には、随分いかがわしい人物がおり、彼の勢力を借りて、悪事を働いた者があった。それ故に...

  8. 15-1■官僚派の恐慌 - 星亨伝

    15-1■官僚派の恐慌

    政友会内閣の成立は官僚に大恐慌を与えた.ことに星亨に対する彼らの恐怖は木曽義仲に追われて都落ちの兵士のそれのように、実に悲愴な光景であった。一族の浮沈存亡、この時と焦慮した彼らは死者狂いである。彼らは一の谷ならぬ貴族院に拠って此の大敵を撃退しようと企て、同院各派の糾合に狂奔した。彼らは、「伊藤は貴族院令を改正し、貴族院の権限を縮小する考えを持っている」と言いふらして(伊藤が勅選議員に年限を付...

  9. 14-4■第一次政友会内閣成立 - 星亨伝

    14-4■第一次政友会内閣成立

    ところが伊藤の腹案は、党外の藩閥元老井上馨を大蔵大臣とし、官僚出身の筆頭渡辺国武、を内務に据える計画であったのである。そうなると内閣の実質は、依然として藩閥官僚の内閣であって、政党は彼らに降伏したことになるのである。これは星亨の忍びえないところであった。そこで彼は、政党の統制を保つためには、党情に通じた者を内務大臣にしなければダメだと、伊藤に説いた結果、伊藤もこれを諒解し、彼に内務大臣を振り...

  10. 14-3■伊藤の憲政観と星との違い - 星亨伝

    14-3■伊藤の憲政観と星との違い

    立憲政友会は約百万人の党員を獲得し、九月一五日に発会式を挙げた。衆議院に議席を有する党員は、第一五議会開会前までに一五五人となり、即ち絶対多数を占めた。一党で絶対多数を占めたことは、議会開設以来、初めてのことである。この内、旧憲政党員が一一八人であった。他から参加した者は僅かに三七人に過ぎず、新政党とは言え、その実質は憲政党であったのである。即ち事実上、伊藤が憲政党の軍門に降ったのであった。...

  11. 14-2■立憲政友会の創立 - 星亨伝

    14-2■立憲政友会の創立

    伊藤は新政党に立憲政友会と命名し、同月二五日次の諸人を創立委員に挙げ、渡辺国武を創立委員長とした。西園寺公望、渡辺国武、金子堅太郎、木田政以、渡辺洪基、都筑聲六(以上伊藤直参)、尾崎行雄、長谷場純孝、大岡育造、(以上憲政党外)星亨、松田正久、林有造、末松謙澄(以上憲政党)同時に伊藤博文の名を以て、次の趣旨書及び綱領を発表した。 趣旨帝国憲法の施設既に十年を経て、其効果見るべきものありと雖も、...

  12. 14-1■伊藤の新党計画 - 星亨伝

    14-1■伊藤の新党計画

    第一四議会閉会後(明治三三年二月二四日閉会)、星亨は末松謙澄から、極秘として、伊藤に政党組織の決心あることを聞いた。伊藤は自ら政党を組織して、憲政の手本を示すつもりであり、昨三二年四月から地方遊説をはじめたのであった。彼はまず同月長野市に赴き、同地方の有力者を会して憲政の本義を説き、国家本位の真の政党を樹立する必要を力説した。次に五月には大阪、河内地方を遊説し、更に九州に下って大分、福岡両県...

  13. 13-4■官僚は政党の威力の強大さに驚き恐れる - 星亨伝

    13-4■官僚は政党の威力の強大さに驚き恐れる

    憲政党の援助によって第二二議会を通過した山縣は憲政党がその報酬として、内閣割り込を要求するであろうと考えた。要求があれば西郷は直ちに板垣と交代するつもりであったが、俄かに文官任用令を改正して、勅任官に自由任用を封じてしまった。憲政党幹部は割込みの意思を以ていなかった。殊に星亨は内閣に割り込んでごたごたやるよりも、野にあって党勢を拡張するのを得策と考えていた。党員は官僚の心事を憎み、是は我が党...

