朝倉義景のタグまとめ

朝倉義景」のタグがついている新着記事と人気記事をまとめました。エキサイトブログには朝倉義景に関連するブログ(日記、記録、写真、レビュー、噂、まとめ)がたくさん投稿されています。

「朝倉義景」タグの記事(9)

  1. 麒麟がくる第37話「信長公と蘭奢待」その2~浅井、朝倉の滅亡~ - 坂の上のサインボード

    麒麟がくる第37話「信長公と蘭奢待」その2~浅井、朝倉...

    「その1」のつづきです。将軍・足利義昭を追放した織田信長は、元亀4年7月21日(1573年8月28日)に京都に戻り、その1週間後の7月28日、元号を「天正」に改めました。これまで改元は将軍の権限でしたらから、信長が朝廷から将軍に準ずる扱いを受けていたことがわかります。実は、この3年前の「元亀」への改元の際も、信長は「天正」を推していたといいます。しかし、結局は将軍・義昭の推す「元亀」となった...

  2. 麒麟がくる第26回「三淵の奸計」~阿君丸の急死~ - 坂の上のサインボード

    麒麟がくる第26回「三淵の奸計」~阿君丸の急死~

    永禄11年4月15日(1568年5月11日)、越前一乗谷にいた足利義昭は、京都から前関白の二条晴良を越前に招き、ようやく元服式を行いました。烏帽子親を務めたのは朝倉義景だったといいます。通常、元服は15歳頃に行うものでしたが、このとき義昭は既に32歳。足利将軍家の慣わしで幼い頃から仏門に入っていたため、まずは「僧」から「俗人」に戻る還俗を済ませたあと、元服の儀となります。これで、ようやく義昭...

  3. 「朝倉阿君丸」のフリガナについて - 歴史チップス新聞「REXXXXXI(れきっっっっしー)」

    「朝倉阿君丸」のフリガナについて

    NHK大河ドラマ『麒麟がくる』を観て気づいたのですが、朝倉義景の嫡子「阿君丸」のフリガナは「くまぎみまる」が正しいようですので、「大雪味」を訂正してお詫びいたします。ただし、「大雪味」を執筆したのは17年超前なので覚えていませんが、当時は何らかの資料を参照にしてたはずなので、異名としては残しておきます。そういえば、「子供味」で「阿新丸(くまわかまる)」という子も出てましたね。

  4. 麒麟がくる第25話「羽運ぶ蟻」~足利義昭流浪の日々~ - 坂の上のサインボード

    麒麟がくる第25話「羽運ぶ蟻」~足利義昭流浪の日々~

    永禄8年7月28日(1565年8月23日)、三淵藤英、細川藤孝らの手引で奈良・興福寺を脱出した覚慶は、近江国の和田惟政の居城・和田城にしばらく身を置きます。ここで覚慶は足利将軍家の当主になることを宣言しました。ドラマでは、仏門で過ごしてきた自分に将軍が務まるかどうかと自信なさげな覚慶でしたが、実際の覚慶は、ここで各地の大名たちに書状を認め、自分に協力するよう求めるなど、やる気満々だったようで...

  5. 麒麟がくる第24話「将軍の器」その2~足利義昭の脱出~ - 坂の上のサインボード

    麒麟がくる第24話「将軍の器」その2~足利義昭の脱出~

    「その1」のつづきです。永禄8年5月19日(1565年6月17日)、室町幕府第13代将軍・足利義輝が殺害されると、このとき奈良興福寺の一乗院門跡となっていた次弟の覚慶、のちの足利義昭にも危機が迫ります。義輝を殺害した三好一派にとって、義輝に血の近い兄弟は邪魔な存在でした。三好らは義輝を殺害したあと末弟の足利周暠も殺害しており、となると、次の標的が覚慶であることは火を見るより明らかでした。 と...

  6. 一乗谷朝倉氏遺跡を歩く。その5「朝倉義景・朝倉孝景墓所」 - 坂の上のサインボード

    一乗谷朝倉氏遺跡を歩く。その5「朝倉義景・朝倉孝景墓所」

    「その3」で紹介した朝倉氏館跡の東南隅旧松雲院墓地内に、第11代当主の朝倉義景の墓所があります。 木標には「五代」とありますが、朝倉氏の拠点を一乗谷に移した朝倉孝景を初代とした場合、義景は5代目になりますが、越前国に入国した朝倉広景を初代とすると、義景は11代目となります。当ブログでは、11代とさせてもらいます。 こちらが、その義景の墓です。 朝倉義景は、天正元年(1573年)8月20日、刀...

  7. 一乗谷朝倉氏遺跡を歩く。その4「庭園~中の御殿跡~諏訪館跡」 - 坂の上のサインボード

    一乗谷朝倉氏遺跡を歩く。その4「庭園~中の御殿跡~諏訪館跡」

    「その3」のつづきです。朝倉氏館跡の東の高台を上ると、湯殿跡庭園があります。 一乗谷朝倉氏遺跡には、多くの庭園が遺存していますが、そのなかでも、湯殿跡庭園、南陽寺跡庭園、諏訪館跡庭園、義景館跡庭園の4庭園が、「一乗谷朝倉氏庭園」として平成3年(1991年)に国の特別名勝に指定されました。 湯殿跡庭園は4庭園のなかでも最も古く、10代目当主の朝倉孝景の時代に造られたと推定されています。説明板に...

  8. 一乗谷朝倉氏遺跡を歩く。その3「朝倉氏館跡」 - 坂の上のサインボード

    一乗谷朝倉氏遺跡を歩く。その3「朝倉氏館跡」

    「その2」の続きです。一乗谷朝倉氏遺跡の復原町並の東側に流れる一乗谷川を渡ると、堀に囲われた朝倉氏館跡があります。その入口には唐門があります。 これは復元ではないそうですが、朝倉氏の時代にはなかった門で、朝倉氏滅亡後に豊臣秀吉が朝倉義景の菩提を弔うために建てた松雲院の寺門だそうで、その後、江戸時代中期に再建されたものだそうです。 唐門の幅は2.3mあります。 唐門を潜ると、広大な敷地が広がり...

  9. 一乗谷朝倉氏遺跡を歩く。その2「復原町並み」 - 坂の上のサインボード

    一乗谷朝倉氏遺跡を歩く。その2「復原町並み」

    「その1」の続きです。広大な一乗谷朝倉氏遺跡の一角に、城下町を復原したゾーンがあります。今回はその復原町並を歩きます。 復原町並は土塀で囲われています。 塀に囲われた重臣の屋敷が山側に並び、計画的に造られた道路を挟んで武家屋敷や庶民の町屋が形成されていた様子がリアルに再現されています。発掘された塀の石垣や建物礎石をそのまま使い、柱や壁、建具なども出土した遺物に基いて忠実に再現されています。 ...

総件数:9 件

似ているタグ