  14. 13-3■地祖増徴に賛成 - 星亨伝

    13-3■地祖増徴に賛成

    明治三一年一一月七日に召集された第一三議会は、一二月三日に開会された。各政党の分野は憲政党一一九人、憲政本党匸ご二人、国民協会一九人、日吉倶楽部匸一人、無所属二七人、反対党は憲政本党と日吉倶楽部の匸二五人、与党は憲政党と国民協会の一三八人である。政府と憲政党は、地祖問題を未解決のまま提携した。政府はロシアの南下に対して軍備充実を必要とした。この山縣の意見を、星亨は諒とし黙認を与えていた。政府...

  15. 13-2■党勢拡張と政治資金 - 星亨伝

    13-2■党勢拡張と政治資金

    そして星亨の理論としては、『政党は、自己の利益は国家の利益と一致すると言う信念の上に立つものであるから、政府が憲政党と提携した以上は、憲政党の党勢拡張に協力することこそ、当然と言わねばならぬ』というのであった。彼は党勢拡張資金として、山縣から三〇万円取ったという風説が言われたが、岡崎邦輔は「当時は米一升が十銭になったと驚いたくらいの時代であって、五千円もあれば全国の遊説ができたのであるから、...

  16. 13-1■山縣内閣と提携 - 星亨伝

    13-1■山縣内閣と提携

    後継内閣の組織の大命は山縣に下った。山縣は先ず松方に援助を求めた。両人協議の上、山縣、松方、板垣の三角同盟内閣を組織する大方針を定めたという説が、事実のように思われる。組織の初め、桂は山縣に進言して、『後継内閣は第一に政党に対してすべからく非常に強硬の態度をとるべし。何となればもしも彼らにして反抗を逞くするあらば、解散に次ぐ解散を以てし、憲法中止やむを得ざるに至るとも、彼らをして従来跳梁の状...

  17. 12-5■星亨憲政党を破壊 - 星亨伝

    12-5■星亨憲政党を破壊

    辞職を許されないため政治活動を控えていた星亨は、犬養が入閣したのを見るに及び、猛然と立ち上がった。板垣はじめ自由党が官僚派と共に尾崎攻撃につとめたにも関わらず、星亨はこの問題に触れなかった。彼はいよいよ憲政党を破壊し、近代的な組織による政党を樹立すべく決心をしたのである。彼は二八日、初めて小山の別荘を出て、同日大蔵大臣官舎で開かれた自由派の領袖会議にその二六貫の巨躯を現した。まだ進退に迷って...

  18. 12-4■尾崎文相問題 - 星亨伝

    12-4■尾崎文相問題

    星亨は帰って見ると、八月一〇日の総選挙でちゃんと当選していた。彼は米国に赴任の際、衆議員議員を辞し、前回の総選挙には立候補しなかったが、今度は彼の不在中に関東自由党派が彼を押し立て、進歩党系野沢武之助を破って当選したのであった。世人は『星来る、星来る』と言って猛虎が市内に現れでもしたかのように騒ぎ立てた。彼はどう思ったか、小山の別荘に引きこもり悠々傍観の姿で、何の手出しもしないのである。そし...

  19. 12-3■自由、進歩両党は合同して『憲政党』を組織、隈板内閣の混乱 - 星亨伝

    12-3■自由、進歩両党は合同して『憲政党』を組織、隈...

    解散後、自由、進歩両党は合同して『憲政党』を組織した。(注1)これに対して、伊藤は新政党を樹立して選挙を争うべく決心し、大蔵大臣官舎を創立事務所として国民協会に参加を求めると同時に、井上の勢力を以て、実業家の支持を獲得する計画を立てた。ところが段々工作を進めてみると、実業界の向背は、日銀総裁岩崎弥之助の意向一つで決定する情勢であり、その岩崎は大隈と切っても切れぬ関係があり、また岩崎と福沢諭吉...

  20. 12-2■伊藤内閣成立 - 星亨伝

    12-2■伊藤内閣成立

    後継内閣の大命は伊藤に下った。伊藤は挙国内閣の組織を企て、まず大隈に外相として入閣を交渉したところ、進歩党幹部と協議の後、大隈自身に内務の椅子を与える外、なお進歩党員のために重要なる三個の椅子を提供されたいと要求した。伊藤は大隈の要求が過大であるばかりでなく、総選挙を前にして、政党の首領を内務に据えることは、世上疑惑の種になるというので、この交渉を断念し、次に板垣に交渉したところ、板垣もまた...

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